07
「場所は俺が指定してやるよ。ユウキ君たちはそこで一発ヤるだけでいい」
「ほら、簡単だろ?」なにを考えているのだろうか。
やけに得意気な顔をする阿賀松は、目を細めて笑った。
どう考えても、裏があるようにしか思えない。というか寧ろ裏しかない。
あまりにも強引かつ横暴な阿賀松の提案に、俺は絶句する。
ただでさえ俺と芳川会長がそのヤるだとかヤらないだとかそういう趣味をしているわけではないのに、阿賀松の指定した場所というやっかいなおまけまで付いていて『はい、わかりました』と簡単に頷けるような事柄ではない。
阿賀松がなにか企んでいることは確かだった。
本来ならばすぐに拒否りたいところだが、状況が状況だ。目の前からの威圧感がやばい。
「ユウキ君、わかりましたの返事は?」
言いながら、阿賀松は口を固く閉じた俺の唇を親指でなぞる。
どうやら今回もまた俺の人権拒否権その他はないようだ。
とにかく、このことは一度芳川会長に相談しておいた方がいいだろう。
「ほら、返事」イラついたように返答を促してくる阿賀松は、言いながら顔を近付けてきた。
至近距離で睨まれ、自然と俺の視線が泳ぐ。
あやふやな返事ができたらそれが一番いいのだけれど、この場を流すことはできなさそうだ。
「……頑張ってみます」
阿賀松から視線を逸らした俺は、そう言いながら小さく頷いた。
我ながら見事な濁し方だと思う。
はいともいいえとも言わない俺に、阿賀松はなんとなく腑に落ちないといった顔をしていたが然程深く考えなかったようだ。
「ああ、頑張れよ。うまく出来たら、そのときは俺が精一杯お前を可愛がってやる」
俺からしてみれば、それは褒美というよりただの恐怖でしかないわけだけれど。
楽しそうに笑う阿賀松に、俺は阿賀松に可愛がられる自分を想像して全身が薄ら寒くなってくる。
「あの、それで場所は……?」
取り敢えず話題を変えたかった俺は、恐る恐る阿賀松に尋ねた。
「ああ、そうだったな」顔を上げ俺から顔を離した阿賀松は、俺の言葉に思い出したように呟く。
「生徒会室。あそこにしよう」
「生徒会長さんと生徒会室でセックスなんてロマンチックだろ?」ろくなことを考えてないのだろう。頬の筋肉を緩め下品な笑みを浮かべる阿賀松は、そう楽しそうに続けた。
ロマンチックなのかどうかはわからないが、ただ阿賀松が芳川会長の顔に泥を塗るのが楽しみで仕方ないのだけはよくわかる。
……生徒会室か。
芳川会長に報告しなきゃいけないな。なるべく、早めに会いに行った方がいいだろう。
頭の中で阿賀松の言葉を整理しながら、俺はそんなことを考えた。
生徒会室で芳川会長とヤれ。それが約束通りに芳川会長の恋人というポジションを獲得した俺への次の命令だった。
「ああ、そうだ。日にちだけどな、今週までにはヤっとけよ」
思い出したように言い足す阿賀松に、俺は目を丸くする。
今週までって、期限付きかよ。
「ヤれなかったら、罰ゲームな」そう言って可笑しそうに笑う阿賀松に、俺は全身を強張らせる。
……これは、まじで早く芳川会長に相談した方がいいかもしれない。
俺一人でなんとかできるようなことではないのはよくわかった。
文化祭間近で忙しい芳川会長にこんな相談をするのも申し訳なかったが、阿賀松の口から出た罰ゲームという嫌な単語に触発された俺は素直に芳川会長を頼ることを決心する。
「先輩、その……罰ゲームって」
不意に阿賀松の口から出た言葉に反応した俺は、阿賀松を見上げながらそう尋ねた。
まるでゲーム感覚な阿賀松にも違和感を覚えたが、やはり内容を聞いて置かなければどう対処すればいいかもわからない。
思いきって罰ゲームのことを阿賀松に問い掛ければ、阿賀松は俺の目を見て笑みを浮かべた。
「ユウキ君が二度と学校に来れなくなるくらい恥ずかしいことしてやるよ」
囁くようにそんなことを口走る阿賀松に、俺は顔をしかめる。
なんだ、恥ずかしいことって。
濁すような阿賀松の言葉に、俺の頭は様々な推測をする。が、どう考えてもそれは俺にとって間違いなくいいことであるはずがなかった。
「……っ」
学校に来れなくなるほど。
それを一度体験したことがある俺からしてみれば、阿賀松のいう罰ゲームの効果は大きかった。
「……わかりました」なるべく動揺を悟られないよう声を抑えるが、自然と声が震えてしまう。
追伸、今週以内に実行しなければ俺が罰ゲームを受ける羽目になるらしい。
