02
それから教師陣からの短い連絡があったあと、役員たちの閉式の言葉とともに始業式はあっさりと幕を下ろした。
この後は特に授業もないようで、明日まで自由時間となるようだ。
「理事長の話長かったね」
各々、目的を持って歩き出す生徒たちに混ざって歩いているといつの間にかに隣には志摩がいた。
どこから現れたのか、隣に並んでくる志摩は大きなアクビを噛み締める。
理事長は優しいそうなお爺さんだった。
だからこそその柔らかい声だとか余計眠くなって、眠気を払うために抓り続けた手の甲は真っ赤になってしまった。
「確かに」と志摩の言葉に頷く。
せめてこれが意地の悪そうなお爺さんだったら寝ていたのかもしれないな、なんて思いながら。
「あ、そうだ。これから掃除しかないし、校内探検でも行こうよ」
それは突然のお誘いだった。
講堂前。
これからどうしようか迷っていた俺にとって志摩の誘いは有り難いものだった。
「いいの?」
「いいよ、俺、一応委員長だし先生にも言われてたからさ」
「……そうなんだ」
もしかしたら好意で、と思ったが委員長ならば転校生を気に掛けるのも仕事ということか。
少し残念だったが、それでも有り難い。
「じゃあよろしくね」
最悪一人パンフレット片手に探索しようと思っていただけに、ここの在校生が一緒となれば心強い。
それにしても、志摩が委員長ということにも驚いたが。
生徒会役員といい、わりと自由な校風なのだろうか。
「じゃあ一応喜多山にも言っとかないとな」
「喜多山?」
「うちのクラスの担任。あいつ暑苦しいでしょ」
ああ、あの体育会系の教師か。
白い歯をみせて笑う担任を思い浮かべ、俺は苦笑を浮かべる。コメントのしようがないのだ。
志摩の好意に甘えることにした俺は、近くに担任がいないことを確かめるとそのまま志摩とともに職員室に向かうことにした。
◆ ◆ ◆
「なんだ、お前らいつの間に仲良くなったんだ」
職員室前、担任もとい喜多山は豪快に笑う。
「お前も隅に置けないな」なんてここではなかなか笑えない冗談を口にし、担任はバシバシと志摩の背中を叩いた。
「じゃあ、しっかり案内してやれよ。委員長さん」
「任せて下さい」
そう返す志摩がなんだか頼もしく見えた。
職員室前廊下、喜多山と別れた俺達は一旦職員室から移動することにした。
「それじゃ、まずどこから行こっか」
「どこでもいいよ」
「そうだね、校舎も案内しないといけなくなるだろうし……けど今日のところはやっぱり寮かな」
寮、という単語に俺は目を輝かせる。
ここへやってくるときちらっと見かけたあのお城みたいな建物が確か、矢追ヵ丘学生寮なはずだ。
そう、今日から俺が卒業までの間毎日過ごす場所。
「もしかして、もう見た?」
「ここに来るときにチラッとだけど……」
「まあ、確かにあそこ目につくもんね。……中も見た?」
問い掛けられ、俺は首を横に振る。
「じゃあ決まりだね」志摩は笑った。
長期間他人と一緒に生活をすること自体が初めての俺にとって寮暮らしが楽しみである反面、心配の種でもあった。
一般生徒は二人一部屋を義務付けられているというのだ。
つまり、必然的に誰かと1つの部屋を共用しなければならないという。
俺のルームメートはどんな人だろうか。
優しくて、志摩みたいな人なら気が楽なんだろうけど。
「齋籐、どうしたの?」
「あ、いや……なんでもないよ。今行く」
考えても仕方がない。
けれど、ルームメイトになる人と仲良くなれたらいいな。
なんて思いながら、俺は志摩の後を追いかけた。
校庭、学生寮前。
豪勢な校舎の隣に建つ、これまた豪勢な寮を見て俺は固唾を飲む。
「ここが、矢追ヶ丘学園自慢の学生寮です」
貰った学園案内のパンフレットで見た時も思ったが、本当、ここがなんの施設なのか分からなければどこぞの城だと聞いて納得できそうなくらいだ。
「す、すごい……」
ここが、今日から生活する建物。
感動のあまり打ち震えそうになる俺に、志摩は笑った。
「いやーなんだか懐かしいね」
「え?」
「齋藤見てると、初めてこの寮見た時の自分を思い出すよ。俺も『なんだこの城』ってすごい驚いた記憶あるな」
「志摩も?」
この学園は元々小中高のエスカレーター式になっているようで、多くの生徒はこの無駄に金の掛かったこの施設にも慣れているのだろうと思っていただけに少し、親近感を覚える。
もしかして志摩も俺と同じ転校生だったのだろうか。
そんなことを考えている内に、志摩はさっさと入口の自動ドアから寮に入っていく。
遅れを取らないよう、俺は志摩の後を追うように学生寮へと脚を踏み込んだ。
「一年が二階で、二年が三階。三年生は四階ね。因みに一階はショッピングモール」
「ショッピングモール?」
