天国か地獄


 03

「……会長ー、いまのはないっすよー」


「心臓に悪いって、まじで」緊張の糸が解けたように、十勝は頬を緩ませ大袈裟に肩を竦め、笑った。

本当、その通りだ。

「悪い。やりすぎた」ばつが悪そうな顔をする芳川会長は、言いながら俺の襟から手を離した。
「苦しかっただろう。ごめんな」芳川会長はそう俺に囁けば、そのまま向かい側のソファーへと戻っていく。
そこへ、タイミングを見計らった灘がティーカップを複数乗せたトレーを片手に戻ってきた。


「いきなり乱暴な真似をしたのは申し訳ないとは思うが、これでわかっただろう。齋籐君、君には見張りをつけさせてもらう」


「齋籐君が嫌だといっても、絶対にだ」四人分のティーカップをテーブルの上に置く灘を一瞥した芳川会長は、そう静かに続ける。

どうやら、芳川会長は俺を試していたようだ。
もし、俺が芳川会長を殴ってでも離していたら会長は諦めてくれたのだろうか。
正直、油断していた。
喧嘩や暴力などと縁がなさそうな芳川会長に勝てる自信がなかったと言えば嘘になる。
しかし、実際は違った。
その容姿や振る舞いからは想像のつかないような力を持っていた芳川会長に、俺の心臓はいまでもまだ煩く鳴っていた。
年の差とか、そういうレベルじゃなかったような気がする。
先ほどの芳川会長とのやり取りを思い出した俺は、冷や汗を滲ませながら首元を擦った。


「別に、俺は君に意地悪をしようというわけじゃないんだ。……わかってくれないか」


黙り込む俺に段々弱気になってきたのか、芳川会長はそう申し訳なさそうに呟く。
俺の意思関係なしに見張りをつけると強気に出た芳川会長だったが、やはり多少俺に対しての気まずさを感じているようだ。
そんなことを言われると、なんだか罪悪感が芽生えてこちらまで申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

なにか言おうとはするがなにを言えばいいのかわからなくて、俺は気を紛らすようにテーブルの上に置かれたティーカップを手に取った。
ある日のことを思い出した俺は、そのままティーカップに口をつけようとして思わず躊躇ってしまう。


「変なものは入れてないのでご安心を」


そんな俺の心情を読み取ったのか、芳川会長の座るソファーの側に再び立った灘はそう相変わらずの無表情で続けた。
わざわざ飲み物を用意してくれた灘を疑ってしまった自分が恥ずかしくなって、俺は「すみません」と慌てて謝りそのままティーカップに口をつける。
中身は、普通の紅茶だった。


「そういうことだから、放課後は江古田君が迎えに行くからな」


紅茶で喉を潤わせていると、気を取り直した芳川会長はそう江古田に目を向け、続けた。
まさか一般生徒の見張りがつくとは思ってもいなくて、うっかり俺は持っていたティーカップを落としそうになる。

なんで江古田がこの生徒会室にいるのか気になったが、そういうことか。
「……」芳川会長に名指しされた江古田は、なにも言わずにぼんやりとテーブルの上に置かれたティーカップに視線を落とす。


「でも、いまの時期は文化祭の準備で忙しいですし、江古田君のクラスもきっと……」


流石に無関係の江古田に迷惑をかけるのは申し訳ない。
そう思った俺は、思い付いたように文化祭の話題を口にする。


「……そのことだけどさー、一年って出し物ねーから授業殆どないんだよね」


必死な俺の心情を悟ったのか、十勝は言いにくそうにそう続けた。
そういえばと、俺は昨日十勝がそんなことを言っていたことを思い出す。
どうやら俺は墓穴を掘ってしまったようだ。


