01
『ねえ、佑樹君って●●ちゃんのこと好きだったよね』
『おーい、佑樹君がオナニー見て欲しいってよー』
『うわっ、こいつまじで出しやがった』
『うっわ、早っ!人に見られて興奮するとか変態かよ!』
頭の中に広がる男子の笑い声と女子の悲鳴。中学の頃の思い出したくもない忌々しい黒歴史。
元々、人から好かれるような性格をしているわけじゃなかった。
どちらかといえば内向的で、人の顔を見て話すことができないような奴だった。
その性格のせいで同性からは笑われ、異性からは嫌われ、いままで散々な人生を送ってきた。
でも、それも今日で終わりだ。
鏡の中、映る自分の姿を見つめた。
美容室に行って伸ばしっぱなしだった髪は染め、前髪も切ってもらった。
広くなった視界が少し心細かったが、それでも少しは目の前が明るくなったような気がした。
「……っよし!」
真新しいブレザーに身を包んだ自分は以前の自分とは違う。……ような気がした。
俺、齋籐佑樹はおよそ17年間過ごしてきた街を出た。
そして、単身でやってきたのは都心の全寮制の男子高だ。
ここには以前の自分を知っている人間もいない。
その代わり、いつも世話を焼いてくれた使用人もメイドも、親もいない。
そう、何もかもが今までとは違うのだ。
……頑張らなければ。変わるんだ、俺は。
今までのように逃げる必要も人の視線を怯える必要もない。
頑張らなければ、ともう一度口の中で呟き、気合を入れる代わりに俺は頬を叩いた。
「今日から皆のお友達になる、齋籐佑樹君だ。皆、仲良くな!」
そう言って、担任教師であろう男に肩を叩かれた。
その反動で蹌踉めきそうになりながらも、俺は顔を上げる。
こちらを向く、無数の視線。
頑張らなければ。そう、決意したのが一時間前弱。
早速俺の意思は砕けそうになっていた。
国内の男子高の中でも屈指の金持ち校と名高い『矢追ヵ丘学園』はその噂通り本当に必要なのかと思うところまで設備が整っており、無駄にでかい。
ずっと公立の小・中学校に通っていた俺にとっては本当に女子もいないだとか黒板がホワイトボードになってるだとか何もかもがカルチャーショックで、正直、今朝繰り返していた自己紹介のシミュレート内容すら思い出せなくなっていて。
静まり返った教室の中、突き刺さる視線が恐ろしく俺はまともに声を出せなかった。
「齋籐」と促され、そこでようやくハッとする。
そして、
「さ、齋籐佑樹です。よ、よっよろしく!……お願いします……」
反応すら返ってこない教室内に、俺の裏返った声が虚しく響く。
別に返事こそ期待はしていなかったが、これはこれで恥ずかしい。
唯一担任が「よろしくな!」と、爽やかに笑いながらバシバシと俺の背中を叩いてくれたのが救いかもしれない。
「そうだなー……じゃあ佑樹は、後ろの……亮太の隣に行きなさい」
一頻り笑った担任は、言いながら後列の窓際の席を指差す。
亮太と呼ばれた生徒の隣に、確かに空いた席が用意してあった。
担任に急かされるまま、俺は視線から逃げるように空いたその席へ向かった。
しかし、後列でよかった。
後ろからものが飛んでくることもいきなり後頭部を殴られることも椅子を引かれることもない。
そもそも、ここにそんなことをする人間なんていないのだけれど。
一人感傷に耽けていると、不意に肩を叩かれる。
顔を上げれば、隣の席の生徒は目が合うなりにこりと笑った。
「俺、志摩亮太。よろしくね」
長めの焦げ茶髪。
どことなく軽そうな印象を与える生徒だが、好意的な笑顔が逆にいまは嬉しかった。
「よろしく」と笑い返し、椅子に腰を下ろした。
よかった、いい人そうだ。
不安でいっぱいだった新たな生活の第一歩。
隣の席の志摩という生徒との出会いに一先ず俺は安堵した。
「じゃあ、出席とるぞー」
こういうところは、どこの学校でも同じようだ。