「基本学校生活に必要無ものは一階で揃えることが出来るようになってるんだ。勿論、外出届けを出せばソトで買い物することもネット通販で取り寄せることもできるからここはただの娯楽施設だね」
「……娯楽……」
「そ、ゲームセンターとか本屋とか服屋とか。これは理事長の趣味というより……いや、なんでもないよ。それより、ショッピングモール気になるでしょ?」
一階、エントランス。
尋ねられ、俺は勢い良く頷いた。
「なら、一階から案内するよ」
そう言う志摩の言葉に甘え、俺はモールへと向かった。
本当、店舗もここまで揃えば一般公開してほかの客を入れてもいいんじゃないかというくらいの店揃いで、正直この施設が学園で生活する生徒教師にしか使用できないということが勿体なく感じる。
高い天井、行き渡った清掃、清潔感溢れる内装をしたそこは一流デパートと言われても納得出来る。しかしまあ、一階だけなのでそれほどの広さがないが、寧ろ学生寮の付属としての施設だけの役目なら贅沢な程だろう。
「すごい……広いね」
「そうだね、無駄に金掛けてるみたいだからね」
「ここ……回りきれるかな」
「それは大袈裟だよ、齋藤。……けど、そうだね、一旦着替えてからにする?荷物もあるんだよね、そういや」
「うん。……そうしようかな」
いますぐ見て回りたかったが逸る気持ちを抑え、一度俺と志摩は三階の二年部屋へ向かうことにした。
ロビーを抜け、エレベーターへ乗り込む。
エレベーター機内まで細部まで装飾が施され、なんだかもう次元の違う場所のように思えた。
「ついたよ」
小さな音とともに開くエレベーターの扉。
俺達はエレベーターを降りた。
一階同様、三階通路は広く手入れが行き渡っているようだった。
並ぶ無数の扉にプレートの番号、色を差すためか置かれた瑞々しい観葉植物といい、なんとなく高級ホテルを連想する。
「齋籐、部屋の鍵とか貰った?」
興奮がピークになるのを自分でも感じていると、不意に隣を歩く志摩に尋ねられる。
鍵、鍵、鍵と、職員室で喜多山に渡された鍵を探す。
制服のポケットの中、それは見つかった。
「あ……これかな」
「ふーん、333号室なんだ。ぞろ目じゃん、すごいね」
鍵についたプレートの数字に目を通し、笑う志摩。
確かに覚えやすくていいな、と最初は思ったもののこうして三階に出た今333号室に行き着くことが出来るのかすら不安になってくる。
「ん?333号室………?」
そんな俺の不安が伝わったのだろうか。ふと、思い出したように首を傾げる志摩。
「……どうしたの?」
「……」
「志摩?」
「……いや、なんでもない」
なんでもないことはないだろう。
そんな微妙な反応をされ濁された方が逆に気になるというもので、「何かあった?」と少し踏み込んだ問い掛けをしたとき、ようやく志摩は重い口を開いた。
「……333号室って、阿佐美と同室だ」
そう、一言。
阿佐美。つい最近どこかで聞いた覚えのある名前だ。
そうだ、あれは朝のホームルームだ。
始業式早々サボっている生徒の名前が確か、阿佐美だった気がする。
「こ……怖い人なの?」
あまりの志摩の反応に、段々不安になってくる。
神妙な顔をして考え込む志摩。
「怖いっていうか、なんて言ったらいいんだろう。……変わり者かな。いつも一人で、部屋に引き込もってばっかりで。……まあ頭はいいらしいけど」
「俺はあんまり」と肩を竦める志摩。
引き籠り、ということだろうか。
一時期、俺にも部屋の外から一歩も出歩くことが出来なかった時期があった。
痛む体を動かしてまで人に会いに行く気になれなかったのだ。
それでも、なんとか保健室までは行くことが出来るようになったけれど、それでもたくさんの人がいる所は今でも立ち竦んでしまう。
「……そうなんだ」
見知らぬ阿佐美という生徒についこの間までの自分を重ねてしまい、つい、語尾が弱くなる。
明るくフレンドリーな志摩にとっては変わり者という部類になっても仕方ないと思う。
改めて自分とは違うタイプの人間だと突き付けられているようで、それ以上にこうして並んで歩いていることが場違いではないだろうか、なんて不安になってきて。
「まあ俺はあんまあいつと話さないからわからないだけかもしれないし、案外普通かもしれないよ」
黙り込む俺が不安になっているように見えたのか、志摩はそうフォローするかのように俺の肩に触れてきた。
……だったら良いけど。あまりにも自然なボディータッチになんとなく戸惑いながらも俺は「うん」とだけ頷いた。
「333号室だっけ、荷物とかは?」
何股にも分かれた廊下を迷いもせず歩く志摩の後をついて行くこと暫く。
確か、荷物はここへ来るときへやに送ってもらうよう頼んでいたんだ。
「多分、部屋かもしれない」
