06※
車体特有の微かな振動に息が詰まりそうになる。
どこへ向かっているのか、ということも気になったがそれよりもだ。
「……っ」
手を動かせば、何かに触れる。
車のクッションではない、布越しに伝わる暖かみのある微かな感触は間違いなく人の体で。
伸ばした手、指先を握られ、瞬間、口から心臓が飛び出しそうになった。
「へぇ、大胆じゃねえの?そんなに俺の体、恋しかった?」
耳元、冗談混じりに囁きかけられるその声は忘れようもない、阿賀松伊織のものだった。
からかうようなその言葉に全身が凍り付く。
頭部に触れた阿賀松の指先に動けずにいると、間もなくして視界を遮っていた布が落ちる。
視界が明るくなったとき。
染めたような黒い髪、ぶら下がるピアスは以前のままで。
「待てよ、そんなに離れなくてもいいだろ」
スモーク貼りの薄暗い車内。笑う阿賀松に俺は無意識の内に退いていたようだ。しかしだからと言って再び近寄る気にはなれなくて。
「もっとこっちこいよ」
「俺は……こっちでいい、です」
「お前の意見は聞いてねえんだよ。俺がこっちに来いっつってんだろ。いいから来いよ」
阿賀松の表情からは笑みが消え、吐き捨てるような低い声に全身が竦む。
先程まで一緒に居た阿佐美とは違う、気迫。
間違いなく目の前の男は阿賀松だった。
「早くしろ」
静まり返った車内。突き刺さる視線に、その迫力に押し潰されそうになる。
怖い、という二文字が頭を過る。
いざ阿賀松と二人きりになると、死ぬほど息が詰まりそうになり、頭の中が真っ白になって何も考えられない。
ここは、従うべきだろう。頭の片隅、残っていた冷静な自分に従い、ゆっくりと阿賀松の隣に座り直す。
けれど、
「ちげえだろ、ユウキ君」
その言葉に顔を上げれば、阿賀松は自分の膝の上を指差していて。
「はーやーく」
まさか、と目を見開く俺に阿賀松は「窓から放り出してもいいんだぞ」と笑う。
バクバクと脈が乱れ始める。
阿賀松が何を考えているのか読めない。
怒っていると聞いていたのに、以前と変わらない阿賀松は余計質が悪くて。
それでも、阿賀松の考えを知るには阿賀松と対峙する必要がある。
羞恥を堪え、言われるがまま阿賀松の膝の上へ移動する。
座ったら座ったで椅子代わりにするなと怒られたらどうしよう等考えながら恐る恐る腰を下ろそうとすれば、なかなか座ろうとしない俺に焦れたようだ。舌打ちとともに思いっ切り腰を抱き締められ、無理矢理座らせられた。
「せ、んぱ……ッ」
体重がもろに掛かっているであろうこの体勢に、慌てて腰を浮かそうとするが下半身に回された阿賀松の腕はそれを許さなかった。
一層強く抱き竦められ、見動きすら儘ならなくなる。
「随分と、俺に会いたがってたみてえじゃねえの」
耳元すぐ側、微かに吐息が吹き掛かり、全身が粟立つ。
どうやら、やはり阿賀松には筒抜けだったようだ。それを狙って行動していたわけだが、それでもやはり心の準備がまともにできてない今、阿賀松の一挙一動に思考回路は乱される。
「俺も、ユウキ君に会いたかったぜ」
「なんつってな」瞬間、ぬるりとした生暖かい濡れた肉の感触は耳朶を這う。
舐められた、と蒼白よりも先に、下腹部、閉じた腿に伸びる阿賀松の手に血の気が引いた。
「待っ……ッ」
忘れかけていた阿賀松の腕の感触が蘇り、全身が硬直した。
咄嗟に、下腹部を弄る阿賀松の手を掴めば、不思議そうに阿賀松は首を傾げた。
「八木と安久ちゃんまで利用して会いに来てくれたんだから勿論、その分俺を楽しませてくれるんだろ?」
「そういう、わけじゃ……っ」
「じゃあなに?なんで俺に会いたかったわけ?」
それは純粋な疑問で。
問い掛けられ、口籠る俺に背後の阿賀松が微かに笑う気配がした。
「もしかしてー……俺を潰すため?」
なんでもないように、半笑いでそう口にする阿賀松に背筋が寒くなる。
「ま、んなわけねえよなぁ。ユウキ君にそんなこと出来るとは思わねえし、そもそも、俺が居なくなって困るのはユウキ君だもんな」
「そんな、こと……」
腹を探られてる、というよりも直接心臓を握り込まれるような恐怖に身が竦む。
服の下、滑り込んできた阿賀松の手に腹部を撫でられた瞬間、言葉にし難い感覚が駆け抜けた。
「っ、く、ぅ……ッ」
ベルトを緩め、下着の上から萎えたそこを握り込まれれば一気に冷や汗が溢れ出す。
触れる阿賀松の指先の感覚がヤケに鮮明で、薄暗い車内、自分の浅い呼吸が大きく聞こえたのは気のせいではないはずだろう。
「分かってんだろ、あいつの無茶苦茶なの」
「っ先輩……っ」
「俺がいなくなったと思って調子に乗りやがって。……気分悪ぃ」
次第に低くなる声、その指先に力が加わっていく。
痛み、それ以上の緊張感に全身が引き攣り、下腹部に力が篭った。
ヘタに動くことが出来ず、阿賀松の膝の上、動けなくなる俺に気付いた阿賀松は小さく笑った。
「ああ、元はと言えばお前があの眼鏡と組んだからだったな……。ま、終わったことはどーでもいいんだけどな」
