天国か地獄


 05

 エレベーター機内に乗り込んだ俺たち。かなり居心地が悪く感じるのは俺だけだろうか。

「学校に忘れ物でもしたの?」

 隣に並ぶように壁に背中を凭れた阿賀松は、興味無さそうに俺に聞いてきた。
「……そんな感じです」俺は然り気無く阿賀松から離れながら、小さく頷く。忘れ物というより、落とし物といった方がしっくりくるが訂正する気にもならなかった。

「ふーん」

 やっぱり興味無さそうに、阿賀松は答える。興味がないならわざわざ話し掛けてこなくてもいいのに。別に阿賀松に興味を持って欲しいわけじゃないが、聞いておいてその態度は少し腑に落ちなかった。
 どうこうしているうちに、目的の階へ辿り着いたエレベーターは小さく揺れ停まる。

「行くぞ」

 阿賀松は開く扉を先に潜り、外で俺が出るのを待つ。つられるように俺はエレベーター機内を後にした。
 なんだか、俺よりも阿賀松の方が乗り気のように思えてしまうのはなんでだろうか。
 それともただ俺が乗り気じゃないだけで、阿賀松の言動は一般的なものだったりするのだろうか。
 考え事をしながら俺は阿賀松の後に着いて寮を後にした。
 途中行き交う生徒に変に注目を浴びていたのは、きっと目の前の男のせいだろう。

「なんでこんなに暗いんだよ」

 昇降口前までやってきた俺たち。
 阿賀松は昇降口の前を素通りすれば、離れた場所にあるやけにシンプルな扉の前で立ち止まる。
 昇降口の前で狼狽えていた俺は、「こっちに来い」という阿賀松の言葉に慌てて扉の前にやってきた。

「あの、先輩。こっちって……」
「いいから」

 阿賀松は扉を開くと、そのまま扉の奥へと入っていく。置いていかれるのが嫌で、俺は早足で阿賀松の後を追った。
 扉の向こう側は相変わらず薄暗かったが、職員用の下駄箱がズラリと並んでいるのがわかる。
 阿賀松は履いていたサンダルを脱げば、客用のスリッパに履き替えた。変なところで律儀な阿賀松に驚きながら、俺は慌てて靴を脱ぐ。

「ユウキ君、懐中電灯とか持ってないわけ」
「……す、すみません」

 謝る俺に、阿賀松は小さく息をつく。
「じゃあ、先に明かりだな」阿賀松はそう言うとペタペタとスリッパを鳴らしながら奥へと進んでいった。
 奥に進むにつれ阿賀松の背中が暗闇に紛れ込む。
 俺は慌てて阿賀松の後を追い掛ければ、咄嗟に阿賀松の服の裾を掴んだ。

「……なに?」
「あっ、す、す、すみません。なんでもないです……」

 阿賀松がどんな顔をしているか暗くてわからなかったが、多分、呆れている。
 俺は口では謝りながら、阿賀松の服を離そうとはしなかった。
 このまま離してしまったら、本気で迷子になりそうだったから。自分でも馬鹿馬鹿しく思ったが、生憎俺はプライドなんてものを持ち合わせていない。

「あんま引っ張んなよ。服が伸びるだろーが」
「ご、ごめんなさい……」

 一人になるのは怖いが、阿賀松の気分を損ねるのはもっと怖い。
 静かに叱られ、俺は慌てて阿賀松から手を離そうとした。
 そのとき、すっと伸びてきた阿賀松の手に手首を掴まれる。なにかされるんじゃないかと俺はとっさに体を強張らせたが、阿賀松はそれ以上なにもしてこなかった。

「服引っ張るくらいなら、俺の腕でも掴んどけばいいだろ」

 掴む、というより掴まれているような形だが阿賀松なりに気を遣ってくれているらしい。
「あ……ありがとうございます」なんて言えばいいのかわからず、阿賀松の行動に戸惑った俺は取り敢えずお礼をした。
 もしかして、なにか企んでいるのだろうか。珍しく優しい阿賀松に、思わず俺は邪推してしまう。

「取り敢えず、懐中電灯借りるか」
「……借りれるんですか?」

 俺の腕を強く引きながら、阿賀松は廊下を歩いていく。
 どこに向かっているかわからなかったが、転入生の俺より上級生の阿賀松の方がこの学校について詳しいのは一目瞭然だ。俺は足をもつれさせながら、阿賀松に遅れを取らないようについていく。

