天国か地獄


 15※

 結局、五味と会うのは止めた。
 十勝はというと、最後の最後までこんな俺のことを心配してくれた。
 あの二人のためにも、早めに片を付けなければならない。思えば思うほど、気が急いてしまって思考が鈍ってしまうのだ。
 志摩は、どこにいるのだろうか。彷徨うように学生寮を歩いていると、再び俺は自室である扉の前に戻ってきていた。
 先程、どれだけノックしても反応は無かったけれども。
 もしかしたら戻ってきているかもしれない、そう思い再びノックをする。……やはり無反応。
 大人しく校舎へ戻った方がいいかもしれない。思いながら、何気なくドアノブを捻った時だった。
 カチャリと小さな音を立て、扉が開いた。全身が硬直する。
 最初から、鍵が掛かってなかったのだろうか。それとも、戻ってきたのか?
 バクバクと一斉に騒ぎ出す心臓を抑え、俺は扉を大きく開いた。そして、息を潜める。

「……壱畝、君……?」

 薄暗い扉の向こうは人の気配はない。それでも、恐る恐る辺りを探りながら俺は部屋に上がる。懐かしむよりも、篭った空気の方が気になった。
 それに、なんか、なんだろう、嫌な感じがするのだ。
 手探りで電気のスイッチを押す。瞬間、視界が白ばんだ。
 そして俺は息を飲んだ。
 部屋の中は、まるで強盗にでもあったかのように荒れていた。
 棚は中身を全て引きずり出され、テーブルはひっくり返っている。
 床の上には飲み物が散乱したような跡もあった。変な匂いの正体はこれだったのだろう。
 ……なんだ、これは。
 阿佐美ならともかく、壱畝は綺麗好きだ。八つ当たりするための俺がいなくなったせいだろうか、とも思ったがなぜだろうか、頭の中に志摩の顔が過ぎった。
 まさかな、と思いながら床に落ちていた服を拾っていく。
 そして気付いた、散乱するものすべてが俺の私物だということに。

「……」

 なんで、とは思わない。
 壱畝にされてきたことを思えば、私物を勝手に漁られたところでなんとも思わない。けれど。

「なんだ……これ……」

 気になったのは、俺が使っていたベッドの上だった。
 いかにも誰かが寝たあとのようにぐしゃぐしゃにくるまったシーツの中、不自然な盛り上がりを見つけ、シーツを捲れば下からは枕が出て来た。
 見た目からは分からなかったが、位置からして俺のものに違いないだろう。
 問題はそこではない。
 枕を手に取った時、ぬるりとした感触が指に触れ、驚きのあまり枕を落としてしまう。身の毛はよだち、血の気が引いていく。

「……ッ」

 咄嗟にシーツで手を拭ったが、まだ微かに温もりが残ったこの感触には覚えがあった。精液だ。
 手についた匂いを嗅いでまで確認する勇気はなかった、けれど、勘違いならば勘違いであってほしい。
 誰のものなのか、考えたくもない。
 けれど、ハッキリしたことは先程までに誰かがここにいたということだ。
 ベッドに触れれば、確かに誰かが寝ていたかのような体温を感じた。だとしたら、問題は誰がということだ。
 志摩なら、いい。そう思う反面、部屋の残状を目の当たりにして確かめるのが怖くなる。
 ……やっぱり、出直そう。こんなところで壱畝と鉢合わせになってしまえば袋小路だ。
 そう思い、一歩後退ったときだった。何かに、背中がぶつかった。
 背後には何もなかったはずだ、と思ったところで血の気が引いていく。
 そして、固まったように体が動けなくなった。
 人の息を、呼吸を首筋に感じた。何故今まで気付かなかったのかと思うほど、濃厚な人の気配も、すぐ傍に。

「……っ」

 背後にいるのが誰なのか、すぐに分かった。
 篭った空気の中、微かに嗅ぎ覚えのある香水の匂いがしたのだ。
 けれど、それでも、動けなかった。声が出なかったのだ。
 背後に立つそいつ……志摩亮太も、何も言わない。
 沈黙が全身に絡み付いて、余計、見動きが取れなくなる。会いたかった、あんなに会いたかったはずなのに……場所のせいだけではないのだろうというのは分かった。

