天国か地獄


 30

 学生寮一階には人が疎らにいて、それらから逃げるように人気の少ない通路を歩いていく。
 そして、学生寮一階、ロビー。
 管理室の扉があった。
 普段、寮長以外は利用しないようで、大体鍵が掛かっているようだ。職員室に行かなければならないというのがネックだったが、夜、人気がなくなったところを狙えばいいだろう。
 夕方になり、人気が多くなる。
 視線から逃げるように俺は三階へ戻った。
 そして、俺は自室の前までやってくる。あまり来たくない場所だが、調達するならやはりここだ。
 先生から預かりっぱなしだった合鍵を使って部屋に入る。
 相変わらず散らかったままの部屋の中、俺は自分の使っていた机の引き出しを開き、中からカッターナイフを取り出した。
 刃先を確認しようと思いグリップを握れば、音を立て鋭く薄い刃が現れる。
 あまりにも頼りないが、それでも、ないよりかはましだ。
 それをポケットに仕舞い、俺は部屋の中を見渡す。他に使えそうなものはないだろうか。棚の中をひっくり返し、探す、なんでもよかった、少しでも役に立てそうなものがあればよかった。
 包帯、絆創膏、延長コード……は、使えないな。コンパス……使えないだろう、いや、使い方によっては……やめよう、考えるだけで気分が悪くなる。
 詰め込めるだけポケットに詰め込み、最後にカッターナイフの感触を確認する。確かに、それは俺のズボンの右ポケットに存在していた。
 これで、恐らく、大丈夫なはずだ。何が大丈夫なのか最早分からなくなってきているが、それでも、今更退けないのだ。前に進むしかない。
 立ち竦みそうになる自分を叱咤し、俺は部屋を後にした。
 あとは管理室の鍵を手に入れ、縁の行動を確認して停電を起こすだけだ。

 単純なようでいて、一番読めないのが縁の行動だ。
 消灯時間を過ぎていても自由に出歩いている縁だ。
 わざわざ部屋から出歩いているとなるとやはり阿賀松関連での用事というイメージもあり、だとしたら中々連絡取れなくなった縁を不審に思った阿賀松が学園にやってくる可能性もある。
 阿賀松から怪しまれないよう、尚且つ速やかに行いたいがそこまで綿密にしていたら志摩が保たなくなる。

 それに、縁に手を出せば阿賀松にもそれは伝わってしまうだろう。
 阿佐美だけではなく縁まで手を出したとなると、俺は間違いなくここにいることは難しくなる。

「……」

 けれど、俺たちがしようとすることはそういうことだ。
 そうなる前に阿賀松も潰せばいい、そんな考えが脳裏を過ぎった。

 よし、と口の中で呟き、部屋を後にした。
 職員室に忍び込むのは最後に残っていた教師がいなくなったそのときだ。最悪、忘れ物しちゃってと適当に誤魔化して堂々入ればいい。
 しかし、まだ先生たちが帰るまで時間が結構ある。
 俺は四階へ戻り、縁の動向を確認することにした。
 幸い、以前縁から部屋の番号を聞いていたお陰で迷わずには済んだ。
 が、監視というのは予想以上に骨を折る作業だった。

 縁の部屋に繋がる扉が見える曲がり角、観葉植物に隠れるように監視するのは良いがそもそも縁が部屋にいるかどうかすら分からない状況下。
 学生寮へ戻ってくる三年たちと擦れ違う度に突き刺さる視線に嫌な汗が滲む。やはり、変に目立ってしまうようだ。
 怪しまれないよう、縁の動向を確認することが出来れば、と考えたときだった。

「さっきさぁ、見たか?」
「あぁ、戻ってきたんだな。……会長」

 不意に、聞こえてきた話し声。丁度通り過ぎていく三年たちはそんなことを話していた。
 芳川会長が戻ってきた?
 まさか、と胸の奥がざわつく。
 ここは四階、芳川会長と鉢合わせになっても仕方ない。早く戻った方がいいのだろうか、迷うが、その間に縁に逃げられては元も子もない。けれどここにいて縁に会えるのかすら不安になってくる。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。ぐるぐると悪い予感ばかりが脳裏を巡る。
 とにかく、他に目立たない場所から縁の動向を確認しよう。そう、踵を返した時だった。

