05
校舎内、廊下。
教室を出て取り敢えず人気のない場所に移動したはいいが、正直早まった感がやばい。
目の前には阿賀松がいて、横にはニコニコ笑う縁がいる。
迫力がやばい。そして近い。ただ普通に立っていたはずなのに何故か気付いたら壁際に追い込まれた。
「それで……あの、話って言うのは……」
やはり、こうやって正面で向かい合うと緊張してしまう。
阿賀松から視線を逸らしたまま、そう俺は恐る恐る声をかけた。
「あー、それもそうだけどさぁ、ちょっと一ついい?」
「え?あ……はい、どうぞ」
「方人、お前なんでついてきてんだよ」
どんな罵詈雑言を投げ掛けられるかと一人ヒヤヒヤしていると、俺を見下ろしていた阿賀松は鬱陶しそうに俺の横にいた縁を睨んだ。
どうやら今の一言は縁に投げ掛けたものようだ。
睨まれた縁は「俺?」と意外そうな顔をする。
「やーだってさぁ、せっかく齋籐君に誘われちゃったんだからこれはついてかなきゃ男じゃないかなって」
俺と縁の『誘う』という言葉の意味について齟齬が生じているような気がするのは俺の考えすぎなのだろうか。
そうヘラヘラと笑う縁に阿賀松は面倒臭そうに溜め息をついた。
「ユウキ君は俺を誘ったんだよ。そんで俺もユウキ君に用があるしお前は邪魔だ、方人」
「そんなムキになんなよ。静かにしとくからさ!」
苛つきのあまりに引きつったような歪な笑みを浮かべる阿賀松を前に怖じけるわけでもなく、縁は「ねー、いいでしょ齋籐君」とわざとらしく甘えるような猫撫で声を出す。戦慄した。
「俺は、どちらでも……」
「ほらー齋籐君も良いって言ってんじゃん!俺のことは気にしないでさっさと話進めちゃいなって」
イエスノーなにも言ってないのに素晴らしい自己解釈を披露してくれる縁に俺はもうなにも言い返す気になれなかった。
正直、縁はこの前のことがあるからあまりお近づきになりたくなかったが、無理矢理引き剥がすような元気もない。阿賀松に任せることにした。
「……」
その場から離れようとしない縁を睨む阿賀松は小さく舌打ちをし、溜め息混じりに視線を離した。
どうやら好きにしろという意味のようだ。
正直、縁より先に折れる阿賀松に驚いた。
いや、寧ろ相手にしたがろうとしないと言った方が適切かもしれない。
……そう言えば、この二人の関係もよくわからない。
友達と言うわけでも安久のような盲目的な信者と言うわけでもましてや仁科のようにパシられているようにも見えない。
知りたいとも思わないが、出来るだけ自分の置かれた状況を把握したい今少なからず怖いもの見たさの興味はあった。
……それを実行に移す気には到底なれないが。
「……ユウキ君さぁ、今携帯持ってる?」
そして、正面の俺に目を向けた阿賀松はそういつの日かと同じ質問を投げ掛けてきた。
携帯と言われ、俺は今朝制服の中に仕舞った携帯電話のことを思い出す。
慌てて頷きながら制服から取り出そうとしたとき、伸びてきた阿賀松の手に制服の中をまさぐられた。
「えっ……ちょ、なに……」
ビックリして目を丸くして阿賀松を見上げたとき、阿賀松は構わず制服のポケットから携帯電話を取り出す。そのまま取り上げられ、開いた阿賀松は顔をしかめた。
「……どうりで何回連絡しても出ないわけだな」
携帯電話を覗かれ、慌てる俺を他所に阿賀松はそう吐き捨てるように呟く。
つられて携帯電話を覗く縁は「ほら、やっぱ電源切れてんじゃん」と可笑しそうに笑った。
……電源切れだって?
