馬鹿ばっか


 05

 最初から後悔するなら言うなよ。
 自分で自分を叱咤したところで、一度口から出た言葉を撤回することは難しいことは理解していた。

「……はぁ」

 気分は沈むばかりだ。
 ――政岡を傷つけてしまった。
 いつかは必ずきちんと言わなければならないときがあるとわかっていたが、こんな形で突き放すつもりはなかった。
 自己嫌悪の波に襲われる。
 部屋に籠もっていると余計気が沈みそうだった。けれど、今は一人になりたかった。
 部屋の中、ベッドに包まり俺は一人ぼんやりとしていた。
 ……政岡。あいつの傷ついた顔が頭から離れない。
 忘れようとしても瞼裏にこびりついてるのだ。あのときの傷ついた声も、しっかりと鼓膜に染み付いてる。
 ごめんなさいっていうのも、変な話だ。
 良かったんだ、これで。これで政岡がゲームから手を引いてくれりゃそれでいい。そう思うのに、浮かぶのは政岡の真剣な目だ。
 あいつは、きっかけがどうであれ俺のことを心配してくれていた。そりゃもうお節介なまでにだ。

 物好きなやつだ、本当。
 ……俺なんか放っておけばいいのに。
 猪突猛進で、不器用なくらい変なところで真っ直ぐで……。

「はぁ……」

 何度めかのため息とともに俺は布団から顔を出した。
 神楽にキスされた感触までも思い出してしまい、慌てて拭う。
 こんなことになったのも、全部あいつの……岩片のせいだ。あいつに抱かれたせいで、全てが狂いだした。

「……ックソ……」

 やっぱりこう閉じこもってるのは性に合わない。余計なことばっか思い出しやがる。
 熱の籠もった服の中、布団を蹴飛ばし、体を起こした。
 このままふて寝してサボってやろうと思ったが、俺を休ませてやる気もないらしい。
 けれど、かと言って大人しく教室に向かう気もなかった。
 気分転換に顔を洗った俺は、熱っぽい体を動かして部屋を出た。
 飯にでも食いに行こうと思った。生活リズムが狂った生徒たちがわんさかいるこの学園の売店は大体開いている。

 うっしゃ、なんかバーガーでも買おう。なけりゃ、なんか腹の足しになるもんでも食べて……それから……。
 …………それから。
 ……なんも、やることねえなぁ……。

 俺は岩片に出会う前どうやって時間を潰していたのだろうか。わからない。けれど、きっとくだらないことをしてたに違いない。記憶に残らないくらいだからな。
 ……自分で言ってて悲しくなってきた。
 悔しいけど、あいつに出会ってからの記憶の方が強すぎて昔のことが思い出せないのも事実だ。

 しんみりしそうになる自分の頬を叩く。
 しっかりしろ、俺。パン、と乾いた音ともにヒリヒリとした痛みが頬に走る。痛え。
 これでいい、これでいいんだ。そう自分に言い聞かせ、部屋を出た。
 そして、そのまま周りをなるべく気にしないようにしながら売店へと向かう。


 売店前は閑散としていた。
 いつもなら面倒臭そうな輩がカウンター前を陣取ってる風景が広がってるのだが、どうやらいいタイミングだったようだ。
 どれを食おうかと並ぶパンを選んでたときだ。

「おい」

 不意に、肩を掴まれる。
 いきなりなんだと振り返った俺は、そこに立っていたでかい影に硬直した。

「こんなところで何をしてる?」

 今見たくねー顔ナンバースリーの生徒会書記・五十嵐彩乃がそこにいた。

「何って……見てわかんねーの?飯選んでるんだよ、飯」
「……呑気なやつだな。自分の立場分かってんのかよ」

 んなことを言われて、ハッとする。そうだ、こいつ……色々あって記憶飛びかけていたが、こいつ、この前人を助けるとかいいつつ能義と一緒にとんでもねえことしてきたんだった。
 当たり前のように返事してしまったことを後悔し、そして咄嗟に距離を開ければ五十嵐は「遅えな」と呆れたような顔をした。

「な……なに、普通に話しかけてきてんだよ……よく顔出せたな」
「そりゃこっちのセリフだ。……部屋で落ち込んでんのかと思いきや飯かよ。……本当に図太い野郎だな」
「っお前に言われたくねえよ……!」

