09
阿佐美に言われるまま阿佐美の部屋へ入った俺。
と、俺の後を無言でついてくる灘に、「俺も俺も」と割り込んでくる縁とそんな縁に引っ張られる仁科となにくわぬ顔をして部屋に上がる安久。
取り敢えずその場にいた全員が阿佐美の部屋へと集まる。
無駄な連携プレーに、流石の阿佐美も呆れたような顔をしていた。
阿佐美の部屋。大きな家具や家電が配置されたその部屋は、乱雑に積まれた段ボールが面積半分以上の場所を取っていた。
部屋の中央に置かれた大人数用のソファーに腰を下ろす俺と縁と安久。
その向かい側で床の上で胡座を掻く仁科に、体操座りをする阿佐美。
ソファーの背凭れの後ろには、灘が立っていた。
全員床の上に座ればいいものの、なんだこの歪な包囲網は。というか普通に話し辛い。
「おー、大分部屋っぽくなったじゃん。でも、外にもまだあるけど全部入んの?」
「……相部屋の時から全部仕舞えてたし、大丈夫だよ」
感心したように部屋を見渡す縁に、阿佐美はそう頷く。
仕舞うというか押込んでたの間違いだろ。内心突っ込みながら、俺はそわそわと室内に目を向けた。
両隣に座る安久と縁のおかげて酷く肩身が狭い。
阿佐美と二人っきりで話がしたかった俺にとって、この状況はあまりいいものではなかった。
どうにか二人っきりになれないだろうか。
なにやら話している縁と阿佐美を横目に、俺は仏頂面のまま考え込む。
「あの、そう言えばなんで先輩たちが阿佐美の手伝いに……?」
ふと阿佐美と縁たちの接点が気にかかった俺は、そう顔を上げ床の上で浮かない顔をしていた仁科に目を向けた。
阿佐美と縁たちとの関わりが見えなかったが、唯一、四人に共通点があることに気付く。
阿賀松だ。俺と灘を除く四人皆、なにかしら阿賀松と関係があるやつらばかりだった。
今回、このことに阿賀松が絡んでいるということだけはよくわかる。
「あ、俺?俺は、まあ、阿賀松さんに『詩織を手伝ってくれ』って頼まれたから手伝いに来たんだけど」
「僕も」
「俺は楽しそうだったからついてきただけ」
しどろもどろと続ける仁科に、安久は小さく頷いた。
縁に関してはもうなにも言うことはない。
「……本当はあっちゃんに頼んだんだけど、用事があるとか言って逃げられちゃって」阿佐美は申し訳なさそうな顔をしながらそう続けた。
用事があるって、もしかしてそれ、俺とのことじゃないだろうな。だとしたら、申し訳ない。
阿佐美の言葉に引っ掛かった俺は、先ほど自室へとやってきた阿賀松とのことを思いだしなんとも言えない気分になる。
「……でも、よくここがわかったね。……先生に聞いたの?」
少しだけ困ったような笑みを浮かべる阿佐美。
「え、まあ……うん」図星を刺され、言いながら視線を逸らした。
思ったよりもあまりよくない阿佐美の反応に、なんだか俺はどんな顔をしたらいいのかわからなくなってしまう。
「なんか、手間掛けさせたみたいでごめんね。佑樹くんに一言も言わなかったのは……その、反省してる。ごめんなさい」
「……なら」
また戻ってこないのか。
俺がそう口を開こうとするよりも先に、阿佐美が「でも」と強い口調で台詞を潰す。
「あそこには戻れない」
ハッキリとした口調で阿佐美はそう告げた。
静まり返った室内に、やけに大きく阿佐美の声が響く。
なんで。そんな。意味がわからない。
突っぱねるような阿佐美の態度に反論しようと口を開いたが、喉まで出かかった言葉はとうとう出なかった。目を丸くした俺は正面の阿佐美を見る。どこを見ているのかがわからず、不安で酷く胸がざわついた。
「……」
「……佑樹くん」
心配そうな顔をして押し黙る俺を恐る恐る伺う阿佐美。
なんだか全身から力が抜けるようだった。
一部始終を聞いていた安久は、どこか決まりが悪そうな顔をしていたがなにも言わなかった。
「……やっぱり、志摩の言ったのが原因なの?」
顔を小さく上げ、阿佐美に目を向けた俺はそう問い掛ける。