「さあな」

 阿賀松は喉を鳴らして笑い出す。
 ……大丈夫なのだろうか。
 今さら心配になってきたが、ここは阿賀松に任せるしかない。
 俺は阿賀松に腕を引かれ、廊下の奥へと進んでいく。
 暫く暗闇の中をさ迷った末、阿賀松はある扉の前で立ち止まった。阿賀松はカードキーを使って、その扉を開く。

「お邪魔しまーす」

 言いながら、阿賀松はドアノブを掴み扉を開いた。
 勝手に入っていいのだろうかと俺は焦ったが、時すでに遅し。阿賀松はすたすたと中へ入っていく。俺は躊躇ったものの、阿賀松に引っ張られ無理矢理連れ込まれた。
 阿賀松は壁際のスイッチに手を伸ばし、部屋の明かりを付ける。パッと視界が明るくなり、俺は目を細めた。
 棚に作業机と椅子。へんてつのないその部屋に、俺はどんなリアクションを取ればいいのか少し困った。どうやら用務室のようだ。
 俺から手を話した阿賀松は、躊躇いもなく室内を漁り出す。

「懐中電灯、ほとんど持っていかれてんじゃん」

 懐中電灯を見つけたらしい阿賀松は、どこか不満そうな顔で呟いた。
 阿賀松の言葉を聞いた俺は、ふと五味たちと交わした会話を思い出す。
 そういや、風紀委員がなんたらかんたらいってたな……。見つからないだろうか。ふとそんなことを思い出した俺は、そわそわしながら阿賀松から目を逸らす。
 というか、多分一度見つかってるんだろうけど。

「おい」

 扉の入り口で立っていると、懐中電灯を片手に阿賀松はこちらに向き直る。
「お前が持てよ」阿賀松はそう言うと、間髪をいれずに懐中電灯を俺に向かって軽く投げた。
 あまりにもいきなりだったので、極めて反射神経の鈍い俺は懐中電灯を床に落としてしまう。カシャンと音を立て床の上を転がる懐中電灯を慌てて拾い上げた。

「なーにやってんだよ」
「す、すみません」

 詰るような阿賀松の目に、俺は懐中電灯を握り締め目を伏せる。
 なんだか俺、さっきから謝ってばっかだ。今に始まったわけでもないのだけれど。
「ほら、さっさと行こうぜ」俺が懐中電灯を手にしたのを確かめると、阿賀松は言いながら俺の横を通って薄暗い廊下に出た。
 俺は用務室のスイッチを押し、明かりを消せば阿賀松の後を追って廊下に出る。
 真っ暗な廊下の中、俺は懐中電灯の明かりをつけ辺りを照らしてみた。いつもは気にも止めなかった道具だったが、いざとなるとこんなに心強いとは思わなかった。阿賀松はカードキーを取り出すと、用務室の扉に鍵をかける。

「遊んでる暇があったらさっさと忘れ物取りにいくぞ」

 別に遊んでいるつもりはない。阿賀松の言葉が少し頭にきて、俺は少しむっと顔をしかめた。
 だからと言って、その忘れ物はどこに忘れたのかもわからないのだが、阿賀松の言う通りここで止まっていても仕方ないのも事実だ。
 俺は懐中電灯を廊下の奥に向け阿賀松の前を行くように歩き出す。

「つーかさあ、どこに忘れたわけ?教室?」

 俺の斜め後ろを歩く阿賀松は、ひたすら廊下を照らし歩き続ける俺を不審に思ったのかそんなことを聞いてきた。
 俺は阿賀松にちゃんと『落とした鍵を探している』と伝えようか迷う。
 ちゃんと伝えたところで『先に言えよ』とキレられるかもしれないし、あやふやにしても『ハッキリ言えよ』とキレられるかもしれない。どちらにせよキレられるのは目に見えてる。俺は本気で悩んだ。

「なにシカトこいてんだよ」

 いつまでたっても答えない俺に、阿賀松は不貞腐れたように唸る。
「すっ……すみません」慌てて答えになってない言葉を返す俺。
 もちろん阿賀松はそんな言葉で満足するはずもなく、背後から苛立たしげな舌打ちが聞こえた。自然と額に冷や汗が滲む。

「か、鍵を……部屋の鍵をどこかに落としちゃって……」

 阿賀松がキレる前に、俺は慌てて口を開いた。せっかく機嫌がいい阿賀松を怒らせたくもないし、この場合間違いなく怒りの矛先は俺に向けられている。
 自分でも情けない男だと思った。もちろん思っただけだ。

