天国か地獄


 04

「ごちそうさまでした」

 一人前の昼食を平らげた俺は、そう言って持っていた箸を皿の上に置く。
 十勝と灘の二人はすでに食べ終えており、同様昼食を平らげた芳川会長は食後のデザートに取り掛かっていた。
 江古田というとまだ食べ終わっていないようだ。明後日の方角を眺めながらもぐもぐと口を動かしている。
 空の食器を重ね、ソファーから立ち上がった俺はそれをテーブルの側に置かれたワゴンへと運んだ。

「もういいのか?」

 俺が遠慮しているとでも思ったのだろう。
 ケーキをフォークで刺す芳川会長は、片付けを始める俺に目を向けた。
「はい、まあ、お腹いっぱいになったんで」食堂から料理を運んできたワゴンに食器を戻しながら、俺はそう芳川会長に答える。

「そうか。ならよかった」

 芳川会長はそれ以上無理強いしてくるわけでもなく、嬉しそうに頷いた。
 俺はなんて答えればいいのかわからなかったので、そのまま笑って流す。

「あの、ご飯ありがとうございました。それでその、俺、そろそろ教室に……」

 戻らせてもらいます。食器を片付けた俺は、そうソファーでケーキを食べている芳川会長に声をかける。

「えー、佑樹もう帰んの?だったら俺も帰るー」

 一番に俺の言葉に反応したのは十勝だった。
 言いながらソファーから立ち上がる十勝は、ワゴンの側に立つ俺の元へやってくる。

「なんだ、もう帰るのか?もう少しゆっくりしていったらどうだ」

 さっさと生徒会室から出ようとする俺たちに、芳川会長は少しだけ寂しそうな顔をした。
 多少罪悪感を覚えたが、用がないのに生徒会室に部外者である俺がだらだら居座っているのもおかしい。
「忙しいところにいつまでもお邪魔しているわけにもいないので」言いながら、俺は生徒会室の壁にかかった時計に目を向ける。
 休み時間が終わるにはまだいくらか時間があったが、ここから教室に帰ったらたぶんギリギリになるはずだ。

「邪魔なわけないだろう」

 遠慮する俺に芳川会長は眉間をひそめ、心外だと言わんばかりの強い口調で言う。
 まさかそんなことを言われるとは思ってなくて、嬉しくなると同時になんだか生徒会室から出ていきにくくなってしまった。

「まーまーまー、会長。俺が佑樹を送っていくからいいでしょ、ね?」

 ふと、弱気になる俺に気付いたのか十勝は言いながら軽く俺の腕を掴んだ。
「ってことで、俺らはお先に失礼しまーす」そう笑う十勝は、俺の腕を引っ張りそのまま廊下へ繋がる扉へと歩いていく。
 終始納得いかなさそうな顔をしていた芳川会長だったが、強引な十勝に諦めたようだ。
「寄り道するんじゃないぞ」と声をかけてくる芳川会長に、俺は頷いてみせる。
 十勝に引っ張られるように生徒会室から廊下に出た俺。
「あー、悪い」生徒会室の扉を閉めてからようやく十勝は手を離してくれる。

「って、なんか前にもこんな会話した気がすんだけど」

 そう思い付いたようにいう十勝に、俺は「そういえば」と同意した。
 確か、昨日だったような……。そこまで思い出して、俺は慌てて思考を止めた。
 志摩と十勝のやり取りまで思い出してしまい、なんだから気まずくなってくる。

「そーいや昨日、亮太、佑樹たちの部屋泊まったらしいじゃん」

 遠慮する俺に気付いたのか、敢えて十勝は自分からその話題に触れてきた。
「ごめんな、まさか佑樹の方にとばっちり行くと思ってなくてさ」申し訳なさそうに笑う十勝に、俺は素で驚く。
 なんで十勝は志摩が俺たちの部屋に泊まりに来たって知っているんだ。

「いや、別にそれはいいんだけど……」

「……それ、誰から聞いたの?」寧ろ全くよくないのだが、十勝を責めても仕方ないとわかっていた俺は素直に気になったことを口にする。
 俺が言ってないのだから、必然的に志摩か阿佐美のどちらかが十勝に口を滑らせたか。それとも、志摩が俺たちの部屋にやってくる経緯を見ていたか。
 そんな些細なことまで気になってしまう自分の気の小ささにも嫌になってくる。

