天国か地獄


 02

 コンビニを出てそのまま俺は灘に連れられるように寮の外にまでやってきた。
 暖かい気温の中、そこでようやく灘は俺から手を離す。
 俺はじんじんと痛む掴まれた箇所を擦りながら、何事かと灘に目を向けた。

「申し訳ありません、こうした方が早いと思ったのでやらせていただきました」

 相変わらずの無表情でそう答える灘に、俺はどう答えればいいのか迷う。
 恐らく、志摩から俺を離そうとしてくれたのだろう。
 正直、さらにややこしいことになったような気がするが自分を思ってくれた上での相手の行動を咎める気にはなれなかった。

「ありがとう……ございます」

 丁寧な灘の口調につられ、俺まで敬語になってしまう。
 そう小さく頭を下げる俺に、灘はなにも言わなかった。

「……これ、どうぞ」

 周りに目を向けた灘は、言いながら持っていた買い物袋を俺に手渡す。
「え、あの……これ」さっきコンビニで灘が買ったやつじゃないのか。
 買い物袋を受け取った俺は、驚いたような顔をして灘に目を向ける。

「好きなのがあれば貰ってください」

 そうぶっきらぼうに呟く灘に、俺は買い物袋の中を覗いた。
 中には複数の惣菜パンが入っている。
 どうやら灘は自分が無理矢理コンビニから連れ出したことを悪く思っているようだ。
 多くは語らない灘に、俺は本当に貰っていいのか迷ってしまう。

「いや、でも……なんか悪いし……」
「貰ってください」

 どうやら俺に拒否権はないらしい。
 無表情の灘に見据えられ、俺は開きかけた口を閉じた。
「……はい」見かけに寄らず強引な灘に気圧された俺は、言われた通り適当な惣菜パンを選ぶことにする。
 無難にハムサンドを手に取った俺は、買い物袋を灘に返した。

「一個でいいんですか?」
「え、あ、はい」

「そうですか」しどろもどろになる俺に、灘は特に突っ掛かってくるわけでもなくそう小さく頷く。

「では、行きましょう」
「え?」
「せっかくですので教室までご一緒させていただきます」

「なにか問題でもありますか?」突拍子のない灘の言葉に、俺は戸惑えずにはいられなかった。
 ふと、昨日、五味が栫井に似たようなこと言っていたことを思い出した俺は口ごもる。
 問題はない。寧ろ一人でいるよりかはましだと思う。
 けど、それは下心がない場合での話だ。
 会長から言われたからという理由でわざわざ自分に付き合わせるのは、なんだか申し訳なくてしょうがない。

「問題ないみたいですね」

 返答に困る俺を一瞥した灘は、そういいさっさと歩き出す。
 大有りだ。そう言い返したかったが、こんなことで駄々を捏ねても仕方ないと諦めた俺は慌てて灘の後をついていく。
 灘の後ろをついていくようにして俺は教室前廊下までやってきた。
 一緒に登校、というよりも寧ろただ並んで歩いているといった方が適切なような気がする。
 俺たちの間には会話という会話はなく多少気まずい思いをしたものの、いつもより気が軽く感じた。
 恐らく、相手が無害だとわかっているからだろう。志摩や栫井といる時ほど緊張感はなかった。

「……あの、ここまででいいんで」

 教室前までやってきた俺は、俺に代わって扉を開こうとする灘を止める。
 流石に、同級生を召し使いのように扱えない。
 そう切り出す俺に、灘は扉から手を離しこちらに目を向けた。
「……え、あの……えっと」灘に無言で見据えられ、俺は思わず口ごもってしまう。瞬間。

「齋籐」

 背後から聞き慣れた声がして、俺はギクリと全身を強張らせる。
 恐る恐る背後を振り返れば、そこには険しい表情を浮かべる志摩がいた。

「……普通さあ、いきなり連れていったりするかな。ねえ、どういうつもり?」

 慌てて俺たちを追い掛けてきたのだろうか。
 小さく息切れをした志摩は、睨むように俺の側に立っていた灘に目を向ける。
「……」俺から視線を逸らした灘は、じっと志摩を眺めた。

「ねえ、口付いてないの。君」
「素行が悪い生徒には極力齋籐君を近付けないよう言われていますので」

 苛ついたように悪態を吐く志摩に、灘は相変わらずのポーカーフェイスで続ける。
 淡々とした灘の言葉に、俺は呆れたように目を丸くした。
 なんだそれ、初めて聞いた。誰からはとは答えない灘だったが、恐らくそう灘に命令したのは芳川会長だろう。そんな気がした。