「……なにそれ」
「……すみません」

 悩んだ末、本日何度目かの謝罪の言葉が口からでる。阿賀松は溜め息をつくだけだった。

「で、どこに落としたんだよ」

 阿賀松は、心底めんどくさそうな声音で聞いてきた。
 てっきりなにか適当な理由をつけて帰るのかと思っていただけに、その阿賀松の一言にびっくりする。今日はやけに機嫌がいいな……。
 嵐の前の静けさ。ふと脳裏にそんな言葉が過り、俺は思わず顔を青くした。

「で、どこに落としたんだって聞いてんだよ!!」

 背後の阿賀松の気配に気を取られていたせいで黙り込んでいた俺に、阿賀松は怒鳴り声を上げた。

「ご……ごめんなさいっ」

 阿賀松の声に驚いた俺はビクリと体を強張らせ、慌てて謝る。

「……それが、俺もどこに落としたかわかんなくて……」

 俺は眉を寄せ、阿賀松の機嫌を伺うように恐る恐る続けた。
「……同室のやつは?」落ち着いたのか、阿賀松は静かに問い掛けてくる。

「詩織も、こではぐれちゃって……」
「ああ、そういやお前、詩織ちゃんと同室だったんだっけ」

 俺の言葉に、阿賀松は思い出したように呟いた。
 詩織ちゃん詩織ちゃん言っているが、阿賀松と阿佐美はどんな関係なのだろうか。転校初日の阿賀松と阿佐美のやり取りを思い出し、俺はそんな疑問を覚える。仲がいいのかはわからないが、他人てわけでもなさそうだし。
 ……俺がそんなに気にするようなことでもないか。俺は沸々と沸いてくる疑問から気を逸らそう頭を横に振る。

「別に部屋に入れなくてもいるだろ?クラスメートとかに部屋借りればいいじゃん」
「……」

 然り気無い阿賀松の一言に、俺は押し黙る。
 転校して数週間は経ったが、相変わらず友達は志摩くらいしかいない俺にとって阿賀松の言葉はキツかった。すると、そんな俺の様子に感づいた阿賀松は可笑しそうに笑い出す。

「そっか、ユウキ君友達いないんだ。転校先でも友達出来ないなんて可哀想だね」
「別に……い、いないわけじゃないですから……」

 含み笑いを浮かべる阿賀松に、俺は少しだけムキになる。
 確かにそれは事実だけど、他人に指摘されると結構傷ついたり。
 懐中電灯を握り締める指先に、無意識に力が籠った。

「……本当、どこがいいんだろうな。お前なんかの」

 ふと、阿賀松が呟く。一瞬意味がわからなかったが、それが芳川会長に向けたものだと気付くのには数秒かかった。
「……」俺はなにも言わずに、ただ廊下を懐中電灯で照らす。
 2つの不規則な足音が、静かな廊下に響いた。

「鍵が見つからなかったら、俺の部屋に来いよ。歓迎してやるから」

 沈黙を破ったのは阿賀松だった。先ほどと同じ調子で言う阿賀松に、俺は「……気持ちだけ、貰っておきます」と困ったように苦笑する。

 居心地が悪い。いや、阿賀松と一緒にいるといつも居心地が悪いのだが、今日は特に居心地が悪かった。理由は分からない。

「あった?」
「……ありません」

 懐中電灯で廊下を照らしながら、俺は隅々まで目を向ける。阿賀松はつまらなさそうに携帯電話を弄りながら「がんばれー」だどと俺に声をかけた。
 別に、わざわざついてこなくてもよかったのに。あまりにも露骨につまらなさそうな顔をする阿賀松に、俺はなんとも言えない気分になる。
 廊下の突き当たり。ふと、俺が廊下を曲がると向かい側に一つの影を見つけた。

「……齋籐?」
「し、志摩……」

 懐中電灯で照らした先には、同様懐中電灯を手に持った志摩が立っていた。志摩は、驚いたような顔で俺を見る。
 志摩と再会できて嬉しいはずなのに、俺は素直に再会を喜ぶよりまず背後からついてくる阿賀松に気を向けた。
「なに?どーしたの?」俺の声に反応したように、阿賀松は携帯電話を閉じながらこちらに近付く。やばい。そう感じたときにはもう遅く、志摩は俺の背後に立つ阿賀松の姿を見て眉間にシワを寄せた。

「……齋籐、なんでそいつと一緒にいるんだよ」

 呆れたような怒ったような、物騒な顔をした志摩は低い声で唸るように言う。
「い、色々あって……まあ」気まずくなって俺は、志摩から目を逸らした。

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