04
「……何しに来たんだよ、お前ら」
「何ってえ?そりゃ元君が心配だからに決まってるじゃん。ま、誰かさんたちは下心しかないんだろーけどね〜?」
「おやおやおや、もしかしてそれって私のことを言ってますか?それを言うなら会計、貴方の方こそ今日はデートに行くとか行って朝の会議サボってたじゃないですか。体調不良の尾張さんとデートでもするつもりだったんですかねえ?」
「それは副かいちょーがしつこいから……ってかそうだ!かいちょーだってなんで元君の部屋にいるわけ?おかしくない?かいちょー元君虐めてたくせにさぁ?」
「はあ?俺がいつこいつを虐めたって言ったんだよ!」
「…………」
なんだこの状況。
ギャーギャーと周りなんてお構いなしに揉め始める生徒会連中になんだか頭が痛くなってきた。
「……そろそろ俺教室に行きたいんだけど」
「そうだよ、てめぇらはさっさと帰れよ。こいつは俺が責任持って送るから」
「いやいやかいちょーに任せられるわけないじゃん。俺がぁ元君を送り届けるの〜」
「お二人はそんな暇あればさっさと生徒会室戻って自分の役目を果たしていただきたいんですがね。……というわけで私がお供しますよ、尾張さん」
「いい、気持ちだけもらっとく。とにかく俺一人で大丈夫だから」
正直、誰といたところでろくなことになる未来が見えない。
能義に関しては論外である。きっぱりと言い切れば、ぱたりと静まり返った三人だったがすぐに「ちょっと待った」と政岡に引き止められる。
「尾張、本当に一人で大丈夫なのか。……お前、まだ本調子じゃないんだろ」
「大丈夫だって。それに自分のことくらい自分でできるよ、ガキじゃねーんだし」
「そうでしょうか?……まだ歩くのも辛そうに見えますが」
そう、伸びてきた能義の手に腰を撫でられ、全身が凍りつく。こいつ、と反応に遅れた瞬間、神楽にその手を振り払われた。
「副かいちょーのそういうとこ、俺嫌いだよ〜」
「……おや、会計。まさか貴方自分だけおきれいなフリして私に歯向かうつもりですか?」
どこまでが真意なのか全く読めないが、なんとなく能義の笑顔からしてこれがただのじゃれ合いではないことに気付く。
一瞬、張り詰めた空気が流れたときだ。
「おい、テメェら喧嘩するなら尾張がいないところでやれよ!邪魔になんだろうが!」
そんなのもお構いなしに政岡は声を上げた。
そういう問題か、確かにそれもそうだけど。というか止めないのか。色々突っ込みたいところはあったが、政岡の言葉をきっかけにその場の緊張が解けるのを肌で感じた。
「ふふ、それもそうですね。……今日は貴方のナイトが多いみたいですし、また折を見て会いに行きますよ、尾張さん。……少々お耳に入れたいこともありますし」
「……」
「それではまた。会計は後で覚えておいてくださいね」
先に折れたのは意外なことに能義だった。
執念深そうなあの男は「お大事に」とだけ言ってのけ、颯爽と帰っていく。本当に顔を見に来ただけではないのだろうが……それでも、それもそれで嵐の前の静けさ的なものを感じてしまって不気味だ。
「ったく、なんなんだアイツ……おい、尾張大丈夫か?へ……変なことされてないだろうな」
不機嫌そうに、かつ不安そうに尋ねてくる政岡に「大丈夫」とだけ答えておく。
……本当は大丈夫ではない。せっかく寝て薄れていた感覚が一気に蘇り、こうして政岡と神楽といるだけで恥ずかしくて死にそうになっていた。
神楽に至っては、目の当たりにしてるわけで。
「……かいちょーってさあ、何も知らないのお?」
あまりにもいつもと変わらない政岡に疑問を抱いたのか、そんなことを聞き出す神楽にぎょっとする。