 入り組んだ通路の奥、ふらりと黒い陰が通り過ぎていく。
 それは、芳川会長だった。
 一瞬だったが、見覚えのある背格好を見間違えるはずなかった。
 けれど、何か様子が可笑しい。俺に気付かぬまま通り過ぎていく芳川会長の顔色は悪く、どことなくその足取りも危うい。

「……、……」

 このままどこかに行ってくれ、と念を送る。
 観葉植物の陰、精一杯気配を押し殺していた俺。
 芳川会長の陰が見えなくなって、ホッと安堵した時だった。
 どさりと、何かが倒れるような音が聞こえた。
 ……まさか、と俺は反射的に立ち上がる。何かあったのだろうか、今にも倒れそうだった会長の姿が脳裏を過ぎり、駆け寄りそうになったが、なけなしの理性がそれを止める。
 演技だったらどうするのだと。こんなところでのこのこ顔を出して捕まっては志摩を助けることなんて出来ない。
 もし本当に倒れたとしても、誰かが気付くだろう。そう必死に思考を振り払うが、気になって仕方なかった。
 それに、会長は病院にいたはずだ。体調が悪化したのだろうか。だとしたら、誰か呼ばないと。

 ◆ ◆ ◆

 人気のなくなった通路。
 さっきまでチラホラいたはずの人影はどこにもない。
 こうもしている内に芳川会長を阿賀松たちが見つけたら、と思うとなんだか無性に居ても立ってもいられなかった。
 確認するだけだ、別に、顔を見せるわけではない。そう自分に言い聞かせ、俺は芳川会長を見掛けた通路へと向かった。
 そして、

「っ、会長……!」

 壁に凭れるよう、座り込んだ芳川会長を見つけた。
 どうやら今の音は会長が壁にぶつかった音のようだ。
 俺の声にも反応はない。罠だったら、という思考が過ぎったが、真っ青を通り越して白くなった芳川会長の顔色がただ事ではないことはすぐに分かった。

「会長、大丈夫ですか」

 会長の傍に駆け寄り、恐る恐る声を掛ける。
 閉じられた目が、ゆっくりと開かれる。眩しそうに細めたその目が確かにこちらを向いた。

「……何故、君が……」

 ここにいるんだ、と言いたそうにする会長だが、その言葉は呻き声になって途切れる。
 頭を抑え、呻く芳川会長。頭が痛いのだろうか、確か頭を打ったと聞いていたが……。
 こういう時、どうしたらいいのかわからなかった。
 けれど、このままにしておくわけにもいかない。
 どこか、横になれる場所はないだろうか。
 けれど、無理に動かすのもよくないような気がして、どうしようと狼狽えていると芳川会長に腕を掴まれた。
 掴む、というよりも縋るような、弱々しいものだったがそれだけでも俺はその場から動けなくなる。

「少しだけ、肩を貸してくれ」

 そう言って、会長は俺の上半身に頭を預けてくる。
 もしかして、俺だと気づいていないのだろうか。そんなわけがない、確かに俺を見たのだから。
 それでも、無防備に目を瞑る芳川会長に俺は更に混乱して、結果的にされるがままになる。
 こんな弱っている会長を見たことがなかった。
 俺の中の会長はいつも堂々としていて、胸を張って人の前に立っていた。
 けれど、今の会長は。

 そういえば、会長は一人なのだろうか。
 病み上がりなのだから誰かが付いているのではないかと思っていたが、人の気配がない辺り一人のようだが……。
 こんなところ、誰かに見られたらどうしよう。もし、こうしてる内に縁に逃げられたら、と思ったら気が気ではなかった。けれど、具合の悪そうな会長をこのまま残すことも出来なくて。
 ごめん、志摩。もう少しだけ、待ってくれ。
 口の中で俺を待ち侘びているであろう志摩に謝罪する。すると、俺に頭を預けいた芳川会長が動き出した。

「……悪い、助かった……ありがとう」

 掠れた声。けれど、まさかお礼を言われると思っていなかった俺は衝撃を受けた。だってそうだろう。俺は会長を裏切ったのだから。やっぱりまだどこか寝惚けているのだろうか、そう思いながら、立ち上がろうとする芳川会長を見守っていると……立ちくらみだろうか。蹌踉めく会長に、咄嗟に俺はその肩を支えた。