「……なにそれ。俺が素行不良だとでもいうの?」

 灘の言葉に、志摩は心外そうに顔をしかめる。
 無理もない。誰だっていきなりそんなことを言われれば頭に来るだろう。
「ちょっと、灘君……」わざわざ志摩を煽るようなことを口にする灘に、慌てて俺は声をかけた。

「自分はそう伺ってますが、違うんですか?」

 止めようとする俺に構わず、そう灘は志摩に答える。
 恐らく、灘にとってこれは素なのだろう。
 あまりにも素直すぎる灘に、俺は冷や汗を滲ませた。

「……よくそんなこと言えるね、俺に失礼だとか思わないの?」

 顔を引きつらせた志摩は、そう言いながら灘に近付いた。
 一触即発な雰囲気に、廊下にいた生徒たちは見て見ぬフリをしながらこちらに聞き耳を立てる。
 どうしよう。下手に騒ぎを大きくして悪目立ちはしたくない。でも、どうやって止めればいいんだ。

「聞かれて濁すのも失礼だと思ったので正直に答えたんですが、そうですか。気を悪くしたのならすみません」

 灘はそう言って小さく会釈をする。謝る灘に、志摩は不愉快そうな顔をしたまま黙り込んだ。
「……そういうことですので」不意に、顔を上げた灘は志摩を見据える。

「齋籐君に関わらないようにしてください」

 反省しているのかしていないのか、灘はそう言って俺たちに背中を向け、そのまま歩き出した。
「ちょっと……」納得いかなかったのか、咄嗟に志摩は灘を呼び止めようとする。
 それとほぼ同時に、廊下の天井に取り付けられたスピーカーから予鈴が流れた。

「……」

 煩く鳴り響く予鈴に掻き消された志摩の声は灘に届くはずもなく、灘はそのまま自分の教室に向かう。
 予鈴が鳴り終わり、再び教室前廊下が静かになったときにはもう殆どの生徒が各教室へと戻っていた。

「……随分、束縛キツい恋人だね」

 志摩はそう冷笑を浮かべながら譫言のように呟く。
「……」どう答えればいいのかわからなくて、そのまま俺は無言で志摩に目を向けた。
 俺から顔を逸らした志摩は、それ以上なにも言わずに教室の中へと入っていく。
 珍しく朝から機嫌がいいと思ったのに、すっかりと臍を曲げてしまう志摩に戸惑いながらも、俺は後を追うようにして教室の中に入った。

 文化祭間近ということで、その日の授業は全て文化祭の準備に変更された。
 大半のクラスメートは嬉しそうだったが、俺にとってあまり嬉しいものではなかった。
 男子校にそぐわぬ手作り勘溢れる愛らしい装飾が施された教室内。昨日同様、なにもやることがない俺は自分の席に座り自習をしていた。
 勿論内容が頭の中に入ってくるはずがなく、早速集中力を切らした俺は教科書から視線を外し教室内に目を向ける。
 志摩の姿も阿佐美の姿も見当たらない。恐らく志摩は席を外しているだけかも知れないが、阿佐美の方はというと今朝から姿が見えないままだ。
 俺もサボっとけばよかったかな。忙しく働いているクラスメートたちを一瞥し、俺は小さく溜め息をついた。

 文化祭の準備が始まってから暫く経つ。
 本日何度目かのチャイムが鳴り、俺は手元に置いていた教材を机の中に片付けた。
 恐らく、いまのチャイムで昼休みが始まったのだろう。何人かの生徒は作業を中断させ、そのまま教室を後にした。
 俺も昼食にするか。何だかんだ朝はなにも食べてなかったので、いま腹が減って仕方ない。
 今朝灘から貰ったサンドウィッチを思い出した俺は、鞄の中に入れていたサンドウィッチを取り出そうとする。

「あの、齋籐君……」

 不意に、側までやってきた一人のクラスメートに声をかけられた。
 恐る恐る名前を呼ぶクラスメートに、俺は鞄に手を入れたまま目を向ける。
「生徒会の人が……」言いながら廊下に目を向けるクラスメートにつられて、俺は開きっぱなしになった教室の扉に目を向けた。
 開いた扉から顔を覗かせる十勝と目が合い、こちらに気付いた十勝は笑いながら手を振る。
 よく見ると、十勝の側にはもう一人、灘がいた。
 デジャヴ……?
 不意にいつの日かのことと重ねた俺は、苦笑を浮かべながら手を振り返す。

「いやーなんかさ、まじ文化祭前日って感じだよな!」

 十勝に手招きされるまま廊下に出てきた俺に、十勝はそんなことを言いながら笑う。
 まあ、実際前日だし。なんとも返事に困るようなことを言い出す十勝に、俺は「そうだね」と同意することにした。

