天国か地獄


 03

 持ち場に戻っていくウサギもとい芳川会長と別れ、俺たちは校舎へと戻ってきた。
 先程から溜め息ばかりの十勝曰く、芳川会長の仕事をやらなければならないらしい。
 なんだかんだちゃんとそこはするんだなと感心する反面、そんなに溜め息が出るほど大変なのだろうかと興味が沸いてくる。

「どーする?無理して俺についてこなくても佑樹だけ出し物楽しんできていいんだからな」
「……いや、俺はどっちでも。十勝君がいいならなんか手伝うけど」
「え?まじ?」

 校舎内。
 外部の人間や生徒で賑わう廊下を歩く十勝に聞き返され、俺は小さく頷いた。
 すると、十勝は「その言葉を聞きたかった!」と先程と変わらない満面笑顔を浮かべる。
 選択肢を誤ったような気がしてならない。

「んじゃこのまま行くか!」
「ちょ……ちょっと待って。一応聞くけど、芳川会長の仕事って……?」

 あまりにもいい笑顔の十勝にいい予感がしなかった俺は、そう恐る恐る十勝に尋ねる。
「ん?」とこちらを向いた十勝は「ああ」と思い出したように声を上げた。

「クラスの出し物見てー色々チェック入れんの。ほら、客入りとか雰囲気とかそういうの調べてさあ総合得点出して順位決めるみたいな?それで生徒会からは会長が頼まれてたっぽいけど……」

 言いかけて、改めて自分のやらかしたことを理解したらしい十勝は「うん、まーそんな感じ」と苦笑を浮かべる。
 ああ、確かに出し物の準備が始まる前HRで担任がそんなことを言っていたな。ここ最近まともに準備に参加していなかったお陰ですっかり忘れていた。
 十勝が嫌そうな顔をしていたからもっと面倒なことかと思ったが、要するに出し物を見て回るってことだろう。

「結構楽しそうな感じするけど……」
「えー?ないない!つーか時間制限あるからゆっくり満喫とかそういうのじゃないからな」

 あくまでも前向きに捉えようとする俺に対し、十勝はそう顔をしかめながら続ける。
「って、うわ。もうこんな時間じゃん」そして通りかかった教室の壁にかかった時計を一瞥し、そう声を上げた。

「んじゃ、面倒だから上から回っていくか。どーする?二手に別れる?」

 そう尋ねてくる十勝に俺は少しだけ考え込む。
 やはり、手伝うと言ったものの仕事の内容がよくわからない俺としては十勝と一緒にいた方が捗るのには違いない。
「一緒に行く」そう首を横に振れば、十勝は「了解」と楽しそうに笑った。


 十勝が言っていたことは間違いではなかった。
 飲食店やら出店やらなんやら様々な出し物を片っ端から採点して行くというのはなかなか大変な作業で、本来文化祭の出し物といったら純粋に楽しむものだと思っていた俺にとって結構辛いものだった。
 主観を切り離し客観的に見た数字に変換する。
 俺でさえ苦痛な作業だったが、楽しければそれでよしという主観的な性格をしている十勝にとっては更に辛い作業なのかもしれない。
 十勝曰く文化祭実行委員が企画したらしく、実行委員と各委員の委員長が審査を任されているらしい。
 芳川会長、こういうの割り切ってばんばん採点していきそうだな。なんて思いながら、自作短編映画を見終えた俺は暗幕で締め切られた教室を後にした。

「おー、やっと出てきた。どうだった?」
「……冷房が利きすぎて寒かった」
「ちげーよ、内容だって内容。あと客入り!まあ、それもだけど」

 俺が映画を見ている間いくつかの出し物を回ってきたらしい十勝と再会し、俺は適当な感想を述べる。
 頻りに「うんうん」やら「なるほどなー」とわかっているのかわかっていないのかよくわからない相槌を打つ十勝に説明し、採点し終わった十勝は「んじゃ次行くか!」と早速切り替えた。

