天国か地獄


 05

「ゆうき君?」
「え?」
「どうかした?」
「あ……いや、なんでもないよ」
「……」

 芳川会長たちと別れた後。
 なんだか嵐の去ったあとのような疲労感を覚えていた。

「ゆうき君……ごめんね」

 そんな中、先程から元気がない阿佐美が口を開く。
 突然の謝罪に「え?なにが?」と戸惑う俺。
 相変わらず阿佐美は項垂れてて。

「あっちゃん……いつもはもっとマトモなんだけど」
「ぁ……あぁー」

 あの人か。確かに怖かったが、何故阿佐美が謝るのだろうか。
 阿佐美は庇ってくれたのだから落ち込む必要も謝る必要もないはずなのに。
 というか、マトモって。

「えっと……あの阿賀松って人と、詩織……仲いいの?」
「仲いいっていうか……なんだろうね、腐れ縁っていうのかな」
「……幼馴染?」

 尋ねれば、「まあ、そんな感じ」と言葉を濁す阿佐美。
 どうやらあまり触れられたくない話題のようだ。

「……それじゃあ、会長にも言われたし、教室に戻ろうか」

 なんとか話題を変えようと阿佐美に提案した時。
 阿佐美の表情が強張る。

「……悪いけど、それは、無理かな」

 それははっきりとした拒絶だった。
 そういえば、阿佐美は制服を着ていない。始業式にも出ていないし、志摩は阿佐美のことを引き籠りだと言っていた。
 ならば、無理に誘うのは悪いか。
 仕方ない、一人で戻るか。
 そう思った時。

「ゆうき君は、行くの?」

 このまま阿佐美と別れるのは心細いが、無理矢理阿佐美を連れて行くわけには行かない。
 けれど、これ以上ブラブラしてるところをまた阿賀松と鉢合わせても会長たちに見付かってもまずい。
 どうせ掃除しかないというのなら、教室に行くべきか。
 志摩との約束もなしになってしまった今、俺だけがサボっているのも気が引けてきて。

「俺は……教室に戻るよ」
「そっか。……場所は?分かる?」
「うん、校舎は目立つから」

「それがいいよ」と阿佐美は笑った。
 目元が隠れているので良くわからなかったが、阿佐美は寂しがっているように思えて、なんだか後ろ髪を引かれるようだった。

 阿佐美と別れ、ショッピングモール内部を歩き回ること暫く。
 俺は阿佐美と別れたことを早速後悔していた。
 なんでこの寮は無駄に迷路みたいな形になっているのだろうか。
 どれだけ歩いてもエントランスに辿り着かない。
 阿佐美の元へ戻ろうと思うにも阿佐美がどこにいるのかも自分がどこを歩いているのかも分からない現状だ。
 つまり、俺は迷子になっていた。

「……困ったな」

 会長たちが見回りしていることもあってか生徒の影すら見当たらない。
 こうなったら店員さんにでも聞こうか、なんて思っていたときだった。
 どこからともなく声が聞こえてくる。
 そして、複数の足音。
 もしかして、他に生徒がいるのだろうか。
 声のする方へと向かった。

「あぁ、クソッ!あの野郎、人が優しいからって調子に乗りやがって……ッ!」

 声の主は赤髪の男、阿賀松とその仲間たちだった。
 まさか、こんなところで。
 見るからに苛ついてる様子の連中に、このまま見つかってはまずい。そう本能的に察知した俺は咄嗟に身を隠そうと目の前の店の扉を開いた。

 看板も見ずに入ったその店の中は照明がついておらず、扉に取り付けられた窓から廊下の明かりが漏れるだけだ。
 なんだ、ここは。
 ガラリと静まり返った室内にはカウンターがあるだけでもなにも見当たらない。
 恐らく、というか確実に撤去された跡かなにかだろう。
 無駄な数の店が並んでいるショッピングモールだ、潰れた店があっても可笑しくはない。
 見たところ人もいないようだし、一人になるには丁度いい場所だ。
 暫くここで時間潰して、ショッピングモールに戻るか。
 また阿賀松達に出くわしたらたまったものではない。
 思いながら、空いた段差に腰を下ろした時だった。
 突然、カウンター奥の扉が開く。
 そして、

「……誰?」

 一瞬、心臓が停まったかと思った。
 扉の奥から現れたのは一人の男子生徒で、扉の奥の明かりで照らされたその顔には見覚えがあった。
 ゆるめのパーマがかかった黒髪に、眠たそうな顔。
 確か、始業式で司会をやっていた生徒会役員の一人だ。
 なんでこんなところにいるんだ。
 自分のことを棚に上げて驚く。
 そして、何よりも。
 パーマ頭の細い指に挟まれた、白く、煙を立てる棒状のそれを見つけ、俺は凍り付いた。
 そして、再びパーマ頭の顔に視線を向ける。

「た、煙草……?」

 思わず、声に出してしまった。
 煙草って二十歳以下は駄目なんじゃなかったのか。
 あまりにも煙草がパーマ頭に馴染んでいたせいか、つい俺は自分の知っている範囲内で再確認する。
 とんでもないものを見てしまったと顔を強張らせる俺に、パーマ頭は無表情のまま親指と人差し指で煙草の点火部分を挟み、火を消した。
 じゅっと肉が焼けるような嫌な音がし、俺は咄嗟に視線を逸らす。

