03
見た目同様校舎は広く、昇降口に行くだけだというのに結構な時間がかかる。
こんな広い校舎を見回りだなんて、生徒会も風紀委員も大変だな。というか、用務員の人とかいないのだろうか。ふとそんな疑問を覚えた俺は聞いてみることにした。
「そういえば、見回りって毎日やってるんですか?」
なんか違うこと聞いてしまった。まあいいや。
俺の言葉に反応したのは隣を歩く十勝だった。
「いんや、大概は風紀に任せてっけど昨日の今日だからって会長が大袈裟にしてさー」
「会長が?」
懐中電灯を軽く振って遊びながら十勝は笑いながら言う。
昨日と言われて、俺は櫻田と体育倉庫に閉じ込められたことを思い出した。
「お前らも閉じ込められたんだろ?ここ最近多いんだよ、そういうの。まあ強化月間ってやつだな」
「そうなんですか……」
五味はそう言い足す。自分たちのせいで見回りに駆り出されたと言われているようで、俺は肩身が狭くなった。確かに、閉じ込められた側からしてみるとこういう見回りは有り難いかもしれない。生徒会側からすると、あまりいいように思ってないようだったが仕事ということで割り切っているのだろう。
「昨日だって凄かったんだぜ。会長、佑樹たちが閉じ込められたって聞いてかなりキレてさー。会長の親衛隊、全員自宅謹慎だもん」
ゲラゲラと笑う十勝の言葉に、思わず俺は驚いた。
「全員っ?」芳川会長がキレたというのもあまり想像できなかったが、親衛隊全員というのもあまり現実味がない話だ。
「そうそう。今頃家で泣いてんじゃねえのそいつら」
「『全員自主退学させろ』って会長が言い出したときは流石に教師陣ビビってたよな」
五味の言葉に、「凄かったよな」と十勝はうんうん頷く。
そんなことあったのか。昨日の会長の様子からしてそんな事があったなんて思いも寄らなかった俺は、黙り込んだ。
「いやー佑樹、会長から愛されてるねえ。うっらやましー」
「あ、愛されてるって……」茶化す十勝に、俺は困ったように眉を寄せた。
確かに芳川会長にはよくして貰っているが、第三者に言われるとなんとなく気恥ずかしいというか、むず痒いというか。せめて、好かれていると言って欲しい。
「まあ、この調子で親衛隊のやつらも大人しくなったらいいんだけどな」
小さくため息をつく五味は、ふと足を止める。
どうやら、目的地である昇降口に着いたようだ。
「あ、あの……やっぱり俺……」
志摩たちを探しにいく。
「なんだよ」そう言いかけて、五味は俺を一瞥した。
元々校舎にいる生徒がいないか見回っている人たちを前にそんなことをいうのはタブーかもしれない。
「なんでもないです」慌てて頭を振る俺に、五味は不思議そうな顔をした。
「あー、誰か鍵。……って持ってるの俺か」
制服から大量の鍵がぶら下がったキーホルダーを取り出した五味は、一番近くにあった扉に近付く。
「五味さんもう老化現象っすか」可笑しそうに笑う十勝に、五味は「うるせえよ」と舌打ちをしながら一本の鍵を扉の鍵穴に差し込んだ。カチャリと小さな音がして、五味が扉を押すとそれは簡単に開く。
「ほら、さっさと出ろ」
「なにぼさっとしてんだよ、佑樹。行こーぜ」
「え、あ……うん」
扉を開いた五味は、急かすように俺たちに目を向ける。
コッソリ校舎に残ろうかと思ったが、十勝に肩を掴まれそれは叶わなかった。俺はチラチラと廊下に目を向けながら、十勝に押されるように校舎を後にする。
「一応鍵閉めとくか?」
「当たり前です」
五味の問い掛けに即答したのは灘だった。
「ですよねー……」めんどくさそうな顔をする五味は、俺たちが外に出たのを確認すると再び扉に鍵をかける。こうなったら後からコッソリ戻ってこようと思っていたが、どうやらそれも無理なようだ。
生温い外の空気に、俺は一人悶々としていた。
「んじゃ、戻るか」
五味の一言を合図に、十勝たちは寮に向かってぞろぞろと歩き出す。
「佑樹ー飯食った?」十勝は校舎の前に居残ろうとする俺に構わず、強引に肩を組んできた。
「た、食べたよ」流れからしてこれは乗った方がいいのだろうか。いきなりの十勝の行動に鼓動が煩くなった。
「まじで?俺まだ食ってねーからさー佑樹も一緒にって思ったんだけど。和真。和真はまだだよな?」
