天国か地獄


 14

 元々ない体力が長い間動けなかったことにより更に減っているようだった。
 学生寮三階、壱畝の部屋の前までやってきた俺は乱れた呼吸を整える。
 ここに、志摩がいるかもしれない。いなかったら壱畝と鉢合わせになる可能性もある、寧ろそっちのが高いだろう。
 熱が引いてきて、次第に冷静になっていく脳味噌。
 勢いばかりで来てしまったが、本当にこれで良かったのだろうか。
 悲しそうに笑う阿佐美の顔が蘇っては後ろ髪を引かれる。
 とにかく、進むんだ。逃げたところで何も始まらない。
 意を決し、扉を叩く。すぐに反応はなく、それでも俺は何度か扉を叩く。

「……」

 もしかして、いないのだろうか。
 確かに、阿佐美から聞いたのはただここに志摩がよく出入りをしているということだけだ。
 ならば、志摩はどこにいるのだろうか。……志摩の部屋か?
 こうなったら一か八かだ。俺は、志摩の自室に向かって歩き出した。
 志摩の部屋までは然程時間が掛からなかった。これで、志摩がいなかったらどうしよう。阿佐美と別れた今、俺がいける場所は志摩の元しかない。
 ……何も考えてなかった。
 けれど、志摩もずっと帰ってこないわけではないだろう。
 行き違いにならないよう、志摩の部屋で待っていれば、或いは……。

 志摩の部屋の扉を叩く。
 一回、二回、三回目。もしかして居留守の可能性はないのだろうか。……だとしたら俺に会いたくないということだろうか。
 薄暗い気持ちが芽生えそうになり、慌てて首を横に振った。志摩だって、ずっと部屋にいるわけではない。取り敢えず、これで最後にしよう。
 居なかったら……そうしたらまた何か考えればいい。
 そう、四回目のノックをした時だった。
 扉が開いた。けれど、そこにいたのは志摩ではなかった。

「もう、なんだよ何回も何回もさぁ、せっかく寝れそうだったの……に……」
「…………ぁ……」
「え……佑樹……?」

 まさか、十勝が出てくるなんて。
 言われてみればここは志摩と十勝の相部屋だからおかしくないといえばおかしくない。
 けれど今、なるべく生徒会と関わりたくない俺からしてみたら十勝の顔は見たくなかった。
 十勝だって、同じだろう。そう、思ったのに。

「うそ、佑樹じゃん、久し振りー!あれ、なんか痩せた?顔色悪くね?大丈夫か?」
「え、っと、あの」
「あ、ここに来たってことは俺になんか用って感じなわけ?どうしたんだ?」

「なんでも相談に乗るぞ?」と心配そうに顔を覗き込んで来る十勝に俺は後退る。
 今まで生徒会と揉めたことも、五味に協力してもらって十勝から逃げたことも、全部全部無かったことかのように十勝の態度は今までと変わらないものだった。
 演技でもなさそうだということは、これが十勝の性格ということなのだろうか。

「あの……十勝君……」
「ん?そういや、佑樹喉乾いてね?なんか飲んでく?」
「え……ええと、その、俺は……」

 どうしよう、今までのことを謝るにしてもタイミングが掴めない。
 それどころか十勝のペースに流されっぱなしだ。
 ……けれど、これはチャンスかもしれない。もしかしたら十勝ならば志摩の居場所が分かるかもしれない。

「あの、十勝君……聞きたいことがあって来たんだけど……」
「聞きたいこと?俺に?何何?いいよ、なんでも答えてやるよ」
「えっと……志摩のことなんだけど」
「……亮太?」

 十勝の顔が露骨に引き攣る。
 ああ、この反応、この既視感。そう言えば十勝も志摩のことを嫌っていたのだった。
 墓穴だったかなと思ったが、ここまで来たら引き返せない。

「……志摩の居場所知らないか?……なんなら、部屋にいる時間帯とかあったら聞きたいんだけど……」
「うーん、あいつなら暫く帰ってきてねーんじゃねえかな。つーか俺もあんま部屋戻ってきてなかったから分かんねーんだよなぁ、……ごめんな、力になれなくて」
「い、いや、いいんだ……こっちこそ、ごめん。いきなり押し掛けてきてこんな……」

 十勝の人柄に賭けた力技だったが、渋々とは言えどちゃんと答えてくれた十勝に心の底から安堵した。
 そう言えば、志摩も言っていたな。十勝があまり帰ってきてないと。
 こうなったらこのまま学園内を探し回った方がいいのではないだろうか。そう思い、仕方ないとその場を立ち去ろうとした時だった。

「あっ、おい、佑樹!」

 十勝に呼び止められた。肩を掴まれ、ビックリして振り返る俺に「あ、悪い」と十勝は慌てて俺から手を放す。
 そして、

「もしお前が来たら捕まえとけって五味さんに言われてんだよな」
「えっ?……五味先輩が?」
「ああ!だからちょっと帰るの待っててほしいんだけど……いい?」

 もしかして芳川会長の差金だろうか。
 嘘がつけない十勝だからだろうか、あまりの真っ直ぐさに忘れかけていたが十勝は元々会長側の人間だ。
 逃げなければ。そう思うけど、命令した人間が五味というところに引っ掛かった。