「……は?誰にって?……なにが?」

 が、どうやら俺の問い掛けには少なからず効果はあったようだ。
 そんなことを尋ねてくる俺に十勝は驚いたような顔をし、そのまま数歩後ずさる。
 顔を引きつらせ視線を逸らす十勝に、俺が感じていた違和感は大きくなった。

「つーかさあ、なんでもいいだろ、そんなの」

「変なこと聞くなよな、もう」挙動が怪しくなる十勝は、そう乾いた笑みを浮かべ「さっさと行こうぜ」と急かすように廊下を歩き出す。
「あっ、ちょっと……」さっさと歩いていく十勝に、俺は慌ててその後を追い掛けていった。
 広い廊下の天井、まるで俺たちを見張るかのように取り付けられた監視カメラは照明の光を受け、僅かにレンズを光らせる。
 十勝がいなくなった生徒会室前廊下、不意に足を止めた俺は防犯カメラに目を向けた。

 前に、十勝は俺の行動を見ていたと口を滑らせたことがある。恐らく、あの防犯カメラに記録されたものを見たのだろう。確証はなかったが、なんとなくそんな気がしてならなかった。
 だから、今回も恐らくあのカメラの映像が絡んでいるのだろう。
 生徒会役員はカメラの映像を見ることが出来るのだろうか。だとしたら、わざわざ俺を監視せずとも櫻田を探し出すことができるはずだ。
 全て俺の推測でしかなかったが、色々な可能性を考えれば考えるほど芳川会長の意図がわからなくなってくる。
 十勝の足音が段々遠くなっていくのに気が付いた俺は、カメラから視線を逸らし再び十勝の後を追い掛けた。
 いくつかの階段を降りたところで、ようやく十勝へ追い付くことができた。

「ちょっと、十勝君待ってよ……っ」

 階段の踊り場。立ち止まる十勝の背中に声をかける。しかし、反応はない。
 もしかして、さっき俺は十勝の機嫌を損ねるような真似をしてしまったのだろうか。
「……十勝君?」こちらを見ようともしない十勝が気になって、俺はそう恐る恐る十勝に近づいた。
 そこで俺は、踊り場から続く階段を見下ろす十勝の視線の先にあるものに気付く。

「……栫井」

 手摺に手をかけいくつか段差を登ったところに立っていた栫井は、上から降りてくる十勝と俺を見て少しだけ驚いたような顔をした。

「一年の教室はこっちじゃないだろ」

 俺から視線を逸らした栫井は、睨むように十勝に目を向ける。
「いや、別に俺は……」まさか十勝もここで栫井と遭遇するとは思っていなかったのか、気まずそうに視線を逸らした。
 妙に歯切れの悪い十勝に栫井は目を細め、その後ろにいた俺に目を向ける。

「……まさかお前、それの送り迎えやらされてんの?」

『それ』で俺のことを顎で軽くしゃくった栫井は、そう十勝に問い掛けた。
 遠慮の欠片もない栫井の言葉に、内心俺はむっとする。
 そのくせ図星を指してくるものだから質が悪い。
「……なんだよ、それって」俺のことを気遣ってくれているのか、十勝はそう絞り出すような声音で栫井に言い返す。

「俺は送り迎えやらされてんのかどうかを聞いてんだよ」

 庇ってくれる十勝の優しさはありがたかったが、どうやら栫井には効かなかったようだ。
 イラついたように眉間を寄せる栫井は、言いながら踊り場まで上がってくる。やけに食い付いてくる栫井に十勝も戸惑っているようだ。

「……そうだけど」

 叱られた子供のような顔をした十勝は、いいながら栫井から視線を逸らす。
 そう答える十勝に、栫井は少しだけ黙り込んだ。

「……てか、栫井お前、生徒会室に行くわけ?会長と喧嘩してたんじゃねーの」

「会長、すっげー怒ってたみたいだったけど」難しい顔をして黙り込む栫井に、十勝はそう思い出したように話し掛ける。
 十勝の言葉に、栫井は無言で十勝の方に目を向けた。