そう頭の中で呟く。なんだかもう生きた心地がしなかった。
間違いなく、上から覆い被さるこの男のせいだろう。
恐らく、命令の内容をすべて聞き出したであろう俺は、ただ阿賀松が上から降りるのを待った。
しかし、降りるどころかなにを思ったのか阿賀松は俺の肩口に手を伸ばし、制服のシャツの中に手を入れ鎖骨を撫でてくる。
「ちょ……っな、なんですか」
「いや、もうなくなってんなーって」
どうやら阿賀松はキスマークのことを言っているようだ。
もうあれから一ヶ月近く経ったのだから消えて当たり前ではないか。
残ってて堪るか。しれっとした顔で人の体を触ってくる阿賀松に、俺は「当たり前じゃないですか」と顔を強張らせる。
「せっかくだから新しいのつけとくか?」
「これじゃ寂しいだろ」ふと、思い付いたようにそんなとんでもない提案をしてくる阿賀松は嫌な笑みを浮かべた。
寂しいどころかこの状態が正常な俺からしてみれば先月のあれが異常なわけでして。
「……遠慮しておきます」
額に冷や汗を滲ませた俺は、言いながら覆い被さってくる阿賀松の胸を押し慌ててソファーから降りようとするが、やはり現実は俺に優しくない。
「遠慮すんなよ。俺たちの仲だろ?」
ソファーから降りるどころか阿賀松の下から逃げることすらできなかった俺は、目の前で笑う阿賀松に背筋を凍らせた。
俺たちの仲ってなんだよ。あれか、捕食被食的なあれか。
仰向けになった俺の背中に手を入れた阿賀松は、そのまま俺の上半身を抱き抱える。
無理矢理露出させられた肩口に顔を近付けてくる阿賀松に焦った俺は咄嗟に阿賀松の髪を引っ張ってしまい、それからはもうキレた阿賀松によって一方的な扱いを受けた。
思い出しただけで色々なところが痛くなってくるので敢えて省略する。
「ってことで、よろしくな。ユウキ君」
自分の服を直しながら、ソファーに横たわる俺の上から退いた阿賀松はそう言って笑った。
「一応お前には期待してんだからよ」と続ける阿賀松に、何故だか素直に喜べない。
全身が鉛のように重く、体の至るところがじんじんと痺れた。
着崩すどころか脱がされかけた状態のままぐったりと倒れる俺は、顔を動かし阿賀松の方に目を向ける。
「ああそうだ、詩織ちゃんに会いに行くんだったっけ。お前」
ふと、思い出したように口を開く阿賀松に、俺は「……そうですけど」と呻くように答えた。
先ほど声を上げすぎたせいか酷く声が掠れ、喉が痛む。
座面に手を付き、気だるい上半身を起こした俺は喉に手を当て、軽く咳払いをした。
「ユウキ君が行ってもまともに話せないと思うけどなぁ、詩織ちゃんと」
「……どうして」
「新しい部屋に引っ越し中で忙しいんだってよ。俺も追い払われたし」
ヘラヘラと軽薄そうな笑みを浮かべながら続ける阿賀松の言葉に、俺は阿賀松が阿佐美の部屋を訪れていることを確信した。
「あの、新しい阿佐美の部屋ってどこにあるんですか?」なんで阿賀松が阿佐美の部屋に行ったのかとか、他に気になったことはあったが、取り敢えず俺は知りたかったことを阿賀松に問いかける。
先ほどは質問に答える代わりに理不尽な要求をされないか心配でなにも聞けなかったが、阿賀松にやりたい放題された今なら無償で答えてくれてもいいはずだ。
恐る恐る尋ねる俺に、阿賀松はこちらに目を向ける。
「やだ。教えてやんねー」
ふと表情から笑みを消す阿賀松は、そう言ってふいとそっぽ向いた。
『子供か』と突っ込みたくなったが、仕方ない。
先ほど聞かなかった俺が悪い。
これ以上、阿賀松からなにも聞き出せないだろう。
つんと不貞腐れたような顔をする阿賀松を横目に、諦めた俺は乱れた自分の衣服を整えることにした。
やはり、教師か寮長か誰か阿佐美の部屋がわかるような人に聞くしかないようだ。
それに、芳川会長にも会いに行かなくてはいけない。阿賀松のせいで多少時間が無駄になったが、それは仕方ない。わすれよう。
「そうだ、ユウキ君。携帯持ってる?」
不意に、気を取り直した阿賀松は言いながら俺に目を向けた。
いきなり携帯の話題を振られ、俺はギクリと体を強張らせる。なんだ、なんでそんなことを聞くんだ。
「いや、まあ、持ってますけど……」
どういうつもりで阿賀松が携帯のことを聞いていたのかがわからなくて、動揺する俺は声を上擦らせながらも答える。
「あ、一応持ってるんだ」俺の言葉に少し驚いたような顔をした阿賀松は、俺の目の前に手を差し出した。