クラスメイトの名前を呼ぶ担任の声を聞き流しながら、俺は小さく息を吐いた。
ただ自己紹介(おまけに不発)をしただけだというのに異様な疲労感だ。
正直、転入生と言われれば「えーあの人が転入生?なんか感じ良さそうだし話しかけてみようぜ!」という感じで転入早々人気者なイメージがあった俺にとって、自己紹介時の反応がなかったことがこう……スタートダッシュをしくじった気がしてならない。
昨日の練習のはちゃんと出来たのに、とか一人反省会をしていると、ふと担任が顔をあげた。
「ん?阿佐美、阿佐美はいないのか?」
どうやら、生徒が一人無断欠席しているようだ。
一学期の始業式早々欠席なんてすごいな。
前列に目を向ければ確かに一つ空いた席がある。
「いつものことじゃないっすか」と野次が飛ぶ。
いつものサボってるということだろうか。
前の高校でもサボリ魔というのがいたが、どこでも変わらないようだ。
渋い顔した担任はそれ以上阿佐美なるサボリ魔について言及することなく再び点呼を取り始める。
それからというと、担任は今朝職員会議で話されたであろうことを簡潔に説明し、HRは数十分も経たないうちに終わった。
「これから講堂で始業式があるから並んで迎え」
教師はそういって、書類やファイルを手に教室を後にする。
始業式。今までならばその単語に億劫な思いしか浮かばなかった。
けれど、今は。
「齋藤、場所分かる?」
ぞろぞろと立ち上がるクラスメート達に遅れを取らないよう慌てて立ち上がろうとした時、隣の席の志摩に声を掛けられた。
首を横に振れば「だろうね」と志摩は笑う。
「なら、一緒に行こうよ。俺、案内するからさ」
俺のことを気にして声を掛けてくれる人間がいる。
そのことがただ嬉しくて、俺は勢い良く「ありがとう」と頷いた。
そうだ、今までとは違うんだ。
他の生徒に混じって講堂へ向かう足は不思議と軽かった。
◆ ◆ ◆
場所は変わって講堂。
広い講堂の中には新入生を含む大人数の生徒がいた。
見渡す限りの男、男、男。
ここは男子校だから当たり前なのだろうが、ここまでくるとこう……むさ苦しいものがある。
「齋籐が通ってた学校って、共学だったの?」
耳元で声を掛けられ驚きのあまり飛び上がりそうになる。
隣を振り返ればそこには志摩が座っていて、近いんじゃないかと思いながら「まあ」とだけ笑って返した。
「ふーん。じゃあ、やっぱ彼女とかいたんだ」
何気ないその言葉にぎくりと全身が強張る。
初対面で、しかも友好的な態度で話し掛けてくれる志摩に「実は女子から嫌われてました」なんてカミングアウトはしたくない。
「別にいないよ」
「意外だなあ、齋籐モテそうなんだけど。俺的に」
「……そうかな」
「そうそう、俺が女の子だったら速攻声掛けてるって」
それは、褒められているのだろうか。
なんだか照れ臭くなる反面、男である今でも速攻話し掛けてくれた志摩が可笑しくて、少しだけ頬が緩む。
志摩と他愛無い会話を繰り返していると、不意に講堂の空気が変わったことに気付く。
静まり返った講堂内、ステージの上には数人の生徒が並んでいた。
「あ、生徒会の奴らだ」
生徒会。
この学園の生徒会と言うだけに全員模範生徒みたいなものをイメージしていたが、現れた生徒会役員たちは大分俺のイメージから外れていた。
まず、スキンヘッドの大男に笑いかける耳に刺さったピアスが痛々しい派手な生徒。
制服を着崩した眠そうな生徒に……一人は俺のイメージに近い、突飛な服装違反もないが表情もない男子生徒。
「……なんか……」
「バラバラでしょ、タイプ」
「おまけに人相悪いのばっかり」と笑う志摩に俺は言葉に迷いながらも頷き返す。
確実に三人は優等生にはみえない。
「まあ、所詮寄せ集めだしね」
冷ややかな志摩の言葉とは裏腹に、生徒会が現れた途端私語をする生徒がいなくなったのも事実で。