「ねぇ……どうしたの?逃げないの?」

 不意に、聞こえてきた声は微かに掠れていた。それでも、聞き間違えようがなかった。
 柔らかさの中、明らかに毒を含んだその声の主は志摩だ。
 逃げないよ、と言いたいのに、声が出なかった。それは、緊張だけのせいではない。
 背後から伸びてきた手に、喉を覆うように抑えられたのだ。

「逃げないの?」

 もう一度、今度は耳元で尋ねられる。
 顎を掴まれ、顔へと這う志摩の指先が別の生き物かなにかのように感じずにはいられなかった。
 乾いた指先が、唇を割り開き、咥内へと滑り込んでくる。

「俺、齋藤に何するか分かんないよ」

 小さな声。引っ込んでいた舌を掴まえられ、無理矢理口外へと引きずり出される。
 爪先が食い込み、舌を中心に刺すような痛みが背筋に走った。

「っ、し、ま……ッ」
「……齋藤」

 指から逃れるように、背後の志摩を振り返れば、更に舌を引っ張られた。
 引き抜く勢いで強制的に突き出された舌からは行き場をなくした唾液が滲み、唇から顎先へと伝い、落ちる。
 最後に見た時よりも長くなった髪の下、志摩と目が合った。そして、背筋が凍る。

「……この舌が、あいつとキスしたんだ」

 無表情、というには全身から滲むそれは怒りよりもどす黒く、淀んだものだった。
 ぎちぎちと音が聞こえる程、引っ張られた舌に我慢できず視界が滲む。
 謝れば、話せば、なんとかなる。そう思っていたが、実際はどうだろうか。話すことさえも出来ない。

「っひ……ッ」
「この口が、嘘を吐いたんだ」
「ぁ、が……ッ」

 志摩の腕から逃げようと腕を動かすが、上半身を捉えた腕はちょっとやそっとじゃ振り切れないほど強く、絡み付いてくる。
 話を聞いてくれと訴えるが、俺の目を見ようともしない。
 どうすればいいのか分からなくて、必死になって、志摩の指を舐めれば微かにその力が緩んだ。
 この隙に振り切ろう。そう構えたときだった、顎をぐっと掴まれ、唾液で濡れまくっているだろう唇を舐められる。

「ッ、ぅ、あ……ッ!」

 強制的に開かれた口からは情けない声が漏れ、それでも構わずに志摩は溢れる唾液を舐めた。
 恥ずかしくてこそばゆくて、それ以上に、どうすればいいのか分からなくて、怖かった。
 されるがままに志摩の舌を受け入れれば、やがて、口元を舐め取った志摩の舌が乾き始めていた俺の舌を舐め上げた。瞬間、ぞくりと脊髄に電流が走る。

「ぁ、ッ……は……」

 会いたかった志摩と会えたのに、喜ばしいことなのに、素直にそれを喜ぶことが出来なかった。
 粘膜同士で擦れ合い、濡れた音が響く。
 それに堪えられず、とうとう俺は前に回された志摩の腕に爪を立てた。

「っ、……」

 一瞬、志摩の顔が引き攣る。
 それも僅かな間のことで、舌の指が外れたかと思った次の瞬間には唇を塞がれる。
 キスというよりも噛まれている、というべきか。
 唇の薄皮に突き立てられる歯。焼けるような痛みとともに、挿入される舌を通じて鉄の味が広がった。

「っ、し、ま」

 やめてくれ、と顔を逸らす度に顎を掴まれ唇を塞がれる。
 今まで会えなかった時間を埋めるかのように、長く、執拗なキスに耐えらるわけがなくて。
 力を入れることが億劫になり、俺は、志摩から手を放す。
 抵抗を止めた俺に、志摩の目が、ようやく俺に向けられた。そんな気がした。