「そういや、なんか用あったんじゃないの?」

 二人には悪いが生徒会役員がわざわざ俺の元にやってくるなんて、あまりいい予感がしない。
 またバカみたいな量の昼食を食わされたりしないよな。
 恐る恐る尋ねる俺に、十勝は「ああ、そうだった」と思い出したような声をあげる。
 まるで忘れていたとでもいうかのような十勝の態度に、今さら突っ込む気にもなれなかった。

「会長がさー、なんか佑樹に用があるらしいぜ。よく知んないけど」

 ヘラヘラと笑いながら続ける十勝に、隣に立っていた灘は無言で頷く。
 会長が、俺に?
 十勝たちの様子からしてなにか問題があるわけでもなさそうだったが、やはり腰が重くなる。

「一緒に来てもらえますか?」

 乗り気ではない俺に気付いたのか、灘はそう俺の背中を押すように問い掛けてきた。
 こんなことで駄々を捏ねるのもあれだと思った俺は、灘の言葉に黙って頷き返す。

「まじ?よかったー、んじゃ行こうぜ。会長が寂しがってるかもだし」

 頷く俺に、十勝はそう嬉しそうに笑い、そのまま廊下を歩き出した。
 どうやら、本当に用件はそれだけのようだ。
 わざわざ二人が来ているからなにかあったんじゃないかとビクビクしていただけに、内心俺はほっと息をつく。
 十勝の後を追うように歩み出す灘を目で追いながら、俺は足を進めた。


 生徒会室前。
 灘と十勝に連れられてやってきた俺は、大きな扉の前で足を止める。

「かいちょー、連れて来ましたっすよー」

 言いながら、雑に扉を叩いた十勝はそのまま生徒会室の扉を開いた。
 生徒会室内部。
 部屋に置かれたソファーには芳川会長と江古田が腰を下ろしていた。
 珍しい組み合わせだな。思いながら扉の前で固まっていると、背後に立っていた灘に「入ってください」と促される。
 ズカズカと生徒会室内に足を踏み入れる十勝に続いて、俺は慌てて生徒会室に入った。
 俺たちが生徒会室に入ったのを横目に確認しながら、灘は生徒会室の扉を閉める。

「なんだ、十勝もついていったのか?」

 俺たちと一緒に入ってきた十勝に、芳川会長は少し驚いたような顔をした。
 その様子からしてどうやら芳川会長は灘にだけ俺を連れてくるよう言っていたようだ。
「だってー一年ってやることなくて暇なんですもーん」言いながら、ソファーまでやってきた十勝は江古田の隣に腰を下ろす。隣に座る十勝の言葉に、江古田は小さく頷いた。

「そうか。ご苦労だったな」

 ソファーの背凭れにもたれ掛かり大きく伸びをする十勝に、芳川会長はそう笑う。
「君も座ったらどうだ」扉の前で立ち往生をしていた俺に、芳川会長は声をかけてきた。
「あ、はい」俺は戸惑いながらもそう頷き、ソファーの側までいった俺は十勝の隣に座る。そんな俺を横目に、灘は芳川会長が座るソファーのそばに立った。

「悪いな、いきなり呼んで」

「いや、俺は大丈夫です」さっそく話を切り出してくる芳川会長に、俺は慌てて首を横に振る。
「そうか」恐縮する俺に、芳川会長は小さく笑った。

「それで、君には少し話があってな。……齋籐君は、櫻田のことを聞いているか?」

 芳川会長の口から出た名前に、俺は目を丸くする。
 櫻田って、あの櫻田だよな。女装趣味のあの一年生の顔が脳裏に浮かび、胃がキリキリと痛み出した。
 新聞のことがあって以来、櫻田には会っていないしなにも聞いていない。
 芳川会長の口振りからすると、その櫻田になにかあったようだ。

「その、櫻田君がどうかしたんですか?」

 どうせまたなんかやらかしたのだろう。
 恐る恐る芳川会長に問い掛ければ、芳川会長は困ったような顔をした。

「実はな、明日、櫻田の謹慎が解けるんだ」

 重々しく開いた芳川会長の口から出たその言葉に、俺は「えっ?」と間抜けな声を漏らす。
 というか、謹慎食らっていたのか。寧ろ俺はその事実に驚いてしまう。
 どうりであれ以来姿を見ていないわけだ。数週間前、俺の教室の前で暴れた櫻田のことを思い出した俺は、櫻田が帰ってきたときのことを想像して顔を青くした。
 一応、表では俺は芳川会長の恋人ということになっている。謹慎が明け、学園に帰ってきた櫻田の耳にそのことが入ったりでもしたら……。そこまで考えて、全身に嫌な汗が滲んだ。

