天国か地獄


 08

 灘とともに校舎内に入った俺は、賑やかな昇降口を通り抜け職員室へと向かってただひたすら歩いていった。
 その間、灘は一定の距離を空け俺の後ろから黙って後をついてくるだけで、なんだか本当に見張られているみたいな気分になる。

 学園、職員室前。
 職員室には様々な生徒が出入りしていた。

「俺はここで待っているので、どうぞ用を済ませてきてください」

 職員室前の廊下で足を止めた灘は、そう俺に声をかけてくる。
 どうやら職員室は安全だと判断したようだ。
「わ……わかりました」つられて敬語になりながら、頷く俺はその場で灘と別れた。
 一人になった俺は、職員室の扉を軽く叩き担任を呼び出す。
「おお!どうした!」賑やかな職員室に担任の声が大きく響き、事務机に向かっていた担任は椅子から腰を持ち上げそのまま職員室前に立つ俺の元までやってきた。
 相変わらずの威勢のいい大きな声に驚きながらも、慌てて俺は姿勢を但し目の前の担任に目を向ける。

「あの、新しい阿佐美の部屋ってどこかわかりますか?」

 担任と向かい合った俺は、そう単刀直入に担任に尋ねた。
 途端、先程までニコニコと爽やかな笑みを浮かべていた担任の表情に困ったような色が浮かぶ。

「あー阿佐美か、そーだな……なんか用でもあったのか?」

 どことなく歯切れの悪い担任の様子に、俺はなんとなく察しがついた。
 同室者である俺に無断で一人部屋に引っ越したこと自体不思議で仕方なかったが、もしかしたら阿佐美のことだ。
 教師にも口止めをしているのかもしれない。

「……いえ、部屋に阿佐美の忘れ物があったので渡そうかと思ったんですが……」

 それなりの理由があった方がいいと考えた俺は、そう担任から視線を逸らしながら適当な理由を口にする。
 もちろんその場凌ぎの嘘だが、あながち間違ってはいないはずだ。
 内心なんか言われやしないだろうかとドキドキしながら、俺は担任の様子を伺う。

「忘れ物?なら先生が渡しておこう」
「いや、その、わざわざ先生の手を煩わせる必要はないです。……俺が直接届けますから」

 気を効かせようとしてくる担任に焦った俺は、慌てて首を横に振り断った。
「そうか」遠慮する俺に、担任は少し残念そうな顔をする。
 これ以上探られたらすぐにボロが出てしまいそうだっただけに、それ以上追求してこようとしない担任に俺はほっと安堵した。

「なら、そうだな。ちょっと待ってろ、いま調べてくるから」

 どうやら担任は俺の言葉を信じてくれたようだ。
 そう笑う担任は、そう言い残して職員室へと引っ込む。
 改めて担任が阿佐美の部屋を調べてくれるようだ。
 てっきり担任だから阿佐美の新しい部屋のことを知ってるものだと思っていただけに、担任が阿佐美の部屋を知らないのは少し驚く。
 まあ、教師全員が全員担当してる生徒の部屋を覚えていると本気で思っているわけではないので、多少人を待つことくらい苦痛にはならなかった。

「ありがとうございました」

 再び俺の前へ戻ってきた担任から阿佐美の部屋を聞いた俺は、そう小さく会釈しそのまま職員室前から離れた。
 新しい阿佐美の部屋は、いままでと変わらず三階にあるようだ。
 担任曰く、阿佐美は教師の手を借りずに引っ越しをしたらしくまだ片付けが終わっていないようで、よかったら手伝ってやってくれとのかと。
 手伝いくらい喜んで手伝うのだが、それも阿佐美が良ければの話だ。

 廊下へと戻った俺は、職員室から微妙に離れた場所からこちらを見ていた灘の元へ歩いていく。

「終わりましたか」
「ええ、まあ」
「そうですか。では、いきましょうか」

 曖昧に頷く俺を一瞥する灘は、そう言って再び歩き出した。
 そういえば、ここからなら生徒会室までそんな距離ないよな。
 ついでに、というわけではないが先に芳川会長に阿賀松とのことを報告しようかと考えた俺は、さっさと歩いていく灘に「ちょっと待って」と声をかける。

