天国か地獄


 04

 校舎内、二年教室前。
 相変わらずわいわい賑わう廊下の前までやってきた俺たちは、さっきと変わらぬ調子で調査を続ける。
 というのは表向きだけで、自分の教室に近付く度に心臓が煩くなってなんだか生きた心地がしない。
 そんな俺のことなどいざ知らず、十勝は淡々と着実に片っ端から出店を制覇していく。

「佑樹テンション低くない?せっかくの文化祭なんだからさあもっとはしゃごうぜ」

 廊下にて。チェックシートを手にした十勝はそう笑いながら俺の背中をバシバシと叩いてくる。
 先程からなにも言わない俺のことが気になったようだ。
 結構体育会系のノリだななんて思いつつ、十勝の気遣いに頬を綻ばせた俺は無言で頷く。

「よし、んじゃこのまま一気に終わらせて遊ぶか。んーと、次はぁー……あっ栫井たちんとこじゃん」

 パンフレットを片手に廊下を歩いていた十勝はそう楽しそうに声を上げた。
 栫井のクラスと言えば、確かお化け屋敷だったか。
 先日生徒会室で聞いた十勝と栫井の会話を思い出しながら、俺は廊下の先にあるおどろおどろとした装飾が施された教室に向ける。
 どうみてもここだろう。
 ファンシーかつカラフルな出店が並ぶ中、素晴らしいくらい浮いているその異質な教室に俺は顔を引きつらせた。行きたくない。

「へぇー結構完成度高いじゃん。んじゃ、佑樹行くか!」
「え?や……俺は……」

 ニコニコしながらそう促してくる十勝に顔を青くした俺はしどろもどろと拒否しようとするが、「ほら、丁度空いたし行こうぜ!ほら!早く早く!」と子供のようにはしゃぐ十勝にグイグイ背中を押され無理矢理並ばされる。
 あまりこういうのは得意ではないが、あまりにも楽しそうな十勝を見てると強く言えない。諦めた俺は、「わかったから押さないで」と慌てる。
 本来ならば料金を取られるようだが、予め各クラスに説明がいっていたお陰か受付の生徒に「文化祭実行委員の代理だ」と名乗ればタダで入ることが出来た。
 教室の前、さっさと入口の扉を開き中へ歩いていく十勝の後ろを慌ててついていく俺。

 薄暗い教室内。どうやら一本の道をそって歩いていくというもののようだ。
 足元の小さな灯りだけが頼りで、冷房が効いた教室内はかなり肌寒い。
 しんと静まり返った中、着々とゴールを目指す途中様々なトラップが仕掛けられ、それが発動する度にまじで焦る十勝の声に驚いた俺がビビるというのを繰り返している内になんだかもう生きた心地がしなかった。

「ひぃっ!」
「!!……っうわ、もうビックリした……ちょっと今度はなに……」
「……やーなんかさ、今首に……」

 首?なにもない場所で声を上げる十勝にドキドキと体を強張らせる俺は立ち止まる十勝に首を傾げる。
 大分歩き、そろそろ出口に着くだろうと思ったとき。首筋に、ひんやりとしたものが触れる。

「ッわ、ちょ……ッ」

 表面がぬるぬると濡れたそれは恐らくコンニャクだろう。
 どうやら十勝が言っていたのはこれのことのようだ。定番中の定番だが、確かにビビる。ぞわぞわと全身を粟立てた俺はそれから逃げるように数歩前に歩いた。
 が、背後から伸びてきた腕に肩を掴まれ、ぐにゅぐにゅとコンニャクを押し付けられる。

「ひぃ……ッ!ちょ、え?なにこれ、待っ……んん……ッ」

 弾力があり冷たくぬるぬるとしたそれを背後から押し付けられ、あまりの冷たさに俺は目を見開いた。
 背筋が震え、慌てて離れようと身動ぎをするが腕を引っ張られ必要にそれを押し付けられる。
 なんだこのお化け屋敷は。少々サービス精神が行き過ぎてるんじゃないか。
 俺の体温を浴び、ひんやりとしたコンニャクが人肌の温もりを帯び始めたとき、ようやく腕を離された。
 と、同時に襟首から制服の中へコンニャクを入れられる。
 首筋から背筋を滑るように落ちていく生温いそれに目を丸くした俺は前に倒れ込むように逃げ出した。
 そして、慌てて制服の中からコンニャクを取り出そうとしながら背後の暗闇を振り返る。そこには、見覚えのある青白い顔があった。