志摩の名前を出したとき、一瞬だけ両隣に腰をかけた縁と安久が僅かに反応したのを俺は見逃さなかった。
単刀直入に聞いてくる俺に阿佐美は少しだけ戸惑ったような顔をしてうつ向く。
どうやら、図星のようだ。
黙る阿佐美に、俺はそう直感した。
「……志摩の言ったことなら、阿佐美は気にしなくていいから。だから、その……」
それでも、あの部屋に戻ってきてくれないのか。
そう続けようとして、俺は開いた口を閉じる。
向きがちに黙り込む阿佐美の態度から、その答えを強要することができないと悟ったからだ。
「……ごめん」
俺から顔を逸らす阿佐美は、問いに答えずただ謝るだけだった。
阿佐美も阿佐美で俺に対して罪悪を感じているとわかったから、尚更それ以上責めることができなかった。
「……わかった」
顔を上げた俺は、言いながら小さく頷く。
喉奥から絞り出した口から出た言葉は、自分のものとは思えないほどハッキリとした声だった。
「それだけ聞きたかったんだ」
「ごめんね、いきなり部屋に押し掛けちゃって」俺は苦笑を浮かべながら、そうソファーから腰を持ち上げる。
阿佐美はそんな俺を見上げ、なにか言いたそうな顔をしたが結局なにも言わなかった。
「……本当に、ごめん」
こんなに迷惑かけるつもりはなかったのに、結果的に阿佐美に気を遣わせてしまうことになったことは俺にとって最大の汚点だった。
もっと謝らなきゃいけないことがあったはずなのに、話そうと口を開く度に胸が熱くなり言葉にならない。
鼻がつんとなり、俺は感情に流されて泣きそうになるのを堪えながら、そう阿佐美に頭を下げる。
「ゆ、佑樹くん……」
頭を下げる俺に、阿佐美は慌てて膝を立て駆け寄ろうとする。
「ごめん、大丈夫だから。ほんと」俺はそう笑いながら、立ち上がる阿佐美を止めた。
こういう場合、どうすれば阿佐美に心配そうな顔をさせずに済むのだろうか。
それすらわからなくて、ただ謝ることしかできない自分が情けない。
「……あーらら、阿佐美も罪作りだねえ」
あたふたとする阿佐美に、縁肘掛けに腕を乗せる縁は言いながら口許に笑みを浮かべる。
茶化すようなその言葉は、もしかしたらこの場を和ませようとするためのものなのかもしれない。
「……縁さん」
「ちょっと、あんた黙ってろよ。空気読めないなあホント」
反応に困ったように狼狽える阿佐美。安久は呆れたような顔をして横目でジトリと縁を睨んだ。
突っ掛かってくる安久に対し、縁は特になにを言うわけでもなく「齋籐君」と立ち上がる俺の背後に声をかける。
「なんかよくわかんねーけどさ、一人が寂しかったらいつでも俺んところに来ていいからね」
なんだろうかと振り返れば、目を細めて笑う縁はそんなことを言ってくる。
「え、ええ……あの……」
「信じらんない、どうしたらそんなことすらすら言えるわけ?僕の隣でホモらないでよ」
優しい縁の言葉に調子狂う俺。
ナチュラルに口説く縁に呆れたような顔をした安久は、「バカじゃないの」と苛ついた様子で吐き捨てる。
「縁さん」安久同様呆れたような顔をする仁科。
「444号室、俺の部屋」
「暇なとき遊びにおいで」制止する二人を他所に、縁は笑みを浮かべたままそう俺に言った。
その真意はわからなかったが、もしかしたら縁なりに慰めてくれているのだろう。
「……ありがとうございます」
自分のことをタイプだと公言している縁の元へのこのこと行くつもりはなかったが、なんだか俺はお礼を言わずにはいられなかった。自然と緊張していた全身の筋肉が緩む。
「……じゃあ、俺たちは帰るよ」
「手伝い、なにもできなくてごめんね」阿佐美に向き直った俺は、そう謝罪を口にする。
縁のお陰か、先程まで潤んでいた涙腺が自然と渇いていた。
さっきから謝罪ばっかりな俺に対し、阿佐美はぶんぶんと首を横に振る。
なんとなく可笑しくて俺は小さく笑えば、そのまま部屋を離れ玄関へと歩いていった。
「お邪魔しました」
「……お邪魔しました」
