04
阿佐美詩織はたまにズレている。
優しくて柔らかくて控えめなだが、唐突に大胆な行動を取る阿佐美には何度か心臓を壊されそうになった。
エレベーターを降りれば、ようやく手を離してくれた阿佐美は俺を見た。
「それじゃ、ご飯だね」
「うん」
こうして並んでみると身長差十センチはあるんじゃないかってくらい凹凸がハッキリし、自然と阿佐美に見下げられるような形になってしまうわけで。
「そう言えば、さっき本屋に用があるって言ってたけど……先に行っていいよ」
「いいの?」
「うん。……すぐに食べないとってわけじゃないから」
「……ありがとう、ゆうき君」
そう言う俺に、阿佐美は嬉しそうに微笑む。
「こっちだよ」
歩き出す阿佐美に誘導されるようにショッピングモール内部を歩き進めていく。
ちらりと見た時も思ったが、本当、すごい完成度だ。
歩けば歩くほど、この寮の万能さに驚かされる。
服屋だけでも何種類もあり、誰が着るのだろうかと疑問を浮かべるくらい悪趣味な店もあるのだ。
このショッピングモールを設置した人はなにを考えていたのだろうか。
不思議でたまらないが、恐らく金を手にしている人間にしか分からない何かがあるのだろう。
思いながら、阿佐美のなんとも辿々しいガイドを聞きながら歩いていたときだった。
不意に、阿佐美は立ち止まった。
「……?詩織……?」
ゲームセンター前。
タイミングよく開く扉、瞬間、漏れ出す爆音に耳を塞ぎそうになったときだった。
数人の生徒がゲームセンターから出てきたところだった。
「あっれ、詩織ちゃんじゃん」
そして、聞こえてきた絡みつくような声に俺は顔を上げた。
そこには、絵の具をぶち撒けたような真っ赤な髪の男子生徒が立っていた。
「何してんの?こんなところで」
唇に眉尻、そして耳。至るところに銀のピアスをぶら下げた赤髪の男は馴れ馴れしく阿佐美の肩を抱く。
阿佐美は赤髪の男を見るなり、バツが悪そうに「あっちゃん」と呟いた。
どうやら、阿佐美の知り合いのようだ。
……けれど、正直、驚いた。
阿佐美があっちゃんと呼ばれたこの赤髪の男と知り合いだということと、おぼっちゃま高校と名高いこの学園にも校則違反スレスレの生徒がいるということに。
あっちゃんという赤髪の男はまさに俺が苦手なタイプだった。
それはもう、俺が苦手なものを集めたのではないのだろうかと疑いたくなるほどに。
だから、なるべく関わらないよう阿佐美の後ろに隠れたのだけれど。
「んー?……誰そいつ?新しいお友だち?」
あっさりと見つかってしまう。
腕を掴まれ、無理矢理阿佐美の物陰から引っ張り出される。
「ぁ……っ」
「ちょっと、あっちゃん」
「あー、わかった。こいつあれだろ?二年にやってきた噂の転校生」
阿佐美の制止も無視して、俺の頬を掴んでくるあっちゃんなる赤髪。
頬に食い込む指が、痛い。
喋る度に口の中の舌ついた銀のなにかが覗き、舌にまでピアスを開けてるこの赤髪に驚かずにはいられなくて。
「じゃねーと詩織ちゃんとつるむ物好きなんて居るわけねえもんなあ」
小馬鹿にするような笑み。
面と面向って、普通、そんなことを口にするだろうか。
呆れ、何か言い返してやりたかったが掴まれた口元は動くことすら儘ならなくて。
「……あっちゃん、ゆうき君から手離して」
「ふーん、お前、ユウキ君って言うんだ」
「お前が」と、小さく赤髪の口が動いたような気がした。
「あ、あの……」
なんだか、すごい……いやな感じだ。
品定めするかのような目に、ねっとりと絡みつくような声に、全身からじっとりと汗が滲みだす。
とにかく、逃げ出さなくては。
思いながら、やんわりと赤髪の手を離そうと握り締めた時。
「あれ?お前……結構可愛い顔してんのな」
「……は?」
「もっと野暮ったいのかと思った……」
後頭部に伸びる赤髪の掌、髪に指を絡められ、動けなくなったところでぐっと顔を寄せられれば「ひっ」と息を飲む。
「……まあ、アリだな」
アリ?何がだ。
こんがらがる頭の中、ただ、蛇に睨まれた蛙の気持ちはまさにこんな感じだろうなと思いながら俺は動くことすら出来なくて。
「あっちゃん、いい加減にして」
そんな中、伸びてきた阿佐美の手に腕を引かれる。
赤髪から強引に引き離され、安堵する。
「あっちゃん……ゆうき君が嫌がってる」
「嫌なのは詩織ちゃんだろ?よっぽど気に入ってるんだねえ、そいつのこと。良いんじゃない、青春みたいで」
「あっちゃん」
「怒るなよ、これくらいで。……そうか、そうだったなァ。お前の相部屋相手が出来るっつーことは……なるほどなぁ」