「……会長、怒ってたってたの?」

「五味さんと栫井のこと、あんなやつら放っておけって言ってた」

「ふーん」そう芳川会長の言葉の部分だけ声音を変える十勝(十勝なりの芳川会長の物真似のようだ)に、栫井は特に興味無さそうに受け流す。
「ふーんって、それだけかよ」あまりにも冷静な栫井の態度に、十勝は呆れたような顔をした。
 十勝としては芳川会長の真似の部分に反応して欲しかったらしい。
 不満そうな顔をする十勝に、「そっくりだったよ」と俺は慌ててフォローを入れる。
 小声でそう言う俺に、十勝は嬉しそうに笑った。
 正直ただ声変わっただけのような気がしないでもないが、素直に言えば傷付けてしまいそうなので俺はそれ以上黙っておくことにする。

「じゃあ、いいや」

 なにに対していっているのか、そう呟く栫井は言いながら俺の腕に手を伸ばした。
「……え、ちょ……なに」いきなり腕を掴まれそうになって、後退った俺は慌てて栫井の腕を掴む。
 防衛本能からうっかり栫井の腕を掴んでしまった俺は、咄嗟の自分の行動に冷や汗を滲ませた。
 俺が抵抗してくるとは思っていなかったのか、栫井は無言で俺に掴まれた自分の腕に目を向ける。

「十勝、お前一人で教室に戻れよ」

 俺の腕を無理矢理離すわけでもなく、そう続ける栫井は静かに十勝を見た。
「……はあ?」いきなりの栫井の発言に、十勝は目を丸くする。
 無理もない。俺自身、一方的な栫井の言動に何回も振り回された身だが、現在進行形でまた呆れさせられている。

「俺がこいつを教室まで送る」

「……いや、結構です」あまりにも強引な栫井の言葉に、つい俺はそう口に出してしまった。
 ジトリと栫井に睨まれ、慌てて俺は栫井から手を離す。

「なに言ってんだよ、いきなりお前……」
「なに、俺が送迎すんのになにか問題でもあるわけ?」

 栫井の言葉に、十勝は口ごもった。
 確かに、生徒会室で芳川会長が言っていた見張りの件なら副会長である栫井でも構わないはずだ。
 栫井とともに行動するなんて俺としては大問題だが、渋る十勝にもなんとなく疑問を覚えてしまう。
 もしかしたら十勝は、栫井と芳川会長が喧嘩していることを気にしているのかもしれない。

「こいつの見張りのことなら予め会長に聞いている」

「別に、お前が仕事をサボったなんて告げ口しない」栫井の提案に答えを迷っている十勝に、栫井はそう淡々と続ける。その栫井の一言に、十勝は少し驚いたような顔をした。

「……なんだ、栫井も聞いてたのか」

 どうやら、十勝は栫井が芳川会長から櫻田の件を聞いているのか聞いていないのかが心配だったらしい。
 小さく頷く栫井に、十勝は安心したように息をついた。

「なら、佑樹のこと任せるわ」

 ノリ軽。渋った割りにはやけにあっさり身を引く十勝に、俺は素で戸惑ってしまう。
 十勝はそう笑いながらそう栫井の肩をぽんと叩いた。
「ああ、こいつは俺が責任を持って送ってやる」素晴らしいくらいの棒読みで続ける栫井に、俺は顔をひきつらせる。

「午後から遊びに行くんだったんだろ?早くいってこいよ」
「おー!ありがとな栫井、まじで恩に着るわ!」

 どうやら、やけに太っ腹な栫井に違和感を感じているのは俺だけのようだ。
 十勝はそう嬉しそうに笑いながら、階段に目を向ける栫井の背中をバシバシと叩く。
「じゃあ、佑樹またな!」すっかりいつものテンションに戻った十勝は、そう俺に笑いかければそのまま段差をいくつか跳ばして階段を降りていった。
 もしかして俺、午後からの遊びの予定に負けたってことか?これは。
 嵐の如く立ち去っていった十勝に、取り残された俺はあまりの勢いに暫くその場で呆然としていた。
 声をかける暇もなく踊り場を去った十勝に、俺は目を丸くしたまま暫くその場を動けずにいた。そんな俺を一瞥した栫井は、なにも言わずにそのまま階段を上がっていこうとする。