「……?」
いきなりの阿賀松の動作に意味がわからなかった俺は、頭上に疑問符を浮かべながら阿賀松に目を向ける。
「なにボケてんだよ。ほら、さっさと携帯出せって」
もたもたする俺にイラついたのか、阿賀松は目の前で軽く手を動かした。
ああ、なるほど。この手は携帯を渡せってことか。
目の前の阿賀松の手を眺めていた俺は、そこまで考えて硬直する。
なんで阿賀松が俺に携帯を出せと強要するのかがわからなくて、もしかしたらただ番号を聞きたいだけなのかもしれないと希望的な判断をしてはみるが、もしかしたらそのままアドレス帳を勝手に見られ父親含む身内数人しか登録していないアドレス帳を嘲笑われるかもしれないという可能性ももしかすると……。
「早く出せって言ってんだろうが!」
阿賀松の怒鳴り声に思考が止まり、慌てて俺はベッドの側に置いていた携帯電話を取りに行った。
本当に気が短い。
普段からあまり使わない携帯を手にした俺は、バタバタと阿賀松の元まで戻ってきた俺は、「持ってきました」と肩で息をしながらいう。
「ほら、赤外線で送れよ」
制服から自分の携帯電話を取り出した阿賀松は、そう言って俺に携帯電話の先端を突き付ける。
「……赤外線?」携帯電話を手にした俺は、阿賀松の言葉に困惑した。
まともに携帯電話を扱ったこともなければ説明書を読むこともしなかった俺がその赤外線とやらをすぐに出せるわけがなく、携帯を開いたまま俺は固まる。
「……どうしたんだよ」
どのボタンを押せばいいのかすらわからず、画面を眺めたまま冷や汗をだらだらと流す俺を不審に思ったようだ。
「あの……実は、こういうの使い慣れてなくて……」このまま黙り込んでまた阿賀松をイライラさせたくなかった俺は、そう阿賀松から視線を外ししどろもどろと言い訳を口にする。
「お前なんで携帯もってんだよ」俺の言葉に呆れたような顔をする阿賀松だったが、やがて諦めたように溜め息をついた。
「もういい、さっさと貸せ」
言いながら俺の手から携帯電話を取り上げる阿賀松に、俺は目を丸くする。
「ちょっと、ダメですって」もしかしたら悪用されるかもしれないと焦った俺は、慌てて阿賀松に盗られた携帯電話を取り返そうと手を伸ばした。
「あーもう、うっせえっての」しかし、それは面倒くさそうに舌打ちをする阿賀松によって払われる。
「俺の番号教えてやるっつってんだから大人しく待っとけよ」
そう一方的なことを言い残し、俺に背中を向けた阿賀松は二個の携帯電話を両手に持ちなにやら操作し出した。
阿賀松に釘を刺された俺は、どうすることも出来ずソワソワとしながら大人しく阿賀松を見守る。
「ほら」
暫くもしないうちに、無事、俺の携帯電話は阿賀松の手から返された。
「芳川とヤるとき、なんでもいいから連絡しろよ」携帯電話を手にした俺に、阿賀松はそれだけを言えばそのまま玄関口へと向かって歩いていく。
阿賀松が自室から出ていくのを横目で見送った俺は、たどたどしい手付きでアドレス帳を開いた。
あの行には確かに阿賀松の名前が新しく登録されている。
この学校へ来てから初めて連絡先を交換した相手がよりによって阿賀松だなんて。
しかも理由が理由なだけ素直に喜べない。
そんな事を思いながらページの少ないアドレス帳をスクロールしていると、ふと、登録した覚えのない名前を見つけた。
『志摩亮太』
よく知ったクラスメートの名前と連絡先に、俺は背筋が薄ら寒くなるのを感じた。
あれ、俺いつ志摩と連絡先交換したっけ。昨日、志摩が部屋に泊まりに来たときのことを思いだす。
まさか、俺がいない隙に勝手に携帯電話を弄ったんじゃないだろうな。
そうは思いたくなかったが、普通に考えてそれしかない。
徐々に増えていくアドレス帳の名前に、素直に喜べないのはきっと俺の感性の問題だけではないはずだ。
携帯電話を閉じ、俺は静かにそれをテーブルの上に置く。
いつの間にかに増えていた志摩の名前を消そうか迷ったが、俺がそれを実行することはなかった。
自分がどういうつもりなのかは、俺自身よくわからない。
阿賀松のいなくなった部屋の中、酷い疲労感に襲われた俺はげっそりしたまま自室を後にする。
自室から廊下に出た俺は、予め持ち歩いている部屋の鍵を使い、扉に鍵をかけた。
芳川会長や五味のことも気になったが、取り敢えず先に阿佐美だ。