「……なに、その目」
「……ごめん」
「は?なに、ごめんって」
「……勝手にいなくなって、ごめん」

 謝ったところで志摩が大人しくなるようなやつとは思わないが、言葉が見つからなかった。
 俺の言葉に、志摩の表情はますます険しくなる。

「……やっぱり、俺の前からわざといなくなったんだね。……俺が嫌だったから?鬱陶しかったから?」
「志摩だったら、絶対怒ると思ったから……言えなかったんだ」
「阿賀松のところに行ったことに?」

 やっぱり、そこまで伝わっていたのか。隠すつもりはなかった。
 会ったら、ちゃんと話そうとも思っていた。
 けれど、やはり実際志摩本人を目の前にすると、それが難しかった。

「どうして阿賀松のところに行く必要があったの?」
「それは……阿佐美から連絡があって、チャンスだと思ったんだ」
「チャンス?チャンスってなに?阿賀松とヨリでも戻すつもりだったの?」
「そ……そうじゃなくて……」
「俺に隠れてコソコソ阿佐美と会って、それで俺には家に帰りますって何それ。俺がどんな思いしてたのか知ってる?少しは考えた?それとも適当に誤魔化せばなんとかなると思ってた?俺が馬鹿だから?」

 次第に濃くなる怒りは一目瞭然で。
 志摩ならば、話せば分かってくれると思っていた。
 だから事後報告でも何とかなるだろうと思っていた。
 しかし、そんな俺の態度が余計志摩の自尊心を傷付けてしまっていたというのか。

「……ごめん」
「ごめんって……認めるんだ?」
「……俺が志摩を裏切ったのは事実だから」
「へぇ、だから謝るんだ……」

 微かに志摩の笑った気配を感じた。それも束の間。
 次の瞬間、志摩は壁を思いっきり蹴り上げた。割れるような派手な音に全身が竦む。咄嗟に振り返れば、胸倉を掴まれた。

「お前、いっつもそうだよな。謝るくらいなら最初からすんなよ……ッ」

 吐き捨てるような低い声。
 いつもの笑みはそこにはなく、怒りを顕にした志摩に気圧される。
 けれど、怖いという気持ちよりも志摩に対する申し訳なさの方が大きくなるのはその声から俺を心配してくれていたというのが伝わったからだろう。

「……どうせ逃げるくせに都合の良い時ばっかり申し訳なさそうな顔しないでよ」
「……志摩」
「本当なんなのお前。本当……何、なんのつもりなの。嫌なら嫌って逃げればいいじゃん。うざいならうざいって言って消えろよ。そっちの方が清々するよ。俺も、心置きなく齋藤のこと嫌いになれるんだから」

 その言葉に、何も言えなくなる。
 最初から志摩を裏切るつもりは毛頭無かった。それでも、志摩からしてみれば俺は無断で逃げ出したも同然だ。
 そんな志摩が俺を嫌っても無理もない、思っていたのに、その志摩の言葉を聞いて不謹慎ながらも、嬉しく感じる自分がいた。
 堪らず、志摩の手を取った。硬く握ったその手を包み込めば、志摩のこめかみが小さく痙攣する。

「……なに、それ。喧嘩売ってんの?」
「信じてくれないと思うけど……俺は志摩から逃げ出したつもりはないよ」
「……は?」
「志摩なら、怒ってくれても最後は傍にいてくれると思ったから何も言わなかったんだ」
「俺がそんなに都合のいいやつに思えたの?」
「志摩はそうだろう」

「俺を見捨てない」だから、今もこうして俺の言葉に耳を傾けてくれる。
 本来ならば言い訳を言う暇もなく切り捨てられても文句は言えない俺だ。
 確かに、最初は聞いてくれなかったけど、志摩はこうして俺と向かい合ってくれる。
 それだけで、俺にとってには充分だった。
 志摩の顔が引き攣った。不愉快だと言うかのように、それでも、その目が微かに滲んでいたのを俺は見た。