「そっ……それなら、ほら、江古田君にだって友達との付き合いとかそういうのがあるんじゃないですか」


どうしても江古田を捲き込みたくなかった俺は、そう思い付いたように話題を振る。
「……僕、友達いないんで……」隣の隣からボソボソと聞こえてくる江古田の声に俺はしまったと青ざめた。
どうやらこの手の話題はタブーだったらしい。
「え、あ、ご、ごめん……なさい……」弱々しく呟く江古田に、段々俺の方まで語尾が弱くなってしまう。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……」


生徒会室内の空気がズンと重くなり、俺たちの間に痛い沈黙が流れた。
どっ、どうしよう……。
お通夜のような雰囲気の生徒会室に、俺は内心冷や汗を滲ませる。

すると、この空気に耐え兼ねたのか、芳川会長はわざとらしく咳払いをしてみせた。


「とにかく、そういうわけだ。江古田君、頼んだぞ」


どういうわけかはわからなかったが、芳川会長も他に言葉が見つからなかったようだ。
「……わかりました……」そう言いながらティーカップを手に取る芳川会長に、江古田はそう小さく頷いてみせる。
どうやら、一応江古田はこの件に関しては異論はないようだ。
櫻田と面識がある江古田がいてくれた方が心強いのには間違いないのだが、やはり申し訳なくなってしまう。


「そういえば、佑樹。お前さ、昼食まだ食ってないだろ?一緒に購買いにいこーぜ」


不意に、十勝はそんなことを言い出した。
言われてから、俺は自分が朝食すらまともに食べてないことを思い出す。
確か教室に灘から貰ったサンドウィッチがあったはずだが、十勝なりに落ち込む自分を気遣ってくれていると思ったらなんだか断れず、俺は小さく笑いながら「わかった」と頷いた。
サンドウィッチは後から食べればいいだろう。


「なんだ、いまから購買いくつもりか?それならここに持ってこさせればいいだろう」


俺と十勝のやり取りを見ていた芳川会長は、灘に目配せを送った。
「なにを頼みますか?」静かに芳川会長に聞き返す灘に、芳川会長は「適当に持ってこさせろ」と答える。
灘は無言で頷き、そのまま壁にかかったインターホンの元へ歩いていった。


「おっ、会長ー気が利くじゃないっすかあ」


芳川会長の言葉に、十勝はそう楽しそうに笑う。
「お前に言われるとなんだか嬉しくないな」笑う十勝に、芳川会長はつられるように小さく笑った。
先程までの重苦しい空気はなくなり、生徒会室にはいつもの賑やかな雰囲気が流れ始める。


「すぐ持ってくるそうです」


どうやら注文を終えたようだ。
戻ってきた灘に、芳川会長は「ご苦労だったな」と答える。
灘が注文したから前のようにバカみたいな量が運ばれてくることはないのかもしれないが、やはり少し心配になった。


「あーどうせなら五味さんたちもいたらなあ。あ、そうだ。俺、五味さんたち呼んできましょーか」


ソファーの背凭れに凭れかかり、ぐっと伸びをした十勝はそう思い付いたように芳川会長に声をかける。
それで栫井が来るのはあまり不本意ではなかったが、どうせなら賑やかな方がいいという十勝の気持ちはよくわかった。
仲のいい生徒会を見ているのは、少しは妬けたが嫌いではない。

だからこそ、俺は芳川会長の言葉に耳を疑った。


「あんなやつら放っておけ」


浮かべていた笑みを消した芳川会長は、そう冷たく吐き捨てる。

あまりにも素っ気ない芳川会長の言葉に、俺は驚いたように会長に目を向けた。
さっきまで楽しそうに笑っていた十勝の笑みが凍り、灘はなにも言わずに視線を逸らす。

いつもの芳川会長からは想像できないくらい冷たいその言葉に、俺は違和感を覚えずにはいられなかった。


「……」


なんなんだ、この空気は。

芳川会長の発した一言に静まり返る生徒会室内。
俺はどうすることも出来ず、芳川会長から視線を逸らした。
五味と栫井がこの場にいないこととなにか関係あるのだろうか。


「……すみません。俺……」


冷めた芳川会長の反応に、十勝はそう気まずそうな顔をして小さく俯く。
なんで十勝が謝るのか気になったが、そんなことを聞けるような雰囲気ではない。
「……」自分の失言に落ち込む十勝から視線を外した芳川会長は、十勝をフォローするわけでもなく無言でティーカップを手に取り、そのまま口をつける。

