天国か地獄


 side:栫井

『平佑、何してるんだ?』
『あの、邪魔したら……悪いと思って』
『何言ってるんだ、邪魔なわけないだろう。それに、平佑は俺の家に遊びに来たんだから。お客様だ』
『お客様……?』
『ああ、遠慮しなくていいからな、自分の家だと思って寛げよ』
『でも』
『でも、はないぞ、平佑。俺達は家族なんだからな』

 あの人は小さい頃から真っ直ぐだった。

『そんな隅で何をしている』
『……何も』
『なら、こっちにきてテレビを見ないか。今面白いのやっているぞ』

 俺みたいなのにも手を差し伸べてくれる。
 人を楽しませることも出来ない俺みたいなのにも。

『平佑、オヤツの時間だぞ』

 笑い掛けてくれる。家族として扱ってくれる。それだけで嬉しかった。
 あの人だけじゃない、あの人のお父さんもお母さんも優しくて、厄介者として扱われていた俺でも、皆、優しくしてくれた。

『知、憲……君』
『君付けはやめろ。背中が痒くなる』
『でも……』
『なんなら、兄貴と呼んでくれても構わないぞ』
『……兄貴?』
『ああ』

 あの人は朗らかに笑う。その笑顔はどこまでも眩しくて、俺には直視出来なかった。
 本当に、知憲君が兄だったらどれだけよかっただろうか。少しは何かが変わっていただろうか。
 夜空に登る白い煙をぼんやり見上げる。燃え盛る炎を見ては赤ではなくオレンジに近いな、などと思いながら、ぼんやり見上げる。
 泣き叫ぶ知憲君の声がやけに遠く聞こえた。
 大人の人が血相を変えて何かを呼び掛けてくるが、サイレンの音がうるさくて何を言ってるのか分からなかった。
 なのに。

『どうして、なんで』

 嗚咽混じりの知憲君の声だけは鮮明に聞こえた。


「……ッ」

 瞼を持ち上げ、そこで夢を中断させる。気が付けば全身汗だくだった。通りで夢見が悪いはずだ。
 齋藤佑樹と別れて数時間、とにかく休みたくて近くのネカフェに入った俺は個室で仮眠を取っていた。
 本当はこんなところではなくベッドに横になりたかったけれど、現金に限りがある今下手な贅沢は出来ない。
 ……こんな貧乏性が付いてしまったのは間違いなくあのバカ2人のせいだろう。嫌気が刺す。

「……ふぁ……」

 それにしても、寝心地悪すぎるだろこの部屋。アイマスクを外し、予め買っていたミネラルウォーターで喉を潤す。
 夢見はともかく、少し寝たお陰で大分頭がすっきりしてきた。切れていた携帯の充電も溜まってるし、そろそろ出るか。思いながらコードに繋ぎっぱなしにしてた端末を手に取り、電源を入れれば大量の着信、メッセージに端末が震えだす。
 何日も前から切れてたから仕方ないとはいえ仕方ないが、録音もメッセージも確かめる気にはなれなかった。
 大体は五味さんとか、十勝のバカとかで、あとは知らない番号。齋藤のやつからだろうかと思ったが、時間帯的に違うみたいだ。
 もしかして、とあの人の顔が脳裏を過り、無意識に力が篭もる。

「……」

 今は、あること無いこと考えて震えている場合ではない。思考を振り払い、息を吐いた。
 端末を操作する。齋藤佑樹のことも気になったけれど、こちらから連絡する術もなければ危険性も高い。
 選んだのは、五味さんからのメッセージだった。

『連絡待ってる』

 たった一言だったが、俺にとってはその一言だけで十分だった。
 人に寄生するように生きてきた。今更一人放り出されたところで俺に出来ることなど高が知れてる。
 それならば。

『今から会えませんか』

 丁度、授業が終わった頃だろうか。
 遠くからチャイムの音が聞こえてくるのを感じながら、俺はそのメッセージを送信する。

 五味さんからの返信を待つ間に店を出る。
 夕暮れ時、自分が結構な間眠っていたことに気付いた。
 あいつ、ちゃんとやってくれているだろうな。置いてきた齋藤佑樹のことが頭にチラついて仕方ない。
 あいつだけならともかく、問題は一緒にいる志摩亮太だ。変に鋭いところがある分、言い様に誘導されていないか気が気でない。しかしまあ、出てしまえばこっちのものだ。
 ポケットに突っ込んでいた端末が震える。五味さんからだった。

『七時以降なら空いている』

 それなら、とこの辺りから離れていない店を待ち合わせ場所に指定し、待ち合わせ時間を記載して送信した。
 期待はしていない。あくまでも五味さんはあの人の味方だろうし、それでも、少しでも話せるのなら話したかった。何があったのか、ちゃんと。
 自分がこんな風に考える日がくるなんて痒くて仕方ないが、間違いなくあのお人好しのせいだろう。