「面白くねえな」そう、阿賀松が吐き捨てたときだった。
腿を抱き抱えられ、そのまま下着を脱がされる。
「……え?」
一瞬、何が起きたのかわからなくて。
曝け出される下腹部に気付き、慌てて隠そうとするが壗ならなかった。
運転席から見えてるのではないだろうかという心配もあったが、それ以上に剥き出しになった下腹部に伸ばされた阿賀松の手に、息が止まりそうになって。
「待って、下さ……ッ」
「俺がお前の言うこと聞くと思う?」
「そう本気で思ってんなら、そのオメデタイ思考回路、ついでに叩き直してやろうか」なんて、冗談にしては笑えないその言葉に凍り付いた矢先、無理矢理顎を掴まれる。
息をするように唇を塞がれ、視界も、阿賀松で遮られた。
「っ、ん、ぅ……ッ」
唇をなぞる舌の中、埋め込まれた金属ピアスの感触が確かにした。
阿賀松の本心が読めない。俺を撹乱しようとしていのか、わからない。わからなかったが、窄めた舌先に阿賀松の長い舌が絡み付いて粘膜ごと摩擦されるだけで確かに俺の思考回路は乱されていて。
苦しい、怖い、けれど、この車内に俺に逃げ場は残されていない。
舌を受け容れることしか出来なくて、とにかく、なんとかしてここは持ち堪えなければ、そう決心するけれど酸素を奪われた頭の中は靄がかったかのように何も考えられなくなっていく。
「なんだよ、亮太にちゃんと遊んでもらってねえのか」
長いのか、短いのかすら分からないキスが終わり、夢現だった俺の思考は阿賀松の言葉に現実へと引き戻される。
「可哀想に」そう笑う阿賀松に、どういう意味かと視線を下ろしたときだった。
「……ぁ……ッ」
勃ち上がり掛けていたそこを指で跳ねられ、背筋に電流が走る。
阿賀松の指摘の意味を知り、顔が熱くなった。
「ちが……ッ」
「なんだ、なら遊び過ぎてんのか?」
そういう意味じゃないと必死に首を横に振るが、阿賀松には届いていないだろう。
弄っていたその無骨な指が睾丸に触れた瞬間、背筋に寒いものが走る。
「ッ、ぁ、あ……っ」
「自分が誰のものなのか忘れてるみてぇだな」
「……ッ」
ぎゅっと掌全体で握り込まれたとき、心臓が大きく跳ね上がるのが分かった。
じわじわと締め上げられるような圧迫感に、自然と脂汗が滲み出てくる。
「ユウキ君、楽しかったか?家出ごっこは」
耳元、囁かれるその言葉に息をすることすら出来なくて。
背筋に流れる汗。体温は高いはずなのに、不思議と背後は薄ら寒かった。
「聞かせてくれよ、何があったのか」
俺に、全部。薄皮に食い込む指先に指すような痛みが駆け抜ける。
弱まるどころか一層増すその痛みに、俺は声を押さえることで精一杯だった。
「全部って、何の」
ことですか、そう言い掛けた瞬間だった。
「ッ、ぁ゙あッ!」
押し潰されるような鋭い痛みが脳天から全身へと駆け抜け、喉奥からは自分のものと思えないような声が溢れる。反射的に滲み出てくる涙に視界が歪み、下腹部、薄皮に食い込む阿賀松の指に血の気が引いた。
「しらばっくれてんじゃねえよ。潰すぞ」
低い声。痛みのあまり冷静になっていく頭の中、指の感触だけはやけにリアルで、まるで太い針が貫通しているかのような激痛に全身の血液が滾るように熱くなる。
「八木から奪った原本、どこにやった」
「知ら……ない……です……っ」
「なら亮太が持ってるってことか?」
「違っ……」
これでは、志摩が狙われる。
痛みの中、咄嗟に反応したが、それがまずかったようだ。
「知ってるじゃねえかよ」
呆れたような気配すらするその声が聞こえた時には、口からは声にもならない悲鳴が漏れる。
指先で摘まれ、捻られた箇所は内出血を起こしたようだ。
痛みのあまり、口を閉じることが出来ず、溢れる唾液。阿賀松の指を見据えたまま何も考えられなくなる俺に、ただ、阿賀松は「嘘つくなっつったろ」と冷たく吐き捨てる。
阿賀松の手遊びはそれだけでは終わらなくて。
「は、ぁ……ッ!ぐ……ッ!」
ビクビクと脈打つ下半身、流血しているかのような錯覚に陥る。
尖りに尖った神経は軽く触れられただけでも焼けるような痺れを覚え、性器の先端、尿道口に触れたその指に全身が竦んだ。
「なあ、ここに釘刺されるのと、ここに鞭打つの。ユウキ君はどっちがいい?」
ここ、と指先が睾丸に降りた途端、電流のようなものが背筋に走る。想像し、まるで生きた心地がしなかった。
後頭部がキリキリと痛み、喉が急速に乾いていく。
「先に教えといてやる。お前らの動きなんてこっちはわかってんだよ。今度嘘を吐いたら次はないと思えよ」
ハッタリか、はたまた本気か。
その言葉によって俺がどんな証言をするかを見定めているのは明らかだったが、それでも、阿賀松の真意が分からない今下手な発言が命取りということだけは明らかで。
ひたすら俺はこの車がどこかへ着くのを心の中で祈った。
せめて、意識が保ってる内に。
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