「……会長、あまり無理して動かない方が……」
「大丈夫だ」
「ですが……」

 どうしよう、もう本人が大丈夫だと言っているんだ、下手に元気取り戻して追い掛けられる前にこの場を後にした方がいいのではないだろうか。
 考える、けれど、ふらふらと歩き出す会長を見ていられなくて、俺は、「会長」と声を掛ける。
 それと同時だった。
 何もないところで、会長の体が倒れた。
 驚いて駆け寄れば、気を失ってるようだ。
 そりゃあもう驚いた、まさかとは思っていたがここまでとは。
 余程打ち所が悪かったのだろうか、だとしたらそんな状況で学園に戻ってきている芳川会長に執念のようなものを感じた。
 ここまで来たら見てみぬふりはできなかった。
 とにかく、安静に出来る場所に、と辺りを見渡せばそう離れていない場所にラウンジを見つける。
 会長の脇の下に腕を入れ、「ふんっ」と思いっきり会長を持ち上げようとするが、力の入っていない人間の体というものがここまで重いとは思いもしなかった。
 だらりと伸びた手足は何十キロもある鉛のようで、俺はよたよたとした足取りで芳川会長の体を引き摺り、ラウンジへ向かう。
 幸い、人はいなかった。
 ソファーの上、会長の体を置く。滲む汗を拭い、運んでいる内にずれてしまった眼鏡を外し、テーブルの上に乗せた。

 すると、規則正しい寝息が聞こえてきて一先ず安心したが、問題はここからだ。
 一人にして悪化したら大変だ、取り敢えず誰かを呼んでこよう。最悪、先生でも……。
 思いながらラウンジを後にした時だった。
 飛び出してきた陰にぶつかり、尻餅をつきそうになったところを寸でで支えられる。

「悪い、大丈夫か?……って、齋藤!」
「ご、五味……先輩……っ」

 なんというタイミングだろうか。正直、あまり会いたくない相手ではあったが、今は願ったり叶ったりというやつだ。五味ならば、芳川会長のことを頼める。

「あの、会長が倒れて……それで今、ラウンジで休んでもらってます」
「会長が倒れただと?……というか、お前、今までどうして……」
「すみません、あの、ちょっと急いでて……本当ごめんなさい、会長のことよろしくお願いします」

 詳しく説明してる暇はなかった。
 それ以上に、五味と向き合っているだけで罪悪感と居た堪れなさで押し潰されそうだった。
 逃げ出すように踵を返すが、「待てよ」と五味に腕を掴まれる。強い力。ちょっとやそっとじゃ振り解けないその手に、俺は無理矢理引き戻される。
 険しい顔をした五味。無理もない、俺の今までしたことを考えては五味が怒るのも無理もない。
 五味の手が伸びてきて、殴られる、とぎゅっと目を瞑った時だった。

「……そんな面したやつをこのまま放っとけるかよ」

 そう身構えれば、ぐしゃりと頭を撫でられる。無骨で大きな掌、ぎこちないながらも優しいその触れ方に俺は驚いて目を見開く。

「十勝から聞いた。……お前、今、縁さんと一緒にいるんだってな」

 五味の口から出た名前に、ギクリと全身が強張った。
 やはり、伝わっていたようだ。隠せるとは思ってもなかったけど、あんな形で別れてしまった十勝のことを思い出すと胸がえぐられるようで。

「ごめんな、さ……」
「なんだよ、謝れるようなことしてんのか?……いや、おい、そんな顔すんなよ。悪い、これはちょっとした冗談でだな……」
「……時間がないんです、ごめんなさい、先輩、離して下さい……ッ」

 そう、頭を下げる。こうしてる間にも志摩が不安で押し潰されそうになってると思うと居ても立ってもいられなかった。
 これで逃がしてくれるとは思わなかった、それでも、そうするしか出来なくて。
 そんな俺を見て、五味は益々眉間の皺を深く刻む。