「はい」
聞きなれない名前に、一瞬誰かと思ったがどうやら灘の下の名前のようだ。
いきなり話題を振られた灘は相変わらずの仏頂面で小さく頷く。
「五味さーん、五味さんもどうっすか?腹減りません」
「あー俺はパス。やらなきゃいけんことがまだ残ってるからな」
十勝に声をかけられた五味は、「受験生は忙しいんだよ」と可笑しそうに笑った。
「お疲れ様っすね」五味の言葉に、十勝はわざとらしく肩をすくめる。
寮へ戻ってきた俺たちは、晩飯組と部屋に戻る組で別れることになった。
もちろん部屋に戻る組は俺と五味、晩飯組は十勝と灘。十勝たちと別れた俺たちは、エレベーターに乗り込む。一緒に戻ろうなんて口約束を交わしたわけではないが、目的が同じなので仕方がない。
「……」
「……」
エレベーター機内は静かだった。五味は隅の俺を一瞥するだけで、特に会話なんてものはない。
いつもは短く感じるエレベーターの移動時間が、今はやけに長く感じた。
何回か話したことはあるが、怖いものは怖い。ちらちらと五味の横顔を盗み見ながら、俺は若干挙動不審に陥る。
機内が小さく揺れ、エレベーターが停まった。どうやら俺の目的地、三階に着いたようだ。志摩と阿佐美のことはもう諦めよう。
「ちゃんと部屋に戻るんだぞ」
開く扉からエレベーターを降りた俺。背後からした五味の声に「わかりました」と俺は小さく頷いた。エレベーターの扉が閉まり、三階の廊下に俺はぽつんと残される。
もしかしたら、もう阿佐美が戻ってきているかもしれない。それはそれで、結構ショックだったりする。
踵を返し、俺は自室に向かって歩き出した。
333号室前。
いち早く部屋に戻ってきた俺は、ようやく緊張を解す。まるで我が家に帰ってきたような安心感。
俺はポケットに手を突っ込み、部屋の鍵を取り出そうとした。
「……?」
しかし、俺の手には鍵らしきものが掴まれることはなかった。
冗談だろ。リアルに全身から血の気が失せていく。額に冷や汗が滲み、鼓動が一層早さを増した。
「……鍵がない」
まさか、まさかどこかで無くしたとでもいうのだろうか。ぶっちゃけ心当たりがありすぎて困る。
顔面蒼白になった俺は、辺りに鍵が落ちていないか探した。
もちろん落ちているはずがない。もしかして、校舎で落としたとか……。
脳裏を過る最悪な考えが、俺の背筋を凍りつかせた。
……どうしよう。一旦校舎に戻って鍵を探してみるか、阿佐美を探すか。
この二択だと、どちらにせよ校舎に行く羽目になる。
最悪だ。開かない扉の前で絶望する俺。
やっぱり、阿佐美を待とう。そう俺は小さく頷くが、もし阿佐美が鍵を部屋の中に置きっぱなしにしていたらどうしよう。こういうときに限って活発にネガティブな思考を働かせる自分の思考回路が憎たらしい。
校舎に、戻るしかないのか。俺はちょっと泣きそうになりながら、再び校舎に戻ることを決意した。というかそうすること以外俺には思い付かなかった。
確か、校舎の鍵を持っていたのは五味だ。
この時間ならまだ、五味は部屋にいるだろう。
というより、いてもらわなきゃ困る。
一人早足で廊下を歩く俺は、エレベーターに乗り込み四階のボタンを押した。
三年生怖いから四階行きたくないけど、ここで駄々捏ねていたら廊下で朝を迎える羽目になりそうだし……。
エレベーターの扉が閉まる。
こうなったら、もうやけくそだ。エレベーター機内が小さく揺れ上に上がっていく。思ったよりすぐに四階に着いた。
小さな音を立て止まるエレベーター。俺は固唾を飲み、開いた扉から四階の廊下へと足を踏み出した。
三階と変わらない造りの四階。そこまで来て、俺はハッと顔を強張らせた。
俺、五味の部屋どこにあるか知らない。
自分の計画性の無さには本当今まで何度も呆れさせられた。
なにをやってるんだ俺は。軽く自己嫌悪に陥る俺。どうしようか迷った末、まだ廊下にいることを信じ五味を探すことにした。そう思って歩き出したとき、ふと背後から肩を叩かれる。
「ユウキ君、何してんの?」
今すぐ逃げ出したかったが、思うように足が動かない。
鼻にかかったようなねちっこい声に、俺は幽霊にでもあったかのように顔を強張らせる。