阿賀松と縁の言葉に驚いた俺は、慌てて阿賀松の手元の携帯に目を向ける。
そして、眉根を寄せた阿賀松は持っていた携帯電話をずいっと俺の目先に突き付けた。
本来ならば初期設定されたよくわからないキャラクターものの画像が現れるはずの画面は暗くなったままで、そこには自分の目元が反射して映っている。
「なんで肝心なときに充電してねぇんだよ。まさか、ずっとこのままにしてたわけじゃないだろうな」
そう続ける阿賀松に、俺は今朝のことを思い出す。
確か、朝は携帯のアラームで目を覚ましたはずだ。
恐らく、それから電源が落ちたのだろう。
普段から携帯を放置している俺にとって充電と言うのは滅多にしないもので、だからこそそれが裏目に出てしまったようだ。
そして、阿賀松が気にしているのは俺に命令した芳川会長とのだろう。
確証はなかったが、いつも以上にピリピリしている阿賀松からそうなんとなく察することができた。あくまでも予想だが。
「いえ、あの……きっと今日切れたんだと思います。朝はまだ使えたので」
なるべく阿賀松を苛立たせないようにとしどろもどろ答えれば、「肝心のときに使えなかったら意味ねぇだろうが」とキレられた。
もっともなだけになにも言えなくなる。
「それで?会長とはもうヤったのかよ」
気を取り直した阿賀松はそう恥ずかしげもなく尋ねてくる。
あまりにもストレートなその言葉に一瞬思考が停止した。
いや、確かにその話題は出るだろうとは思っていたがまさか縁のいる前で堂々と口にしてくるとは思わなかった。
「え?なに?齋籐君会長とセックスすんの?」
そして縁の口からは阿賀松以上にド直球(というか寧ろセクハラ)な言葉が飛び出てくる。
阿賀松の方がまだましだ。いやどっちも嫌だが。
「今お前自分で静かにしとくって言ったよな?黙ってろ」
イラついたようにこめかみをひくつかせる阿賀松はそう静かに吐き捨てる。
指摘され、固く口を閉じた縁は「んーんー」とくぐもった声を出しながら頷いた。
今にも殴りかかりそうな雰囲気すらあった阿賀松だったが相手にしても無駄だと悟ったようだ。
縁を無視して俺に目を向ける。視線で促された。
「……えっと、今のところはまだ……。恐らく、行事が終わって会長の方が落ち着いてからになるかと」
「へぇ、そう会長と約束したのか」
「え?ああ、まあ……はい」
なんだろうか。勘繰られているのだろうか。胸がざわつく。
向けられた阿賀松の視線に俺はたじろぎ、自然と声が上擦った。
変なこと言っただろうか。いや、寧ろ阿賀松が俺を丸々信じていることの方が有り得ない。狼狽えるな。そう自分に言い聞かせる。
「約束した割りには随分アバウトだな」
「……その、会長も、いつ頃になるかわからないと言ってましたので。でも、今日中にはちゃんとしますから……その、嘘じゃないですので」
向けられた視線を真っ正面から受け止める勇気はない。
視線を泳がしながら、俺はそう出来る限りハッキリとした口調で続ける。
どうせ疑われるくらいなら、やる気があることだけでもアピールしといた方がいいだろう。
さ迷わせていた目を阿賀松に向ける。
目が合った。暫く見詰め合うような形になり、そして阿賀松は唇の両端をつり上げ笑みをつくる。
「別に、誰も疑ってねえだろ。んな顔すんなって、虐めたくなるだろ」
言いながら俺の頬に手を伸ばしてきた阿賀松は、言いながら頬の皮を引っ張った。
よかった、機嫌が戻ったようだ。どうやら嫌々するより積極的になった方が阿賀松は喜ぶらしい。
不本意ではあるが、これからはフリだけでも積極的に見せるようにするか。なんて思いながらぐにぐにと頬肉を摘まんでくる阿賀松に泣きそうになりつつ「いひゃいでふ」と訴える。
阿賀松は一笑だけして、すぐに俺から手を離した。
「とにかく、まだ時間はあるんだろ?なら一旦充電を入れてこい。満タンになるまでな」
