天国か地獄


 03

 学園は昨日同様、たくさんの生徒で賑わっていた。
 見慣れない制服に、見慣れない顔。
 前が共学校だっただけに男しかいないその図にはまだ見慣れそうにない。

 矢追ヵ丘学園は、小中高エスカレーター式になっており、高等部に所属する生徒の大半は中等部からそのまま入学してるようだ。
 それでも、矢追ヵ丘と言えばやはり、卒業生の著名人の多さだ。業界人や、その世界のでは名を残すようなたくさんの有名人を排出してることもあり、今では高等部からなど外部入学でやってくる生徒も少なくないという。志摩も、外部入学だと言っていた。
 高等部だけでもその生徒の総数は700人を越しているらしい。
 転校前に読んだパンフレットにはそう書かれていた。

 清潔感溢れる学園内。ピカピカに磨き上げられた廊下を歩いていると、教室が見えてきた。
 外部入学の生徒が多いと言っても、二年生は全員一年の頃からいる生徒だという。内部生からしてみれば俺みたいな転校生は珍しいのかもしれない。
 直接話し掛けてくることなく、遠巻きに眺めてくる周囲に内心冷や汗が滲む。
 俺から挨拶していいのかどうかも分からなくて、同じクラスだったような気がする人には会釈してみたが、相手側会釈返してくれるがそれ以上何もない。
 ……難しいな。

「気にすることないよ、どうせすぐに慣れるだろうから。あいつら、外部生には慣れてないからね」

 そんな俺を見て、志摩はそうフォローしてくれたが、なんだか落ち着かない。
 登校二日目。慣れない教室でまともに受ける授業は、各担当の教師からのこれからの大まかな授業の流れの説明だった。
 教材は予め貰っていたのでなんとか遅れを取ることはなかったが、やはり、アウェー感は拭えない。
 そんな気分のまま教師の言葉を聞き流していると、あっという間に授業は終わる。
 響くチャイム。掛けられる号令を合図に、クラスメートたちはそれぞれ動き出す。俺もその内の一人だった。次の授業の準備に取り掛かろうとした時だ。

「あの、齋藤君」

 不意に、クラスメートの一人に声を掛けられる。
 もしかして、もしかして、話し掛けられてるのか?
 一瞬、反応に困ったが、次に込み上げてきたのは『話しかけられた』と言う喜びだった。
「は、はいっ」とつい敬語で返事をしてしまったときだった、俺の大きな声に驚いたように目を丸くしたそのクラスメートは、若干引き気味に廊下を指した。

「……会長が呼んでる」

 ……なんだ、話しかけられたわけではないのか。
 落胆するのもつかの間、『会長』という単語に釣られて廊下に目を向ければ、そこには見覚えのある男子生徒の姿があった。
 濡れたように艷やかな黒髪、銀のフレームの眼鏡、線の細く、長身なシルエット。
 そして、右腕に嵌められた『生徒会長』という刺繍が刻まれた腕章。
 芳川会長だ。

「……え……?」

 どうして、会長が。俺に用?
 何がなんだか分からなくて、でも、無視するわけには行かないだろう。俺はクラスメートに「ありがとう」とだけ告げ、バタバタと廊下へ向った。
 俺に気付いたらしい、芳川会長は軽く手を上げ、こちらへと歩み寄ってきた。

「悪いな、いきなり尋ねてきて」
「いえ、あの……俺は大丈夫なんですが……」
「そうか、なら安心した。迷惑だろうかと気になってたんだ」

「ところでどうだ、学園には慣れたか?」そう、芳川会長は笑い掛けてくる。
 もしかして、俺が転校生だから気にかけてくれているのだろうか。
 昨日の五味たちとのやり取りを思い出し、ハッとする。
 そうか、でもまあそうだよな、普通、生徒会長がわざわざ俺を尋ねてくる理由なんてそれくらいしかないよな。そう思うと素直に喜べないが、それでも普通に考えれば、光栄なことなのだろう。

「はい。……けど、広くて、未だ道を覚えるのは時間が掛かりそうですけど」
「だろうな。特に学園は複雑な造りになってるから覚えるのは大変だろう。……君が良ければだが、案内させてくれても構わないか」
「えっ?か、会長が、ですか?」
「ああ。……迷惑だろうか?」
「え、ええと……その……」