「え、ちょ……っ」

 俺を教室まで送っていくとかいいながら正反対の方へ足を進める栫井に、俺は慌てて声をかけた。
 階段を上がっていく栫井を見上げる俺に、栫井は無言でこちらに目を向ける。

「……まだなにか用?」

 呼び止める俺に対し、そう眠たそうな目をした栫井はすっとぼけるようなことを口にした。
 なにか用って、自分から俺を送るとか言い出したんだろう。
 あまりにも白々しい栫井の態度に、俺は顔をひきつらせた。

「いや、あの……いま教室まで送るって……」

 そうしどろもどろと栫井に確認するように問い掛ける俺に、栫井は「ああ」と思い出したように口を開く。

「あれ嘘」

「俺、お前の面倒を見るほど暇じゃないし」顔色一つも変えずにそう淡々と続ける栫井に、少しでも栫井の言うことを信じてしまった自分が情けなくなってきた。
 そうだよな、俺の面倒見るほど生徒会は暇じゃないよな。しかもいまは文化祭間近だ。
 だからといってもう少し言い方というものがあるんじゃないのか。いまだ栫井の性格に慣れない俺は、栫井の一言一言にダメージを受けてしまう。

「ああ……そうなんだ」

 俺はそう栫井から視線を逸らしながら小さく答えた。自然と顔が強張る。
「……」そんな俺を眺めていた栫井は、そのまま顔を逸らし俺に背中を向けた。

「……見張り、俺は反対だから」

 不意に、背中を向けた栫井は誰にでもいうわけでもなくそう呟く。
「え?」いきなり妙なことを言い出す栫井に、つい俺は素っ頓狂な声をあげた。

「お前も邪魔だと思うんだったら、五味さんに相談しろ」

 どうやら、栫井は見張り役のことを言っているようだ。
 いきなり出てきた五味の名前に、俺は目を丸くして栫井を見上げる。
 どういう風の吹き回しだろうか。余程生徒会が俺のことで面倒をかかるのが気に入らないのか、それともただの気紛れか。恐らく、というか間違いなく前者だろう。
 栫井はそれだけを言えば、俺の反応を見るわけでもなくそのまま階段を上がっていった。

「ちょっと、待てって。よく意味が……」

 あまりにも一方的な栫井の言葉に、慌てて俺は栫井を呼び止めようとする。
 もう少し詳しい話を聞いた方がいいかもしれない。が、そんな俺の思案も知らずか、栫井はそのまま俺の目の前から姿を消した。
 ──お前も邪魔だと思うんだったら、五味さんに相談しろ。
 一人取り残された俺の脳裏に、先ほどの栫井の言葉が鮮明に蘇る。
 栫井は五味に会えと言っていた。なんで五味なのか疑問に思ったが、栫井の言葉を考える限り、どうやら五味も栫井と同じ考えを持っているのだろう。
 そこまで考えて、俺は先ほどの生徒会室に五味と栫井がいないことを思い出した。
 まさか、見張りのことを反対したから五味たちは芳川会長と揉めたんじゃないだろうな。
 踊り場に一人残された俺の頭に、そんな一つの考えが過った。
 ……だとしたら、生徒会が喧嘩してんのって俺のせいかもしれないってことか?
 根拠のない可能性にかわりなかったが、そう考えれば考えるほど俺は十勝たちに対して酷い罪悪感を覚えてしまう。
 栫井に言われた通り一度五味に相談しておいた方がいいかもしれない。もし生徒会が揉めた理由が俺のせいであろうとなかろうと、話してみないことには謝るにも謝れないし……それに、俺自身自分につく見張りのことを快く受け入れることはできなかった。
 とにかく、五味に会いに行こう。誰もいなくなった踊り場で、俺はそう自分に言い聞かせるように口の中で呟いた。