もしかして、あれか、会長と五味たちの間でなにか揉め事が起きたのだろうか。
内輪揉め。
そんな言葉が俺の脳裏を過る。
十勝を慰めたいところだが、生徒会の事情を知らない俺が口を挟むのも野暮な気がして、俺はどうすることもできずに自分の足元に視線を落とした。


「……あー、俺、ちょっとトイレ行ってきます」


自分がつくったこの沈黙に耐えられなくなったのか、十勝はそう言いながらソファーから腰を上げる。
ただでさえ重苦しい生徒会室の雰囲気に潰されそうだというのに、十勝までいなくなってしまったら俺はそのまま押し潰されてしまいそうだ。


「……俺も、トイレ行ってきます」


ソファーから立ち上がる十勝に続くように、俺はソファーから腰を持ち上げる。

正面に座る芳川会長の目がこちらに向いた。
ついてこようとする俺に十勝は驚いたような顔をしたが、なにも言わずにそのまま生徒会室の扉へと歩いていく。
俺は先に生徒会室を後にしようとする十勝を追いかけた。

背中に突き刺さる強い視線を感じ、自然と鼓動が早くなる。
扉を開き生徒会室前廊下に出る十勝に続いて、視線から逃げるように俺は生徒会室を出た。

生徒会室前廊下。
先に廊下へ出てた十勝は、どうやら俺を待ってていてくれたようだ。
扉の側に立っていた十勝は、ついてきた俺を見て頬を緩ませる。


「行くんだろ、一緒に行こーぜ」


もしかして嫌がられるかもしれないと思っていただけに、どこか安心したような十勝の様子は意外だった。
頷き返す俺に満足そうな顔をした十勝は便所へと向かって足を進める。
別に尿意はなかったが、十勝の様子が気になった俺はそのまま十勝の後についていくことにした。


学園内、男子便所前。
本当に用を足しにきたらしい十勝の後を追ってやってきた俺はさっさと用を済まし、便所の前で十勝が出てくるのを待っていた。


「あー、スッキリしたー」


便所で髪をいじっていたのだろう。
ようやく便所から出てきた十勝に、俺は顔を上げた。
だいぶ待たされたような気がしたが、早速いつものテンションに戻った十勝にわざわざ文句を言う気にもなれなかった。


「それじゃ、戻ろうか」


気を取り直した十勝に内心ほっとしながら、俺はそう十勝に声をかける。
瞬間、先程まで綻んでいたはずの十勝の表情が浮かないものに変わった。

どうやら、十勝は生徒会室に戻りたくないようだ。
あまりにもわかりやすい十勝の反応に、俺は進めようとした足を止めた。
不貞腐れたような顔をしてその場から動こうとしない十勝に、俺はどうしようかと困惑する。


「……十勝君」


「あー……やっぱ戻らないとダメだよなあ」


遠慮がちに声をかければ、十勝は諦めたようにそう溜め息をついた。
もしかしたら、俺がついてこなかったらそのままどっかへ逃げるつもりだったのだろう。


「……会長と五味先輩たちって、なんかあったの?」


重い足取りで生徒会室へと歩き出す十勝に、俺は咄嗟に声をかけた。
俺がそんなことを聞いてくるとは思っていなかったのだろう。
問い掛ければ、十勝は驚いたような顔をして俺の方を見た。