「かっ……栫井……」

 コンニャクが仕込まれた竿のようなものを片手に立っていた黒い服を着たそいつもとい栫井平祐は、鬱陶しそうに「煩い」と呟く。
 しかもよく見ると仕掛けは竿の方でやるんじゃないのか、なんで俺だけ直接なんだよ新手の嫌がらせか。
 裾を捲り、制服の下からコンニャクを取り出した俺は『いやこいつなら有り得るな』と納得する。

「あ、佑樹も来た?ぬるっとした……って、あれ、栫井じゃん」

 呆然とする俺に近付いてきた十勝は、言いかけて暗がりにいる栫井の存在に気付いたようだ。
 そう名前を呼ばれた栫井は俺たちを一瞥し、なにもなかったかのように持ち場に帰る。
 まさか人に嫌がらせをするために移動してきたのか。
 僅かに濡れた首筋を手で拭いながら、コンニャクを手にした俺はなんだかもうコンニャクだけで済んだことを喜ぶべきか否かわからなくなってくる。

「相変わらずあいつ態度悪いなー、ムカつくから減点してやろっ」

 無視されたことが気に入らなかったのか、ぷりぷりと怒る十勝の顔面にぺたりとコンニャクが貼り付いた。
 そして、絶叫する十勝に引き摺られるよう俺たちはお化け屋敷を出る。


「……いやー楽しかったな佑樹」

 どの口がものを言うのだろうか。教室内の仕掛けにビビりまくって散々人を引っ張り回した上に最後「こんなところ二度と来るか」と半泣きになりながら逆ギレしてたくせに実はそれ含めて楽しんでました的なことを言い出す十勝に俺は「そうだね」と流すことにする。
 しかしあそこまで十勝が怖がりだとは思わなかった。
 自分より怖がっている人間がいると不思議と人は冷静になれるようだ。
 お陰でみっともない醜態を晒さずに済んだ。こんにゃくなんて忘れた。

「……」
「……」
「じゃ、次行くか」

 教室前廊下、お化け屋敷の前にて。
 お化け屋敷の内容には全く触れず無言でチェックを入れる十勝に、敢えて俺も触れずに静かに頷いた。
 そして、俺は気付く。最後に残されたその出店がどこなのかを。
 一年生を除く大体全て教室を回り終え、ラスト一つとはしゃぐ十勝とともに隣のクラスへと向かった俺は見覚えのあるそこへ戻ってくる。
『2ーA 喫茶店』
 俺のクラスだ。

 ◆ ◆ ◆

 見慣れた教室に今朝見たばかりの装飾が施された店内。
 顔見知りばかりがいる店内に客として入るのは非常に気まずかったが先程のお化け屋敷が効いたのかどうしても一人にして欲しくないと駄々捏ねる十勝に引っ張られるように入店した。
 幸い呼び込みをしてる志摩と教室前で鉢合わせになるなんてことはなく、他の受付たちに多少驚かれたが一緒にいる十勝を一瞥するだけで一般客のように挨拶される。
 そこまでならよかった。まだ。

 喫茶店店内。そこは、別の意味で賑わっていた。

「だぁーかぁーらぁ、ユウキ君出せっつってんだよ。日本語わかんないの、お前。翻訳連れてこいよ。いつまで待たせるつもりなんだよ」
「……いえ、あの先程も言ったように丁度今席を外しておりまして」
「なら放送かけるなりして今すぐ連れてこいよ。ほら、十分以内だ。さっさとしろ」
「でも……」
「でももクソもねーよ。ぐだぐだくっちゃべってる暇があんならさっさと行け。……あー糞っもう無くなった、おいこれのおかわりさっさと持ってこい!」

 聞き慣れた怒鳴り声に「た、只今」と慌てる店員の声。
「あ、俺もこのケーキもう一つちょうだい」そしてもう一つ、どこかピリピリした空気には似つかない明るい声が響く。
 つられて声がする方に目を向ければ、自然と全身の筋肉が硬直した。
 そして、それはついてくるように店内に足を踏み入れた十勝も同じで。

「うっわ、最悪……」

 店内のとある一組のテーブルに目を向けた十勝は浮かべていた笑みを引きつらせ、そう吐き捨てるように呟いた。
 そう、最悪だ。この状況を二文字の熟語でまとめるとその言葉が一番しっくりくるだろう。
 椅子に腰を下ろした赤髪・阿賀松伊織と、その向かい側にはもしゃもしゃと出された軽食を頬張る青髪・もとい縁。そして、可哀想に絡まれてしまっているクラスメートが一人。
 声をかけようか。しかし、今隣には十勝がいる。
 生徒会役員と阿賀松たちの相性が悪いということを嫌という程知らされている俺は扉の前に佇んだまま思考を巡らせた。しかし、考える俺よりも先に行動を起こしたやつがいた。
 阿賀松たちを確認するなり躊躇いもせずそのままテーブルに近付いた十勝はクラスメートの腕を引っ張りテーブルから離す。