 十勝、栫井と別れ一人になった俺は取り敢えず教室へ戻ることにした。
 放課後迎えにくると言っていた江古田のことを思い出せば、早くでも五味に会いにいった方がいいとは思ったが肝心の五味がどこにいるのか俺にはわからない。
 生徒会室にはいなかったし、それに俺は五味のクラスがどこにあるかもしらなかった。
 栫井か十勝か、一度その辺に五味のクラスを聞いた方がいいな。手探り状態で下手に三年生の教室には近付きたくなかった。まあ、ただ俺が三年生が怖いってだけの話だけれど。おまけに、昨日生徒会室で聞いた栫井と十勝の会話を思い出す限り、五味は阿賀松と同じクラスと言っていた。とてもじゃないけど、五味より先に阿賀松と鉢合わせになるなんてことにはなりたくない。そう考えるなら、クラスに行くより五味の自室に押し掛けた方が安全のような気がしてきた。
 どちらにせよ、五味に会うためには五味のことを知っているやつに色々聞く必要がある。もう一度、栫井に話に行った方がいいかもしれない。
 俺は一人考え事をしながら、一つ一つ段差を降りていく。
 今日中に五味に会うことが出来れば幸いなのだけれど、多分それは無理かも知れない。
 とにかく、会長が考え直してくれればそれが一番いいのだけれど。
 今からでも栫井の後を追って階段を上がろうかと思ったが、今頃もう栫井は生徒会室についているはずだ。
 殺伐とした生徒会室の様子が安易に想像できてしまい、俺はそれを実行する気にはなれなかった。
 とにかく、教室に戻ろう。そう自分に言い聞かせながら、俺は重い足を動かし階段を降りていった。

 無駄に長い階段を降りた俺は、無事自分の教室まで戻ってくることができた。
 教室前の廊下では文化祭の準備に勤しんでいる生徒がいて、俺はそれから目を逸らしそのまま自分の教室の中へ入っていく。
 相も変わらず騒がしい教室内、忙しそうに文化祭の準備に取り掛かる生徒の邪魔にならないよう気を付けながら俺は自分の席まで歩いていった。
 やはり、志摩と阿佐美の姿は見当たらない。もしかしたら俺が生徒会室に行っている間に入れ違いになったのかもしれない。
 そう明るい解釈をしてはみるが、それはそれで自分の間の悪さになんとも言えない気分になった。
 椅子を引き、自分の席についた俺は愛らしい装飾を施された教室内に飾られた時計に目を向ける。
 思ったよりも早く教室まで帰ってくることができたようだ。
 時計の針は、休み時間終了十分前を指している。もう少し時間潰して教室に戻ってきた方がよかったかもしれない。
 余った休み時間をどう使うか迷った俺は、自習をして時間を過ごすことにした。

「あれ?齋籐、いつ戻ってきたの?」

 机の中から参考書を取り出そうとしたとき、不意に声をかけられる。
 ビニール袋を片手に、それを自分の机の上に置いた志摩は席についている俺の姿を見て驚いたような顔をした。どうやら、志摩もいま教室に戻ってきたらしい。

「今、だけど」

 教室まで走って戻ってきたのか、僅かに息を切る志摩に俺は目を向けた。
 いきなり志摩に話し掛けられ、少し戸惑いながらも俺はそう短く返す。
「そうなの?」志摩はそう俺に聞き返しながら、自分の席の椅子を引いた。

「一緒に昼食食べようかと探したのに、いつの間にかに齋籐いなくなってたから焦っちゃったよ」

 いいながら、志摩は机の上に置いていたビニール袋の中からおにぎりを取り出す。
 どうやら、いままで俺を探して教室を出ていたようだ。
 別に志摩とそんな約束を交わした覚えはなかったが、自分のせいで面倒をかけさせたと思ったらなんとなく申し訳なくなってしまう。

「……ごめん」
「いいよ別に。今やっとこうして齋籐が見つけることができたわけだし」

 項垂れる俺に、志摩はおにぎりの包装を破きそのままおにぎりを口にした。
 志摩なりに気にしなくていいと言っているのだろうけど、あまり嬉しく感じないのはその言い方に問題があるからなのだろう。
 涼しい顔して臭い台詞を口にする志摩に、俺は素で返答に困った。

「そういや、昼食はもう食べたの?」

 あっという間におにぎり一個を平らげた志摩は、ビニール袋から麦茶の入ったペットボトルを取り出しそのキャップを捻る。
 そんなことを聞かれると思ってもいなかった俺は、「えっ?」と素っ頓狂な声を洩らした。
 ペットボトルに口をつけた志摩は中の飲み物を喉に流し込み、それを机の上に置く。

