天国か地獄


 06

 薄暗い店内は、本当に店として使われていないようだった。
 煙草の煙が充満しているようだ。
 小さな照明が照らす内部、五味は適当なボックス席のソファーに腰を下ろす。
 そして、座れよ、と向かい側のソファーを指した。
 どうやら先程まで彼らが使っていたのだろう。
 袋菓子や、缶ジュースや中にはアルコールが入ったもの、灰皿などが置かれている。
 俺の周りのそれらを避けてくれる五味。俺は、言葉に甘えてそこに腰を降ろした。
 ソファーの傍、佇む栫井の視線がただ痛い。
 それを気づかないフリしながら、俺は、ただ居心地の悪さをひしひしと感じていた。

「齋藤佑樹だろ、お前」

 そう、名前を呼ばれ、ギクリとした。
 嫌な汗が滲む。まさか、名前まで知られてるとは思ってもいなくて、「え」と声を漏らしたときだ。
「あー!!」といきなり十勝は何かを思い出したように声を上げる。

「思い出した、こいつ、会長の持ってた資料に書かれてたやつでしょ!」
「……お前は黙ってろ、十勝。余計ややこしくなる」
「なんすか、つまんねーの!」
「……あの、どうして、俺のこと……」
「……まあ、なんつーか、ほら、時期が時期だからな、転校生には気遣えよっていうのを予め言いつけられてんだ。……だから、まあ、別に取って食おうってわけじゃねーから安心しろ」
「……」

 と、言われてもだ。生きた心地がしなかった。
 顔も割れてしまえば、何をされるかわからない。内心ビクビクしていると、五味はバツが悪そうにぼりぼりと頭を掻く。

「俺もお前も、運がねーってこった。本来ならお手本になんなきゃなんないんだが……まあ、こいつらも楽しみがこれくらいしかねーんだ。悪いが、黙っててくれないか」

 そして、言うなり五味は頭を下げる。
 今度はこちらが驚く番だった。

「あっ、あの、顔を……上げてください……俺、言うつもりありませんし……!」
「……本当か?」
「は、はい……」

 嘘ではない。そんなことしてみろ。背後の栫井が睨むだけで済むはずがない。
 それに俺にしてみれば関わりたくないというのが本音だ。自分からそんな厄介事に頭を突っ込みたくない。

「……悪いな。助かったよ。もし、会長にバレたとなったら……今度こそ、何があるかわかんねーからな」
「……会長?」
「げんこつだけじゃ済まねーっすよ、絶対!」

 先程あった、模範生を具現化したような人を思い出す。芳川会長、そうか、あの人を恐れているのだろうか。
 確かに、真面目そうな会長だ。もしも自分の仲間である他役員がこんなことしてると分かれば、堪ったものではないのだろう。
 が、なんか、心配する順序が違うような……普通、先生たちを先に怖がるものではないのだろうか。
 気になったが、敢えて俺は何も言わなかった。
「そうだ、自己紹介が遅くなったな。俺は、生徒会副会長、五味武蔵だ。……一応、お前の一個上になるな」
「副会長……なんですか?」
「そーそー、五味さんと栫井は副会長なんだぜ。うちの学校はちょっと変わっててな、副会長に関しては二人いるんだよ。あ、俺は十勝!十勝直秀(トカチナオヒデ)!生徒会書記でーす!」
「……と、十勝君……」
「おう!なんか君付けって新鮮だなー!よろしくな、佑樹!」

 そう言って、十勝は「お近付きにこれやるよ」と未開封の菓子袋を押し付けてくる。
 正直要らないが、断って気を悪くさせるのもあれだ。俺は「ありがとう」とそれを受け取った。コーラ味のグミがたくさん入ってるようだった。

「おい、栫井。お前も自己紹介くらい自分でしろよ」
「……なんで俺が」
「こういうのは誠意を持ってやらねえと、信頼関係築けねえぞ。……バレたら面倒なのはお前も同じなんだろ」
「……栫井平佑。二年。副会長。……以上」

 言うなり、栫井はそっぽ向いて二本目の煙草を咥える。
 なんというか、いやいやというか、それを隠そうともしない栫井になんだか心臓が痛くなる。
 こんな出会いから仲良く出来るとは思えないが、それでも弱味はこっちが握ってるんだからもう少しそれらしい態度くらい取れないのか。
 そう疑問に思うレベルのおざなりさだった。