 まさか、そんな申し出を受ける日が来るとは思わなかった。
 嬉しいし、有り難い。光栄なことだと思う、が、いかんせん、周囲の目を気にしないようにするには俺の肝は据わっていない。
 芳川会長にファンが多いのは聞いていたが、二年にも多いようだ。
 露骨な敵意を向けられ、平気でいられるはずがなかった。

「ありがとうございます。……けど、その、俺……友達に教えてもらうことになってるので……その、すみませんっ!」

 慌てて頭を下げる。
 志摩をこんな風にダシに使うのは良心が痛むが、本人もいっていたし嘘ではない……はずだ。
 芳川会長は少しだけ意外そうな顔をして、すぐにくしゃりと笑う。

「そうか、もう友達が出来たんだな。……なら、俺は無用だな。……気にするな、俺が勝手に頼んだことだからな」
「す、すみません……」
「気にするなと言ってるだろう。……俺は大体生徒会室にいる。何か困ったことがあればすぐに相談してくれ」
「ありがとうございます」
「それじゃあ……いきなり尋ねて悪かったな。君も授業の準備があるのだろう」

 大変だろうが頑張れよ、と会長は軽く手を振り、その場を後にする。
 途中、会長のことを見張ってたのだろうか。黒髪の生徒が会長の後ろについていく。その右腕にも生徒会の腕章が嵌められているのを見て、「あ」と思ったがそれもつかの間、あっという間に二人の姿は見えなくなった。
 それにしても、ドッと疲れた。やっぱり会長は目立つな……。なんというか、こう、オーラとかそんなことを言うつもりはないが……妙な気迫があるというか。無意識の内に自分が緊張していることに気づいた。
 残された俺は、一先ず周りの目から逃げるように教室へと戻った。

「齋藤、会長とどこで知り合ったの?」

 授業中、隣の席から志摩は声を掛けてくる。
 どうやら志摩も俺が会長に呼び出されたのを見ていたらしい。

「どこっていうか、あの、たまたま学生寮で会っただけだよ」
「ふーん。それにしても会長と仲良いんだね」

 仲がいいと言っていいのだろうか。
 分からないが、頬杖をつきながら横目で俺をじっと見詰めてくる志摩に、なんだか嫌な圧を感じた。
 そんなに俺の交友関係が気になるのだろうか。

「それにしてもあの会長さんがねぇ……珍しいこともあるんだね」
「珍しいの?」
「だって、会長って周り……っていうか親衛隊が一番調子づいてるからね。一般生徒は中々会う機会がないんだよ」
「……親衛隊……」
「それに、本人も本人だしね」

 ボードを眺めながら、志摩はそう口にした。
 どういう意味だろうか。含んだようなその物言いが引っ掛かって、「本人って?」って思わず聞き返せば、志摩の目がこちらを向いた。

「本人の性格もかなりキツイから、近付こうとしても切り捨てられるの」
「芳川会長が?」

 会長がキツイ性格のようには見えないが……。
 確かに頭は切れそうだし、真面目そうだし、真っ直ぐって感じはするが……何度か話したときの会長はいつも優しく笑ってくれていた。
 志摩の言葉が信じれず、「そうなの?」と聞き返せば「そうなの」と志摩は投げやりに答えてくれる。

「実際、あんまり性格悪いものだから恨んでる人も多いし」

 微かにトーンを落とし、志摩は続ける。
 その言葉に、昨日の夜、芳川会長に突っかかっていたあの真っ赤な髪の男のことを思い出す。
 確か名前は……。

「……阿賀松……」
「えっ?齋藤、あいつのこと知ってるの?」
「い、いや、あの……チラッと会長と揉めてるところ見ちゃって……」
「……本当に?大丈夫だった?」

 やけに心配そうに見てくる志摩に、俺は慌てて首を縦に振る。本当は尻を揉まれたが、「大丈夫」と答えておく。

「……ならいいけど、絶対あいつにだけは近付くなよ。絡まれたら本当、面倒だから」
「う、うん……そうだろうね」
「あいつはアンチ生徒会の頭っていうか……会長さんのことを嫌ってるから、会長と仲良くしてるとあいつらにも目を付けられるよ」