 あまりにもいつもと変わらない慇懃かつ偉そうな透かしたその面に思わず手元のパンを投げつけたくなったが、商品であることを思い出し寸でのところで堪える。
 ……クソッ、最悪だ。厄日ってレベルじゃねえぞ。
 こいつの顔を見るのも嫌で、俺はさっさと売店から離れようとすればいきなり肩を掴まれる。肉厚な掌に、昨日のことを思い出し顔が熱くなる。

「触るな……ッ!」
「っと……危ねえな。……随分と荒れてるな」
「誰のせいだと……」

 思ってんだ、と掴みかかりそうになるが堪える。
 こいつに当たったところでどうしようもない。
 確かにムカつくことには違いないが、それでも、これでは完全に八つ当たりである。
 これ以上の自己嫌悪に陥るのは勘弁したい。
 俺は「離せよ」と睨むが、五十嵐は手を離さない。それどころか。

「……飯、食いに来たんじゃねえのかよ。お前」
「誰かさんの顔を見たら食欲が失せたもんでな」
「そりゃ悪かったな」

 そう言うなり、五十嵐は俺の腕を掴んだまま、先程俺が買おうとしていたハンバーガーを手にし、それを売店のおばちゃんに「これくれ」と渡すのだ。
 なんでよりによってそれを選ぶんだよ、あてつけか。とむっとしたとき、支払いを終えた五十嵐は袋に入ったハンバーガーを俺に押し付けてきた。

「……な、んのつもりなんだよ……」
「それ、食いたかったんだろ」
「別に……」
「嘘つけ。ずっとよだれ垂らして見てたくせに」
「……」

 涎は垂らしてねえよ。
 ムカムカしたが、それ以上にこいつがこんなことしてくることが予想外だったせいか、毒気を抜かれてしまう。
 あまりにも変わらない五十嵐の態度に、一人だけムキになってるみたいで嫌だった。

「……いらない。お前が買ったんだからお前が食えばいいじゃん」
「俺は別に腹は減ってねえよ」
「ならなんで……」
「昨日は、悪かった」

 まさか、こんな場所でその話を持ち出されるとは思わなかった。
 馬鹿真面目な顔してんなこと言い出す五十嵐にぎょっとし、俺は慌てて五十嵐の腕を掴んだ。
 そして、早足で売店から離れ、人気のない通路へと移動する。

「おい、離せ。服が伸びるだろうが」
「……っ、どういうつもりだよ……こんなことまでして、当てつけのつもりか?」
「……聞こえなかったのか?昨日は悪かったと言ったんだ」

「助けるつもりだったが、頭に血が登った」そう悪びれもなくそんなこと言い出す五十嵐に、カッと顔が熱くなる。
 それが怒りなのか羞恥からなのか判断つかない。

「ふ……ざけるなよ……っお前のせいで、俺は……こんなんでご機嫌取りのつもりかよ……っ」
「それはついでだ。腹減ってんだろ、食えよ」
「いらねえ」
「じゃあ捨てる」
「……もっ……勿体ねえことすんじゃねえよ、何様のつもりだよ」
「なら、お前が食え。見てただろ、妙なもんは入ってない。なんなら毒味でもするか」
「……ッ」

 馬鹿にされてるのがわかった。今の俺にとって五十嵐の言動すべてが神経を逆撫でするのだ。
 八つ当たりに近いけれど、こいつにも要因があるのだ。……そう思うことでしか自分を抑えられなかった。

「なんなんだよ、お前……意味わかんねえよ」
「昨日のことがあっただろ。……それで少し気になってただけだ」
「……なにが、俺のことがかよ」
「あぁ、お前のことがだ」
「…………」

 なんでこいつはこんなに偉そうなんだ。
 どこまでもふてぶてしい。まるで昨日人を裏切ってチンポ突っ込んできた野郎とは思えない堂々たる姿に俺は呆れて何も言えなかった。


 俺は一体何をしてるのだろうか。
 五十嵐と飯を食う日が来るなんて思いもしなかった。
 飯っつっても購買のパンを適当なベンチに座って食ってるだけだけど。
 ……旨いんだろうけど、まじで味わかんねえし。

「お前、岩片凪沙とは何かあったのか」

 やぶから棒に聞いてくる五十嵐に、俺は飲みかけていたジュースを喉に詰まらせそうになる。
 ……そんな気はしていた。こいつがただ俺のことを心配して訪ねてくるような殊勝なやつなわけないか。
 政岡と同じように岩片に何かを言われたのだろう。
 何度目だ、この質問も。そろそろ気が滅入りそうになる。