俺の後を追ってきた灘とともに、俺は玄関から廊下へと出る。
廊下には阿佐美の私物の山が残っており、それを一瞥した俺は阿佐美の部屋の前を後にした。
そのまま、俺たちは自室である333号室まで歩いて帰る。
本当なら阿佐美に相部屋戻るよう説得したかったのだが、やはり外野の存在があったせいだろうか。
それが叶えることはできなかった。
もしこの場に後ろからついてくる灘がいなければきっと俺はいまこの状態を保つことはできなかっただろう。
「よかったんですか」
阿佐美の部屋から離れたところまで来たとき、ふと灘はそんなことを口にした。
恐らく、先ほどの阿佐美とのことを言っているのだろう。
「……よくはないけど、ほら、無理強いできる立場じゃないし」
歩きながら、俺は後ろからついてくる灘に答える。
自分でもハッキリしないやつだと思った。けどそれ以外いいようがなかったのだから仕方ない。
「……そうですか」
灘はそう静かに呟くのを最後に、また俺たちの間に沈黙が流れる。
正直、灘がそんなことを聞いてくるとは思わなかった。
灘にまで気を遣わせてしまっていると思えば、なんとなくいたたまれなくなってくる。
まさかこんな形で自分が一人部屋になるなんて思ってもいなかった。
一人部屋が羨ましいなんて思っていたときもあったが、こんなことになるくらいなら相部屋のままがよかったと思う。
正直、まともに阿佐美と話すことができなかったのは外野のせいだけではないとわかっていた。
もっと自分が粘っていれば、阿佐美は考え直してくれたのかもしれない。
それでもやっぱり、頑なに阿佐美に拒否されるのが怖くてあれ以上強く言えなかった。
外野なんて関係ない。
あのとき俺と阿佐美の二人きりだったとしても俺はちゃんと阿佐美を説得することができたのかどうかすら怪しい。
考えれば考えるほど気分が塞がり、歩き進める足すら鉛のように重く感じた。
丁度そのときだった。
ふとどこかからバイブ音が聞こえてくる。
背後の灘に目を向ければ、携帯を取り出した灘と目があった。
どうやら今のバイブ音は灘の携帯のものだったようだ。
「齋籐君」
携帯の画面を一瞥した灘は、携帯電話を制服に戻しながらそう名前を呼んでくる。
「……はい」相変わらず感情が読み取れないその淡々とした声につられ、やはり畏まってしまう俺。
「会長が戻ってきました」
「はい……って、え?」
「これから会長を迎えにいきます。エレベーター乗り場へ向かってください」
「え、い、今から……?」
「勿論です」
あまりにも急な灘の言葉に戸惑った俺は、驚いたように灘を見た。
順応性が低くアドリブに弱い俺は灘の言葉を飲み込むことが出来なかった。
もしかして、さっき俺が芳川会長のことを聞いたときに連絡を取っておいてくれたのだろうか。
「齋籐君」
反応に遅れる俺に、灘はそう静かに俺を見据えた。
どうやらさっさと歩けということらしい。
有無を言わせないよう無言のプレッシャーをかけてくる灘に言われた通り、俺は慌ててエレベーター乗り場へと向かった。
まさかこんなに早く芳川会長と会えるとは思ってもよらなかったが、さっきがさっきだからだろうか。あまり気分が乗らなかった。
灘に急かされるままエレベーターに乗り込んだ俺たちは、そのまま一階へと向かった。
停止したエレベーターを降りた灘は、俺を先導するように玄関ホールへと足を進める。
学生寮、玄関ホール。
出入り口扉前、そこには見慣れない生徒となにやら話し込んでいる芳川会長がいた。
どうやら、見慣れないその生徒は文化祭の実行委員のようだ。
「会長」
二人の会話がキリのいいところで終わった隙を狙い、灘は芳川会長に近付いていく。
慌てて俺は灘の後についていき、芳川会長の元へ足を向かわせた。
「ああ、やっときたか」
近付いてくる俺たちに目を向けた芳川会長は、言いながら頬を綻ばせた。
「すみません」と素直に謝る灘に、芳川会長は「冗談だ」と困ったような顔をする。