 あいつら、ということは阿賀松みたいなのが他にもいるということだろうか。
 芳川会長が恨まれてるなんて想像できないが、実際阿賀松と芳川会長のやり取りを見た俺は信じるしかない。

 人間関係のゴタゴタはどこにでも起きるんだな。
 そんなものがない世界なんてないと分かってるが、一抹の期待を抱いていた俺は少し、落ち着かなかった。
 せめて、平穏に過ごしたいなら会長と関わらない方がいい、ということか。
 志摩の忠告もありがたいが、正直、昨日と今日で生徒会と関わりすぎてしまった感はある。
 目を付けられなければいいが……。

 その日の授業は、緊張と不安であっという間に終わっていく。
 そして、教室の隅、取り付けられたスピーカーから授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
 結局、阿佐美は最後まで教室に顔を出さなかった。あんな別れ方をしたんだ、来た方がすごい、とは思ってみたがやっぱり気になったが仕方ない。


 全ての授業が終わり、下校準備をしていると、志摩がやってくる。

「齋藤、今日どうする?」
「え?」
「『え?』……じゃないよ。今日だよ今日、せっかく長ったらしい授業終わったんだから遊ぼうよ。……それとも、何か用事でもあるの?」
「ない……けど……いいの?」
「いいのって、何が?」
「いや、あの……俺と、遊んでくれるの?」

 自分でも中々変なことを言ってる気がしたが、こんな風に当たり前のように誘われるのは久し振りで、どう反応したらいいのか分からず、こんな反応になってしまったのだ。仕方ない。
 口にして、きょとんと目を丸くする志摩に後悔する。もしかして引かれたのだろうか、当たり前だ、と自己嫌悪に陥ったときだ、志摩は小さく笑った。

「っ、ぷ……ふふッ、齋藤って本当、変わってるよね。遊びたくない相手、誘わないよ俺」
「ご、ごめん……」
「謝らなくていいよ。……それと、その返事は『遊べるよ』ってことでいいのか?」
「う……うん!」

 頷き返せば、志摩は「決まりだね」とにこりと笑う。

「それじゃあ、一度寮に戻って着替えて会おうよ。……そんで夜までさ、時間あるんだし遊ぼ?」
「うん、そうだね」

 やっぱり、俺自身がこんな性格だからだろう、志摩のように誘ってもらえるのは有り難い。
 というわけで、俺達は一度寮まで一緒に戻ることになったのだけれど。

「そういえば、志摩の部屋って何号室なの?」
「303号室。何?それ聞くってことは明日から齋藤が毎朝起こしに来てくれるの期待していいってこと?」
「ち、違うけど……」
「なんだ、残念」

 303号室ということは、結構離れてるな……。
 相変わらず志摩がどこまで本気なのか分からないが、機嫌がいい志摩を見てるとこちらもほっとする。
 学生寮三階。俺達はまた後で落ち合う約束をして、それぞれ自室へと戻ることにした。

 鍵を使い、扉を開くと、そこは今朝と変わらない部屋が広がっている。ただ、そこに阿佐美の姿はない。
 出掛けているのだろうか。
 気になったが、どうしようもない。俺は制服から私服へと着替えることにした。
 ワイシャツを脱ぎ、Tシャツを着ようと手を伸ばしたときだった。
 部屋の扉が開く。そして。

「ゆうき君?おかえりなさ……」

 聞こえてきた声は、そこで止まった。
 阿佐美が帰ってきたようだ。「おかえりなさい」と返そうと顔を上げた時、阿佐美の腕から抱えていた袋がどさどさと落ちる。

「し、詩織?!お、落ちてる!」
「ゆ、ゆ、ゆうき君……あのっ、ご、ごめんっ!」
「えっ?!し、詩織……?!」

 慌てて袋を拾うなり、そのまま部屋の外まで出ていく阿佐美にぎょっとする。
 な、何だったんだ……。
 呆気に取られていると、そこでようやく俺は自分が上半身裸であることに気付いた。
 も、もしかして……気を遣わせてしまったのだろうか。
 だとしたら非常に申し訳ない。慌ててTシャツを被り直し、俺は扉の外で待機していた阿佐美を部屋に上げた。

 どうやら阿佐美は一階で買い出しに行ってたらしい。抱えていた袋の中には主に菓子やジャンクフード、その他健康に悪そうな着色のケーキなどが入っていた。

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