「……どうしてそう思うんだよ」
「政岡が妙なことを言っていたのを聞いてな」
「どれのこと?」
「お前を落とすのは自分だとか吹いたらしいじゃねえか」
「…………」

 ああ、そっちか。と思った。 
 五十嵐としては話が違うと文句を言いに来たのかもしれない。俺だって文句を言いたい内の一人の人間だ。
「どういうことなんだよ」と五十嵐に聞かれたところでそれはこっちのセリフなのだ。

「……面倒なことになったな」
「文句ならあいつに言ってくれ。俺はもうお役目御免らしいからな」
「なんだって?」
「…………そのままの意味だよ」

 軽い調子で言いたかったのになんとなく言葉尻が落ち込んでしまうのはどうしょうもない。面白くもないのに笑えるほどの気力もない。

「っつっても、約束は守るつもりだから。……『ゲームを終わらせる』ってやつ。誰も勝たせねえから安心しろ、勝敗もつかなきゃゲームは破綻するんだろ?」
「お前にそれ、出来んのか?」
「出来るよ。……どういう意味だよ、それ」
「そのままだ。あいつに迫られてお前拒否できんのかよ」

 当たり前のように聞いてくる五十嵐に、その言葉を理解した瞬間顔が熱くなる。恥ずかしいとか照れるとかそういうものではない。
 俺があいつに迫られたらころっと傾きそう、と言われてるようで……いや、実際にこの男はそう言ってるのだろう。だからこそ余計ムカついて、怒りのあまりに顔が熱くなる。

「……っ、できるに……決まってんだろ。お前ら散々勘違いしてるけど俺が好きなのは女の子だから、いくら岩片でもベクトルがちげーだろ」
「お前あいつに抱かれたんだろ」
「……ッは?」
「有人に聞いた」

 さらりと口に出すその言葉に、目の前が真っ赤になる。
 あのド変態チンポ野郎。
 怒りのあまりに五十嵐に殴りかかりそうになるが、体が岩のようになって動けなかった。声も出なかった。
 その俺の反応が、暗にその事実を認めてるものと判断したのだろう。五十嵐は「別に誰にも言わねえよ」と付け加える。

「寧ろ、初めてってのが驚いたんだけどな。……お前ら付き合ってなかったのか」
「そんなわけないだろ!」
「声がでけえな、聞かれるぞ」
「……ッ、そんなわけ…………あるわけないだろ……!」
「そうか?お前がそのつもりでも、向こうは違うかもしれないだろ」

「前々からあいつのお前に対する執着は普通じゃねえとは思ってたがな」と対して興味なさそうに続ける五十嵐に、俺はやり場のない怒りに震えていた。
 これならまだ尻軽だとか言われてた方がましだ。

「……なんだよ、何が言いたいんだよ」
「お前は岩片凪沙のことが本当に好きじゃないのか?」
「……あんなやつ、もうどうでもいいんだよ」

 拗ねた子供じみた言葉しか出すことができない。
 そう言ったっきり何も言えなくなる俺に、やっぱり何考えてんのかわかんねえ顔で五十嵐は「そうか」と頷いた。

「お前がそのつもりでも、お前は案外流されやすいところがあるからな」
「ねえよ。流されるかよ、こんな……」
「いやこれだけは断言できる。お前このままじゃ負けるぞ」

「岩片凪沙に落ちるだろうな」と冷静に口にする五十嵐に、今度こそ俺は顔が熱くなるのを感じた。
 そんなわけ無いだろ、誰があんなやつ。適当に言うのもいい加減にしろ。
 言いたいことは山ほどあったが、五十嵐の真剣な目で睨まれ、その先の言葉を口にすることは忍ばれた。

「あの男もかなりの負けず嫌いだとは思ってたが、こんな形で負けず嫌いを発揮させてくるとは思わなかった」
「五十嵐は、あいつが勝っていいと思ってんのかよ」
「勘違いするなよ。俺は別に応援してるつもりはない。ただ、約束が違う。……本来ならすぐにでも辞めさせたいが、あの男のことだ、一筋縄では行かないだろう」

「だから、お前に会いに来た」悪びれた様子もなくただ静かに言い放つ五十嵐に、俺は少しだけ目を反らした。
 俺はお前の顔は見たくなかったが、そこで俺に話をつけに来たのは優秀だ。ああ、迷惑でもあるが最善の選択とも言えるだろう。あのどこかの色ボケモジャメガネは話が通じねえからな。