「あ、別に変に構えなくていいから。栫井のやつから頼まれたってさ、五味さん」
「栫井っ?栫井に会ったの?」
「ああ、俺はこの前遊び行こうとしたときバッタリな。……五味さんとも会ったらしくてなんか色々頼まれたっつってた。……あ、これ喋っちゃダメって言われてんだった。でも、佑樹ならいいかな?」
「……」

 十勝の口の軽さにもヒヤヒヤしたが、それと同時に、安堵のあまり全身から力が抜けそうになる。
 栫井……大丈夫だったんだ。
 あんな別れ方をしたせいかどうなっていたか心配していたが、無事、十勝や五味と接触できた栫井にホッとする。
 十勝の口振りからしても恐らく会長にも伝えてないのだろう。気掛かりだったが、会長は入院しているというのなら恐らく……大丈夫だろう。

「栫井は……なんて?」
「あいつ退学になっただろ?ほら、妊娠させたって。それでそのことについて改めて調べるっつってたよ。……なんか色々転々としてるみたいだから心配要らないんじゃね?」
「……そっか……」

 よかった、というのはおかしいだろうか。
 それでもなぜだろうか、芳川会長と別れた後、栫井が自ら動いていると思っていたら、他人事とは思えない程嬉しかった。

「佑樹、栫井と会ってないのか?」
「……うん、なかなか連絡取れなくてさ」
「俺が呼ぼうか?」
「えっ?い、いいよ、そんな……。それに、今はまだ迷惑掛けてしまうかもしれないし……」

 阿賀松も芳川も敵に回してしまっている今、下手に周りを巻き込むわけにもいかない。
「そうかぁ?」と十勝は不思議そうにした。

「ま、ここじゃなんだし入れよ、部屋の中。きたねーけど」
「でも……」
「ここで話してるところを誰かに見られた方がまずいんじゃねえの?」

 鋭い十勝の言葉に内心ギクリとする。
 ……確かに、迷惑を考えるならばこの状況が一番危うい。
 十勝には、栫井のことや五味のこと、聞きたいことが沢山あった。
 志摩のことが気掛かりだったが、十勝との接触を無駄にするわけにはいかない。
 内心、志摩へ謝りながらも、俺は十勝の部屋に入ることにした。
 十勝の部屋に招かれるがまま上がり込んだはいいが、やはり志摩のことが気掛かりだった。

「適当に座れよ」
「……あ、うん。……お邪魔します」

 言われるがまま、カーペットの上に腰を下ろす。
 なんだか、志摩たちの部屋に来たのはすごく久し振りな気がする。
 相変わらず仕切られたカーテンが二人の仲の悪さを表しているようだったが、十勝はそこまで嫌ってるわけではないのだろうか。
 それとも、ただ単にさっぱりしているのか。
 どちらにせよ、本来ならば裏切り者同然の俺にもいつもと変わらず接してくれる十勝は……正直有り難かった。
 そんな十勝にまで妙な勘繰りをしてしまう自分に嫌気が差す程に。

「喉乾いてないか?ジュースあるけど」
「いや、いいよ。……それに、長居するわけにもいかないから」

 そう告げれば、十勝も何かを察したようだ。
「あー」と思い出したように呟き、そして、俺の隣にどかりと腰を下ろした。

「……十勝君」
「……佑樹、痩せたよな。首とか、前見たよりも皮みてーになってるし」

 十勝の視線を感じる。
 そっと項を触られれば少し驚いてしまうが、十勝だからか、不思議と、緊張はなかった。

「……十勝君、聞きたいことがあるんだけど」
「それって難しい話?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。……少し、噂を聞いたんだ」
「噂?」

 先程、阿佐美から聞いた話が脳裏を過る。
 生徒会選挙、芳川会長の入院、そして、栫井のこと。
 聞きたいことはたくさんあった。けれど、何より今気掛かりなのは。

「壱畝遥香が生徒会副会長の候補に上がってるって本当なの?」

 もしかしたら会長によって秘密裏に動いていたことかもしれない。けれど、少しでも手がかりがあれば。
 阿佐美曰く壱畝遥香と一緒にいるという志摩に辿り着けるのではないだろうか。そう、俺は考えた。
 けれど、十勝の反応は思っていたものとは違うものだった。

「……ひとせ、はるか?」

 まるで、そんな名前聞いたことないとでも言うかのような十勝の反応に今度はこちらが戸惑う番だった。

「あの……知らない?つい最近俺のクラスに転校してきた人なんだけど」
「んー、聞いたことあるよーなないよーな。……覚えてねえや!」
「……じゃ、じゃあ、栫井が辞めさせられた代わりに候補に上がってる人とかそういう話は……」
「確かに周りのやつらは誰が就任するかしないかとかで盛り上がってるけどよ、俺らの間ではそういう話はなかったな。……つーか、そんな暇ないっていうか」

 なら、デマだってことか?
 けれど、芳川会長が壱畝と接触があったのは事実だ。
 それが栫井が切り捨てられたことに少なからず関係していることも。
 ……十勝には伝えてないということか?