相変わらず高圧的な阿賀松の言葉だったが、無茶なことを言われないだけましだろう。
そう思ってしまう自分は既に阿賀松に毒されかけているのかもしれない。
「わかったか?」
確認するように尋ねられ、慌てて俺は頷いてみせた。
俺への命令を済ませた阿賀松は、つまらなさそうな顔をして一部始終を眺めていた縁に目を向ける。
「おい、方人」
「なに?やっとイチャイチャすんの終わった?ハブって俺に惨めったらしい気持ちを味わわせる悪趣味なプレイは終わった?」
なにをどうしたらこれのどこがイチャイチャしてるように見えるのか是非詳しく伺いたいところだ。
わざとらしく泣き真似をする縁を無視して阿賀松は「お前今から上行ってろ」と短く告げる。
上?上ってどこだろうか。
「出た、ハブ。俺も齋籐君とほっぺたつねりあってあへあへしたいのに!」
せめてきゃっきゃうふふくらいにとどめて欲しい。
中々薄ら寒くなるようなことを口にする縁に内心冷や汗を滲ませる。
ぷうっと頬を膨らませる縁にうんざりしたような顔をする阿賀松は「いいから行け」と先ほどよりも強い口調で促した。
「はいはい、わかったって。そんな怒んなよ」
流石の縁も物事の引き際をわかっているようだ。
阿賀松に睨まれ、大袈裟に肩を竦めた縁はそう困ったように笑う。
俺に対してもこの物分かりのよさを発揮して欲しいくらいだ。
「じゃ、齋籐君今度は伊織がいないときにイチャイチャしようね」
立ち去ろうとして再度こちらを振り返りそんなことを言う縁に、額に青筋を浮かべた阿賀松は「さっさと行け!」と怒鳴り声を上げる。叱られた縁は逃げるように小走りでその場を立ち去った。
縁が離脱し、再び人気のない辺りに静けさが走る。
結局阿賀松が縁になにを命じたのか、縁がどこに向かったかはさっぱりわからなかった。
気にはなったが阿賀松本人に尋ねても答えて貰えなさそうなので敢えて突っ込まないことにする。
縁が立ち去ったのを確認するように廊下の奥に目を向けた阿賀松は、俺に目を向けた。
「…………」
「…………」
沈黙というのもなかなか気まずい。
視線と視線が絡み合い、全身が緊張した。
ああ、この空気はまずい。この空気はまずい。
阿賀松の顔が近付いてきて、背後には壁があって、なんとか話題を逸らして空気を変えようとするがなにも思い付かない。伸びてきた阿賀松の手に軽く首を押さえられ、そのまま口付けをされる。
「…………ッ」
気紛れにもほとがある。
思い付きで行動するのも結構だが、こっちの身にもなってほしい。
なんて強がってみるがそんなこと死んでも口に出来ない。
唇の薄い皮同士が触れ合い、阿賀松の熱が流れ込んでくる。
固く冷たいピアスが当たり少し痛かったが、唇を舐められその濡れた舌の感触に頭の中が真っ白になった。やはり、慣れない。
唇を割るように入ってきた長い舌に咥内をまさぐられ、舌の付け根を舐められる。
全身が強張り、手のやり場に困った俺は阿賀松の腕を掴んだ。
舌全体嬲るように絡められ、自然と口付けは深いものになる。
誰か来たらどうするんだとか、先にそっちの心配をしてしまう俺も俺なのかもしれない。舌をしゃぶられて身震いする。そのとき、不意に伸びてきた阿賀松の手に腰を掴まれた。
「……ッふ、んん……っ」
まさぐるような手付きで服の上から腰回りをなぞられ、そのままウエストの中に手が滑り込んできた。
まさかここでヤるつもりじゃないだろうな。いつ人が来るかわからないこの場所でこうしてキスをしているというだけでも問題だというのに、流石にこれ以上は無理だ。
慌てて阿賀松の腕を引っ張り離そうとしたとき、暫く腰回りをまさぐっていた阿賀松の手はすんなりと離れる。
そして阿賀松は相変わらず涼しい顔をしたまま俺から舌を抜き、顔を離した。
