01
その日は、部屋についている風呂に入ってからすぐに眠った。
色々あったから体が疲れていたのだろう。すぐに眠れた。
何度か仮眠を取っていたので、もしかしたら眠れないかもと思っていたが余計な心配だったようだ。
朝になり、俺は薄目を明けた。酷く肌寒く、手探りで近くの掛け布団を探す。が、俺の手はそれらしきものを見つけることができなかった。
「んん……」
俺は顔をしかめ、辺りに目をやる。
「……」
俺は床の上にいた。
……確かベッドで眠ったはずなんだけど。
いまだ眠気のとれない脳みそ働かせながら、俺はふとベッドに目を向ける。
「……んー」
阿佐美だ。阿佐美が人のベッドを占領している。
掛け布団を抱き枕のように丸め、それを愛しそうに抱き締める阿佐美。
ベッドに入ってくるのには渋々目を瞑っていたが、占領された上に床の上で朝を向かえさせるなんて流石の俺も怒った。
「詩織、朝だよ。起きなよ」
俺は言いながら、阿佐美の腕の中にある布団を無理矢理引き抜こうとする。
「あと五分……」寝苦しそうに唸る阿佐美は、それでも布団を離そうとしなかった。
しぶとい。意固地になる俺は、ぐいぐいと布団を引っ張った。
「うう……」
瞬間、阿佐美に腕を強く掴まれそのままベッドに引き摺り込まれそうになる。
「ちょっ、ごめん、ごめんてば」てっきりしつこい俺に阿佐美がキレたのかと思ったが、阿佐美は俺の腕ごと布団を掴んだまま再び眠りだした。どうやら俺を布団と間違えたらしい。
「……」
なんだよ、ちょっとびびったじゃないか。
眠る阿佐美を見つめ、俺は一人妙な敗北感に浸る。
「……詩織、詩織」
俺は恐る恐る阿佐美の肩を掴み何度か揺する。返事はない。代わりに返ってきたのは静かな寝息だった。
うっかり抱き枕にでもされたら堪らない。小さくため息をついた俺は、腕を掴む阿佐美の指を一本一本離しながら、ゆっくりと阿佐美の眠るベッドから離れた。
どうやら、今日も阿佐美は午前中を眠って過ごすらしい。四月の頭、一度教室までやってきたがあれ以来ずっとこの調子だ。
志摩の話を聞く限り、一年の頃からずっとこの調子だとは聞いていたが俺はいまだに無事に進級できたことが信じられなかった。
あまり、そういう裏の事情に首を突っ込むような真似はしたくないがやっぱりルームメイトだからだろうか。気にならないといえば嘘になる。
俺としては、教室に来てくれた方が話し相手が増えて嬉しいのだけれど。そんなことを思いながら、俺は部屋に取り付けられた洗面所に向かう。
体がダルい。瞼が重い。床で眠ったのが悪かったのだろうか。
俺は今度から阿佐美のベッドで寝てやろうなんて企みながら、洗面所で身支度を整える。
制服に着替えた俺は、部屋に戻ってカバンの用意をしていた。相変わらず阿佐美は眠っている。昼夜逆転の生活を直す気もないようだ。俺は阿佐美のベッドから掛け布団を引っ張り、俺のベッドで眠る阿佐美の上に掛ける。阿佐美はむにゃむにゃと口を動かせば、すーすーと寝息をたて始めた。
阿佐美のだらしない寝顔を見ていると寝起き時の怒りすらどこかへ飛んでいくぐらいどうでもよくなってくる。もしかして、俺も寝ているとき相当間抜け面だったりするのだろうか。
そこまで考えていると、部屋の扉が数回ノックされた。
『齋籐、起きてる?』
志摩だ。扉越しに志摩の声がして、俺はカバンを手にし慌てて扉に向かう。
扉を開くと、まだどこか眠たそうな目をした志摩が立っていた。
「おはよ、志摩」
「おはよう」
俺は部屋から廊下に出て、扉を閉める。
数週間前、俺が満身創痍になって部屋に戻った日から志摩は今日のように毎朝迎いにきてくれるようになった。
一度は断ったが、本音を言えば志摩がいると一人よりも数倍心強いなも事実で、結局俺は志摩の好意に甘えさせてもらっている。
「それじゃあ、行こうか」
志摩はそう微笑めば、横に並んで歩き出した。
「うん」俺は遅れを取らないよう、慌てて志摩の歩幅に合わせ歩き出す。簡単な朝食を取って、俺と志摩は教室に入った。
「会長の親衛隊に軟禁されたんだって?」
志摩は、自分の席の上にカバンを乗せながらそんなことを聞いてきた。
肩にかけていたカバンを下ろしていた俺は、ギクリと顔を強張らせる。あまりにも直球な志摩に「……えーと」と口ごもった。
「なんで知ってるの」
自分の口からでた言葉に、少し呆れる。これじゃあまるで肯定しているみたいじゃないか。
志摩はおかしそうに笑いながら、横目で俺を見る。
「盗聴器」
「え?」
いきなり志摩の口から出た聞きなれない単語に、思わず俺は間抜けな声をあげた。
とっさに制服のポケットをまさぐってみる。学生証くらいしか入っていない。
「冗談だよ」
慌てる俺に、志摩はおかしそうに笑った。食えないやつだ。
俺は恥ずかしくなって、志摩から顔を逸らす。