「そう言えば……俺を好きなように扱えると思ってる?」
「そんなこと、思ってないよ」
「嘘だね。俺のことを笑ってたんでしょ?ずっと。少し褒めれば図に乗る単純なやつだって」
「志摩」
「そういう粋がったやつが俺は嫌いなんだよ」

 志摩、ともう一度名前を呼ぼうとした時だった。
 思いっきり突き飛ばされる。
 暗転する視界。丁度ベッドの上に落ちたお陰で硬い床に尻餅を着くことにならずには済んだが、それがたまたまではないことに気付くのに時間は掛からなかった。

「っ、志摩……」

 息を吐く暇もなく、ベッドに乗ってくる志摩に押し倒される。
 跨ってくる志摩のお陰で起き上がるにも起き上がれず、胸元を弄る手に全身が硬直する。
 志摩の体温を傍で感じるのは久し振りのことだった。
 緊張はあった。けれど、先ほどまでの恐ろしさを感じなかったのは志摩がまだ少なからず俺のことを考えてくれていると分かったからだろう。
 これで志摩の気が済むのなら、それでも良いと思ったのだ。

「……何その目、言いたいことがあるならハッキリ言えば?『止めてくれ』って。……あぁ、『虫唾が走る』とかでもいいよ」
「……いいよ」
「……は?」
「……志摩がしたいなら、好きなようにしていいよ」

 心から人を受け入れたいと思ったのは初めてかもしれない。
 やはり、性行為に、それも突っ込まれることに喜びを感じるわけではない。
 それでも、それで少しでも志摩の気が済むのなら。

「……随分と、言うようになったね。それも阿賀松に仕込んでもらったの?」
「違う、俺は、志摩だから……」
「そういうのがムカつくんだよ!」

 瞬間、頬に焼けるような熱が広がった。
 辺りに響く乾いた音に、全身の筋肉が縮み込む。
 叩かれた。と、いうのはすぐに分かった。それでも、阿賀松の拳よりは全然痛くない。なんてことはない、平手打ちだ。
 それでも、胸に張り裂けそうな痛みが止まらなかった。
 殴られた俺よりも、殴られたみたいな顔をした志摩を見たからだ。
 自分の手のひらを見つめる志摩、その顔が微かに血の気が引いていくのを見て、俺は志摩の手を取った。

「っ、齋藤……」
「俺は大丈夫だから」
「……ッ」

 叩かれた拍子にどっかの血管が切れたのだろう、生暖かい液体が鼻の奥から溢れ出す。
 それでも、気にならなかったのはそれ以上にショックを受けたような志摩の表情に目を取られたからだろう。

「……おかしいよ、お前……どうして笑ってるんだよ……俺に殴られて……ッ」

 おかしいのだろうか、俺は。最早何が正常で何が異常なのか分からない。それでも志摩がしたいと思うならそれでも構わないと思うし、俺が笑っているのは志摩にも笑ってもらいたいからだ。そうすれば志摩も笑ってくれるのではないだろうかと思っていたのだけれど志摩の顔は強張るばかりで全然少しもちっとも嬉しそうにしてくれない。俺が志摩に喜んでもらいたいと思うのは変なのだろうか。

「……志摩はやっぱり、俺のこと考えてくれてるんだね」
「何言ってるの?……意味わかんないし」
「阿賀松先輩は、俺の鼻を叩き潰そうと何度も何度も指輪嵌めた拳で殴りつけてきたよ」
「ッ、は?」
「……志摩は、優しいね」

 志摩の手を握り締める。
 ずっと、志摩が怖かった。強引だし、言葉はキツイし、乱暴な真似をすることもあった。それでも、そこに志摩の気持ちを感じることが出来てからは志摩の毒さえも心地よく感じるようになってしまっていた。
 本物の悪意に触れたからか、余計。

「……っ、齋藤……」

 志摩の手が頬を包む、輪郭を確かめるように何度も俺の顔を撫でた。
 そして、額同士がぶつかったと思えば、ポタリと頬に暖かい雫が落ちる。

「本当っ、何してるの?馬鹿じゃないの?そんなに自分から馬鹿な道進んで何が楽しいわけ?……バッカじゃないの?」
「あの……志摩、どうして泣いてるの?」
「泣いてないよ、煩いよ、本当。齋藤の馬鹿さ加減に呆れてるの、俺は」