「おい、一般生徒に手え出してんじゃねーよ」

 そう声を上げる十勝に、阿賀松と縁は目を丸くして注目した。
 まじかよ、普通そんな直球行くかあの二人相手に。
 そう呆れる反面、クラスメートを庇う十勝に感心せずにはいられなかった。

「なんだ。またお前か、生徒会の馬鹿」
「ひっどいなあ。俺らだって一般生徒なのに」

 そして阿賀松はつまらなさそうに口許を歪め、縁は可笑しそうに肩を揺らし笑った。
 馬鹿という一言に十勝は不愉快そうにむっと顔をしかめる。

「周りに一般客がいるのに堂々と営業妨害なんてよく出来るな。他の人間の迷惑考えろよ、三年のくせに」
「他の人間?なら俺の迷惑のことも考えろよ。わざわざ訪ねて来てやったのによぉ、すっぽかされて店員に聞けばまともな返事返ってこないしその上にお前まで沸いて営業妨害呼ばわり。やだなあ、ここまで邪険にされると流石に俺傷付いちゃいそ」

 一見自分は濡れ衣だとでも言うようなことを言う阿賀松だが、先程のクラスメートとのやり取りを思い出す限りクラスメートはまともな対応をしていたはずだ。
 それを分かった上でそう茶化すようなことを言っているのだろう。
「だからって、それとこれとは……っ」物事をあまり深く考えない十勝は早速阿賀松の言葉に丸め込まれそうになっている。
 流石に、これ以上は傍観するわけにはいかない。
 阿賀松には口でなにを言っても動かないとわかってるからこそ、このままじゃ本当に俺が出てくるまで居座る可能性が有り得ないことではないとわかった。
 あまり気は進まないが、このままじゃ他に迷惑がかかり過ぎる。
 これ以上波を立てたくない俺は渋々教室の中に足を踏み入れ、阿賀松たちのテーブルに向かった。

「すみません。……あの、どうかしたんですか?」

 なんて声をかければいいのかわからなくて、阿賀松たちのテーブルに近付いた俺はそう阿賀松に話し掛けた。
「佑樹」こんなやつの相手をしなくていい。
 そう言うように視線を向けてくる十勝に俺は『大丈夫だから』と目配せをさせる。
 まあ正直ちらちらちらちら突き刺さる周りからの視線が痛かったが、外野の視線よりも厄介なやつがいるからだろう。然程気にならない。

「いるんならさっさと出てこいよ、今までどこほっつき歩いてたんだお前」

 現れた俺に驚くわけでもなく、そう顔をしかめる阿賀松に俺は「すみません」と慌てて謝る。

「その……生徒会の手伝いをさせていただいてました」

 どうせなら適当に流した方がいいのだろうが、阿賀松の変にねちっこい性格を散々知らされている俺はそう素直に告げることにした。
 以前ならわからないが、阿賀松自身が俺に生徒会に近付けと言ったこの発言は大して問題にならないはずだ。逆に変にコソコソした方が怪しまれる。

「齋籐君が生徒会の?せっかく齋籐君のメイド服楽しみにしてたのに残念だなぁ。今からでも着替えておいでよ、俺ずっと待ってるから」

 仏頂面の阿賀松を他所に、相変わらずニコニコと人良さそうな笑みを浮かべお門違いなことを口にする縁。
 まずうちの店員にメイド服が一人もいないところから是非察して欲しかったが、下手に突っ込んで煽るような真似はしたくない。
 引きつったような苦笑を浮かべながら俺はなにも聞かなかったことにした。
 十勝がドン引いてる。無理もない。無理もないがそんな目で俺を見ないでくれ。

「関係ない一般生徒にまで手伝わせるなんていい立場だな。手際が悪いからよっぽど忙しいんだろう」
「……はぁ?」

 なんでそうわざわざ火に油を注ぐような事を言うのだろうか。
 にやにやと笑いながらそう十勝を挑発するような言葉を口にする阿賀松に、俺は「先輩」と慌てて止める。

「……あの、俺に用があったんじゃないんですか」

 ピリピリとした一発触発な空気に耐え切れられず、俺はそう自分に気を逸らすことにした。
 俺に目を向けた阿賀松は「ああ」と口許を緩めて頷く。

「佑樹、そんなやつの相手いちいちしなくていいって。会長に言われてんだろ」

 そして、そんな俺たちのやり取りを見ていた十勝は我慢できなくなったのか、そんなこと言いながらぐいっと俺の腕を掴む。
 十勝はなんとしても阿賀松の思い通りにさせたくないようだ。
 それらしい嘘をつく十勝に俺は言葉に詰まった。
 理由はともかく、このタイミングで芳川会長の名前を出すか。
 運ばれてきたグラスを口にする阿賀松の眉間がピクリと反応するのを見て、背筋がひんやりと寒くなる。