「次って?」
「んーちょっと待ってな。えーとここはもう行ったから、そうだなぁ。あとこの階で行ってないのはー三年B組の女装……きっ………」

 パンフレットを手にした十勝の顔がみるみる内に引きつり、語尾が消えそうになるというか消えていった。
 なんだなんだと思いながら十勝の持つパンフレットを覗き込んだ俺は、三年B組の欄に目を向ける。そして、顔を強張らせた。
『女装喫茶 桃色☆すぺくたくる』
 そこにはそうハッキリと書かれていた。というか店名が酷すぎる。

「女装喫茶って確か……」
「……五味さんのクラスっしょ、確か」

 流石の十勝もテンションが下がっている。
 そう言えば数日前出し物のことで五味が死にそうな顔をしていた。
 あの時十勝か誰か五味と阿賀松が同じクラスとか言っていなかったか。
 そこまで思い出し、自分が恐ろしいことを考えていることに気付いた俺は慌てて頭を横に振った。

「行きたくねえなあ……」

 そうパンフレット片手にぼやく十勝に俺はうんうんと同調して見せる。
 だが、芳川会長に仕事を任された今それを実行することは出来ない。十勝もそれをよくわかっているのだろう。

「まっ行くしかねえよな」
「うん」
「んじゃ、行くか」

 そう気持ちを切り替えたローテンション十勝とともに、俺たちは三年B組の桃色☆すぺくたくる(店名)へと重い足を向かわせた。

 3年B組教室。
 十勝と共に恐る恐る入店した俺は薄いピンクのレースにまみれた店内に圧倒される。
 白いテーブルクロスに、レースのカーテン。
 そして様々な衣装を身に纏った店員たちによる「いらっしゃいませ」の野太い声。
 教室に溢れ返るお菓子の甘い香りが鼻孔を擽る。
 ……なんというか、徹底している。
 店員が女装した男ということを除けば、なかなか立派な店だと思った。
 そして、先ほどから俺が心配していたこともすぐに解消される。

「あっれー、五味さんたちいねーじゃん」

 キョロキョロと店内を見渡す十勝はそう拍子抜けしたように呟いた。
 そう、賑わっている店内にはいるはずである見知った顔がないのだ。
 いないのは五味だけではなかった。
 五味と同じクラスだという阿賀松の姿もない。
 店員たちがしているようなヒラヒラのエプロンを阿賀松たちがつけているのを目撃することにならずに済んだのはよかったが、やはり構えていた分結構肩透かしを喰らう。

「もしかして裏方なんかな、記念に写メ撮ろうと思ったのに残念ー」
「そ、それは……」

 なんだかんだいいながらも女装喫茶という響きに興味を惹かれていたようだ。
 残念がる十勝とともに席についた俺は頼んだケーキを食べそのまま店を後にする。
 意外と美味しかった。
 それにしても、五味はともかく阿賀松がいないのは少し予想外だった。
 阿賀松が無理矢理女装喫茶にさせたと聞いていただけに物凄い張り切ってるんだろうなあと思っていた俺にとって阿賀松不在に驚く反面、まあ提案したら提案しただけで他の奴等に押し付けてそうな性格をしているので納得する。
 それにしても、五味と阿賀松か。生徒会役員である五味と生徒会嫌いの阿賀松が同じ場所にいたらと思うと胃が痛んだが、この場に二人がいない時点でその可能性は出てくる。恐らく、十勝も同じことを考えているのかもしれない。
「厨房の方にもいなかったし、ったく五味さんどこいんのかなー」とつまらなさそうな顔をする十勝に俺は「たまたま空けてるだけなんじゃない」と苦笑を浮かべる。