「佑樹もそういうスキャンダルみてーの信じるんだな、ちょっと意外だわ」
「……ごめん、どうやら俺の考え違いだったみたいだ」
「気にしなくていいよ、別に。けど、その壱畝遥香ってやつそれほどすげーってことか?」

 確かに、壱畝は頭は悪くないし昔も成績は頭から数えた方が早い部類だった。
 親は有名企業の取締役で、何かことあるごとに家柄を比べられたこともあった。
 俺は、あまり気にしていなかったが壱畝の方は少し気にしていたように感じる。
 けれど、この場合は家柄や学力だけではないだろう。

「すごいというよりも、仲が良かったみたいだね。会長と……壱畝君」

 お互いの部屋に行く程度には。
 なんで会長が壱畝と、という思いは未だに拭いきれない。
 けれど、今ならなんとなく分かる。
 二人は友情やそういう類ではなく、打算的な、冷たくも浅くはない関係だということが。

「ふーーん」
「……随分と興味なさそうだね」
「正直、俺としちゃどうでもいいんだよね、次期生徒会とかそういうの」
「そうなの?」
「だってさ、まだ終わっちゃいねーのに次次って馬鹿みてーじゃん」

 そう、拗ねたように呟いて、十勝は後ろに転がる。
 その言葉が栫井や灘のことを言っているのだと分かり、胸の奥がじわりと暖かくなる。
 ……そうか、当の本人たちからしてみたら大切なのは『今』なのだ。
 会長がどう考えているのかは分からないし、理解したくない。
 けれど、少なからずそんな会長も含め、十勝にとっては生徒会なのだろう。
 そんな十勝たちが、巻き込まれるかもしれない。そう思うと背筋が凍るようだった。

「……っ、あの、十勝君……」
「ん?どうした、急に改まったりしちゃって」

 寝転がったまま、こちらを見てくる十勝。
 その目に見上げられると、緊張で益々喉奥が締まるようだった。

 十勝には、ずっと今のままでいてもらいたかった。
 何も知らず、信じるものだけを信じて。
 無事でいてほしい。
 それならば、言わなければ。阿賀松たちが何を狙っているかを。そして、そこに十勝も含まれていることを。そう思うのに、どうしても十勝の背後にいる芳川会長がチラついて、決心が揺らぐ。
 俺の目的は阿賀松と芳川会長の二人を止めることだ。しかし、十勝に阿賀松の作戦を話したところで芳川会長にまでその話がいってしまった場合、誰が芳川会長を止めることができるというのか。

『ここは犠牲になってもらう』
『そうでなければ、誰も幸せにならない』
『何かあったらすぐに助ければいい』
『だから、見殺しにする』

 恐ろしい思考が過る。
 十勝に話せば、間違いなく芳川会長まで話が行くだろう。
 口止めしても、それは芳川会長の危機に値することだから十勝はすぐに会長に忠告する。それだけは避けたかった。
 けれど、でも。どうにか事情を話さずに十勝を助けることは出来ないだろうか、と思考を働かせる。

「佑樹?どうしたんだよ、黙り込んで」
「……十勝君」
「ん?」
「……十勝君は、会長のことが好き?」
「な、なんだよいきなり……」
「変な意味はないんだ、ただ、気になって」
「……ああ、そうだな。怖いしうるせーけど、なんだかんだいい人だよ、あの人」

 ああ、そうか、なんとなくわかってはいたが、本人の口から聞くと同時に全身脱力感に見舞われる。
 会長に何かがあれば、十勝は悲しむだろう。
 分かってはいたが、会長を取り囲む好意を実感することがなかっただけに、余計にキた。
 少なからず、芳川会長にも阿賀松にも本人たちを大切に思っている人間はいる。
 そして、俺がしようとしていることはそんな人たちを苦しめようとすることだ。
 ……いくら綺麗事で並べても、その事実は変わらない。

「……やっぱり、俺、帰るよ」
「ええ?!なんで?!俺なんか変なこと言った?!」
「いや、そうじゃないんだ。……ただ、やらなきゃいけないことを思い出したから」
「……五味さんにも会ってかねえの?」
「……また、機会があったらこっちから出向くよ」
「はぁああ……そっか、まじか……五味さんにすっげー怒られちゃうよ俺ー」
「ごめんね、十勝君」
「いやいいけどさ、本当にいいのかよ、佑樹」
「え?」
「……なんか、辛そうな顔してるけど」
「…………」

 こういう時だけは本当に敏い。そういうところが女子にモテるのだろうか、と思いながらも俺は「気のせいだよ」と笑った。
 肝心の志摩には有りつけなかったが、十勝と会えて良かった。良かったんだろう。良かったのだと思う。

「……栫井のこと、よろしくね」

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