まさか俺がちょっと抵抗しただけで素直に止めるとは思ってなくて、俺は驚いて阿賀松を見上げる。
そのとき、廊下の奥から足音が聞こえてきた。
確かにこちらに近付いてくるそれに阿賀松は気付いていたようだ。自分がキスに夢中になって周りを見ていなかったことに気付かされ、顔がカッと熱くなる。
「阿賀松先輩、もっとしてください」
ふと、俯く俺の頭上からそんな声が聞こえてくる。
あまりにも突拍子のないことを言い出す阿賀松に「え?」と顔を上げれば、阿賀松と目が合った。
「って顔してる」
「ち……違います……っ」
「へえ、違うんだ。ま、お前すぐ顔に出るから気をつけろよ」
全くもって人の話を聞いていない阿賀松は言いながら俺から離れる。
基本形振り構わない阿賀松のことだからてっきり外野も気にせずにけしかけてくると思っていた俺は、あっさりと解放してくれる阿賀松に心底驚いた。
「なんだよ、その構ってほしそうな顔は」
見上げる俺に対し、阿賀松はにやにやと笑いながらそう茶化してくる。
そんな顔してたのかと慌てて顔を手で覆ったが、遅かった。
「終わったらたくさん構ってやるから、それまで一人寂しく我慢してろ」
ふと手が伸びてきてビクリと肩を竦めたとき、そのまま乱暴に頭を撫で回される。
まるで子供でもあやすような態度にあまりいい気はしなかったが、『生意気だ』とか文句つけられるよりかはかなりましだ。
髪をぐちゃぐちゃにされ、緊張した俺はそのまま立ち竦みされるがままになる。
一頻り髪を乱され、ようやく阿賀松は俺から手を離した。
「充電、忘れんなよ」
そう小さく耳打ちすれば、阿賀松はそのまま俺から離れる。
縁が立ち去った後を追うように歩いていく阿賀松の後ろ姿を眺める俺は、暫くその場から動くことが出来なかった。
『終わったらたくさん構ってやるから』そう阿賀松は言った。
今なら、阿賀松が芳川会長とのゴタゴタのことを言っていたのだと理解できた。
まずそのゴタゴタが終わらないことを知っている俺からしたらなんだか変な感じだったが、取り敢えずそのゴタゴタを一見落ち着いたように見せかけるのが今回の目的だ。
十勝と芳川会長のことも気になったが、今はまず携帯電話の充電を優先させることにしよう。
また阿賀松が連絡を入れてくる可能性もあるし、そのことで機嫌を損なわれても困る。
そう判断した俺は阿賀松がいなくなったのを確かめ、一旦学生寮へと戻ることにした。
文化祭で賑わう校舎の渡り廊下を使って学生寮まで移動する。
校舎とは違い、一般人立ち入り禁止されたままの学生寮はひっそりしており人気がない。
こういう祭りの裏側のような退廃的で寂れた雰囲気は嫌いではなかった。
しかし、今は雰囲気に浸っている場合ではない。
学生寮一階、ロビー。
エレベーター乗り場へと向かった俺はそのまま待機していた機内に乗り込み、自室がある三階へと移動する。
そこから、自室に辿り着くのには然程時間はかからなかった。
鍵を使って相変わらず殺風景な自室に上がり、そのままコンセントに刺さったままの充電器を手に取る。
充電器のプラグを携帯電話の挿入口へ差し込めば、充電中を知らせるライトが点灯した。
よし、これで阿賀松に言われたことは済ませたはずだ。
切れたままの携帯電話の電源を入れ、いつでも受信できる状態にしておく。
阿賀松は充電を満タンにしておけと言っていたが、それには結構な時間がかかるはずだ。
せめて半分くらい入れるにしても、時間がかかる。
どちらにせよ充分な充電が溜まるまで学生寮で待機していた方がいいのも確かだ。
しかし、芳川会長たちのことも気になる。
もしかしたらいなくなった俺たちのことを心配している可能性もあるかもしれないし、一応連絡入れといた方がいいかもしれない。
そう思って携帯電話を手に取るが、俺は芳川会長の連絡先を知らない。
