馬鹿ばっか


 70

最悪だ。
政岡に見られたし、岩片は機嫌悪いし、またキスされたし。


「……っ」


思い出してしまい急激に居た堪れなくなる。
掴まれた腕が、箇所が酷く熱く感じてしまってつい、俺は岩片の手を振り払った。
学生寮、通路。
人気のないそこに、乾いた音が響く。


「別に……逃げねえから」


振り返る岩片にそう告げる。
相変わらずやつの表情見えなくて、何考えているのか分からない。
けれど、笑ってはいないことだけは確かで。


「逃げねぇから、な」


ぽつりと呟く岩片。
その含んだような言い方になんとなくカチンときた。


「……なんだよ」

「他の男に頼って自分はのうのうとお姫様気取りだったくせに」

「は?……誰が、何だって?」

「テメェだよ、ハジメ。政岡を勝たせてやるつもりか?」


前々から思っていた、こいつのこの口の悪さというか性格の悪さといい根性のひん曲がり方といいどうにかならないものだろうかと。
でも、もう慣れた。
慣れたつもりだった。


「何……お前、妬いてんの?」


思っていた以上に俺は短気のようだ。
誰かさんのために走って、誰かさんを餌によくわかんねえ薬飲んでしまって誰かさんのお陰でケツ穿られまくった。
それをたまたま助け出してくれたのが政岡だっただけだ。
それを、こいつは、俺がお姫様だと。
腸が煮え繰り返り過ぎて冷静になって来る頭の中、無意識の内に自分が笑ってることに気付いた。
全く不愉快極まりないのだが、苛つけば苛つく程俺の表情筋は活発になるらしい。


「なんでお前なんかに妬かなきゃなんないんだよ」


嘲笑する岩片に、ピクピクと、頬が痙攣する。


「思ってたより大したことねぇんだなーって思ってな、少し優しくされただけで揺らぐのか、お前」


チョロすぎ、と明らかに馬鹿にした笑いを漏らす岩片にまた、顔が引き攣る。
岩片のねちっこい詰りにも慣れていた、慣れていたつもりだった。
けれど、俺は、ずっと岩片のことを一番に考えていた。
見返りを求めていたわけではないつもりだったが、そんな岩片に冷たい目で見られることがこれ程までに堪えると思っていなかった。


「……」

「なんだお前、その目は」


自分が今どんな顔をしているのか分からない。
けど、仕方ない。
こいつはこういうやつだ、今に始まったことではないだろう。
自分に言い聞かせ、肺の奥、溜まった空気を吐き出す。
馬鹿馬鹿しい。
非常に、馬鹿馬鹿しい。


「そうだな、俺が悪かったよ。お前が神楽に捕まるわけねーしな、俺も馬鹿だよなぁ、よく考えたら分かるものを。……あんなに、ムキになって」


「ごめんな、わざわざ迎えに来てくれて」人間どれ程ムカついていても笑えるようだ。
岩片の肩を叩き、そのまま歩き出そうとした矢先。
岩片に腕を掴まれた。


「おい、なんだよ」

「その目、ムカつくんだよ」

「はぁ?」


意味がわかんねーし、そんなのイチャモンじゃないか。
壁に抑え付けられそうになり、嫌な予感がして咄嗟に抜け出そうと身を捩らせた矢先、首筋に顔を埋めてくる岩片にギョッとする。


「おい、馬鹿、何やって」


ここ、通路のど真ん中なんだけど。
という俺の悲痛な叫びを無視し、首筋に思いっ切り歯を立てられる。



「い、つ……ッ」


皮膚を突き破る程ではなかったが、全神経に走る痛みは鋭く、岩片の噛み跡は痺れ、疼き始める。
これで満足したかと思ったのに、岩片は顔を離そうとしなくて。


「おい、岩片……ッ」


噛み跡をなぞるように這わされた舌に全身が痙攣する。
収まりかけていた鼓動が再び喧しく脈打ち始めて、軽くそこを吸われるだけで針で刺されたような痛みに声が漏れそうになった。


「お前、勘違いしてんだろ」


「お前は誰の下僕だ?」消えた笑み、冷ややかなその声にトドメを刺されたような気がする。
下僕。
その響きに、心が重く沈むのを感じた。

この学園に来てから、それも、俺だけが岩片の隣にいることが許されて、少しでもこいつにとって俺は特別だと思っていた。
一緒にいる時間が増えるし、少しは、友達のような、そんな関係になれたらとも思っていた。
けれど、それ自体が間違いだというのか。


「お前なんかいつでも犯せるんだからな」


自分だけが特別。
そう思っていた俺にとってその一言は結構ダメージでかくて。
岩片にとってそこら辺にいる玩具と同等だと言われているような、いや、実際言われてるのだろう。突き付けられた言葉の刃物は躊躇いもなく自尊心を深く抉った。

岩片の手が離れる。
独り歩き出す岩片に、俺は乱された制服の襟を戻した。

噛まれた跡が馬鹿みたいに疼く。
先ほどまでの異様な苛つきは消えていた。
代わりに、ぽっかりと何かが抜け落ちたような、そんな空虚が俺を支配していた。


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