「何もって……なんだよ」
「だからぁ、副かいちょーと書記が……」
「か、神楽!!」
咄嗟に、動いていた。慌てて神楽の口を手で塞げば、「むぎゅっ」と鳴く神楽。
「……なんだよ、能義と彩乃がどうしたのか?」
慌てて黙らせたが、前半部分はバッチリ耳に入っていたらしい。眉根を寄せる政岡。その鋭い目がこちらを向く。
「何もねーよ。……少し揉めただけだし、お前が心配するようなことはなんもねーから」
安心させようと思ったのに、なんとなく突き放すような言い方になってしまって後悔した。
政岡は到底納得したようには見えなかったが、俺も俺で言おうとしないという意思を感じ取ったのだろう。
「……本当に大丈夫なのか?」
「……大丈夫、だって。……それより、神楽、ちょっと……ちょっといいか?」
政岡は俺が言いたくないことを無理に聞き出すようなやつではないとわかっていた。けれど問題はこの茶髪男だ。俺は政岡に視線で断りを入れ、通路の奥までそのまま神楽を引きずって行く。
政岡をその場に待たせたまま、俺は引っ込んだ通路のところまで神楽を連れてくる。そこでようやく手を離せばモゴモゴしていた神楽は「ぷは〜!」と生き返ったように深呼吸をした。
「元君、激しすぎだよ〜俺本当に死んじゃうかと思った……」
「それは……悪かった。けど、政岡にあのことを言おうとするから……」
「……ってことは、かいちょーには言ってないんだ?」
「言えるわけないだろ……というか、言ったところで余計ややこしくなるだけだし」
「……まあそうだろうね〜、かいちょーって俺から見てもかなり元君に本気っぽいし。絶対キレるよあれ」
「…………」
「でもさぁ、そっちのが絶対いいと思うんだけど?かいちょーってなんだかんだ一番強いからさー、副かいちょーが唯一敵わないって言ってるほどだし。少しは痛い目見てもらった方がいいんじゃないのぉ?」
……かわいい顔して結構酷なことを言い出す神楽に、俺は普通に驚いた。
確かに、他人のケツを変形させたあの男たちに憤りを感じないといえば嘘になる。けれどだ、報復か。……昨日はそれどころじゃなくなって考えれなかったが、俺だけ泣き寝入りみたいな真似になるのもおかしな話である。
……けれどそれを提案するのがあいつらとも仲が良いであろう神楽なのが引っ掛かった。
「そりゃムカつくけど、お前はいいのか?あんたら……仲が良いんだろ?」
「……は?なんで?」
「なんでってか……いくらゲームのことがあるからって言ったって、普通に友達してるだろ。そんな相手を仲間割れさせるなんて……」
「……元君って、やっぱ変わってるよねえ?俺は元君の立場になって言ってたつもりなんだけど、まさか俺たちの仲の心配してくれるなんてねえ」
きょとんとしていた神楽だったが、すぐに呆れたように笑う。
確かに、言われてみれば変な話だ。けれど、なんだろうか。確かにムカつくけど、正直あのときのことは俺にも悪いところがあるだけに大きく責めれないというのが本音だ。
けれどこれじゃ、
「もしかして、あんなことされても全然平気だった?」
気付けば、俺は神楽により壁際に追い込まれる形になってることに気付いた。
「それともハマっちゃったとか、言わないよねえ?」そう軽蔑の色を孕んだ神楽の眼差しに、嫌なものが込み上げる。
「おい、やめろよ。冗談じゃない……そんなわけないだろ」
声が震えるのを殺し、俺は神楽を押し返してその場から戻ろうとした。
けれど、神楽はそれを許してくれなかった。
「……あの後、あのモジャとは大丈夫だったぁ?」