しまった。連絡先聞いとけばよかった。
なんて携帯電話を握り締めたまま後悔したとき、持っていた携帯電話から無機質な着信音が流れ出す。
ハッとして画面に目を向ければ、画面には『志摩亮太』の文字が表示された。
なんつータイミングだ。思いながらも、俺はそれに出ることにした。
「……はい、もしも」
『齋籐?今どこ?』
そして早い。電話に出るなり問い詰められ、内心焦りながらも「寮の自室」とだけ答えた。
『一人?』
「……そうだけど」
『阿賀松たちは?一緒じゃないの?』
しつこいくらいの質問責めの理由はどうやら俺が阿賀松たちと一緒にいたことを聞いたからのようだ。
気圧されつつ、「もう別れた」とだけ答えれば「そう」と志摩の声が聞こえてくる。
百パーセント信用したわけではなさそうだが、志摩が俺を信じようが疑おうがどちらでもいい。
「志摩、今どこ?」
ふと、頭を働かせた俺は逆に自分から志摩に尋ねることにした。
少し間が空いて、受話器越しに「教室の前だよ、今から休憩」と志摩から返事が返ってくる。
通りでやけにがやがやと煩いと思ったら教室前か。ならば好都合だ。
「教室の中に十勝君か会長いない?」
『……なんで?』
思いきって尋ねてみれば、明らかに志摩の声のトーンが落ちる。
やはり元とは言えどアンチ生徒会の人間に対し生徒会役員の話はタブーのようだ。
「いたらでいいから、芳川会長に『さっきのは嘘だから仕事に戻ってください』って伝えておいてくれないかな」
しかし、ここで折れるわけにはいけない。
受話器越しに伝わってくる志摩の不機嫌なオーラに躊躇しそうになるのを堪え、俺はそう続けた。
『どういう意味?』
やはり、食い付いてきた。生徒会のことでわかった任せてねと快く受け入れてくれるようなやつではないと予め理解していたつもりなので狼狽えはしない。
「え、あれ……文化祭、一緒に回るんじゃなかったっけ?」
そう白々しく発言する俺。
その一言に、受話器の向こうにいる志摩が黙り込んだ。
『……一緒に、回ってくれるの?』
と、思いきや受話器から志摩の声が聞こえてくる。
勘繰るようなその声。
今朝誘ってきたのはそっちだろうと思いながらも珍しく引け腰な志摩に小さく笑いながら俺は「約束したから」と続ける。
すると再び間が訪れ、もしかしてまた余計なことを言ったのだろうかと内心冷や汗を滲ませる俺だったが、すぐその沈黙は途切れた。
『わかった、伝えておくよ』
どこか先程よりもトゲが抜けたようなその声に、俺はほっと安堵する。
それから暫く志摩と話し込んだ。とは言っても、今から自室まで向かいに来るとか言う志摩を諦めさせたくらいだが。
携帯の充電のことを話し、準備が済めばこちらから連絡する。そう言い聞かせ、俺は志摩との通話を終わらせた。
やはり、芳川会長は教室にいたようだ。本当は芳川に電話を代わって貰うのが一番手っ取り早かったのだろうが、志摩にそれを言ったらどういう反応をされるか目に見えていたので伝言で済ませる。
志摩が本当にちゃんと芳川会長に伝えてくれるかわからなかったが、先程のリアクションから考えると恐らく皮肉混じりに俺の話を伝えてくれるに違いない。
ぶっちゃけた話、志摩と文化祭を回るつもりは毛頭なかった。成り行きだ。が、まあ回るくらいならいいかもしれない。
どうやら俺はいつの間にかにポジティブ脳になってしまっているようだ。
志摩との距離感を詰めすぎると前のようにややこしい誤解を招き兼ねないし、本当なら付かず持たれずの立ち位置を維持したいのだが変に遠慮してまた機嫌を損ねられては困る。
とにかく、携帯の充電を溜まったら志摩に連絡をして、芳川会長の方の用が済むまで志摩の相手をする。
それから芳川会長とコンタクトを取り、志摩と別れて阿賀松に連絡入れてからそれから……。