「……」

 七時までまだ時間がある。二時間程時間を潰さなければ。ひとまず空腹を満たすため、近くのコンビニに入る。
 昨日今日で無駄に動き回ったお陰か腹が減って仕方ない。パンでも食って誤魔化そうと思い、アンパンを手に取ろうとしたときだった。
 店の声からやたらキャーキャー騒がしい声が聞こえてくる。
 学生集団が騒いでるのかと思い、集団を一瞥すればその中央に見慣れた馬鹿面を見付け、硬直した。

「ナオ君今日朝まで付き合ってくれるって本当〜?」
「ああ、丁度今やってるの終わったから暇だし付き合ってやるよ!」
「ここ最近付き合い悪かったし、今日はとことん付き合ってもらうからな!」
「いや野郎とは勘弁だけど」
「なんだよそれ!贔屓だろ!差別だろ!」

 十勝の馬鹿がそこに馬鹿な顔をしていた。
 なんであいつがここに、と思ったがしょっちゅう放課後街に出て遊び回ってるあいつのことだ。そう珍しいことではない。
 考えるより先に体が動いていた。パンを棚に戻し、店から出た俺は外にいた集団に近付く。
「だってずーっと男ばっかのところいたんだからたまには女子の柔らかーい感じのさぁ……って、あッ?!」

 アホみたいなジェスチャー混じえて話していたやつも俺に気付いたようだ、驚きやらなんやらが混じった微妙な顔をするやつに周囲の視線が俺に突き刺さる。そんなもの無視だ。

「栫井っ、なんでお前、ここに」
「それはこっちのセリフだ」
「つーか今までどこいたんだよ?!お前がいない間大変なことに……って、え?」

 ああ、面倒だ。とやかく言うやつの腕を掴み、そのまま走り出した。

「ちょっ、え?!おい、栫井!止まれって!おい!」

 誰が止まるかよ、と思いながらギャラリーから逃げ出した。
 ついでに、十勝を連れて。

「ちょっ、どういうことだよ……せっかく、カラオケ行くところだったのに……」
「俺よりカラオケかよ」
「当たり前だろ!」

 この辺りはいつもと変わらない十勝にイラッとすると同時に、なんとなく安心した。
 退学になって、変に気遣われるよりかは十勝の態度は気が楽だ。……腹立つけど。

「ったくよぉ……ま、走れるくらい元気ありゃいいってか」
「……」
「自分から連れてきたくせにダンマリやめろよ!こうなったらちゃんと説明してもらうからな、何してたか!」
「……それよりも、そっちではどうなってたんだ?」
「……へ?何が?」

 会長は、と言い掛けて言葉を飲み込む。

「……何があったんだ?」
「え……っと、そりゃ、お前が副会長降りるってなってマジかよ!ってなったあとに停学になってたりとか色々あったけど……」
「……」
「……とにかく、どっか座らねえ?」

「誰かさんのせいで食いそびれたから腹減って仕方ねえんだよ」と嫌味ったらしいことを口にする十勝。
 ムカつくが、正論だ。立ち話もなんだ、俺たちは適当な店に入った。

 ◇ ◇ ◇

「なら、何か分かったら連絡するからな!今度は無視すんなよ!」
「はいはい」
「んだよその態度は、可愛くねー!」
「お前に可愛がられたくねえけど」
「本当うぜぇなお前」

 そんなうざいやつのために動くのか、と聞きそうになったがやっぱり止めると言われるのも困る。
「生まれつきなものだからな」とだけ答え、すっかり冷めてる料理に手をつける。

「ああ、それと」
「なんだ?また文句か?」
「……会長には、このこと言わないでくれ」

 そう言えば、十勝は意味がわからないという顔をした。

「どうしてだよ、言った方があの人安心するだろ」
「だからだよ、五味さんにも言うなよ。あくまでこれは俺とお前だけの秘密だ」

『秘密』という単語に、ごくりと十勝が息を呑む。
 その神妙な顔をしたやつに合わせるよう、声を潜める。

「他の人に知られたらやっぱり、口にしなくても態度に出るだろ。そうしたら阿賀松たちに動きが読まれる。そうしたら……」
「……まさか、先回り、とか?」
「何を仕出かすかわからない。……だから、今だけはなるべく穏便に探ってもらいたい」

 あくまで、十勝の敵は阿賀松だ。会長が仕組んだと言ったところでこいつの耳には届かないだろうし、下手したらあの人にまで筒抜けてしまうこと違いない。
 このことはどうしても知られたくなかった。