「そこでだ」

 悪い想像を巡らせていると、不意に芳川会長は机を軽く叩き俺の意識を自分に向けさせる。
 その音にビックリした俺は俯かせていた顔をあげ、咄嗟に向かい側の芳川会長に目を向けた。

「これから、君には朝昼晩授業中と自室にいる時間を除く全ての時間に見張りをつけさせていただく」

 そう定言する芳川会長に、俺は目を丸くさせる。
 一瞬、芳川会長の言葉が理解できなくて、俺は呆れたような顔をした。
 なんか色々おかしいだろ、それは。授業中と自室にいるとき以外、絶対誰かが俺の側にいるってことだよな、それ。

「いや、別にそこまでしなくてもいいんじゃ……」

 確かに櫻田に会ったときのことを考えると怖いが、だからといってそこまでするか普通。
 至って真面目な顔をしてとんでもない提案をしてくる芳川会長に、俺はひたすら動揺した。
 芳川会長がこんな冗談を言うようには思えないし、目は真剣そのものだ。

「別に、ずっとというわけではない。俺が櫻田と話をつけるから、あいつが納得して齋籐君に絡まないと約束させたら、そのときは見張りもなくす」

 そう続ける芳川会長に、俺は呆れてなにも言えなかった。
 櫻田がそんな素直に言うことを聞くようには思えない。
 いや、流石に芳川会長のいうことくらいなら……とは思ったが断言できないし、櫻田がその場逃れの嘘をつく可能性もある。
 芳川会長の提案はあまりにも無茶があり、俺は素直に受け入れることができなかった。

「あの、気持ちは嬉しいですけど、俺は大丈夫ですから」

「……自分の身ぐらい、自分でなんとかできます」俺は芳川会長から視線を逸らし、そう笑いながら続ける。
 未だに焦っているのか、自然と声が上擦った。
 嘘をついたつもりはない。そんな第三者に面倒をかけさせるくらいなら、櫻田の気の済むまで殴られた方がましだ。

「……」

 頑なになって芳川会長の気遣いを受け入れようとしない俺に、芳川会長は困ったように小さく息をついた。
「灘」芳川会長は側に立つ灘に目を向ける。
 名前を呼ばれた灘はそのまま小さく頷き、ソファーから離れ生徒会室の奥へと歩いていった。どうやら飲み物を取りに行ったらしい。俺はそんな灘に視線を送り、芳川会長に目を向けた。

「なにかあってからじゃ遅いんだよ」

 ソファーに腰をかけ直した芳川会長は、そう苦虫を噛み潰したような難しい顔をして俺に目を向ける。
 それは俺だってよく理解しているつもりだ。だからこそ、確実に助かるわけではないその方法で人に迷惑をかけたくない。

「……君も強情だな。なんでそこまでして自分を追い込むような真似をする」

 ソファーから腰を持ち上げた芳川会長は、呆れたような顔をしながらゆっくりと近付いてきた。
 静かな部屋に響く足音に、つい俺は身構えてしまう。
 ソファーに座る俺の側までやってきた芳川会長は、そのままに手を伸ばした。瞬間、もの凄い力で胸ぐらを掴み上げられる。
「ちょっ、会長……っ」隣から焦ったような十勝の声が聞こえた。

「自分の身は自分で守れるんだろう。なら、力ずくで俺を離してみろ」

 芳川会長に掴み上げられソファーから腰を浮かせた俺は、いきなりの会長の行動に目を見開く。
 引っ張られる襟首が首元を絞め、俺は顔を引きつらせた。
 胸ぐらを掴む芳川会長の手首を掴んで離そうとするが、離れない。
「は……っ」次第に息苦しくなり、俺は間近にある芳川会長の目を見詰めた。段々指先に力が入らなくなって、俺は芳川会長の腕から手を離す。

「……決まりだな」

 抵抗をやめる俺に、小さく目を伏せた芳川会長は言いながら俺から手を離した。
 腰を抜かしそのままソファーに座り込む俺に、芳川会長は「悪い、大丈夫か」と心配そうな顔をする。
 ソファーに座る俺の正面に立った芳川会長は、胸ぐらを掴まれたときに乱れた俺の襟を直した。
 いつもの芳川会長に戻ったようだ。あまりにも強引な芳川会長に泣きそうになっていただけに、申し訳なさそうな顔をする芳川会長に俺は心底安心する。

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