阿賀松伊織はどこか嬉しそうに笑いながら、俺の肩を強く掴んだ。
「いや、あ、あの……その」
なんでこんなところに阿賀松がいるんだ。そう思ったがよく考えてみるとこの階は三年の部屋がある。そう考えると、居て当たり前だ。
最悪だ。どうしよう。やっぱりこんなことに勇気なんて遣うんじゃなかった。
俺は然り気無く阿賀松の手を退け離れようとするが、阿賀松は更に俺の肩に手を起き肩を組んでくる。顔が近い。
「あ、わかった。俺に会いにきてくれたんだろ?そうなんだろ?可愛いやつだなーお前」
「……ははは」
一言もそんなことを言っていないが、ここで余計なことを言ってまた灰皿で殴られたくはない。
俺は顔をひきつらせ乾いた笑い声を上げる。
「最近相手してやれなかったからなあ、寂しかったろ?なあ」
「……ま、まあ」
「寂しかったんだろ?寂しかったですって言えよ」
濁したような俺の返事が気に入らなかったのか、阿賀松は俺の両頬を指で挟む。
「……はびひはったはへふ」阿賀松に睨まれた俺は、慌てて言い足した。
久しぶりに会った阿賀松は、なんだか数週間前を最後に会ったときよりも機嫌が良く思える。それでも、急に機嫌が悪くなるから安心は出来ないのだけれど。
もしかしたら阿賀松と会った時点で安心を求めること自体が間違っているのかもしれない。
そこまで考えて、俺はあることを思い出した。
そう言えば、阿賀松は理事長の孫子だとか言っていたな。俺は頬を摘む阿賀松の手を退かしながら、阿賀松を一瞥する。
もしかしたら、もしかしたら校舎の鍵を持ってたりするのだろうか。
「あ?なに?誘ってんの?」
「ち、違います。違います」
眼差しをよからぬ意味で受け取った阿賀松に、俺は慌てて体を離そうとしたがのし掛かってくる阿賀松は簡単に離れない。
一応鍵のことを聞いてみようか。もし、持ってたとしても阿賀松のことだからきっと簡単に貸してはくれないだろう。それか、『生意気』だとか『誰に向かって命令してんだ』だとか言われそうだ。
言わなかったところで阿賀松から逃げられるわけではない。自暴自棄になった俺は、一か八か阿賀松に聞いてみることにした。
「あっあの、先輩」
「なーに?」
「こ……学校の昇降口の鍵、とか、もっ持ってますか……?」
「鍵ぃ?」俺の言葉に、阿賀松は訝しげに眉を寄せた。
やっぱり言わなかった方がよかったのかもしれない。今さらになって後悔する俺。
阿賀松はポケットに手を突っ込み、一枚のカードキーを取り出した。
「昇降口の鍵はねーなあ。どこでも使えるやつならあるけど」
なんかスゴいのが出てきてしまった。
「そ……そっそれ、少しだけかっ貸してくれませんか……?」
阿賀松相手に頼み事をするだけでこんなに緊張するとは思わなかった。いや、思ってはいたが想像以上だ。相手の機嫌を伺うように、俺は恐る恐る阿賀松を見上げる。
「はあ?………んまあ、別にいいけどよ」
「……い、良いんですか?」
多少歯切れが悪かったが、それでも俺の頼み事を聞いてくれた阿賀松に素直に驚く。
自分から頼んでおいてあれなんだけど、てっきり難癖つけられ断られると思っていた。
いや、安心するのはまだ早い。阿賀松のことだ。
『代わりに〜』とか言って無理難題をふっかけてくるかもしれない。
俺は「本当に、本当に良いんですか?」と念を押す。今思えば可笑しい話だ。
「当たり前だろ?ユウキ君は可愛い可愛い俺の恋人なんだから」
「……」
……恋人。
今だって俺は阿賀松の恋人になった覚えはないが、恋人だからという理由で頼み事を聞いてくれるのなら悪くない。
少しでもそう考えてしまった自分の性格の悪さに呆れる。
「……ありがとうございます」
俺は顔をうつ向かせれば、小声で呟いた。
「その代わり、俺の頼みも聞いてくれるんだろ?」
阿賀松は俺の顎を掴み、無理矢理顔を上げさせる。
やっぱりタダでは貸してくれませんよね!
予想は出来ていたものの、耳元で囁かれると背筋が凍りつく。青ざめる俺の顔を覗き込み、阿賀松は優しく微笑んだ。
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