「どうかしましたか」

 ピタリと立ち止まった灘は、そのままこちらを振り返った。
 もしかしたら、灘なら今芳川会長がどこにいるか知っているかもしれない。
 そう思った俺は、そのまま灘に伝えることにした。

「いま、芳川会長って学校にいるかな」
「……会長ですか?」
「うん」

 このタイミングで芳川会長の名前が出てきたのが意外だったのだろう。
 僅かに灘の表情が変化したのを感じながら、俺は灘の言葉を待った。

「会長ならいま学校を出ていますので、帰ってくるのは八時以降になるかと」

 少しだけ考え込んだ灘は、そう淡々と俺に告げる。
 そこまで把握してるものなのかと内心驚きつつ、俺は「わかった」と頷いた。
 なにしに出掛けているのか気にかかったが、いまこの学園内に芳川会長がいないのならこのまま生徒会室へ行っても仕方ない。
 足を動かし、俺は先程通ってきたばかりの道を通って学生寮へ戻ろうとする。

「なにか会長に用でもあったんですか?」

 そのまま灘の前を通りがかろうとしたとき、灘の方から声をかけられた。
 俺が会長のことを聞いたのが余程気になったようだ。
「ええと、まあ、ちょっと相談があって……」灘にどこまで話せばいいのかわからず、俺はそうはぐらかす。

「急な用ですか?」
「え?いや、別に急ってわけじゃないけど……まあ、ちょっとなるべく早めに行っておいた方がいいかな、みたいな……」
「わかりました」

 灘の問い掛けにしどろもどろと答える俺に対し、灘はそう短く答える。
 なにがわかったのかがよくわからなかったが、それ以上灘はなにも言ってこなかったので俺も敢えてなにも聞かないことにした。
 灘と共に学生寮まで戻ってきた俺は、そのままエレベーターに乗り込み三階へと向かった。
 阿佐美と会ったらどう謝ろうかとか、灘はどこまでついてくる気なのだろうかとか俺はそんなことを考えながらただ目的の階へ着くのを待つ。

「……」

 機内に流れる沈黙の中、俺の思考は忙しなく働いていた。
 考え事をしているときの時間というものは普段よりも短く感じる。
 あっという間に目的地である三階についたエレベーター機内は小さく揺れ、停まった。

 俺と灘は静かに開く扉から無言でエレベーターを降りる。
 先程よりもいくらか人気のある廊下にでた俺たち。
 後ろからついてくる灘を一瞥した俺は、そのまま担任に聞いた新しい阿佐美の部屋に向かって歩き出す。

「齋籐君、部屋の前を通りすぎたようですが」

 何度か道を間違えながら阿佐美の部屋を目指すこと数十分。
「どこか行くんですか?」相変わらず無表情な灘は、少しだけ不思議そうな顔をしながらも俺のあとをついてくる。

「……あ、ご、ごめん。ちょっと、……友達に用があって」

 阿佐美のことを友達と呼んでいいのかわからなかったが、その響きになんだか照れながらも俺はそう灘に答えた。
「戻りたいなら戻っていいよ」そう俺が付け足せば、灘は「ご一緒させていただきます」と堅苦しい口調で小さく頷く。
 阿佐美と灘が対面したときのことを考えた俺は、灘の言葉に少しだけ困惑した。
 なんだか不安になって灘に目を向ければ、灘は「ご安心を」と小さく口を開く。

「ご友人との会話に邪魔にならないよう、俺は隠れますので」

 そういう問題じゃないような気が……。
 突っ込んだ方がいいのだろうかと戸惑いながらも、俺は「わかった」とだけ答える。
 どうせ俺が断ってもついてくるつもりなのだろう、灘は。
 今朝の志摩に対する灘の対応を思い出す限り、あまりいい予感はしなかったが本人の言うことを信じる他ない。多分、大丈夫だろうとは思うけれど。
 思いながら、俺は阿佐美の部屋まで歩いていった。
 暫く似たような道を何度もぐるぐる回っていたときだった。

「ほら、ちんたらしないでさっさと運べよ」

 近くから、聞き覚えのあるヒステリックな声が聞こえてくる。
 怒鳴るような大きな声にビックリした俺は、つられて声のする方へ目を向けた。
 声がする方は確か、担任から聞いた阿佐美の部屋がある方だ。
 内心嫌な予感を感じながら、恐る恐る俺は阿佐美の部屋があるそこへと歩いていく。