「……見ちゃった?」

 再度こちらに視線を向けてくるパーマ頭に、全身に冷や汗が滲んだ。
 咄嗟に後退るが、それよりもパーマ頭の手が伸びてくる方が早かった。
 ネクタイを掴まれ、逃げようとする俺を無理矢理引っ張り戻される。
 かなり、苦しい。

「なにも、見てないよな、お前」
「み、見てないです!見てないですから!」

 だから、離して。
 そう続けようとしたときだった。

「おーい、栫井ー。なにやってんの、小便?」

 パーマ頭、もとい栫井が出てきたカウンター奥の扉から、もう一人の生徒が顔を出す。
 見てるこっちが痛くなるくらいのピアスに、乱れまくった制服。
 満面の笑みを浮かべ顔を出したそいつは栫井なるパーマに捕まってる俺を見て「あら」と目を丸くした。
 ……確かこいつも、生徒会役員だったはずだ。
 なんで、次から次へと生徒会のやつが出てくるんだ。
 そんなことを思いながら、俺は特に意味もなくその生徒の手元に目を向け、再び顔が強張った。

「……缶ビール……」

 アルミ缶を手にした生徒は、自分の手元を見て『しまった』と浮かべた笑みをひきつらせた。
 目の前の栫井が小さく舌打ちするのをみて、つられて俺は『しまった』と青褪めた。

「え、あ、ええと……」

 生徒会役員ということは、仮にも生徒の代表に選ばれるくらいだから品行方正の優等生というイメージがあっただけに、俺は状況を呑み込めずにいた。

「いや、その……俺は、別に、なにも見てないです……ので……」

 離して、と懇願するが、目の前の男……確か、副会長の栫井の表情は変わらない。
 それどころか、向けられた視線はどんどん冷めていく。
 そんな栫井とは対象的に、十勝は明るく朗らかな笑顔を浮かべる。

「あっ、まじ?見てないの?ならラッキー。良かっなぁ、栫井!」
「真に受けてんじゃねーよ、バーカ」

 そう言って、苛ついたように肩を組んでくる十勝を振り払った栫井はこちらをじとりと睨んでくる。

「んなこと言って……証拠は?あいつらにチクらないって証拠」
「証拠……?あ、あいつらって……?」
「そういえば、お前見ない顔だよな」

 疑念の眼差しを向けてくる栫井とは対象的に、あくまで十勝の反応はフレンドリーだった。
 その軽さが今はただありがたいが……。

「あっ、あの、俺……今日からこの学園でお世話になることになってて……」

 とにかくなんとか敵意も他意もないことを示そうとした矢先だった。
 開きっぱなしだった扉から、ぬっと扉よりも大きな影が覗き、ぎょっとする。

「おい、お前らそこでギャーギャー何やってんだよ」

 扉の全長を超えた長身に、制服の上からでも分かるほどの隆々とした筋肉。
 照明に照らされ光るスキンヘッドと、がっしりとした顎に蓄えられた髭。
 正直、その男が着ているものが自分と同じこの学園指定の制服でなければ、どこのチンピラか本職の方かと思う程の風体だった。
 男の右腕に、十勝や栫井と同じ、『生徒会』と刺繍が施された腕章が嵌められているのを見て、ハッとする。
 まさかこの人も生徒会か。今日の式では見掛けなかったが……。

「ゲッ、なんで一般生徒がここにいるんだよ……」

 スキンヘッドの男は、俺の姿を見るなり露骨に嫌そうな顔をする。

「あっ、あの……俺……すみません……!道に迷ってしまって……その……」

 流石に苦しい言い訳だが、こうとしか言いようがないのだ。
 俺だってここが生徒会役員たちの溜まり場だと知っていれば近寄らなかったことだ。
 とにかく、頭を下げて謝ろう。
 しかし、それもすぐに止められる。スキンヘッドの男は「馬鹿、やめろ」と言って俺の頭をあげさせた。

「別に、本来は入っても問題ねえからな。それに、俺たちも無断でここ使ってるわけだし」
「あ、五味さんそれ言っちゃうんすか?大丈夫です?」
「元はといえばお前らがきちんと戸締まりしとかないからこうなるんだろうが!こいつに非はねえだろ」

 五味さん、と呼ばれた男は「それに、お前、ここに来たばかりなんだろ」と続ける。
 その問い掛けに、俺は一瞬、答えに詰まる。
 お前、というのは俺のことだろう。
 この五味という人は、俺が転校生だと知っているのだろうか。

「あ、あの……」
「そんなに恐縮すんじゃねえよ。……ったく、本当、タイミングが悪いな……。まあ、いいや、ここじゃなんだ、足が疲れるだろ?」

「上がれよ。……別に、俺らの家でもないがな」と、五味は部屋の奥を指した。
 その左右で、ニコニコと笑う十勝と、こちらを睨んでくる栫井の威圧に俺は断ることができなかった。
 ……でも、良かった。五味は、話が通じそうだ。
 それでもまだ気が抜けないが、とにかく、波を立てたくなかった。俺は、五味に促されるがまま部屋の奥へと入った。


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