肩を掴まれ、引き止めてくる神楽に尋ねられる。
いきなり岩片のことを聞かれ、思いの外俺は動揺してしまったらしい。目を泳がせそうになり、咄嗟に目を伏せるがそれが神楽の猜疑心を強めたらしい。
「……あーあ、こうなるくらいならやっぱ、あのとき俺が全部貰っちゃってた方がよかったなぁ」
どういう意味だ、と聞く暇もなかった。
頬を掴まれ、上を向かされそうになったと同時に視界が覆われる。噛み付くように唇を重ねられ、血の気が引いた。いつどこで誰が来るかもわからない、おまけに政岡も待たせてるこの状況で、だ。
スリル満点とか言うレベルではない。
生憎俺はそんな危機的状況に興奮する特殊性癖は持ち合わせていなければ男とのキスに喜ぶ癖もない。
よってこの展開は、最悪のそれだ。
「っ、なッ!離……ッ!ぅ、ん、ぅう……ッ!」
言葉ごと唇で遮られる。ぬるりとした舌に唇をなぞられた瞬間、蘇る嫌な感触に堪らず神楽を突き飛ばす。
僅かに顔を顰めた神楽は俺から唇を離し、「いったたた」と呻くように情けない声を漏らした。
「……元君酷いよぉ、今本気で殴ったでしょー?」
「あっ、たり前だ……!何、をいきなり……」
「別にいきなりじゃないよねえ?俺はずぅ〜〜っと、元君のことが大好きなんだし?」
「それは……っ」
ゲームのことがあるからだろう。
そうじゃなければ神楽の恋愛対象は俺のようなタイプではなく間違いなく柔らかそうな女の子のはずだ。
言いかけて言葉を飲み込む俺に、神楽は俺の唇に触れる。
「それとも何?……もしかしてぇ……本気で好きな人ができちゃったとか?」
「心配しなくてもできねーよ、こんな場所で」
「へー……本当に?」
「……本当だって言ってるだろ」
「ふーん……?」
「いい加減に離れろ……って……!」
「けどね、元君がそんなこと言っててもさぁ、誰かさんたちは本気で君のこと落とすつもりなんだと思うよぉ〜〜?元君の意思なんて関係なく、全部自分のものにしちゃおーって思ってるんだよぉ?」
「もっと危機感持たなくちゃ〜」といつもの間延びした調子で続ける神楽。何が言いたいんだ、こいつ。
そう、睨みつけた矢先のことだった。
「おい、神楽。いつまで尾張と一緒に……」
いるんだ、とかそんなことを言おうとしたのだろう。
戻らない俺たちを心配した政岡がやってきたのを一瞥したたと思いきや、神楽はそのまま俺のネクタイを掴み、思い切り引っ張った。
ぶつかる勢いで触れ合う唇に、キスをされてるのかすら一瞬わからなかった。
凍り付く俺、そして政岡。ただ一人元凶である神楽だけは涼しい顔をして俺の唇を音を立てて吸い、笑う。
「あれ、かいちょーいたんだ。せっかくいいところだったのに邪魔しないでよね〜〜」
反応が遅れる俺の腰を抱き、神楽はわざとらしく唇を尖らせてみせる。
この男が何を考えてるのか全く理解できないが、岩片がこいつを嫌う理由がわかった。ような気がした。
「なに、すんだよ……っ」
とにかくこいつを黙らせなければ。
慌てて唇を拭い、咄嗟に神楽を引き離そうとした矢先だった。
それよりも先に、神楽は俺から離れた。というよりも、避けたと言った方が適切か。
吹っ飛んできた政岡の拳を避けるように後退した神楽は「あっぶねー」とけらけら笑う。
「今会長本気で殴りに来たでしょ……って、おわっ!危ないな〜……随分と荒れてんね」
誰のせいだと思ってんのか。
足取りは不安定なものの、猫のように政岡から逃げる神楽は俺の背後へと隠れた。
「神楽……テメェ自分が何やってんのか分かってんのか?」
「……何ってぇ?もしかしてそれ、元君にちゅーしたこと言ってるの?」