「だから、昼食はもう食べたのって聞いてるんだよ」

 笑いながらそう俺に尋ねてくる志摩に、咄嗟に俺は頷いた。
 生徒会の人達と食べたとか、余計なことは言わない方がいいかもしれない。
 思いながら俺は志摩から視線を逸らし、そのまま机の上に参考書を置いた。
「ふーん」ペットボトルのキャップを閉めながら、志摩はそう呟く。

「誰と食べたの?」

 おにぎりの包装をビニール袋の中にいれながら、志摩はまた俺に質問してきた。
 寧ろ、尋問とでも言った方がいいのかもしれない。
 なんでそんなことを言わなきゃいけないのかわからなかったが、ここで口ごもって変に勘繰られたくない。

「……誰って、友達とだけど……」

 生徒会役員を友達と呼んでいいのか微妙なラインだったが、ちょっと見栄を張りたかった俺はそう視線を逸らしながら志摩に答える。嘘はついていないはずだ。
 一人で食べたと答えようかと迷ったが、嘘だとばれたときのことを考えたらまだこちらの方がましなような気がした。
「友達?」そう答える俺に、志摩は小さく喉を鳴らして笑う。

「誰と食べたの?」

 再度、同じ質問を投げ掛けてくる志摩に、俺は顔を強張らせた。
 曖昧な返答は認めないということだろうか。

「……だから、友達だって」

 しつこく尋ねてくる志摩に内心呆れながらも、俺もそれ以上のことは言わなかった。
 第一、その質問に答える必要性を感じないし、志摩が生徒会嫌いだということを知ったいま素直に答えるのは賢い判断とは思えない。
 食い下がる志摩と引こうとしない俺の間に妙な沈黙が走り、やがて、志摩は諦めたように笑いながら俺に目を向けた。

「齋籐って、俺以外に友達いるの?」

 机の上で頬杖をつきながらそんなことを聞いてくる志摩、俺はその言葉を理解するのに時間がかかってしまう。
 なにいってんだ、こいつ。取り敢えずそれが俺の感想だ。
「……」志摩なりの冗談なのかもしれないが、あいにく俺はその手の冗談にはめっぽう弱い。
 お前が言うかと言い返したかったが、それを実行するくらい俺に勇気はなかった。
 呆れた俺は目を丸くして志摩の顔を見詰める。

「……なんでそんなことまで言われなきゃいけないんだよ」

 腸が煮え繰り返そうになるのを堪えながら、俺はそう喉から絞り出すような声で呟いた。
 いつもの俺なら笑って流そうとしていただろうが、なんでだろうか。
 昨日のこともあってか、俺は志摩の言葉を流すことができなかった。

「なにって、冗談だよ」

「ごめんね。傷付いちゃった?」俺が聞き流さないことに驚いたのか、少し意外そうな顔をしながら志摩はそう笑いかけてきた。
 冗談だと言えば、俺が笑って聞き流すとでも思っているのだろう。
 面白くない。けれど、これ以上感情的になっても仕方ないと悟った俺は、込み上げてくる不快感を堪えた。
 きっと、我慢せずに言いたいことを好きなだけいえたらこんな気持ちにならずに済むのだろう。

「いいよ、別に」

 言いながら俺は愛想笑いを浮かべようとするが、自然と頬の筋肉が引きつり上手く笑えない。
 そっぽ向く俺に、志摩は「そう」と短く答える。

「でも、齋籐って本当分かりやすいよね」

「顔に出てるよ」不意に、志摩はそんなこといいながら俺の顔に手を伸ばした。
 何事かと思って志摩の方を向こうとした瞬間、強張った頬を指で摘ままれ俺は慌てて志摩の腕を払おうとする。

「最近、齋籐って俺と話してるときずっと嫌そうな顔してる。気付いてた?」

 言いながら、志摩は俺の頬から手を離した。
 軽く引っ張られじんじんと痛み熱を持ち出す頬を擦りながら、俺は志摩に目を向ける。
 誰のせいだと思っているんだとか、わかってるならなんで話し掛けてくるんだとか、なんでそんなことをわざわざ俺に言うのかとか色々言いたいことはあったが、いま口を開けば余計なことまで言ってしまいそうな気がして俺は固く口を閉じた。