「無理、絶対無理。フツーに考えてこんなの一人で運べるわけないじゃんっ」

 同様、聞き覚えのある気の弱そうな声が耳に入ってきた。
 声がする方へ近付けば近付くほど、その喧騒は大きくなる。
 とある部屋の扉の前、家具や荷物が置かれたそこには見覚えのある生徒が数人いた。
 ピンクに金に青というカラフルな頭髪の三人組は、なにやら揉めているように見える。

「だいじょーぶだいじょーぶ、俺が応援してるから!」

 青髪、もとい縁方人は言いながら家具の前にへたり込む金髪、仁科奎吾の背中を叩いた。
「縁さんも手伝ってくださいよ」縁の言葉に、仁科はすがるような目で縁を見上げる。

「あー残念俺、いま腕使えねーの。俺の分まで頑張ってね、仁科」そうヘラヘラと笑いながら包帯で覆われた片手を振る縁に、桃髪もとい安久は「使えねーのは腕だけじゃないけどな」と毒吐く。
 うん、なんでこいつらがいるんだ。
 廊下の影から荷物が置かれたその部屋の前を覗き込んだ俺は、見覚えのある三人組に冷や汗を滲ませる。

「やだなー安久ちゃん。どーいう意味かなぁ、それ」
「どうもこうもそのまんまだっての。伊織さんの腰巾着の癖にいちいち偉そうでムカつくんだよね」
「俺が伊織の腰巾着?なんかやらしいなあ、それ」
「伊織さんを呼び捨てにすんな!さんを付けろ、さんを!」

 荷物を運ぼうと励む仁科を他所に内輪揉めを始める縁と安久。
 というか安久が一方的に縁に噛み付いているようにしか見えないが、あまり穏やかな雰囲気ではない。

 ……まさか、阿佐美の部屋ってここじゃないよな。
 縁たちがたまっている扉に目を向けた俺は、目を細めその扉にかかったプレートの文字に目を向ける。
 そのプレートには、先程担任から聞いた部屋番号が書かれていた。
 見覚えのある荷物といい部屋番号といい、この扉の先が阿佐美の新しい部屋で間違えないようだ。まあ、普通に近づきたくないわけだけれど。

「あれが友人の方ですか」

 壁から顔を出し、阿佐美の部屋の前の様子を伺っていた灘はそう高揚のない声で尋ねてくる。
 まさか。友人どころか俺はあの三人とまともかつ健全な交遊すらしたことない。灘の言葉に、俺は「違う」と慌ててそれを否定した。
 そんな俺を一瞥した灘は、それ以上なにか追求してくるわけもなくただ黙る。
 正直、なんであの三人がこんなところにいるのかがわからなかった。
 安久はともかく、縁と仁科に関してはたまたま通りがかったというわけでもなさそうだし。
 荷物を運ぶだとか運ばないだとか言ってる辺り、もしかしたら阿佐美の引っ越しの手伝いに来ているのかもしれないと思ったが、なんでよりによってあの三人がいるのかがわからなかった。
 考え悩んだ結果、俺の思考は振り出しに戻る。

「齋籐君」

 その場から動こうとしない俺が気になったのか、灘はそう促すように俺に声をかけた。
「行かないんですか」三人がいなくなるのを待っていたが、俺よりも灘の方が先に痺れが切れたらしい。その言葉は、なんでもいいから行動をしろといっているように聞こえる。

「それとも、あの三人が邪魔というなら追い払わせていただきますが」

 本気かどうかもわからないような調子で続ける灘に焦った俺は、「いいよ、大丈夫だから」とそれを止めた。
 俺の知る限り、あの三人は阿賀松側の人間だ。そんなことしたら面倒なことになりかねない。
 どちらにせよ、俺が行動を起こさない限りいい方にも悪い方にも転ばないようだ。