「へえ、お前んとこの会長はそんなこと言ってんのか」

 しかし、阿賀松はすぐに口許に笑みを浮かべた。
 どこか満足そうな阿賀松は「余裕ねえなあ」と肩を揺すって笑う。
 どうやら、十勝の言葉を真に受けたようだ。
 表向きの芳川会長との関係に現実味を帯びさせることが出来たのは嬉しいが、あまりの緊張に阿賀松の一挙一動に心臓が絞まりそうになる。
 それを悟られないよう、俺はなにも言わずに阿賀松から視線を逸らした。
 そんな俺の態度に相変わらずにやにやと嫌な笑みを浮かべる阿賀松は「方人」と向かい側の席に座ってもりもり軽食を食べていた縁を呼ぶ。

「そこのぎゃーぎゃー煩い馬鹿を連れていけ」

 そして一言。言いながら軽く顎で十勝をしゃくる阿賀松に、俺と十勝は目を丸くさせた。
 そんな俺たちとは対照的に、もぐもぐとサラダを食べていた縁は皿に置いてあるトマトにフォークを突き立てる。

「……ええー、俺齋籐君ともっと一緒にいたいのに」

 そう言いながら先端を深くずぷりと埋め込む縁。
 断面から種と一緒にどろりとした赤い汁が溢れ、それを持ち上げた縁はそのまま口に運ぶ。
 噛み合わせ、口の中のものを磨り潰した縁はごくりと喉にそれを流し込んだ。
「それに、煩いやつは嫌いなんだけどなあ」変わらない調子で笑う縁は、俺に目を向ける。
 なんだか嫌な感じがしてさっと視線を離した。

「お前の趣味なんて聞いてないんだよ。さっさとしろ」
「じゃあ齋籐君とヤらせてよ」
「やだ。お前とだけはぜってー兄弟になりたくない」

 耳を塞ぎたくなるような会話が目の前で交わされる。
 別に汚い言葉で嬲られようが罵られようが構わないが、阿賀松たちとは違い普通にそうのに無関係そうな十勝の前ではキツい。
 第一、このままでは十勝まで巻き込んでしまう。
 縁の性格を知っている俺は二人の会話に全身から血の気が引くのを感じながら、咄嗟に十勝の腕を軽く引っ張った。

「会長呼んできて」

 そう十勝に耳打ちした俺は、「俺はここにいるから」と続ける。
 なにを考えてるんだと俺を見た十勝だったが、なにか悟ったのだろう。
「あ、ああ。わかった」そう小さく頷き返す十勝は俺から手を離し、足早に教室から立ち去った。
 わざわざ携帯電話を使おうとしないのは着ぐるみの芳川会長が持ち歩いていないと察したからだろう。
 どちらにせよ、十勝をこの場から離すことを考えていた俺にとって十勝の行動は想定内だった。

「あっ消えた」

 あっという間に廊下の外へ出た十勝。
 一人しかいない俺に気付いた縁はそう素っ頓狂な声を上げる。
「お前がごねるからだろ」そう阿賀松は面倒臭そうに舌打ちをした。
 廊下にあった十勝の姿が見えなくなるのを確認した俺はそう再びごたつき始める二人に目を向ける。

「取り敢えず、話なら場所移動してもらってもいいでしょうか」

「……その、ここじゃ少し目立ちすぎますので」そうしどろもどろと言葉を紡ぐ俺は二人に提案した。
 この二人と人気のない場所になんか行きたくないが、それしかこの騒ぎを手っ取り早く片付ける方法は思い付かなかったのだから仕方がない。
 だから、目の前の阿賀松と縁が俺の言葉をどう受け取ろうがしったこっちゃない。
 しったこっちゃないけど、後悔せずにはいられない。

 芳川会長に助けを求めるという名目で十勝を逃がす。
 勿論芳川会長と阿賀松を対峙させるなんてことを根っから考えてもいない俺は、十勝が戻ってくる前に阿賀松たちを連れて場所を移動した。
 振り回される芳川会長には悪かったが、あのままでは十勝が引きそうになかったので利用させてもらうことにする。
 本当に申し訳ない。
 しかし、短時間で普段からあまり動かしていない脳をフル回転させた結果これしか思い浮かばなかったから仕方ない。
 芳川会長には後からケーキをプレゼントしよう。

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