「俺に会いに来た……って言われてもなぁ、意味ないと思うけど」
「お前……馬鹿か?」

 どうやらこいつは優しくするつもりもないらしい。
 それも思いっきり呆れたような顔してそんなことを吐き出す五十嵐に俺は内心ムッとするが、それも束の間。腹に溜まった空気を吐き出すように溜息をつく五十嵐になんだか本当に自分が馬鹿みたいに思えてくるのだ。不思議だ。

「人が凹んでんのに馬鹿馬鹿言ってんじゃねーよ」
「馬鹿なやつとは思ってたがここまで来るとあいつに同情するな」
「このやろ……」
「あいつと喧嘩したのか知らねえけど、岩片みたいなやつがどうでもいいやつにここまですると思うか、普通」
「…………するだろ、あいつなら」
「…………しそうだな」

 お前も自信なくなってんじゃねえ。
 五十嵐は岩片は少なからず俺に情があり、独占欲もあり、それがあってあんなこと言ったんじゃねえのかなんて言う。
 五十嵐はあいつのこと何も知らないから冷血漢岩片に対して情だの云々言えるのだ。
 あいつにそんな人の心があるってんならそこらへんの凶悪犯罪者だっていいやつだ。

「とにかく、お前には協力してもらうぞ」
「協力って……別に心配しなくてもゲームを成立させる気はねえって……」

 言ってるだろ。と、いい加減にしつこい五十嵐に反論しようとベンチから腰を上げたのと伸びてきた手にネクタイを掴まれたのはほぼ同時だった。

「っ、お、い」
「……あと1センチ」
「な、にがだよ……つーか近い……!」
「キスできる距離。……俺が止めなかったら普通にキスできるぞ、これ」
「……っ」

 完全に誂われてる。
 笑いもせずそんなことを至近距離で口にするやつに、覗き込んでくる目に、息が詰まりそうになる。
 同時にムカついてきて、俺は咄嗟にネクタイを掴む五十嵐の腕を引き剥がす。
 ……今度はあっさり離れた。

「今のは……不可抗力だろ。どうしようもねえよ」
「隙があり過ぎだって言ってんだよ。俺に何されたかも忘れたのかよ」
「……ッ、お前……」

 当たり前のように掘り返され、顔が熱くなる。人が必死に押し殺し、なかったことにしようとしていた部分を遠慮なしに踏み込んでくる五十嵐に構えれば、「それでいい」なんてやつは頷くのだ。
 何様だよ、本当にこいつは。

「とにかく、あまり一人でチョロチョロすんじゃねえ。それと、岩片と仲直りしろ」
「何言い出すんだよ、急に」
「急ではないだろ。……今この状態は面倒だって言ってんだ。不安分子は早々に芽を摘むに越したことはない。あいつを野放しにしておいていいことはないからな」
「仲直りって、別に喧嘩したわけじゃ……」

 ……いや、喧嘩なのか。違うな、喧嘩で済めばよかったんだ。確かに俺が売ったのは喧嘩だったが、少なくともあんな展開は望んでなかった。

「ゴネるな。お前が言ったんだからな、俺に協力すると」
「……正確には岩片だろ」
「岩片凪沙があの調子だ。なら誰が約束を果たすんだ?」
「って、なんだよそれ……………………俺?」
「それが嫌ならさっさとあいつの頭を冷やしてやれ。…………それと、お前もな」

 五十嵐はそれだけを言い残し、そのままどっか行く。
 本当に自分勝手というか、強引というか、人の話聞かねえやつというか。
 その背中に文句の一つや二つ投げかけてやりたかったが、飯を口に含んでいた俺は結局何も言い返せず無言でその背中を睨んでた。

 岩片と仲直りって言われても、無理だろ。
 散々人の気持ちがわからないだとか言われてきた俺だけど、それだけは確かにわかる。
 ……少なくとも、俺はあいつと今まで通りでいるのなんて無理だ。
 それは違いない。
 食べカスをゴミ箱に投げ入れ、俺はベンチの背もたれに思いっきり凭れ掛かる。
 何時限目かのチャイムが聞こえてくる。どっかの窓が割れる音ともに騒がしい声も聞こえてきた。また馬鹿が馬鹿騒ぎしてるのだろう。喧騒を聞きながら、なんだか俺は自分の居場所を失ったような感覚になりながら少しだけぼんやりしていた。

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