「……じゃあ、ちょっと行ってくるから。あの、灘君はそこで待っててくれる?」

 行きたくないという本音を抑えながら、俺はそう灘の方に目を向ける。
「……わかりました」壁際に立つ灘は、俺の要求に特に反論するわけでもなく静かに頷いて見せた。
 灘たちの関係を考慮した結果流れで一人で大丈夫だとは言ってみたが、やはりいざとなると怖いものは怖い。
 どうしよう。一応挨拶をした方がいいのだろうか。
 いや、でも自分からわざわざ話し掛ける必要もないよな。
 短時間で様々な思考を働かせながら、壁の影から出た俺はなにやら揉めている縁たちと目を合わせないように気を付けながらあくまでただの通行人Aのつもりで阿佐美の部屋の扉へと歩いていく。

「ふ、二人とも……落ち着いてくださいよ。他の人の迷惑になったらどうするんすか」

 慌てて荷物から離れた仁科は、慌てて二人の仲裁に入った。
「うっさい仁科!お前は荷物運んでろ!」邪魔に入る仁科が気に入らなかった安久は、そうきゃんきゃんと吠えながら扉の周りの壁際に積まれた段ボールの山を指差す。
 なんということだろうか。びしっと伸びた安久の指先は、忍び足で三人の死角を狙って歩いていた俺に向けられる。
 ほぼ同時に、三人の視線が俺に向けられた。全身から嫌な汗が滲む。

「齋籐佑樹っ?……おっ、お前……なんでこんなところに……」

 どうやら指差す安久自身その先に俺がいようとは思っていなかったようだ。
 扉まで数メートル。目を丸くして俺を見る安久は素で驚いているようだった。

「ど……どうも」

 必ずこの三人にバレないと思っていたわけではないので、この状況もまだ想定内だ。
 愛想笑いを浮かべ適当にその場を流そうと試みるが頬の筋肉が緊張し、その笑みは酷くぎこちないものになる。

「え?なに?どーしたの齋籐君こんなところで。あ、もしかして齋籐君も阿佐美のお手伝い?」

 安久がいちゃもんをつけてくるよりも先に、相変わらず涼しい顔をした縁は人良さそうな笑みを浮かべながら俺に近付いてきた。
 縁の口から阿佐美の名前が出てくることに少し驚く俺。
 やはり、縁たちは阿佐美の手伝いに来ているようだ。

「いや、そういうわけじゃないんですが、阿佐美に用があって……」

 ニコニコと笑いながらにじり寄ってくる縁に危険を察知した俺は、言いながら後ずさる。

「ああ、あいつなら部屋にいるよ。いま部屋ん中すごいことになってるから入んない方がいいんじゃない?」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ」

 阿佐美がこの部屋にいるということがわかったことだけでも、俺の中では大きな収穫だった。
 その言葉を信じた俺は、縁から逃げながら阿佐美の部屋の扉に近付く。


「ちょっと、縁さん……齋籐が困ってるじゃないっすか」

 縁にまとわりつかれる俺を見兼ねたのか、仁科は慌てて縁の肩を掴み止めた。
「やだなー仁科ったら、困ってるわけないじゃん。ねー、齋籐君」仁科に引き止められた縁は、特に気を悪くするわけでもなく明るい調子でそう俺に尋ねてくる。

「え……?あ、あの……すみません」

 いきなり話題を振られた俺は、そのまま扉を背にしどろもどろと謝罪を口にした。
「だっさー、フラれてやんの」一部始終を眺めていた安久は、そう縁を鼻で笑う。
「やっぱ安久は馬鹿だなー。これは満更でもないって意味だって」どこまでも前向きな縁は、「この違いがわからないなんてまだまだだな」と肩を竦めた。
 どうしたらそんな考えになるんだ。
 とんでも解釈をする縁に内心呆れる俺。

「違いもなにも、あんた齋籐佑樹に嫌われてんのわからないわけ?図々しいにも程があるね」
「そんなカリカリすんなよ。溜まってんの?俺が抜いてあげようか」
「仁科!仁科早くこいつをどっかにつれてって!僕の半径十メートル以内にいれないで!」