 あの志摩が泣いてる。
 それも、涙を隠そうともしない志摩に衝撃を受けたが、それ以上に、頬が緩んでしまった。
 俺のためを思ってくれていると思えば、その涙がすごく暖かかった。

「何、笑ってるの」
「俺、志摩のこと好きだよ」
「…………は?」
「好きだよ、志摩」
「何、いきなり。頭沸いてんじゃないの?俺はそんなこと聞いてないんだけど」

 志摩の熱に充てられてるのかもしれない。素面ならばまず言えないようなことを口走ってる自覚はあった。
 それでも、自分を曝け出してくれる志摩にならいくらでも吐露することが出来た。目の前の志摩の顔が赤くなる。
 好きという感情が今まで理解できなかった。
 仲良くなりたいとか、一緒にいて楽しいとか、そういう感情は何度か持ったことはある。
 それでも、志摩に喜んでいてほしい。志摩の悲しむ顔を見たくない。そういう強い気持ちが恋愛感情と呼ぶのなら、俺は志摩のことが好きなのだろう。
「うざいよ、齋藤」と言われても、言いながらも口を塞ぐような真似をせずちゃんと聞いてくれる志摩が好きだった。志摩の涙を見て、より一層その気持ちが強くなる。

「もう二度と、志摩から逃げないから」
「だから、出来ない約束を口にしないでよ」
「約束を破ったら、俺のこと殺していいよ」

 その言葉に宙を彷徨っていた志摩の目が、俺を確かに捉えた。
 約束を破るつもりはなかった。
 それの意志を伝えるために口にした言葉だが、志摩に殺される自分の姿を思い浮かべて、胸の奥からどろりとした感情が溢れ出すのを感じた。

「……殺してよ、志摩」

 いっそのこと、志摩に殺してもらえるのならそれが一番なのかもしれない。
 そんな思考に頭を支配され、自分の口から出た言葉にハッとする。
 キョトンと目を丸くした志摩に、それが気のせいではないということはすぐに分かった。

「えと、俺、なんか今変なこと言った……よね」
「今どころかさっきからずっと言ってるよ」
「ごめん、気にしないで、変な意味とかじゃなくて」

 次第に冷静になっていく頭の中、雰囲気に酔って口にしたあらゆる妙なことに血の気が引いていく。
 慌てて起き上がろうとするが、すぐにベッドに押し倒される。

「っ、あの、志摩、起きれないんだけど……」
「あのさ、まさかとは思うけど散々人を煽っておいて『気にしないで』で済ませるつもりじゃないよね」
「……え?」
「え?じゃないよ。え?じゃ。……まさか、本当にそれで誤魔化せると思ってんの?だとしたら、舐められたものだね、俺も」

 生暖かい感触が口元を這う。鼻血を舐められたのだと分かったのはその舌先が赤く染まっていたからだ。

「『志摩がしたいなら、好きなようにしていいよ』」
「……それ、俺の真似?」
「似てるでしょ」
「に、似てないし、そんなにクネクネしてないと思うけど……志摩だって泣いたくせに」
「なんだよ、齋藤はいつもすぐしょーもないことで泣くじゃん。泣き虫」
「な……泣き虫……」

 否定できないけど、まるで小学生のような煽りをする志摩につい俺は笑ってしまう。

「何笑ってんだよ」
「……やっぱり、俺、志摩が好きだなって思って」
「ッ、だからさぁ、人の話聞いてるッ?」

 手首を取られ、シーツの上に押し付けられる。
 下腹部に硬い感触が辺り、俺は視線を下げた。

「し、志摩……」
「言っておくけど、今回は齋藤のせいだからね」
「……でも」
「でももクソもないから」

 手を掴まれ、思いっきり張り詰めた下腹部を握らされる。
 布越しにでも伝わってくるその熱量に、顔が熱くなるのが分かった。

「俺のこと好きならいいでしょ、別に」

 まるで最低男のようなことを口にする志摩だが、志摩の言葉は正しい。
 俺には志摩のお願いを断る気は毛頭無かった。

「ん、ぅ……っ」

 唇を押し付けられる。
 先程とは違う、感触を確かめるようなその口付けは酷くもどかしい。

「し、ま……っ」

 息苦しさはない。それでも、何度も唇を吸われ、舐められ、至近距離でガン見されるのは居た堪れない。
 けれど、目が合って、嬉しそうに頬を緩める志摩を見ると何も言えなくなるのだ。

