16
『一人なら丁度いい。今すぐ部屋に戻ってこい。おもしれーもん見れるぞ』
「……今すぐって、すぐは無理だ。30分くらいは掛かるし」
『……お前、今どこにいんの?』
「知らねーよ、この辺のことは。……けど、離れてるし……」
『タクシー使って戻って来ればいいだろ。学園名言えば送ってくれるだろ?』
なんでもないことのように岩片は言う。
なんてことはない、いつも通りの岩片の我儘だ。けれど、今は、今だけは……だめだった。
「……っ、俺だって、色々用事あるんだよ。……あんま無茶苦茶言うなよ」
口から出た言葉に、自分で驚いた。そして、冷や汗が滲む。岩片に逆らうなんて真似、してはいけない。
分かっているはずなのに、俺は。
『………………お前、本当に一人か?』
聞こえてきた岩片の声は、ゾッとするほど冷たかった。
ああ、と思ったときにはもう遅い。俺が反抗した事実は既に拭えないものになっていて。冷や汗が滲む。
敏い岩片のことだ、もしかしたら俺が政岡といることも勘付いたかもしれない。
けれど、ここで『全部嘘です。俺は政岡君といます』なんて言えるわけがなかった。
「一人だって言ってるだろ」
嘘を嘘で塗り固め、誤魔化していく。泥沼だ。嘘を吐いたところで全てが好転するわけではない、余計自分の首を締めることになると分かっていて、俺は、それでも、今を選んだ。それが愚かだと分かっていても、咄嗟に、誤魔化したのだ。
『ならいいや、30分つったよな。30分までに戻ってこいよ。……過ぎたら、罰ゲームな』
「な……っ、おい!罰ゲームって……おい、岩片!」
なんだよ、と尋ねるよりも先に岩片は一方的に通話を切った。
ツーツーと無機質な音が響く。俺は端末をしまい、息を吐いた。今になってドッと汗が噴き出した。
……バレたのだろうか。岩片の反応からしてそれはわからなかったが、あのときの冷たい声を思い出すだけで心臓が大きく乱れた。先程の政岡の言葉とは比にならないほどの、緊張。
俺は、汗を拭い、一先ず政岡が待つボックス席へと戻ることにした。
……30分。時計を確認する。もうすでに2分経過していた。いっそのこと、時間が止まればいいのに。余計なことなど考えなくて済むのに。そんな幼稚なことを考えてしまうほど、追い詰められてるようだ。
ボックス席では、既に料理が届いていたようだ。手もつけず、待っていた政岡は戻ってきた俺を見るなり少しだけ緊張して、それから「よぉ」と笑う。ぎこちない。
「悪い、ちょっと腹の調子悪くてさ」
なんて、適当に誤魔化しながら、俺は席につく。
あんなに楽しみだったステーキも、美味しそうなのに、全く食欲が沸かなくなっていた。
理由は分かっている。俺の意識が既に別の場所へと向かってるからだ。
「おお、やっぱでけーな……一キロ」
「そうだろ?ボリュームたっぷりだしな」
「んじゃ、いただきます」
「おう、食え食え」
政岡はいつもと変わらない態度で接してくれるが、あまりにもトイレにこもってた俺に何らかは察してるのだろう。気遣いを感じ、少し居た堪れなくなる。
ナイフとフォークを使い、ステーキを切り分ける。
滴る肉汁。鉄板に押し付ければジュウと焼ける音が聞こえた。一口を口にする。けれど、まともに味がしなかった。というよりも、今の俺には味を楽しむ余裕がなかったのかもしれない。
とにかく、早く食べ終わらなければ。そんな気持ちすら覚えたほどだ。
俺が食べるのをワクワクしながら見ていた政岡だったが、次第にその表情が強張ったものになる。
「おい……そんなに慌てて食ったら喉に詰まるぞ?ほら、水……」
「わ、悪い……美味しくて、つい……」
「お前、美味しくって……安心しても肉は逃げやしねーよ。足りなければ他のも注文することだってできるだろ」
政岡は笑う。その笑顔に、チクリと心臓が痛みを覚えた。
……政岡には、ちゃんと伝えておいた方がいいだろう。
俺のためにわざわざ遊びに誘ってくれたのを無碍にするのは正直、気持ちのいいものではない。
けれど、仕方ない。
「あの……政岡」
「あ?どうした?」
「……実は、この後急用が入ったんだ。……それで30分までには学園に戻らなくちゃいけなくなってな」
「…………は?」
政岡の顔から笑みが消える。ムリもない。すぐ感情が顔に出るタイプの男とは思っていたが、ここまで分かりやすいとは。まあ、勿論笑顔で仕方ないなと言ってくれるとは思ってなかったが。
「……せっかく飯とか誘ってもらったのに、悪いな。あ、でもこのステーキはちゃんと食べて……」
「その急用って、もしかして岩片凪沙絡みか?」
核心を突かれ、息を飲む。
岩片と言えば、政岡は許してくれないだろう。
穏便に済ませるには、否定することだ。
「……残念だけど、ちげーんだよな。……あいつは関係ないから、心配しないでくれ」
笑って誤魔化す。我ながらなるべく自然体を保つことはできたと思ったけれど、政岡の表情は変わらない。寧ろ、その視線は先程よりも鋭くなったような気すら感じた。
誤魔化すように、一切れのステーキを口に入れる。やっぱり、味はしない。
「その急用ってなんだよ」
「急用は、急用だよ。……別に、政岡には関係ないだろ」
言ってから、後悔した。
心配してる相手に、それは言いすぎたかもしれない。けれど、これ以上喋ればボロが出てしまいそうで、怖かった。
政岡は「そうかよ」とだけ口にし、それから、自分の注文していた食事に手を付ける。
残り時間は20分を切る。学園にまで戻る時間を考えれば、後5分で食べ終わって会計を済ませ、タクシーを呼べばまあギリギリ間に合うか。最悪金だけ政岡に渡して、支払を頼もうか……。
頭の中で段取りを組む。肉を食べてるのかすら解らなかった。スポンジか何かを噛んでるようなそんな気分で、ひたすら咀嚼と嚥下を繰り返す。食事してるかすらも怪しい。
その間、俺達の間に会話はなかった。ただ、周りの客たちの楽しそうな笑い声が響いていた。
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