「とにかく、齋籐。……こんなこと、お前に頼むのはあれだが、まあ、見なかったことにしてくれ」
「は、はあ……」
「それで代わりと言っちゃあなんだが、なにかあったら、俺に言ってくれ。できる範囲なら助けてやる。……この二人が」

 と、五味は栫井と十勝を指差した。

「ちょっ!五味さーん!なに言ってんすか!!」
「……なんで俺まで」
「うるせぇ!!元はと言えばお前らが我慢できないからだろ!俺はいつも止めとけっつってんだろ!」
「う……っ、で、でもーー!」
「……今日誘ってきたの十勝ですよ、これ、十勝のせいじゃないっすか」
「栫井お前俺を裏切るつもりかよこのー!!」

 ポコポコと栫井を殴る真似する十勝。それを無表情で頭を叩き返す栫井。
 ぺしーんと良い音が響いた。

「言っとくけど、お前も同罪だぞ、栫井。……というわけだ。まあ、俺らにできる範囲なら手を貸してやるから」
「……分かり、ました」
「声が小せえな。本当にわかってんのか……?」
「わ、分かってるよ……!」

 というわけで結局、五味の勢いに流された俺は五味たち生徒会役員と不正な取引を交わすことになった。
 五味たちに頼る日が来ないことを祈るばかりだ。

「とにかく、お前ら今度からはちゃんと戸締まりしろよ」
「ういっす」
「……了解」
「それじゃ、シラケたしそろそろ戻るか。会長に怒られる前に生徒会室に行かねえと」

 まずは飲酒喫煙を控えるべきなのではないだろうか。
 思いながら、俺はぞろぞろと出ていく生徒会役員たちを見送る。
 それにしても、色んな人がいるんだなぁ。
 殴られずに済んだのはよかったが、このまま本当に見過ごしていいのか不安になってくる。
 そして、こちらを無表情で睨んでくる栫井の顔を思い出し『これでいいんだ』と無理矢理自分を納得させた。
 なるべく穏便に済ませたい。それが俺の望みだ。
 それならば、ちょっとくらいの不正、目を瞑るしかない。

 一階、ショッピングモール。
 空き店舗を出た俺は阿賀松たちがいないことを確認し、そのまま通路を歩き出す。
 なんだか久し振りに外の空気を吸ったような気がする。
 先程までアルコールの匂いを嗅いでいたせいか、なんだか余計新鮮に感じる。
 そんなことを考えながら歩いていた時だった。

「見つけた」

 低い声がした。
 不意に、背後から肩を掴まれ、心臓が口から飛び出しそうになる。
 まさか、と赤髪の男の顔が過り、恐る恐る振り返れば、そこには満面の笑みの志摩が立っていた。

「志摩……脅かすなよ」
「あはは、ごめんごめん。つい、ね。……っていうかあれ?一人?阿佐美は?」
「ああ……多分部屋じゃないかな」
「……ふーん、なら良かった」

 そう、志摩は笑う。
 最後、怒って出て行った志摩が気になっていたがどうやら機嫌を直したようで。
 安堵する反面、嬉しそうに笑う志摩になんだか阿佐美との蟠りを感じずにはいられなかった。

「それじゃあ、一緒に回ろっか」
「え?」
「ほら、約束したじゃん。ショッピングモール、一緒に見ようって。せっかくだし行こうよ」

 そういえば、したような。
 案内という単語に阿佐美の顔が過ったが、まあ、いいか。

「それじゃあ、お願いしようかな……」
「じゃあどこから行く?」
「どこでもいいよ、志摩に任せる」
「じゃあ、ここから全部見て回ろうか」
「全部?」
「楽しそうでしょ?」
「いいの?……時間とか大丈夫?」
「時間?なんで?なんか用事あるの?」

 一瞬、志摩の笑みが強張ったような気がした。
 何か気を悪くするようなことを言ってしまったのだろうか。
 慌てて俺は首を横に振る。

「いや、そういうわけじゃなくて……志摩だって自分の時間があるだろうし……」
「なに?そんなこと気にしてたの?」
「そ、そんなことって……」
「俺は齋藤を優先しろって言われてるからね、齋藤と一緒にいれるなら本望だよ」

 相変わらずの軽薄な口振りだが志摩なりに気を使ってくれているのだろうか。
 冗談めいたそのセリフに「なにそれ」とつられて笑えば、志摩は微笑む。
 気が付けば、全身の緊張は綻んでいた。

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