「ね、齋藤。……もう一回言ってよ、俺のことが好きだって」
「……好き、好きだよ、志摩……」 

 そう口にするや否や、抱き締められる。
 軽く抱き起こされ、肩口に顔を埋めてくる志摩。
 志摩の髪の毛が首筋に当たり、こそばゆいどころではない。

「……し、志摩……?」
「俺も、好きだよ……齋藤」

 耳朶に唇を寄せられ、囁かれれば全身の血液が焼けるように熱くなる。
 恥ずかしい、と言うよりも、言葉にし難いものが胸の奥から溢れ出して広がっていくようなその感覚は、苦痛ではなかった。寧ろ、全身の緊張が抜け落ちるようなそんな感覚を覚える。

「ね……齋藤、もう一回言って?」
「え?」
「俺のこと、好きだって」

 さり気なく腰に回される手。
 志摩なりの甘え方なのか、さっきも言ったのにと思ったが甘えるように鼻先を擦り合わされれば余計なことも何もかも考えられなくなる。

「す……好き」
「もう一回」
「好き、だよ……」
「ね、今度はちゃんと俺の目を見て言って」

 一度や二度ならともかく、ちゃっかり注文まで付けてくる志摩にそろそろ俺の羞恥心も限界を迎える。

「あの、志摩……俺、これ、結構恥ずかしいんだけど」

 志摩の機嫌を損ねるのも承知で、思い切ってそう言葉にすればさり気なく人のケツをまさぐっていた志摩の手が止まる。
 そして、案の定不愉快そうに志摩は眉根を寄せた。

「何それ、さっきまでは聞いてもないのに好き好き言ってきたくせに」
「だ……だって、さっきと今は違うじゃんか」
「何が違うの?」
「……そ、それは……」

 状況とか、諸々とか。言い返したいのに、志摩の目を見ると何も言えなくなる。
 志摩の言葉も理解できた。状況が違うだとかそんなことただの言い訳にしか過ぎないというのも分かってる。
 けれど恥ずかしいというか、このままでは永遠に志摩に言わされそうな気がしてならないのだ。
 そんな俺の言いたいことを汲み取ったのか、志摩は笑った。

「俺は言えるよ、何回でも。……齋藤が好きだって」
「っ、ぅ」
「すごい好き」
「し、志摩……」
「好きだよ、齋藤。……すぐ耳が赤くなるところも、恥ずかしくなると眉間に皺が寄るところも」

 居たたまれなくて顔を逸らせば、躊躇いもなく耳元で甘い言葉を囁いてくる志摩に今度こそ俺はどうかなりそうになってしまう。
 好きと言われるのが嬉しくないわけではない、少しでもそう思ってもらえるのなら喜ばしいと思う。
 けれど、そういうことに慣れていない俺のキャパを簡単に超えてしまうのだ、志摩の言動行動は。

「わ、分かったから、もう……ッ」
「何がわかったの?俺は自分の気持ちの一部分も伝わったと思っていないんだけど」
「本当、志摩のそういうところ……」

「嫌い?」と、志摩は笑う。
 嫌な笑い方だ、分かっていて、俺の反応を見て愉しんでいるのが分かった。

「……嫌い、じゃない……けど」

 にっこりと笑う志摩に、初めて出会った時のことを思い出した。
 最初は、ここまで食えないやつとは思わなかった。
 けれど、今は、志摩に食われるのも悪くないと思えてくるのだ。

 home 
bookmark
←back