 にやにやと笑いながらセクハラ染みたことを口にする縁に、いきなり安久は俺の腕を引っ張り俺の背中に隠れる。
 取り乱す安久に、縁は可笑しそうに喉を鳴らして笑った。

「冗談だって、冗談。安心しろよ、俺ん中で安久は許容範囲外だからさ!」

「あ、齋籐君ならいつでも大歓迎だからね」涼しげな笑みを浮かべてとんでもないことを口にする縁に、俺は背筋がうすら寒くなる。
 どうやら安久は縁にからかわれるのも許容範囲外宣言されるのも気に入らなかったようだ。
「このホモ野郎……っ」背後から安久の忌々しそうな唸り声が聞こえ、ぎりぎりと肩を掴む指先に力が入る。結構痛い。

「なにをしてるんですか」

 痛みに耐えられなくなった俺が、肩を掴む安久の手を退かそうとしたときだった。
 不意に、横から伸びてきた手が安久の手首を掴み、無理矢理俺から離す。
 痛みがなくなり、軽くなった肩に安心するよりも先に、俺はいつの間にかに現れたそいつ、灘に驚いた。

「校内での暴力は校則で禁止されているはずですが」

 俺の腕を掴み、半ば強引に安久たちから離した灘はそう言って安久の手を離す。

「灘……っ」

 いきなり現れた灘に驚いたようだ。
 目の前に立つ灘に目を丸くした安久は、灘の名前を口に出す。
 俺自身、待っててと言ったのに出てきた灘に驚いていた。
 いや、生徒会の人間である灘が俺よりも芳川会長の命令を優先させるのは当たり前なのかもしれない。

「そーだよねえ、暴力はダメだよねえ」

「ルール違反しちゃう悪い子は指導室に連れてってあげないと」対する縁は、いきなり現れた灘に驚くわけでもなく軽薄な笑みを浮かべそんなことを言い出す。
 指導室。つい最近耳にしたばかりのその単語に俺は耳を傾けた。

「……」

 ヘラヘラと笑いながら挑発的な態度を取る縁に、灘は無言で目を向ける。

「冗談じゃない、なんで僕が……っ」

 縁の言葉に顔を青くさせた安久は語気を荒くした。
 志摩といい、安久といい、指導室という単語を聞いたときの反応が少々過剰に感じるのは俺の考えすぎなのだろうか。
 まあ、指導室なんて言われて喜ぶやつの方がいないかもしれないが。
「……灘君」黙り込む灘の背後に回された俺は、恐る恐るその背中に声をかける。
 丁度そのときだった。ガチャリと音を立て、阿佐美の部屋の扉が開く。

「……どうしたの?さっきから大声出して……」

 扉から現れたのは俺の元同室者でこの部屋の主である見慣れた男子生徒だった。
 だらしなく着崩された部屋着を纏った阿佐美は、何事かと心配そうに扉から顔を出す。

「詩織っ」

 灘の背中から飛び出した俺は、そのまま扉から出てくる阿佐美に掴みかかった。
 掴みかかるつもりはなかったのだが、なんだろうか。
 本当は勢いで抱き着きそうになり慌てて自分を止めた俺は手のやり場に困り、そのまま阿佐美の胸ぐらを掴んでしまう。

「ゆ、ゆ、佑樹くん?え、あれ?なんでここに……」

 いきなり出てきた俺に焦ったのだろう。阿佐美の服を引っ張る俺の腕を掴んだ阿佐美は、驚いたように俺の顔を見た。
 いなくなってからまだそんなに経ってないはずなのに、阿佐美の声を聞くのが酷く久し振りに感じる。

「なんで、なんで黙って引っ越したんだよ。ビックリするだろ、そんなの……っ」

 実際に阿佐美を前にすると言いたかったことが胸から溢れ、頭の中がこんがらがった。
 事前に頭の中でしていたシミュレーションもこれじゃ意味がない。
 阿佐美の胸ぐらを掴んだ俺は、そう顔を歪め阿佐美の体を揺する。

「ゆ、佑樹くん……首……苦しい……っ」

 されるがままになっていた阿佐美は、顔を青くし息苦しそうに俺の腕を軽く叩いた。
「あっ、ご、ごめん……つい」感極まって阿佐美に掴みかかってしまった俺は、慌てて阿佐美の胸ぐらから手を離す。
 無意識に力が入っていたようで、開放された阿佐美は俺から顔を逸らし小さく噎せた。

「……と、取り敢えず、話なら部屋に入ってよ。……ここじゃ、あれだし」

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