「俺も丁度いまこっちに戻ってきたばかりでな。……そうだ、なにか用があったんじゃないのか?」
冗談を真に受けた灘に戸惑った芳川会長はそう気を取り直すように咳払いをし、その後ろにいた俺に目を向けた。
どうやら芳川会長は俺が会長に用があるということまで聞いているようだ。
「ああ、えっと……その……阿賀松先輩のことでちょっと」
先ほど来たよりも随分人気が多くなった学生寮一階で、俺はどこまで説明したらいいのかわからずそう言葉を濁した。
自分でもアバウトすぎると思ったが、芳川会長には『阿賀松』という言葉だけでも伝わったらしい。
少し顔を強張らせる芳川会長は、辺りに目を向ける。
「……場所、変えるか。俺の部屋までいいか?」
そう持ち掛けてくる芳川会長に、俺は頷いた。
人前でできるような話ではないだけに、その芳川会長の誘いはありがたいものだった。
「灘」頷く俺を確認した芳川会長は、そう灘に目を向ける。
「わかりました。なにかあれば、いつでもご連絡ください」
短い芳川会長の言葉でなにかを悟ったのか、灘はそう言えば小さく会釈する。
どうやら芳川会長は灘を帰したようだ。
俺が言ったときはあれほど粘ったのに、芳川会長に言われただけであっさりとその場から立ち去る灘に内心なんとも言えない気分になる。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
他の生徒の中へと紛れる灘を見送った芳川会長は、言いながら俺に視線を移す。
「あ、はい」慌てて頷く俺は、降りてきたばかりのエレベーター乗り場へと歩き出す芳川会長の後についていった。
心なしか変に周りから注目されているように感じたが、恐らくただの気のせいではないはずだ。
芳川会長とともにエレベーター機内へと乗り込んだ俺。広いエレベーターの中には俺たち以外人はいない。
昼間のことがあったせいか、なんとなく芳川会長と二人きりになるのが怖かった。
「……随分、元気がないようだが」
静かに動くエレベーター機内。流れる沈黙の中、不意に芳川会長はそう口を開いた。
「え?」いきなり声をかけてくる芳川会長に、俺は伏せていた顔をあげる。
「どうかしたのか?」
どうやら芳川会長はさっきから黙り込む俺が気になったようだ。
心配そうな顔をして問い掛けてくる芳川会長に、俺は慌てて「すみません」と謝ってしまう。
「なんで謝るんだ」
「いや、あの、すみません。つい」
「そんなに気張らないでくれ。こっちまで緊張してくる」
芳川会長なりに俺の緊張を解そうとしてくれているのだろう。
笑いながらそう声をかけてくる芳川会長に、俺はつられて笑みを浮かべるがなかなか上手く笑えない。
「……なにかあったのか?」
ぎこちない俺の様子に違和感を覚えたのだろう。
浮かべていた笑みを消し、芳川会長は心配そうに尋ねてくる。そりゃあもう、色々。
「……」先程の阿佐美とのやりとりを思い出してしまい、つい俺はセンチメンタルな気分に浸ってしまった。
「……齋籐君?」
黙り込む俺を心配した芳川会長に肩を軽く触れられ、俺は慌てて顔をあげる。
「すっ……すみません、あの、なんでもないです」人と話している最中に感傷に浸っている自分に内心呆れながら、俺はそう言ってぶんぶんと首を横に振った。
「そうか?……それならいいが」
それでも芳川会長は俺の様子を気にかけてくれているようで、「なにかあったらなんでも相談してくれて構わないんだからな」と小さく笑いながら俺から手を離す。
「……ありがとうございます」
気を遣ってくれる芳川会長に恐縮しながら、俺はそうお礼を口にした。
ただでさえ阿賀松とのことで迷惑をかけている芳川会長に、俺の身の回りの人間関係のことまで迷惑をかけることはできない。
俺は芳川会長の気遣いだけを貰うことにした。
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