馬鹿ばっか


 26

岩片の言葉通り、冷静になればなるほどムカムカしてきた。岩片に情緒とか優しさとか気遣いとかそんなもの期待する方が無駄だと分かってる。だからこそ余計、それを期待してしまっていた自分に腹が立つのだ。

岩片とともに部屋を出る。
部屋の前には岡部がいた。どうやら丁度今部屋の前に来たようだ。


「おはようございます、二人とも」


まさか部屋を出てすぐ知り合いに会うとは思わず、内心ギクリとした。平常心、平常心。口の中で呟きながら「おはよう」と返す。隣では岩片も「おー」と答えた。
すると、岡部は不思議そうに小首を傾げる。


「……?どうかしたんですか?二人とも……」

「へっ?」

「尾張君手ぶらで行くんですね。……岩片君も、ネクタイつけてないですし……あっ、もしかしてイメチェンってやつですか?」


「……ッ!!」


失念していた。身嗜み完璧だとおもって肝心の荷物を確認するのを忘れていた。というか、岩片こいつもなに分かりやすい忘れ物してるんだよ、気付けよ!と思ったがそもそもずっと岩片と話していたはずの俺が気づいていないのだから何も言えない。

慌てて俺たちは部屋に戻り、お互い身支度を済ませ、何事もなかったかのように部屋を出る。部屋前通路、岡部は俺達を見て「今度は大丈夫そうですね」っと笑った。


「悪い、待たせたな」

「別に気にしなくても大丈夫ですよ、これくらい。それにしても珍しいことあるんですね、二人とも、いつもしっかりしてるので忘れ物とかしないイメージあったんですけど……」

「なに言ってんだよ、岡部、俺だって人間なんだから忘れ物の一つや二つくらいするって!ははは!」

「……尾張君、なんか今日テンション高いですね。なんかいいことでもあったんですか?」


岡部の澄んだ目で見上げられ、心臓がきゅっと音を立て停止したような気がした。冷や汗がぶわりと溢れ出す。


「……は?や、いや、いやいやいや何言ってんだよ、全然っ、全然ないし、あー本当いいこと全然ないからな!寧ろついてねーっていうか……」


なんか言わなきゃ、言わなきゃとすればするほど挙動が怪しくなってしまう。見兼ねた岩片に背中を叩かれた。
そして、


「……悪いな、今日こいつ風邪気味でテンションおかしいからほっといてやってくれ」

「誰が風邪……もごっ」

「えっ?大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫、どっちかっていうと頭の風邪みてーなもんだから」

「もがっ……もがが……っ!!」


誰が頭の風邪だよとムカついたが、岩片に口塞がれてるせいで俺の声も吸い込まれていく。この野郎と慌てて離そうとしたとき、するりと唇を撫でられ、全身が強ばる。鼓動が、加速する。


「……っ、……」


岩片と分厚いレンズ越し目が合った……ような気がした。やつの口元には厭らしい笑みが浮かんでる。そうだろ?といいたげに見つめてくる岩片に、俺は、何も言葉がでなくて、顔を逸した。だめだ、せっかくいつも通りを掴みかけたところだったのに、また最初からやり直しだ。
「……なんか大変そうですね、お大事に」と憐れむような視線向けてくる岡部にハッとする。
……なんとか変な勘繰りを入れられずには済んだが、岩片
岩片だ。こんな、岡部の前で、口、唇とかそういうところを触るとか何考えてんだ。「わかったから離せ」と慌てて岩片の手を離せば、「どうだか」とやつはニヤニヤと笑うばかりで。


それからは岡部の相手は岩片がしてくれ、なんとか下手に話題を振られずに済んだのだけど……岩片の手の感触を思い出しては、触れられた箇所が、唇がじわじわと熱くなり、気が気ではなかった。唇の感触を消すため、何度も唇をごしごし擦るが、ただ痛くなるだけだ。

それじゃあ腹拵えのため食堂に向かうかとなったときだった。


少し離れた位置から岡部と岩片の後をついていってたら、いきなり、曲がり角から手が伸びてきて、強い力で引っ張られる。通路の奥、顔を上げれば視界が影で遮られる。何事かと思えば、そこには今二番目くらいに見たくない男の顔があった。
「尾張」と名前を呼ぶ声は、俺にでもわかるくらい緊張していて。


「……政岡」


神様は俺を試そうかとでも思ってるのだろうか。どうしてこうも厄日が続くんだろうか。死にそうな顔をした政岡零児に、俺は、頭が痛むのを覚えた。

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