「そうか……お前、結構考えてるんだな」
「お前よりかはな」
「なんだよそれ、俺がなんにも考えてねえみてーじゃん!」

 ここで出会えたのが扱いやすい十勝みたいな男で助かった。
 一つだけ想定外とすれば、ここまで親身になってくれるこの馬鹿さだろうか。俺が騙してると思わないのだろうか。
 本当、こいつといいあいつといい、お人好しが多すぎる。

「そういえば、なあ、栫井」
「なんだよ」
「和真のこと、なんか知らないか?」

 和真……灘か。

「どうかしたのか」

「知らねえの?お前と同じくらいに休学届け出したっきり、連絡すらねえんだ。タイミングがタイミングなだけにお前が何か知ってると思ってたんだけど……」 

「知らねえ」
「そっか……はぁ、どうなるんだろうな、このまま」
「……」

 大袈裟なやつだな、と思ったがそれを一笑することは出来なかった。
 これからどうなるのかなんて、俺だって分からない。
 けれど、止まっていた何かが動かしたのは明らかで。
 ……そうか、灘のやつ、まだあっちにいるのか。
 阿賀松たちの動きを探る。そう、灘と別れる前、あいつはそう言っていた。何されても表情変えないようなやつだ、生きてるだろうが気になった。

「なんだよ、やっぱりお前も心配なのか?」
「別に」
「別にってことはないだろ」
「第一、俺が心配したところでどうなるんだよ」
「そういう言い方がないんだよなぁ、まじ」
「……」

 後で、灘に電話してみるか。別に心配したわけではないが、少情報はあるに越したことにない。それだけだ。

 早速心当たり探してみる、そう張り切って店を出た十勝。それに続いて、俺も店を後にした。
 五味さんとの約束の時間まで、あと少し。それまでどうしようか。あまり彷徨いていても余計疲れるだけだ。
 というわけで五味さんとの待ち合わせ場所に早めに来てみたのだが、やっぱり五味さんはいない。
 約束の時間十分前に来るような人じゃないとわかっていたからどうでもいいけど。

「……」

 学園から出て、周りが自分のことを知らない人間ばかりということがここまでとは思わなかった。
 気が楽というよりも、いつもの息苦しさはない。

「……」

 そろそろだろうか。辺りを見渡し五味さんを探す。けれどやはりまだ五味さんはいない。
 何かあったのだようか。端末を取り出し、連絡が来てないか探すけどそれらしきものは受信していない。もう少し、待ってみよう。
 約束の時間から二十分が過ぎる。流石に、遅すぎる。

「……、……」

 何かあったのだとしたらこちらから連絡はいれない方が良いだろう。
 あと少しだけ、待ってみよう。そう思うけど、自分のメールを他の第三者に見られていると考えたらまずい。
 どうしようか、と思考巡らせた時。

「おい」

 いきなり肩を叩かれ、驚いた。振り返ればそこには、

「……五味、さん」
「悪い、ちょっと話し合いが長引いてな。遅くなった」

「あと久し振りだな」バツが悪そうに笑う五味さん。
 久し振りに聞いたその声に、ようやく目の前のその人が待っていた人だと分かり、心の底から安堵する。

「遅過ぎっすよ、本当」
「だから悪かったって言ってるだろ」
「何かあったんですか?」
「……まあな」

 十勝から生徒会の様子を聞いていたのでなんとなくその内容は察することができた。

「五味さん」
「取り敢えず、先にここを移動するか」
「あいつらに見付かったら厄介だ」

 あいつらというのは会長たちのことだろうかと思ったが、その表情からして違うことが分かった。
 移動すべきなのには同意だ。俺は五味さんとともにその場を移動した。

「腹減ってるか?」
「さっき食ったんで特に」
「そうか。待たせといて悪いが、あまり時間がないんだ」
「何かあるんですか?」
「……」

 五味さんの無言が不気味で、促すように「五味さん」と声を掛ければ、苦虫を噛み潰したように五味さんは唸る。

「……芳川が」
「会長が、どうかしたんですか」
「……」
「五味さん」
「……病院に運ばれた」

 一瞬、五味さんの言ってる意味が分からなかった。

「……病院?」

 怪我?病気?分からないが、少なくとも俺の知っているあの人はそんなものとは無縁の人だ。
 つい立ち止まりそうになれば、「止まるな」と五味さんに促される。

「いや、病院だと言ってもただの検査入院だ。ちょっと頭打ってな。本人はピンピンしてるんだが念のためってだけで……問題はそこじゃないんだよ」
「……誰にされたんですか?」
「分からない。いや、大方予想つくんだがな……」
「分からないっていうのは」
「今度のイベント会場の下見のため講堂へ行ったんだが、その最中、突然機材が倒れてきて……だな」

 それ以上は言わなくても分かった。それくらいで倒れる人ではないが、外野が騒いだのだろう。
 学園側としてもそんな生徒を放っておくことも出来ず、建前として病院へ連れて行く。
 一時的に邪魔者を排除するため、あの陰険な赤髪が考えそうなことだ。