 校舎内、三年教室前廊下。
 時間も昼食時になり、喫茶店や屋台など飲食店へ向かう客で賑わう廊下を横切り、次の出店へ向かおうとしたときだ。

「おー、なにやってんだ。お前らも昼飯か」

 不意に声をかけられる。
 行き交う一般客の中、パンフレットを持って話していた俺たちは聞き覚えのある声に反応した。
 噂をすれば。

「五味さん!」

 顔を上げた十勝はそう目を丸くしこちらへと歩いてくるその人の名前を呼んだ。
 そのまま駆け寄る十勝に驚いた男子生徒もとい五味は「声でけーよ」と顔を綻ばせる。

「せっかく見に行ったのになんで五味さんいなかったんだよ。つーか女装してねーし」
「馬鹿か、あんなのするわけねえだろ!第一入らねえっての」

 これは暗にサイズがあれば女装すると言っているのだろうか。
「材料無くなったって言われたから取りに行ってたんだよ」そう言う五味は「ほら」と呟き持っていた袋を十勝に見せる。
 どうやら本当のようだ。
 もしかして五味と阿賀松がいないのはなんか揉め事が起きたからだろうかと心配していた俺は、五味の言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろす。
 だとしたら、阿賀松は今どこにいるのだろうか。

「あーせっかく期待してたのに五味さん女装しないとかつまんねー!つか赤毛、あいつもいなかったんすけど」
「赤毛?ああ、あいつな。朝から来てなかったぞ」

「五味さんのクラスサボり多すぎ!」と用紙にチェックを入れる十勝に、五味はそう少し考えたように答える。
 朝から来てなかった。確かに、阿賀松が朝から早起きをしててきぱき行動に励んでいる姿は想像できない。とにかく教室には一歩も近付いていないということをなのだろう。
 この調子なら、今この文化祭会場に現れるかどうかも怪しいな。それを聞いて、俺は僅かに緊張を緩ませる。

「っていうか、お前、それって会長のやつじゃないのか」

 すると、五味は十勝が付けていたチェックが気になったようだ。
 そう驚いたような顔をする五味に、十勝は「そーっすよ」とヘラヘラ笑う。

「会長に俺の仕事押し付けちゃったから、代わりにやれって言われました」
「それで、齋籐も道連れってわけか。お前も大変だな」

 十勝の一言に哀れむような視線を向けてくる五味に、俺は「俺が好きでやってるんで」と小さく笑った。
 ばつが悪そうに苦笑する五味は「ご苦労様」と呟く。

「えーっ!なんで俺労ってくれねーの!俺もまじ頑張ってんのに!」
「お前のはなあ、自業自得って言うんだよ。それより、こんなところでベラベラ喋ってていいのか?」

 わんわんと泣き真似をする十勝を一蹴する五味は、そう心配そうな顔して尋ねてくる。
 その一言に、俺と十勝は「あ」と顔を見合わせた。

「うっわ、やべー無駄に時間ロスした!おい、佑樹次行こうぜ!」

 携帯電話を取り出し、現在の時刻表示を確認する十勝はそう顔を青くして五味の横を通りすぎ、隣の教室へ入っていく。
「あ、待って」慌てて十勝の後を追い掛けようとしたとき、不意に「おい」と五味に止められた。
 なんだろうか。もしかして礼儀がなってなかったのだろうか。足を止め、慌てて五味の方を向いた俺は「昨日はありがとうございました」と思い出したように頭を下げる。

「いや、それはいいんだけどさ……今朝灘がそっちに行っただろ」
「え?あ、はい」
「櫻田のことだけどな、出来るだけ注意しといてくれ」
「あの、確か捕まえたんじゃ……」
「ああ、捕まえたよ。朝方、丁度お前の部屋の前にいたところを見張ってた灘がな」

 俺の部屋の前まで櫻田が来ていたのか。
 ……全然気付かなかった。というか本当に見張られていたのか。
 俺が眠っていた間にそんなことが起きていたとは知らず、その事実を知らされた俺は背筋が薄ら寒くなるのを感じる。

「……それで、本題なんだけどな」

 すると、いつまで経ってもやってこない俺を不思議に思った十勝が「佑樹ーなにやってんだよー」と教室の前から声をかけてくる。
 俺の代わりに、五味が「先に行ってろ」と十勝に告げた。
 つまらなさそうに唇を尖らせる十勝だったが、自分に任された仕事を優先させることにしたようだ。
 そのままA組の教室へ入っていく。なんだか申し訳なくなりながら見送る俺になにか察したのだろう。
「すぐ済む」そう続ける五味は、なんだか気まずそうな顔をした。