「……ッ!」
「でもさぁ、それをかいちょーが怒るのって変じゃない?かいちょーは元君の彼氏じゃないんだからさぁ〜〜」
「ね〜元君」と首を傾げ、同意を求めてくる神楽。
一理あるが、今このタイミングで政岡にいうかと言う気持ちの方が大きかった。
「……第一、お前だって俺のなんでもないだろ」
「ええ〜?元君冷たくない?もしかして照れてるのぉ?」
そう、背後からするりと伸びてきた手に頬を撫でられ全身にサブイボが立つ。
抱き締めるように耳元に唇を寄せてくる神楽にぎょっとするのも束の間。
「かいちょーのこと、諦めさせたいんなら俺の言うとおりにしてみてよ」
政岡には聞こえない程の声で甘く囁いてくる神楽。
どういう意味だと顔を上げれば、神楽はウインクしてみせた。
「……かいちょーさぁ、最近元君にまじすぎじゃない?……そんなのかいちょーらしくないってか、正直元君もドン引きだからねぇ?もっとフランクに楽しもうよ〜」
「ねえ?元君」と舌足らずな猫なで声で尋ねられる。
そんなこと、思ったことはないといえば嘘になる。
けれど、ドン引き……というよりは、その真摯さがあまりにも真っ直ぐすぎて俺には眩しくて仕方なかった。
言葉に詰まる。探るが、うまい言葉が出てこなくて。
「っ、尾張……そうなのか?……神楽の言うとおりなのか?」
ショック受けたような政岡の顔が視界に入り、息を飲んだ。
そうじゃない。そう言えば、実質それは政岡を受け入れることと同意義である。それは早計すぎる。
そもそも俺は、政岡の心配をしてる場合なのか。
思考がこんがらがる。唇が、体がやけに熱くて、熱が上昇しているのがわかった。
「……俺のことを心配するんなら、ほっといてくれ」
それは、本音だった。政岡の気遣いは嬉しいが、政岡に優しくされるたびにそれを素直に喜べない自分が嫌になるのだ。
それが、ゲームのためだとしてもだ。
政岡の表情が凍りつく。それを見ることができなくて、俺は視線を落とした。
「うひゃあ、元君ってば過激〜〜」
そう、他人事のように笑う神楽の手を振り払う。
「言っておくけど、神楽お前もだからな。今あんたらに付き合ってられるほど余裕ねーんだよ」
これは本心だ。
それに俺にはこれに真剣に興じる理由もなくなった。
だからとはいえ、割り切ってこんな不純なゲームを楽しむ気持ちにもなれない。
「ちょっと、元君それはないでしょ〜」
面倒になって、その場を離れようとしたところを神楽に掴まれ止められる。
簡単には逃してもらえないとは思ってたものの、厄介だな。思いながら振り返ったとき。
神楽の肩を掴む政岡と目があった。
「痛たた!ちょっと、関節外れちゃいそうなんですけど〜!」
「……帰るぞ」
「えぇ?!何?やっぱり妬いて……」
「いいから帰るぞ!」
そう、ジタバタする神楽の後ろ髪を掴んだ政岡はそれを手綱のようにして神楽を引っ張っていく。
こちらを見ようともしなかった政岡に違和感を覚えた。
確かにキツイことを言ったけど、それでも、相手が政岡だからだろうか。心の奥がざわつく。
「っ、……」
政岡、と呼び止めようとして、言葉を飲む。
呼び止めて、それでなんと言えばいいのかわからなかったのだ。
無言で何も言えずにいる俺に、政岡は足を止め、こちらに背を向けたまま口にした。
「……今まで悪かった」
そうたった一言だった。
今まで聞いたことのないような感情を押し殺したようなその声、言葉に俺は、とうとう最後までなにも言い返すことができなかった。
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