「なら丁度よかったね。齋籐、部屋までの道覚えときなよ」
「えっ?」
「まあ最初は大変だろうからね、俺で良かったら毎日迎えに行くよ」
「いいの?」
「構わないよ、別に」
そうだ、志摩は委員長なんだ。
転校生の面倒まで見なくてはならないのだから大変だなぁと思う反面、志摩の気遣いは純粋に嬉しい。
「それじゃあ、よろしくね」
そう笑い返せば、志摩は微笑む。
「……っと、ついたよ。333号室」
とある扉の前、立ち止まる志摩。
その言葉に扉のプレートに目を向ければ確かに『333』の数字が記載されていた。
「ここが……」
「齋藤、鍵持ってるよね?」
「うん、ちょっと待って……」
ポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。すんなり鍵は開いた。
重い扉は防音機能が付いているようだ、解錠したのを確認し、ゆっくりと扉を開く。
瞬間、異様な匂い。
「ぅ……ッ!」
「な、なにこれ……」
生ゴミやらなんやらが混ざったような匂いに目眩を覚えた時。
大きく扉を開いた志摩は呆れたように言葉を失う。
見渡す限りのゴミ、雑誌の山、何かよく分からない機械に空のペットボトルや菓子袋。
溢れんばかり散らかった部屋の中、置き場がなかったようで玄関口に置きっぱなしになっていた俺のバッグを見つけた。
「阿佐美の奴……っ」
恨めしげに吐き捨てる志摩。
正直、俺もこれは擁護出来ない。
部屋の明かりを点け、俺と志摩は改めて333号室内に踏み込んだ。
「相部屋になるって知ってるなら掃除ぐらいしろっての、あいつ……」
「ま、まあ……仕方ないよ。知らなかったのかもしれないし」
広い部屋の中、別れるように並べられたふたつのベッド。
来る途中、志摩の話によると阿佐美は元々一人部屋だったという。
ベッドが運び込まれているということは知っていたのか?
分からないが、本人がいないのは間違いないようで。
「阿佐美君……いないみたいだね」
「なら丁度よかったよ、掃除しよう」
「えっ?いいの?」
「今日から齋藤もここで暮らすんだからいいでしょ、ちゃんと掃除してなかったあいつが悪い」
言いながら、ポイポイポイとゴミを拾っていく志摩。
綺麗好きというか、面倒見がいいのだろうか。
仕方ないので俺も一緒に部屋の掃除をすることにしたのだけれど。
散乱する雑誌はどれもコンピューターや機械関係のものばかりで俺にはとても理解できない。
床を這う無数コードにテレビと同じぐらいの大きさはあるパソコンの画面。その左右には名前もわからないような機械が置かれていて。
……この辺は触らないほうが良いかもしれない。
パソコンから離れ、テーブル付近に置きっぱなしになっている空の弁当箱を拾っていく。
中に空の錠剤のようなものもあったが、迷った末捨てることにした。
それにしても、すごい部屋だ。
洋書から始まり娯楽雑誌に動物の写真集、一見ごった返しているように見えるが一つ一つを見てみると嗜好が偏っていることに気付く。
パソコン等の機械関係に強く、犬好き、ゲームも好きなのだろう。洋書の内容は全く分からないが表紙からしてこれもパソコン関係で。
引き籠りでパソコン好きと聞くと一日中パソコンに張り付いてネットゲームをしているようなタイプなのだろうかと偏見を持ってしまうが、正直、不安は拭えない。
仲良くなれるだろうか、こうして部屋を勝手に掃除にしてることで怒られないだろうか。
そんなことを思いながらもテキパキと片付けを進めていく志摩に続いてゴミを拾った時だった。
玄関の扉が開く音が聞こえた。
そして、
「えっと……あの、なにしてんの……?」
掠れた男の声。
驚いて振り返れば、そこには一人の私服の生徒がいた。
目元が隠れるくらいの無造作な長い髪に、志摩よりも遥かに高い長身痩身。
「阿佐美、お前部屋汚過ぎだろ」
「志摩、なんで」
「新しい子が来るって知ってるだろ。俺はただ連れてきただけだよ」
「別にお前の部屋に興味ないから」と冷たく突き放す志摩。
どうやら、この人が阿佐美なのだろう。
心なしか顔色が悪いのは俺達が勝手に部屋に上がりこんでいたからか。
「あ、あの……ごめん、勝手に上がっちゃって。あの、俺、齋藤佑樹って言って……その、今日からよろしくお願いします……!」
挨拶しなきゃ、そう必死になったお陰で見事しどろもどろの拙い挨拶になってしまう。
咄嗟に握手しようと手を伸ばすが、阿佐美なる男子生徒は困惑したように俺から顔を逸らした。
「……ごめん」
ごめんってなんだ。
見事空振った手のやり場に困ったまま、俺は暫くその場を動けなくなる。
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