「お前……ちょっと来い」

 そう言って、ぐいっと俺の腕を引っ張った五味はそのままラウンジへ向かって歩きだした。
 やっぱり、そんなに簡単に逃がしては貰えないんだ。
 縁の部屋から離れていくことに絶望を覚えながらも、五味を振り払うことも出来ないまま俺は五味に引っ張られ、歩いた。
 これからどうなるんだ、とかそんなことを考える度に目の前が暗くなっていく。

 ◆ ◆ ◆

 ラウンジに着けば、先程と変わらず芳川会長がソファーで眠っていた。

「ったく、だから無理だって言ったのに……」

 ソファーの上で眠る会長を一瞥した五味はそう小さく呟き、そして、空いた椅子にどかりと腰を下ろした。
 そして、「座れよ」と向かい側の椅子を軽く顎で指す五味。
 本当は、この時逃げ出そうと思えば逃げ出せたんだと思う。けれど、五味の視線に、俺は逃げ出すことが出来なかった。
 促されるがまま、腰を下ろせば五味は重い口を開いた。

「お前には色々聞きたいことがあったんだが……そうだな、まずはさっき言ってた、時間がないっていうのはどういうことだ?」
「……ッ、……それ、は……」
「言えないのか?……それは相手が俺だから言えないのか?」
「……ごめんなさい」

 恐らく、相手が五味ではなくとも俺は言えなかっただろう。
 だって、もし、俺が口外したことによって志摩の身に何かがあったらと思うと、おいそれと他人に言う事なんて出来なかった。
 口籠る俺に、五味は何かを察したのか、目を伏せた。
 そして、鋭い視線を俺に向けた。

「……言い方を変えるか。お前があの人と一緒にいるのはお前が望んだことなのか?」

 何が言いたいのだろうか、遠回しな五味の物言いもだったが、それ以上に、何も言葉が出てこなかった。
 五味と、ろくに目も合わせられなかった。
 普段は賑やかなのにラウンジが静かだからか、余計自分の心音が大きく響いているような気がしてならない。
 汗が滲む。震える掌をぎゅっと握り締め、俺は口を開いた。

「……すみません……」

 ……言えない。
 俺の軽はずみな言葉で志摩に何かがあったらと思うと、やっぱり五味の言葉に返事をすることは出来なかった。
 それでも、俺の反応から何かを察したようだ。
 五味は「そうか」と小さく呟いた。

「……言えないなら無理に答えなくてもいい。けどな、何かに巻き込まれてるんなら遠慮なく言え」

 無理矢理言わされる可能性も考えていただけに、五味の言葉に驚いた。
 演技の可能性もある、と思ったが、今までなんだかんだ面倒見てきてくれた五味を知っているからか、俺はその言葉が純粋に嬉しくて……余計惨めになるようだった。

「って言っても、俺じゃ説得力ないよな」
「……ッ、そんなこと、ないです」
「……はは、そうか?……でも、言えないんだろ」
「ご……めんなさい……」
「いや、謝らなくていい。お前の立場なら俺も言いたいこと言えないだろうしな。……ただ、一つだけ言わせてもらうぞ」

 五味の言葉に、釣られて顔を上げれば五味と視線がぶつかり合う。そのまま、五味はゆっくりと口を開いた。

「縁方人に何か弱味を握られてるんなら、立ち向かおうとするのはやめろ。あいつは変態だからな、喜ばせるだけだ」

「……あいつを止められるのは阿賀松伊織だけだからな」そう、俺に聞こえるくらいの声量で静かに口にする五味に、一瞬言葉を失った。
 どこまで気付かれているのか分からない、けれど、五味の言葉は説得力があった。

「お節介かもしんねーけど、やっぱ、よく知ってるやつが苦しんでるのは見てて辛いんだよ」
「……」
「……齋藤?」

 その言葉に、顔が熱くなる。自分が恥ずかしくてだ。
 俺は、十勝や五味が狙われると気付いていても何も言わなかった。そして、隠れて逃げ回っていた。
 そんな俺に、五味の真っ直ぐな言葉はただ鋭い刃となって深く心臓に突き刺さる。
 この人と向かい合ってるだけで自分が嫌になって、息苦しくて、情けなくて、それ以上にそんな自分のことを心配してくれる五味の不器用な優しさが染みるようだった。
 ごめんなさい、と言いかけて、俺は言葉を飲んだ。