頭の中で本日の予定を纏め、なんだかこんがらがってきた俺は溜め息混じりに頭を掻いた。
そして、充電が溜まるまでが結構長い。
携帯電話をソファーの上に放り、充電が溜まる間の時間を有効に使うことにした。
冷蔵庫に入っていたお茶を飲み、早速することがなくなったので取り敢えずシャワーを浴びる。
そしてサッパリしたところで携帯電話の電池残量が半分以上溜まったのを確認し、志摩と連絡を取った。
志摩と学生寮ロビーで落ち合う約束をし、再び制服に着替えた俺はそのままいそいそと部屋を出る。
時間は夕方。校舎の盛り上がりもピークを過ぎ、昼間に比べて大分落ち着いてきたように感じた。
学生寮一階、ロビー。
エレベーターを使って降りれば、相変わらず人気のないそこには志摩がいた。
「シャワー浴びてきたの?」
俺の姿を見付けて開口一言、志摩はそんなこと言いながら顔を近付けてくる。
なんでわかったんだ。犬か。
図星を指され目を丸くして志摩を見れば、志摩は「シャンプーの匂いがしたから」と笑った。
「そういや小腹減ってない?」
戸惑う俺に構わず、志摩はそう話題を切り換えてくる。
その言葉に、俺は言われてみればと小さく頷き返した。
俺の返事に満足そうに微笑む志摩は「じゃあどっか食べに行こっか」といつもと変わらない調子で続ける。
「屋台はいくつか閉まってるようだけど、まだどっか開いてたかな?齋籐はどういうの食べたい?」
「……じゃあ、志摩のオススメで」
「え?俺?うーん、あんま見てないからなあ。あ、でも確か運動部のクレープって美味しいって聞いたよ。行ってみる?」
そう問い掛けられ、俺は頷いた。
クレープか。そう言えば志摩は甘いものが苦手と言っていなかっただろうか。
いつの日かの他愛ない会話を思い出し、ふと疑問を覚えたが志摩は行く気満々のようだ。
「じゃあ、行こうか」そう声を掛ける志摩は歩き出す。
慌てて頷いた俺はその斜め後ろをついていくように足を進めた。
学園敷地内、文化祭会場にて。
屋外に並ぶ屋台市場までやってきた俺たちだった。過去形だ。
先程の志摩の言っていたことは本当らしく、昼間賑わっていた屋台たちはどこも後片付けの準備に取り掛かっていた。
どうやら俺が自室でゆっくりのんびりしている間に品切になったようだ。
ついてないにも程がある。
「……まあ、こういうときもあるよね」
「他に、クレープ売ってるところないか探してみるよ」
「え?や、いいよそこまでしなくて」
「でも齋籐クレープ食べたかったんじゃないの?」
「そうだけど……えっと、俺は別に……志摩と一緒に食べられるやつならなんでもいいよ」
どうやら期待させてしまったことに対し負い目を感じているようだ。
申し訳なさそうな顔をする志摩に、そう俺は慌ててフォローを入れる。
「……なんでも?」そんな俺の言葉に、志摩はそう食い付いてきた。
「いや、なんでもっていうか……ほら、文化祭っぽいのなら」
なんとなく嫌な予感がして予め釘を刺せば、志摩は「ふうん」となにか考え込む。
「文化祭っぽいのね……お好み焼きとか?」
「うん、そういうのでも」
「齋籐って結構ミーハーだね」
「……えっと、いや?」
志摩の言葉に遠回しに皮肉られていると思った俺が恐る恐る尋ねれば、志摩は首を横に振り「好きだよ」と笑顔で続ける。
お好み焼きの話をしているのになんだか告白されているみたいな錯覚に陥るのは何故だろうか。
なんだかむず痒くなる俺。
そんなこと気にもとめていない志摩は「じゃあ、中行ってみようか」と軽く俺の肩を叩き、そのまま歩き出した。
なんだか本当に自分が普通に文化祭を満喫しているような気になりつつ、俺は志摩の後についていく。
今のところ、芳川会長からのコンタクトはない。
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