「ただの事故にするつもりにしても騒ぎがでかくなりすぎたんだよな。劣化すらしてない機材が壊れてるという時点で人為的なものは確実だし、今、芳川をよく思っていない連中が多すぎる」
「……」
「お前のこともあったからな」
「会長は、大丈夫なんですか」
「ああ、『こんなの擦り傷だ』と笑ってたよ」
「そうじゃなくて……」

 俺の記憶の中でのあの人はいつも気を張っていた。
 情けない姿を見せないため、何があっても『平気だ』と自分に言い聞かすように口にしていた。
 自己抑圧で感覚が麻痺し、自身が磨り減っていく。
 今、会長にまだ残っているのか分からない。それでも。

「お前が何を考えてるのかわからないが、今のお前はあいつに会わない方がいい」
「……ッ」
「わかってるんだろ、お前がいても余計騒ぎがでかくなるだけだ」
「……でも」
「あいつのことは俺達に任せておけ。お前にもやらなきゃいけないことがあるんだろう」

「そのために俺を呼び出したんだろ」宥めるような五味さんの言葉に自分が子供扱いされているみたいでムッとしたが、その言葉のお陰で自分の目的を見失わずにいられた。

「……五味さんに、お願いしたくて」

 俺は、五味さんに説明した。
 今の状況を、退学理由はでっち上げだと、齋藤たちのことも、全部。

「本当、あいつらも変なことに巻き込まれてんなぁ」
「……」
「わかった。俺に出来る限りは手助けしといてやるよ」
「ありがとう、ございます」
「お前、なんか変わったな」

 唐突にそんなことを言い始める五味さんに、つられてギョッとする。

「なんですか、いきなり」
「他人の面倒なんて見なかったくせに俺に頼んでくるんだからな」
「なんすか、それ……なんかバカにされてるみたいでムカつくんですけど」
「お、おい、馬鹿にしてねえって!成長したなぁって思っただけだろうが!」
「それがムカつくんすけど」

 睨めば、五味さんは笑う。それが嫌で、顔を逸らした。

「はいはい、悪かったってば。お、喉渇いたな。なんか飲むか?」
「…………コーラがいいっす」
「おう、待っとけ」

 近くの広場前、自販機の元へ向かう五味さんを横目に近くのベンチに腰を下ろす。
 既に辺りは暗くなっていた。
 自分が変わったなんて思っていない。ただ、あの馬鹿のお人好しが移ったのかもしれない。
 非常に不本意だけど、それでも、まあ、悪い気は……する。他人に一々指摘されるのはムカつく。

「おい、ほら飲め」
「……あざす」

 缶を受け取る。口をつける俺の横、どかりと五味さんが腰を落とした。

「……っと、何の話だったかな。ああ、そうそう壱畝遥香だったか」
「……」
「あいつに関してはこっちでも調べてたんだ。けど、会長とはなんの接点もない。まあ、小さい頃から外国転々としてて成績がいいくらいだな」
「……」
「ああ、それと……これは芳川とは関係ないんだがな、いろんな学校を転々としていた壱畝なんだが唯一一年通っていた中学があってな、それが齋藤と同じ中学なんだよな」

 まさかこのタイミングで齋藤の名前が出てくるとは思わなくて、つい、隣の五味さんを凝視した。

「おい、俺を睨むんじゃねえよ。……クラスも同じだったみたいだし、壱畝遥香についてはあいつの方が詳しいんじゃないのか?」
「……」

 また、あいつか。あいつが転校してくる前からずっと、齋藤の名簿を眺めていたあの人の姿が蘇る。あいつが来てからも、あの人はずっと齋藤のことばかりを気にしていた。
 自分にすら興味を失くしたあの人が興味を持つ人間。その理由は今でも分からなかった。
 だから、齋藤が見限られたと聞いた時心の底で安心した。
 特別視されていた齋藤も結局はあの人を変えることを出来ないと。自分と同じだと。なのに。

「齋藤……」

 なんで、まだお前はあの人の中に居着いているんだ。
 悔しさとも嫉妬とも言えない、言葉にし難い感情が込み上がってきて腹の中を掻き出したくなる。

「おい、栫井?」
「……はい」
「別にあいつが何か関わってると言ってるわけじゃないからな、変な勘違いするなよ」
「……」
「栫井」
「……分かってます」

 齋藤佑樹。
 俺と同じだと言ったあいつは、いつも会長の中で中心にいた。それが意図せずものだとしても。
 実際に関わっていないとしても、何かがそこにあるのは間違いない。
 だとしたら、俺がすることは。
 ポケットの中の携帯端末を握りしめた。

 home 
bookmark
←back