「ハッキリ言うぞ」

 なんでそう確認を取るんだ。
 まるで自分に言い聞かせるように尋ねてくる五味に気圧される俺は「は、はい」と頷く。
 そして、小さく溜め息をついた五味は外していた視線を俺に向けた。

「櫻田を捕まえたというのは嘘だ」

 まあ、そんなことだろうとは思っていた。
 あまりにも俺に伝えることを渋っていた五味に最悪の事態を脳裏に浮かべていた俺はその言葉に大して驚かなかった。しかし、問題はそこではない。

「なんで、嘘なんて」
「……なんつーか嘘だけど全部嘘ってわけじゃないっていうか。正確には、捕まえたけど逃げられたと言った方が適切だな」

「まあ、言い方なんてどうでもいいんだけどな」そう笑う五味だったがすぐに頬を引き締めた。

「一応寮の自室から出ないよう言い付けておいたんだがな、すぐに逃げられたよ。さっき見張りにいなくなったって連絡受けたばっかりだからそれ程時間経ってないと思うが、念のため頭に入れておけ」
「……わかりました」
「あまり一人にならないように……って言おうと思ったけど、十勝が一緒なら心配いらなさそうだな」
「はい。あの、わざわざありがとうございました」

 そうしどろもどろと軽く頭を下げれば、五味は「ああ」とだけ頷いた。
 相変わらずどこか素っ気ないが、色々お世話になったせいかあまり気にならない。
「それじゃあ」そう適当にキリのいいところで切り上げようとしたときだ。

「それと」

 思い出したように五味は俺を呼び止める。
 丁度五味に背中を向けたばかりだった俺は背後を振り返った。五味と目が合う。

「会長たちからなにか言われてもこのことについて知らなかったフリをしろ」

 どういう意味なのだろうか、と思った。
 たちと言うからには他の役員たちも含まれているのだろう。

「あの、理由を聞いてもいいですか」
「……ああ、そうだな。取り敢えず、この件については恐らくまだ俺たちにしか伝わっていないはずだ。会長に連絡しても出なかったといっていたからな」

「多分、連絡があったとしてもお前には知らされないだろう」そう静かに続ける五味に、俺は益々混乱した。
 言葉の意味がわからなかった。さらりと意味深なことを口にする五味は、「まあ、察してくれ」と笑う。
 五味が言っていることが本当だとすれば、あくまでも外部の人間である俺に櫻田のことを洩らしたとバレたときの体裁を気にしているのだろう。
 俺自身、ある程度立場がある五味の気持ちは痛いほどよくわかったので寧ろそこまでしてこのことを教えてくれたことはありがたかった。でも、ただ一つ先ほどの言葉が気掛かりで。
『多分、連絡があったとしてもお前には知らされないだろう』
 確かにそう言った。どういう根拠があってそう五味がこんな発言をしたのかわからなかったが、なんとなく、わからない方がいいのかもしれない。そう感じた。

「んじゃ、話はこれだけだ。大して力になることは出来ないが、頑張れよ」

 なんに対しての頑張れだろうか。
「引き留めて悪かったな」と申し訳なさそうな顔をする五味にいいえ、と小さく首を横に振った俺は教室へ戻るという五味と別れた。
 十勝がいるはずのA組に向かえば、既にチェックを終えた十勝が「おっせーよ」と拗ねたような顔をしたまま教室を出てくる。俺は「ごめん」とだけ謝った。

「んじゃ、次は二年だな。こっちは厄介なのなさそうだからすぐ終わりそうだな」

 十勝と合流し、馴染みある二年教室前へと向かう俺たち。
 厄介なのというのは恐らく女装喫茶みたいなののことを言っているのだろう。
 パンフレットの出し物一覧に目を向けた俺は「だといいけど」と苦笑を浮かべることしかできなかった。
 櫻田がどこにいるかわからない今、俺にとってどこも厄介なことには変わらない。

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