「なのに俺から離れようとしないもんね、齋籐は」

「俺、齋籐のそういうところ好きだよ」なにがいいたいんだ。
 他の生徒がいるにも関わらず告白じみたことを口にする志摩に、俺は顔をしかめる。
 幸い周りの生徒は各々文化祭の準備に集中していてこちらの様子に注目しているようなやつはいなかったが、この状況だ。いつどこで誰に話の内容を聞かれても仕方ない。

「……ありがとう」

 どう返せばいいのか迷った末、俺はそう言いながら席を立った。
 嫌味にしか聞こえない志摩の言葉だったが、俺はそう適当にお礼をいいそのまま志摩から離れようとする。
 これ以上志摩と話してたら、そのうち我慢できなくなってキレてしまいそうだ。
 そんなことはまずないとは思うが、この状況が不愉快なことには違いなかった。

「ねえ」

 そのまま教室から立ち去ろうとして、不意に椅子を引く音とともにいきなり腕を掴まれる。

「怒ってるの?」

 俺の腕を掴み無理矢理俺の足を止めさせた志摩は、少しだけ不安そうな顔をしてそう俺に問い掛けてきた。
 あんなことを言われて怒らないやつがいるわけないだろう。
 思ったが、恐らく志摩はわかってて聞いているのだろう。
「……」無言で志摩に目を向けた俺は、掴んでくる志摩の手を振り払った。

「……別に、怒ってないよ。志摩の言う通り、俺友達いないし」

 そこまで言って、俺は慌てて口を閉じた。
 一瞬、自分がなにを言っているのかわからなかった。
「……っ」志摩を宥めるつもりで開いた口からは無意識に出たその言葉に、俺は顔を強張らせる。

「だから、冗談だって。ムカついたからちょっとからかっただけだよ」

 俺の言葉に驚いた志摩は、ばつが悪そうに顔をしかめる。
「真に受けないでよ」そう続ける志摩に、俺は志摩から視線を逸らした。
 ムカついたって……俺はまた気付かないうちに志摩を怒らせるようなことを言ったのだろうか。
 志摩なりにフォローしてくれているのだろう。黙り込む俺に、志摩は「怒らないで」と困ったような顔をして呟いた。

「だから、怒ってないって」

 どうしても俺が怒っているように感じるらしく、弱気になってくる志摩に俺は「気にしないでいいから」と付け足す。
 確かに怒ってないと言えば嘘になるが、自分から喧嘩吹っ掛けてくるようなことを言っておきながらここまで弱気になる志摩も志摩だ。
 言ってから、言い過ぎたと感じたのだろう。
 志摩がよくころころ表情が変わるタイプの人間だと知ってはいたが、やはりいつになっても慣れない。

「なら、どこ行くの?」

「俺がいないところ?」席を立つ俺が自分から逃げようとしていると思ったのだろう。
 俺に目を向ける志摩は、そう自嘲染みた言葉を口にした。
 どうしたらそんな自虐的な考えに至るのだろうか。まあ、当たっているんだけど。

「どこって……トイレだよ」

 被害妄想が強い志摩を下手に煽って逆上させたくはない。
 俺はそう短く答えれば、志摩に背中を向けてそのまま教室前廊下に向けて足を進めた。
 面倒だと言えばそこまでだが、これ以上志摩と話しているとこっちにも限界が来てしまいそうで。
 とにかく志摩から離れたかった俺は、志摩が「俺も行く」とか言い出す前に逃げることにする。

「……」

 教室の扉から廊下に出たとき、そこでようやく俺は後ろからピタリとついてきている志摩に気付いた。
 歩幅を合わせていたたのか志摩の足音に気づかなかった俺は、振り返れば真後ろに立っている志摩を見て顔を引きつらせる。
 食い付いてきた割りにやけに大人しいなとは思っていたが、まさかついてきているとは思わなかった。

「いかないの?トイレ」

 志摩の顔を見たまま硬直する俺に、志摩はなんでもないようにそう問い掛けてくる。
 志摩から逃げるための適当な口実でトイレと言ったのに、なんで志摩と一緒に連れションしなければいけないんだ。

「……おさまった」

 諦めたように俺はそう呟けば、再び通ってきた場所を通り教室の自分の席に戻る。
 あまりにも不自然な行動を取る俺に、志摩はなにも言わずについてきて、俺の隣にある自分の席に腰を下ろした。

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