「楽しそうでいいじゃん」そう、舌なめずりをする赤髪に、向けられた視線に、全身に寒気が走る。
なんなんだ、さっきから。
早く、どこかへ行ってくれないだろうか。
目を合わせるのが嫌で、俯いた時だった。
「おい、なにを騒いでいる」
底冷えするような、冷たく鋭い声が通路に響く。
ざわめき始める赤髪の周囲にいた生徒。
どこか聞き覚えのあるその声に咄嗟に振り向いた俺は、そのまま目を見開いた。
そこには、数人の生徒を引き連れた芳川会長がいた。
その生徒たちは全員『風紀』と刺繍の入った腕章をぶら下げていて。
赤髪の姿を見つけた芳川会長は疎ましそうに目を細める。
「……またお前か、阿賀松」
「あれれえ?面倒な仕事はしたっぱに押し付けて会長様は一人優雅にお散歩ですかあ?」
「貴様らのような輩がいないか見回りをしているだけだ」
阿賀松と呼ばれた赤髪と芳川会長の対面に、周囲の空気が一斉にピリつくのが分かった。
先程まで笑っていた阿賀松の連れも顔色が悪くなり、どこか緊張した面持ちで2人の様子を眺めていて。
助かった。……はずなのに、何故だろうか、余計、空気が悪くなっているような気がしてならなかった。
「へえ生徒会役員の皆様は両脇に軍隊引き連れて見回りするんだなぁ、初耳」
言いながら芳川会長の両脇に立っていた風紀委員に目を向ける。
皮肉、なのだろう。
「馬鹿馬鹿しい。……くだらないことを言っている暇があるなら部屋に戻るなり教室に戻れ。邪魔だ」
「……っ」
阿賀松相手に一歩も退けも撮らない。
それどころか冷めた目で見下す芳川会長がなんとなく怖くて、その反面堂々と言い返す芳川会長が格好良く映ったのも事実で。
「そこの君も……」
そう、会長を眺めていると、ふとレンズ越しにその目がこちらに向けられる。
「変なのに絡まれたくなかったら戻った方がいい」
「なんだ?俺のことを言ってんのか、テメェ」
先程まで余裕の笑みを浮かべていた阿賀松の顔が引き攣るのを見て、阿佐美が「あっちゃん」と阿賀松の肩を掴む。
「すみません、会長。……俺達も、すぐ戻るんで」
そう、阿賀松の代わりに阿佐美が口を開いた時だった。
「そんなに掃除が好きならさぁ……」
一歩下がった阿賀松。
何をしようとするつもりなのか、嫌な予感がして一歩下がったのと阿賀松が観葉植物の鉢を思いっきり蹴り倒したのはほぼ同時だった。
土を撒き散らしながら砕ける鉢植えに「あっ」とつい俺は声を上げてしまう。
「……床でも舐めてろよ、会長さん」
満面の笑みを浮かべる阿賀松はそれだけを言い残し、ゲームセンターの前から歩き出す。
「あっちゃん!」と阿佐美が呼び止めるが、小さく手を振り返してくるばかりで立ち止まることすらしない。
慌てて阿賀松の後を追う仲間たち。
阿賀松たちがいなくなりしんと静まり返るゲームセンター前、芳川会長の重い溜息が静かに響いた。
「……まったく」
阿賀松たちがいなくなった後、通路奥の用具入れから箒と塵取りを持ち出してきた芳川会長は観葉植物の残骸の片付けを始める。
手際の良さに呆気に取られていた時。
「どうした?早く教室に戻れ」
いつまで経っても廊下に残っている俺たちが気になったのか、不思議そうな顔をした芳川会長は声をかけられる。
戻れと言われたのなら戻った方がいいのだろう。
だけど、何故だろうか。
このまま全部を芳川会長に任せっぱなしにするのも気が引けた。
「あ、あの……なんか手伝いましょうか」
思ったときには、すでに口が動いていた。
「……佑樹くん?」
驚く阿佐美。
無理もない、俺自身自分の行動に驚いているのだ。
そんな俺に、少しだけ目を丸くした芳川会長は……笑った。
それはステージ上で見せていた冷たさの欠片もない優しい笑顔で。
「気持ちだけ受け取っておくよ……ありがとう」
笑った。
驚く俺を他所に、片付けを終えた会長は箒を握り直す。
なんとなく怖い人かと思っていただけに思っていた以上に柔らかい顔で笑う会長に驚いた。
「俺達も戻る。……齋藤君、君達も教室に戻り給え」
芳川会長はそれだけを言い残し、風紀委員たちとともに阿賀松とは逆の方向へ歩き出した。
テキパキとしているというか、無駄がない人だと思った。
なんとなく会長が人気があるのが分かった気がする。
……というか、あれ、今、名前呼ばれた?
俺、いつ芳川会長に自己紹介したっけ。
ぼんやりと会長の背中を見送るが、応えは出てこない。
まあ、生徒会長だと転校生の情報も手に入るのだろう。……知らないけど。
そんなことを、思いながら。
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