馬鹿ばっか


 36

俺は、何をしてるのだろうか。

ついでに顔洗って気分を入れ替えようとするが、鏡を直視することができなかった。
どんな顔をして戻ればいいのか、どんな顔をして岩片と話せばいいのか。分かるやつがいるならご教授願いたいくらいだ。
かといってここに引き篭もってるわけにもいかない。呼吸を整え、落ち着く。顔の熱が引くのを確認して、俺は恐る恐るドアノブを掴み、部屋へと戻った。

部屋の中には、岩片がいた。
アイスを食べ終わったのか、残った棒だけを咥えた岩片は俺の方を見て「もう大丈夫なのか?」と皮肉げに尋ねてくる。
俺は、なんと答えればいいのかわからず、「大丈夫」と答えた。


「あ、そ。……じゃあなんでそんなところ突っ立ってんだよ。隣に座ればいいだろ」

「……いい」

「なんでだよ」

「お前の隣にいると、変なことするだろ」

「変なこと?」

「……っ、とにかく、俺はなんか今すげースクワットしたい気分だから」


だから、座らない。
そう遠回しに断ったつもりだったのだけれども。


「ハジメ」


名前を呼ばれ、ギクリとする。
それ以上は何も言わず、岩片は自分の隣をトントンと指で叩いた。
有無を言わせないその空気に、俺は出しかけた言葉を飲み込んだ。
嫌だといって逃げようと思えば逃げれたかもしれない。けれど、そうしなかったのは、岩片にこれ以上動揺してる自分を見せたくなかったからだ。

命じられるがまま、隣に腰を下ろす。
なんてことはない、また妙な真似をしようとすれば逃げればいい。そう思うが、実際にそれを行動に起こす自信はなかった。


「おい、なんでそんな隅っこに……」


そう、岩片の手が伸びてきて、肩を掴まれそうになったとき。
全身が緊張する。
肩が跳ね、咄嗟に身構える俺に、岩片は伸ばしかけた手を止め、それから、迷ったように手を挙げる。


「……そんなにビビんなくても、別に何もしねーよ」


ビビったつもりはなかったが、岩片に言われて自分が岩片の一挙一動に神経を擦り減らしていたことに気付いた。
それからすぐに、見透かされてしまってることに恥ずかしくなる。


「別に、ビビってなんかねえよ……ただ」

「ただ、驚いただけってか?」


言おうとした言葉を先読みされて、今度こそ驚く。
顔を上げれば、笑う岩片と視線がぶつかった、ように見えた。


「じゃあ事前に伝えとけばお前は安心するのかよ」

「……ッ、お前、なんなんだよ……朝から、昨日から変だぞ」


まだ俺が嘘ついたことを怒ってると言われればそれまでだ。安安と許されるとは思えない。けれど、だからといって逆に優しくしたり、変に扱われる方が不気味だったし、どうしたら良いのか分からなくなる。


「……変、ね」


そう歪む口元には自嘲的な笑みが含まれていた。
怒るだろうかと思ったが、寧ろ逆だ。深い溜息とともに脚を組み直した岩片は、そのまま背もたれに深く上半身を預ける。


「そんなに嫌ならもうしねえよ。……だからいちいち逃げるのもやめろ。……お前がその調子だとこっちも狂うんだよ」

「……っ、え」

「え、って何」

「なんで……」


なんで?理由は?本気か?
こんがらがる頭の中。岩片は横目で俺を見る。
何か言いたそうだったが、やめて、テレビのリモコンに手を伸ばして電源を落とした。
テレビのお陰で辛うじて沈黙にならずに済んでいたというのに、それすらもなくなり、本当の静寂がやってきた。


「なんでだと思う?」

「……お前の考えてることなんてわかるか」

「だろうな。おまけに見た目に似合わず初心だし、まじで童貞かよってレベルの恥ずかしがり屋ときたもんだ」

「誰が童貞だよ」


揶揄するような言葉にムカついて睨み返したとき、岩片は「やっとちゃんとこっち見たな」と笑った。
けれど、なんとなくその笑顔がいつものそれと違うように思えてしまうのだ。


「い……」


岩片。
そう、名前を呼びかけようとしたとき、岩片はソファーから立ち上がる。そして、携帯端末を取り出した。
どうやら誰かから電話が掛かってきたらしい。


「あーもしもし……何?……あー、わかった。……今からそっち行くから、待ってろ」


一分するかしないかの短い通話だった。
携帯端末を仕舞った岩片は、そのまま出口の方へと歩いていく。


「どこか行くのか?」

「ちょっと出掛けてくる」

「じゃあ、俺も……」


そう、慌ててソファーから立ち上がろうとするが、岩片に「お前はいい」と止められる。


「本調子じゃねえんだろ。大人しく寝とけ」

「別に、もう大丈夫だ」

「いい。……着いてくんじゃねえぞ」


取り付く島もなかった。
そうバッサリと切り捨てる岩片は言いたいことだけを言って、さっさと部屋を出ていく。
なんとなく、さっきまでとは雰囲気が違う岩片が引っかかる。
何の要件かくらい教えてくれてもいいんじゃないか。
いつもの岩片なら、通話の内容だって言えば俺に教えてくれるはずだ。

けれど。

――お前はいい。

頭の中で岩片の言葉が反芻する。
別にベタベタに優しくしてほしいというわけではない。
けれど、昨日の一件によりできた禍根はちょっとやそっとじゃ元通りにならないようだ。
岩片からの信頼を失ってしまった。そりゃそうだ、岩片に隠し事をし、嘘をつき、挙げ句の果に拒絶したのは俺の方なのだから本来ならばもっと岩片に責められても文句は言えない立場だ。

だけれど、変に優しくされたあとだからだろうか、岩片の声が余計冷たく染みる。
一人取り残された俺は、気分を紛らすためにテレビをつけたが、何一つ面白いと思えるものはなかったのですぐに消した。
岩片がいないとき、俺はどうやって時間を潰していたのだろうか。
基本岩片の命令で出歩いていたり、岩片と遊んでいたりしていたせいか、一人放置されると何をすればいいのか分からなくなる。
つくづく、そんな自身に嫌気が差す。

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