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結局、流されてしまった。
自室まで帰ってきて、横にさせられる。
なんでこんなことになってるのか。
ベッドの上、まな板の上の鯛みたいな気持ちでぼんやり壁を眺めていた。
岩片も岩片で俺を一人にするつもりはないらしく、ソファーにふんぞり返って座ってはテレビを見ていた。
早く教室に戻れよ、こいつ。
それとも本当はただ授業をサボるための口実だったのではないか?とも勘繰ってしまう。
こうなったらヤケだ。今のうちに休んであとから能義たちに会いに行こう。そう思って目を瞑るが、このベッドで昨日岩片と何をしたのかということを思い出しては思考が乱される。
……昨日は気絶するような形で意識を飛ばしてしまったが、よく眠れたなと思う。
考えるなと思うほど鮮明に蘇り、本当に具合が悪くなってしまいそうだった。
俺は今までどんな顔して岩片と話してたのだろうか。
昨日今日のことなのに、いつも通りが分からなくて、モヤモヤして、気持ち悪い。
「……寝てんのか?」
「……寝てる」
「へーそうかよ。……飲み物買ってくるけどなんかいるものあるか?」
岩片が自分で買い物行くなんて。
驚いて、思わず俺はベッドから起き上がっていた。
そんな俺に「なんだよ」と岩片は片眉を上げた。
いつもの岩片なら俺を叩き起こしてでも買い出しに行かせそうなものを、それとも俺が具合悪いから配慮してくれてるのか。どちらにせよ、今までの岩片からは考えられない言動に驚いた。
別に、ほしいものなんかない。
けど、珍しく岩片の方からそんなことを言い出すのだ。これからはもうそんな日、二度とこない可能性もある。
「……アイス」
「何味?」
「……コーラがいい」
「そんなもの食って腹余計下さねえの」
「熱っぽいから、冷たいのが食べたいんだよ」
岩片が気味悪い優しいから、どこまでのものかちょっとワガママを言ってみれば岩片は「どうなっても知らねえぞ」と溜息ついた。
それから、鍵を手に取りそのまま玄関から出ていく。
……本当に俺の言う事聞いてくれるのか。
まだ夢心地のような気分のまま、俺は岩片が出ていったあとの扉をぼんやり見ていた。
熱っぽいのは嘘ではない。
まあ、元々体温高い方ではあるけど、それでももしかしたら幻覚か、或いは白昼夢でも見てるのかもしれないと疑わずにいられなかった。
なんだよ、あいつ。どういう風の吹き回しなんだ。
喜びとか嬉しさとかそんなものよりも疑心の方が上回るのは岩片の性格を知ってるからだろう。
……岩片も岩片なりに昨日のことを反省してるのか?
そう思ったが、あの色ボケ野郎が今更そんなことを考えるとは思えない。
やめだやめだ、これ以上あいつのことを考えてたら今度こそ知恵熱でも出してしまいそうだ。
そう無理矢理思考を振り払い、布団に潜る。
が、余計に熱くなって、俺はベッドから降りてソファーに座ってテレビを見ることにした。
程なくして岩片は戻ってくる。
片手にはビニール袋。
「ん」と言いながらそれを差し出してくる岩片。
中を見れば俺の言っていたコーラ味の棒アイスが入ってる。
「それでいいのか?」
「あ……ありがと」
まじで買ってきたのか。
取り出せば、それは俺が何度か食べたことがあるアイスだ。
メジャーなアイスだしたまたまあったから手に取っただけだろうとは思うが、まさか俺が食べていたのを覚えてたのかと一瞬でも考えてしまった自分が恥ずかしくなる。
岩片は何を答えるわけでもなく、そのまま隣に腰を掛けてくる。軋むスプリング。隣に座る岩片につい、条件反射で俺はソファーの隅に逃げてしまう。
そんな俺を一瞥し、岩片は手に持っていた緑茶のボトルを開けた。
隣に岩片がいる。おまけに、手を伸ばせば届く距離だ。
何をこんなに意識してるのか、自分でも情けないが、それでも、シラフでいることが困難だった。
俺は、手持ち無沙汰になるのを誤魔化すようにアイスの袋を破り、中からアイスを取り出した。
一口齧ってみると、熱を持った咥内であっという間にアイスは溶けていく。……美味しい。
喉が乾いていたのもあって、酷く喉が潤う。二口目、三口目と食べていると、不意に、岩片に見られてることに気づいた。
「美味いか?」
「……うまい」
「だろうな、ニヤニヤしながら食ってるくらいだからそりゃ美味いだろうな」
そんなにニヤニヤしていたのだろうか。岩片に笑われ、咄嗟に頬に手を伸ばす。慌てて口元を引き締めるものの、今更遅い。
人が食ってんのジロジロ見てんじゃねえよと睨んだときだった。目があって、岩片はにっと口元に嫌な笑みを浮かべる。
そして。
「ハジメ、俺にも一口くれよ」
そんなことを言いながら口を開ける岩片に、ぎょっとする。
別に、強欲な岩片にせがまれることは珍しいことでもない。人が食ってたら「俺もそれ食いたい」とか言いながら横から掻っ攫っていくようなやつだ。寧ろ、優しい方が気味悪いくらいだと思うのに、何故だろうか、酷く緊張した。
「……いや、だ」
自分でも、なんでそう答えたのか分からなかった。
元はといえば岩片が買ってきたアイスだ、別に固執するわけではなかったのに、何故か俺の口からは否定の言葉が出てしまうのだ。
分厚いレンズの奥、岩片の目が細められるのがわかった。そして、伸びてきた手に掌を重ねられる。あ、と思ったときにはもう遅い。
口元のアイスにぐっと顔を寄せ、岩片はそのままアイスに舌を這わせる。
「っ、いわ、か……」
岩片の顔が近付き、反射的に腰を引いた。
アイスを舐められてるだけだと分かっても、その距離に口付を想起させられ、目の奥が熱くなる。
至近距離で見詰められ、いろいろなものがフラッシュバックさる。耐えられなかった。岩片に見詰められると、自分が自分じゃなくなるような気がして怖かった。
だから、俺は持っていたアイスを岩片の口に押し付けた。
「っ、……冷て……!」
「そんなに食いたいんなら、やるよ、それ」
「おい、ハジメ……」
半ば無理矢理アイスの棒を握らせ、俺はソファーから降りる。手を伸ばす岩片に「おい」と呼び止められるが、止まることができなかった。
完全に、誂われてる。それが分かったからこそ居た堪れなくなったし、分かっていながらも平常心でいられない自分も嫌だった。
逃げるように洗面室へと移動した俺は、扉を閉め、それを背に座り込む。
……何やってんだ、俺は。
こんなあからさまに動揺してますみたいな反応、岩片もドン引きに違いない。
俺はここまで分かりやすい人間だったのだろうかと酷く惨めになる。自己嫌悪のあまりに、俺は用もない洗面室から暫く出ていくことができなかった。
岩片にどんな顔して会えばいいのかわからなかったのだ。
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