「十勝が話してたの盗み聞きした」志摩はそういい足した。それはそれでどうなんだろうか。答えに困って、俺は「そうなんだ」と呟く。あまりにも味気のない自分の受け答えにほとほと呆れるが、この場合は仕方ない。
ニコニコと笑う志摩を前に、俺は顔を強張らせたまま黙り込む。
「だから生徒会と関わらない方がいいって言ったのに」
言わんこっちゃない。そう言いたげな目を向け、志摩は笑った。
自分の予想が当たって楽しそうな志摩に、俺はむっと唇を尖らせる。
「関わるって、……話しただけだよ」
ちょっと強がってみるが、志摩は「そうだね」と笑うだけだった。
もちろん話すどころか色々お世話になっているのも事実だ。十勝と同室の志摩は、そのことに気付いているのだろう。
「でも、本当気を付けないとダメだよ。また怪我だらけになったら堪らないからね」
志摩は何かを思い出したのか、目を細める。
「大丈夫だって」俺は心配性な志摩に、そう笑いながら答えた。
そう言えばそうだ。俺は昨日の夜、栫井と交えた会話を思い出す。栫井はバックに阿賀松がいるからだとか言っていたが、多分その通りかもしれない。でもなんだか阿賀松に助けられたみたいで、あまり嬉しくないな。
脳裏に浮かぶ阿賀松の顔を振り払いながら、俺は自分の席につく。
「そういえば、知ってる?」
「なにが?」
志摩は、椅子を俺の方に向けながらにやにやと笑う。少し気味が悪い。
あまりいい感じはしなかったが、なんとなく気になった俺は志摩に聞き返した。
「夜な夜な校舎に現れる幽霊の話」
志摩は俺に顔を近付け小さく囁く。
あまりにも志摩が真面目な顔をしてそんなことを言い出すので、俺はうっかり机の上のカバンを床に落としてしまう。
「幽霊って……」
まさか志摩の口からそんな話題が飛び出すなんて思ってもいなかった俺は顔を引きつらせる。
季節外れというか、少し早すぎるのではないのだろうか。不意打ちを喰らった俺は、額に冷や汗を滲ませる。
「詳しくは俺も知らないんだけどね、結構目撃者多いらしいよ」
わざとらしく声色を変える志摩に、俺は「うっそだー」とおどけて見せた。というか、毎日この校舎で一日の半分を過ごしている俺からしてみると嘘じゃないと困る。
乾いた笑い声を上げる俺に、志摩は優しく笑いかけた。
「嘘か本当か、確かめてみようか」
ニコニコと笑う志摩に、俺は顔を強張らせる。
なにを言い出すんだ志摩は。全身からぶわっと嫌な汗が吹き出す。
「……はい?」
顔面から血の気が引いていくのを感じながら、俺は恐る恐る志摩に問い掛ける。
「今晩、肝試しをしよう」
冗談じゃない。どうしたらそんな考えに辿り着くのだろうか。
笑いながらいう志摩に、俺はみるみるうちに青ざめていく。
「……俺、怖がりだから齋籐がいてくれるとかなり心強いかも」
志摩は、そう言ってちらりと俺に目を向けた。
やめてくれ。そんな目で俺を見ないでくれ。期待するような志摩の眼差しに、俺はぐっと堪えた。
「ダメ?」
志摩は俺に顔を近付け、甘えるように耳元で低く囁く。色々な意味で怖い。
額から一筋の冷や汗が流れ、頬から顎へと伝っていく。
「…………わかった」
◆ ◆ ◆
時間は過ぎ、放課後。
寮の自室へ戻ってきた俺は、ベッドに腰を下ろし深いため息をついた。
俺のバカ。何回そう思ってもやりきれない。
志摩と今日の夜、会う約束をした。もちろん、目的は夜の校舎に忍び込み噂の真否を確かめるためだ。
そんなの嘘に決まっているのに、志摩はなにを考えているのだろうか。
志摩と約束した時間までまだだいぶあるが、俺は何度も目覚まし時計に目を向ければ二度目のため息をつく。
「佑樹君、どうしたの?」
あまりにも浮かない顔をした俺を心配してくれているのか、ソファに座っていた阿佐美は俺の方を向いた。
俺は無言でソファに近付くと、阿佐美の隣に腰を下ろす。
「詩織、今夜暇?」
「な、なんで……?」
「頼み事があるんだけど」
旅は道連れ、なんて言葉がある。俺は、阿佐美の腕を掴んだ。
「ゆ、佑樹君……」阿佐美は身をよじらせ、恥ずかしそうに顔を逸らす。なんだかちょっと勘違いしているように思えたが、俺は敢えて黙っていた。
「今夜肝試しするんだけど一緒に来てくれない?」
「うん!」
阿佐美は勢いよく頷いた。
「……肝試し?」俺の言葉になにかひっかかったのか、阿佐美は首を傾げる。
どうやら俺の話をちゃんと聞いていなかったようだ。しかしもう遅い。
「本当?ありがとう詩織!」
俺はガシッと阿佐美の腕を掴み、逃がさないぞと念を送る。
「うん?」現状をいまいち理解できていない阿佐美はポカンと口を開けたまま、コクリと頷いた。
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