俺はなんとなく違和感のようなものを覚えた。……いや、興味が沸いたと言ったほうが適切なのだろう、この場合は。
四人の生徒会役員のその中央、道を開けるようにしてマイクスタンドが置かれていた。
そして、
「出たよ、会長様」
そう、冷やかすような志摩の言葉とともに確かにステージの隅から1人の生徒が現れた。
染めたような真っ黒な黒髪に、温度を感じさせない冷たい目。
シルバーフレームの眼鏡を掛けた男子生徒は1人静まり返った講堂内を悠然と歩き、中央、マイクスタンドの前に立つ。
瞬間。
「うおー!会長ー!!かっこいいー!!」
どこからともなく飛んでくる野次に傍観者である俺の方が驚きそうになる。
しかし、生徒会長らしきその眼鏡の生徒は眉一つ動かすことなくマイクを手に取った。
「これより始業式を始めさせていただきます。……進行は生徒会役員」
何事もなかったかのように始まる始業式。
先程野次飛ばした生徒は数人の教師に引っ張られ、講堂から引き摺り出されているようだった。
「……生徒会長って、人気あるんだね」
「まあ、顔が良いからね」
人望的な意味合いで口にしたつもりなのだが予想だにしなかった返答に「顔?」と目を丸くすれば志摩は笑う。
「ほら、よくある話じゃないか。男ばっかに囲まれてるせいで恋愛対象が男になっちゃう話」
俺には理解出来ないけどね、と笑う志摩。
俺は先程の黄色い(寧ろ茶色い)声を思いだし、ゾッと背筋が寒くなるのを覚えた。
それにしても……そんなあからさまな生徒の声を受け流して始業式を続ける会長の神経の図太さが少し、羨ましく思ったり思えなかったり。
途中、奇声を上げる生徒が出たりとあったが、生徒会の手際の良さのお陰か始業式はスムーズに行われる。
「……五、生徒会長から一言。芳川会長はお願いします」
途中から眠たそうな生徒の進行に変わり、いまにも眠りそうなくらい覇気の無い声にこちらまで眠りそうになっていた矢先のことだった。
再び、講堂内部に奇妙な沈黙が流れた。
威圧にも似た空気感はうっかり声を上げてしまうことすら躊躇わされそうになる。
そんな中、堂々とした態度で再びステージ中央へと戻ってきた芳川会長はマイクを手にした。
瞬間、周囲、いや、生徒会役員たちの周囲にも緊張が流れるのを肌で感じた。
「今日から、新しい学期が始まります。季節の変わり目でもありますので、皆さん体調を崩さないよう気をつけてください」
それはなんでもない、他愛のない簡素な挨拶だった。
「終わります」
会長の話が終わった途端、講堂内部にたくさんの拍手が響き渡る。
特に大したことを言っているようには思えなかったが、真面目な生徒が多いということだろうか。
合わせて手を叩いていると、隣の志摩は拍手どころか指一本動かそうとすらしていないことに気がついた。
ステージの上の会長を見ている時も、ずっと、志摩はどこか冷めた目をしていて。
「……志摩?」
「ん?どうしたの?齋藤」
俺が声を掛けると、志摩は先程までと変わらない人良さそうな笑みを浮かべた。
もしかしたら俺の考えすぎなのかもしれない。
そもそも、始業式なんてもの面倒臭いと考える生徒が一般的なのかもしれないし。
なんて思いながら、「いや、なんでもない」と視線をステージへと逸らした時。
一瞬、ステージの上の芳川会長と目があったような気がした。
いや、そんなはずがない。ただこちらに目が向いただけだ。
自分を見ていただなんて自意識過剰も甚だしい。
そして、何事もなかったかのようにステージの脇へと引っ込む会長から目を逸らした。
進行役は無表情な男子生徒と代わり、先ほどの生徒に比べてハキハキとした話し方だったが高揚がないそこ声に余計眠くなりながらも淡々と始業式は進んでいった。
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