俺自身、自分から首を突っ込むような真似をすることになるとは思っていなかったが、やはり先ほどの芳川会長の態度が気になって仕方がなかったのだ。


「……」


暫く俺の顔を見ていた十勝は、難しい顔をしながら黙り込む。
やはり、野暮だったかもしれない。
困ったような十勝の様子に、俺は自分の取った言動を後悔した。
そのとき、難しい顔をしていた十勝は重い口を開く。


「……俺はその場にいなかったからよくわかんねーんだけど、なんかさあ、昨日、五味さんたちと会長が口喧嘩になったらしいんだよね」


「……まさか、まだ仲直りしてないとは思ってなかったけど」渋い顔をして溜め息をつく十勝は、本当に凹んでいるように見えた。
五味たちとも会長とも仲がいい十勝からしていまの生徒会の状況は息苦しくて仕方がないのだろう。

それにしても、昨日か。
十勝がいなかったからということは、放課後、俺が栫井に連れられて寮まで戻った後にまたなにかあったというのか。
それとも、あのときにはもう内輪揉めが起きていた後だったのか。
気はなったが、その現場に居合わせていなかったという十勝にこれ以上聞き出してもなにも出ないだろう。


「そうなんだ。……早く仲直りしたらいいのにね」


いまの俺にはこう当たり障りのない慰めを口にすることができなくて。
そう十勝に声をかければ、十勝は「だよな」と笑った。


生徒会室に戻ると言う俺に対し、渋々ながらも十勝はついてきてくれた。
多少乗り気ではなかったが、やはり注文した昼食のことが気になったようだ。

生徒会室前廊下。
十勝とともに生徒会室前まで戻ってきた俺は、扉の前に立ちドアノブに手を伸ばした。
そのまま生徒会室の扉を開けば、開いたその隙間から食欲をそそるようないい匂いがしてくる。
どうやら俺たちが出ていっている間に昼食が運ばれてきたようだ。


「ああ、おかえり。二人とも遅いから先に食べさせてもらったよ」


生徒会室に入ってくる俺と十勝を見て、ソファーに腰を下ろしていた芳川会長は言いながら小さく笑う。
「すみません、ちょっと長引いちゃって」笑いながらそんなことを口走る十勝に、芳川会長はわざとらしく咳払いをした。
十勝の一言に、丁度食べ物を口に含んでいた江古田の顔色がじわじわと悪くなっていく。


「ほら、早く座ったらどうだ。冷めるぞ」


芳川会長に促され、俺と十勝は先ほど座っていたソファーの元へ歩いていった。
テーブルの上に置かれた料理を一瞥し、俺はソファーに腰を下ろす。
その隣に、十勝は座った。

どうやら、いつも通りの芳川会長に戻ったようだ。
安心はするが、やはり先ほど十勝が言っていたことを思い出すとやるせない気持ちになる。
それに、さっきの冷たい芳川会長の言葉だ。
人間喜怒哀楽があって当たり前だとは分かっていたが、なんだかんだ優しい芳川会長があんな風に五味たちをあしらったことが俺の中で結構きていた。
優しい芳川会長と仲がいい生徒会というイメージがあったからこそ、尚更だ。


「どうした、食べないのか?」


テーブルの料理を眺めたまま思案に更ける俺を不審に思ったのか、芳川会長は不思議そうな顔をしてそう俺に声をかける。
「あっ、すみません……いただきます」慌てて顔を上げた俺は、手前に置かれていた箸を手に取りテーブルの上に置いてあった料理に手をつけた。


「ああ、時間ならまだたっぷりあるんだ。ゆっくり食べていってくれ」


料理を口にする俺を眺めながら、芳川会長はそう静かに笑う。
なんとなく居心地が悪く感じてしまうのは芳川会長の視線があるからだろうか。
料理を口に含んだ俺は、芳川会長に小さく頷き返す。

俺に構うよりも先に、五味たちと仲直りしてくれないだろうか。
十勝の二の舞になりかねないので、もちろんそんなこと口に出せないけど。

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