「ぁ……りがとう、ございます……」

 声の震えまではどうすることが出来なかった。
 俯く俺に、五味は軽く笑って「気にすんな」とだけ答えた。
 そして、「そういや」と何か思い出したように口を開いた。

「栫井が、心配してたぞ。しかもお前に会ったら保護してくれって頼まれたんだ、あいつが他人に対してそこまで言うなんてな……天変地異かとたまげたもんだ」

 驚いたのは俺も同じだ。
 栫井が?と耳を疑った、だって、この間会った時は何も言わなかったしそういう素振りも見せなかった。
 保護という言葉は引っかかったけれど、それが事実だとしたら、少なからず栫井が俺の身を案じてくれていたのなら……。

「本当は保護してやりたいけど、お前にはやり残したことがあるんだろ?」
「っ、すみません」
「良いって、別に。けど、これだけは覚えとけよ。お前のこと、味方してくれるやつもいるんだから。……なんでも一人で抱え込むなよ」
「……ッ」

 駄目だ、と分かってても、あまりにも真っ直ぐな言葉に首を締められるようだった。
 ……もっと早く、他の誰かに相談しておけばよかったのだろうか。
 そう思ったところで、既に汚泥の中に沈み始めている片足は絡み取られて動かない。
 今、助けを求めたところで五味にまで迷惑がいってしまうだけだ。
 そう考えると、血の気が引くようだった。俺はなんと返せばいいのかわからなくて、ただ曖昧に笑い返すことしかできなくて。
 そんな俺を見て、何か悟ったのか、五味は目を細める。寂しそうな笑顔。

「なんつーか、放っとけないんだよな。昔のこいつとそっくりでさ、全部、自分でなんとかしようとして無茶してた頃と」

 そう、五味が顎でしゃくったのは眠っている芳川会長だった。
 確かに、以前、芳川会長に言われた言葉を思い出す。
『君は、俺と似てる』
 俺は会長のように堂々と出来ないし、皆から尊敬されることも出来ない。そう思っていたが、五味の言葉を聞いて、なんとも言えなくなる。

「……だから、お前には無茶してほしくないんだ」

 芳川会長は手遅れだとでも言うかのようなその言葉に、なんとなく胸の奥がざわついた。

「会長は……怪我、完治したんじゃないんですか?」
「……どうだろうな、本人は大丈夫だと言っていたが……この有様だ。後遺症がなければいいが……」
「……」

 やっぱり、何か悪いんだろうか。
 不安になって、会長を見る。今は大分顔色も落ち着いているが、先ほどの土色の顔を思い出すとやっぱり、気になった。

「こいつのことは俺に任せといてくれ、ちゃんと部屋に送り届けるから。……それとありがとな、こいつを助けてくれて」
「いえ……俺は……何も……こっちこそ、ありがとうございました」

 ありがとう、なんてお礼を言われる立場ではない。俺は。
 それも、生徒会に、会長の友達の五味になんて、尚更。

 芳川と阿賀松を退学させなければ平穏にならないと思っていた。
 けれど、芳川会長のことを本気で心配して、信頼してる五味や十勝のことを考えているとその考えが間違いではないのかと思えてならなかった。
 俺の行動によって、この人たちの笑顔を奪うことになるのではないのか。
 そう思うと……ダメだった。迷ってはいけない、振り返ってはいけない。そう思っていても、天秤に掛けてしまうのだ。

「……齋藤?」
「ありがとうございました、五味先輩。……先輩のお陰で、考えが纏まりました」
「……そうか、それなら良かった」

 そう答える五味の表情はどことなく曇っているように思えたのは気のせいだろうか。
 俺は五味に別れを告げ、ラウンジを後にした。ポケットの中に忍び込ませたカッターの感触を確かめ、息を吐く。
 会長はあの調子だ、まだ何もしなくても大丈夫だろう。優先すべきは、縁と……阿賀松だ。そうだろう、志摩。
 この場にはいない志摩に問い掛けるも、勿論返事が返ってくるはずもなく、自分の甘さに、息が漏れるようだった。やっぱり俺は、一人ではダメなんだろう。
 何が正しいのか間違ってるのか、最早判断付かないんだ。

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