阿佐美には色々謝っておかなければいけないこともあったし、このタイミングを外せばずっとまともに顔を合わせられない気がしてならなかった俺は阿佐美の部屋を探すことにする。
職員室で聞くことも考えたが、ここからなら寮長室の方が早いかも知れない。
けど、俺自身寮長とあまり関わりないから話しにくいんだよな。
まあ、ただの人見知りなだけなのだけど。
ということで俺は担任がいるであろう職員室に向かうことにした。
戸締まりを済ませた俺は、一先ずエレベーターを使って一階に降りることにする。
来たとき同様人気のない廊下を通ってエレベーター前までやってきた俺。
扉の横に取り付けられたボタンを押しエレベーターを呼び出し、暫く俺はエレベーター本体がやってくるのを待った。
やがて、数分も経たないうちにエレベーターの扉が開く。開いた扉から覗く機内に人影はなく、内心安堵しながら俺はエレベーターに乗り込んだ。
エレベーター機内。
ボタンを押し扉を閉めた俺は、そのまま目的の階を一階に設定する。
静かなエレベーター機内、僅かなモーター音とともにエレベーターは降下し始めた。
芳川会長がああ言っていたくらいだったから、もしかして一人ぐらい部屋の前で待ち伏せしているかもしれない。
そう構えていたが、思ったよりも簡単に一人になることができたことになんだか俺は拍子抜けする。
まあ、やっぱり皆忙しいだろうし。
ここ最近誰かと行動していたせいか一人ということになんとなく寂しいものを感じたが、堂々と監視されるよりかは遥かにいいだろう。
そこまで考えたとき、エレベーターが停まり扉が開いた。
どうやら目的地である一階についたらしい。
開く扉に手をかけ、そのままエレベーターを降りた俺は辺りを見渡しながらロビーに出る。
「どこかお出掛けですか?」
その時だった。不意に、すぐ背後から淡々とした高揚のない声が聞こえてくる。
聞き覚えのあるその声に、咄嗟に俺は背後を振り返った。
灘だ。振り向いたすぐそこに相変わらずのポーカーフェイスな灘の顔があり、いつの間にかに背後に立っていた灘に俺はリアルに血の気が引いていくのを感じた。
いつの間に……っていうか近い。余裕で近い。
予想外な灘との遭遇に青ざめた俺は、「ちょっとトイレに行こうかと」と適当な理由を口にしながら灘から離れた。
「トイレなら上にもあるはずですが」
うん、だよね。
「やっぱ今のはなしで」淡々と指摘してくる灘に痛いところを突かれた俺は、そう即答する。
「で、どちらへ?」
手ぶらで制服のままなところからして、どうやらまだ灘は寮に帰ってきたというわけではなさそうだ。
はぐらかし切れてない俺に対し、灘はそうストレートに尋ねてくる。
「……ちょっと職員室に」
「職員室ですか。どうかされたんですか?」
「まあ、その、色々あって」
「成る程、わかりました。では行きましょうか」
人の話を聞いているのか聞いていないのか適当に俺の言葉に相づちを打つ灘は、そう言って俺に先を行くよう視線で促す。
どうやら、もしかしなくても灘は俺についてくるつもりのようだ。
「どうかしましたか?」黙り込んだまま動こうとしない俺に、灘はそう声をかけてくる。
「……いや、あの、文化祭の準備とか生徒会って仕事とか忙しいんじゃないのかなって思って」
「あれだったら、俺は一人で大丈夫だから」そう、俺が遠回しに『ついて来なくてもいい』と灘に伝えると灘は特に顔色を変えるわけでもなく「これも仕事ですから」と答えてくれた。
仕事と言うより芳川会長の個人的な頼み事と言った方が俺的にはしっくりきたが、会長の元で仕事をしている灘からしてみればどちらも大差ないのだろう。
「……そうなんだ」
自分で聞いておきながらどういう反応をしたらいいのかわからず、灘から視線を逸らした俺はそう味気のない言葉を返した。
「用があるのでしたら、急いだ方がいいんじゃないんですか」そんな俺を一瞥した灘は、そう静かに玄関口に目を向ける。
確かに、それもそうかもしれない。
どうやってもついてくるであろう灘を追い払うためにこんなところで駄々を捏ねても時間の無駄だ。
小さく頷いた俺は、灘に促されるがまま玄関ホールから玄関扉を潜り学生寮を後にする。
なにも言わずに後ろからついてくる灘を気にかけながら、そのまま俺は校舎に向かって歩き出した。
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