天国か地獄


 04

 開いた窓の縁を掴み、前のめりになるようにその窓枠へと体をねじ込む。
 しかし、最後に足が引っ掛かってしまい、「うっ」とそのまま床に落ちた。

「あだだ……」
「ちょっと、齋藤そこ退いて!」
「うわっ!」

 続けて通路へ着地する志摩。間一髪踏まれることは免れたが、あちこちが痛い。よろめきながら立ち上がる俺。
 辺りは外よりも暗く、だからこそ一層暗く感じてしまうのだろう。

「ここなら、監視カメラも使えないだろうし少しは時間潰せるんじゃないかな」

 言いながら、窓を閉める志摩。カーテンも閉め切られ、通路には完全な闇が広がった。

「どうして知ってるんだ」
「何が?」
「ここ、監視カメラないって」

 ゆっくりとだが、目が暗闇に慣れていく。
 志摩の姿が、ぼんやりとだけだが確かに見えるようになってきて。
 何気なく尋ねれば、志摩は言葉に詰まる。変なこと聞いたのだろうかと不安になったが、よく考えてみるとここは生徒会の専用のカードキーがなければ通ることが出来ないのではないか。
 栫井に灘に十勝、彼らがここを使うことに違和感は感じなかったが、生徒会に属していない志摩がここのことを知っているということに引っ掛からずにはいられなくて。

「…………」

 あれほど饒舌な志摩が、今度は本当に言葉に詰まっていて。押し黙る志摩に、沸々と違和感が込み上げてくる。
 こんな状況じゃなければ、見てみぬフリをすることも出来たのだろう。だけど、一度込み上げてくる疑問を押し殺すことは出来なくて。
 志摩が悪いことを企んでるとは思わない。思いたくない。だけど、だからこそ余計。

「……志摩」
「…………」
「ここって、生徒会役員にしか知らされていない専用の通路じゃないのか」
「…………」

 恐る恐る尋ねるが、やはり、志摩は何も答えなくて。
 その沈黙が恐ろしくなり、「志摩」ともう一度その名前を呼んだときだった。

「……確かに、そうだね」

 観念したかのように、志摩が口を開く。相変わらずどこか他人ごとのような軽薄な口調だが、先程よりもその歯切れは悪くて。

「でも、驚いたな。……齋藤がそこまで知ってるなんて」
「どうして、話を逸らすんだよ……っ」
「誤解だよ。逸してない。別に、知られて困るようなことも隠したいこともなんもないしね」

 言いながら肩を竦める志摩は制服のポケットから何かを取り出した。そして、それを俺に差し出す。
 掌サイズ、硬質で、それでいて薄いそれはカードのようなもので。

「これって……ッ!」

 つい最近、灘がここに来るために使っていたカードキーが脳裏に蘇る。
 手に触れた感触でしか確かめることは出来ないが、それは恐らく俺が想像しているのと同じもので間違いないだろう。
 生徒会役員しか持ち合わせるはずのないカードキー。それが、志摩の手にあることにただ驚愕する。

「ああ、言っとくけど、確かにそれは俺のじゃないよ。だけど、誰かから盗んだってわけでもないから」

 言葉に詰まる俺に、なにかを察したのだろう。先回りするように言い足す志摩に、余計俺の頭の中はこんがるばかりで。

「なら、どうしてこれを」
「俺の兄貴の」
「は?」
「前、生徒役員だったんだよね。だから、貰った」

「というか、本人もう使えないからさ使ってやってるってわけ」そう、なんでもないように続ける志摩に、安久の言葉が脳裏に蘇った。
『当事者』というその単語に、『使えないから』という志摩の言葉が繋がり、不穏なものが頭を過る。

「生徒会役員って、まさか……」
「生徒会長だよ。って言っても、元、だけどね」

 まさかと思って尋ねてみれば、志摩の返答は俺の予想通りで。
 つくづく、悪い想像ばかり的中する。だけど、それでも、俄信じることが出来なくて。

「でも、志摩、兄弟いないって……言ってたじゃん」

 転校してきたばかりのある日、俺との約束をすっぽかした志摩はいない兄弟を使ってはぐらかした。
 でも、自分で言って気付く。薄暗い通路の下、志摩と確かに目があって――志摩は笑った。

「ああ、あれね。……嘘だよ」
「……嘘?」
「うん、だってあの時あまりにも齋藤がショック受けた顔するからさ、そういうのって重いじゃん。だから適当に言ったんだけど……覚えてくれてたんだ」

 嬉しそう、というわけではなかった。入院してる兄弟というのが実在するのなら。
 芳川会長に陥れられた前会長が実在するのなら。辻褄は合う。
 それでも、認められなくて。心の奥底で、認めたくないと叫ぶ自分がいた。

「だから、齋藤はなんにも気にしなくていいよ」

「ほら、これで満足した?」そうなんでもないように踵を返した志摩はそのまま歩き出そうとする。
 話はまだ終わっていないのに。
 咄嗟に呼び止めようとしたけど、足早に歩く志摩がこの話題を終わらせたがっているのを感じ、それ以上深く尋ねることは出来なくて。
 志摩の兄が前会長で、阿賀松は次期会長。だったら、芳川会長は。
 揃ったピースがどうしても上手く噛み合わないのは恐らく足りないピースがあるからだろう。
 芳川会長の真意には辿り着くことは出来なくて。これ以上、志摩から何かを聞き出すことも難しいだろう。
 今はとにかく、目の前の志摩を見失わないようにその背後を追いかける。

「齋藤はさ、なんでここが作られたのか知ってる?」

 薄暗い通路内。
 不意に尋ねられ、俺はいつの日か十勝から聞いた話を思い出した。

「確か、親衛隊から逃げるために芳川会長が作らせたって……」
「へえ、そういう風になってるんだ、今」
「……え?」
「ここはね、元々は普通に行き来出来るようになってたんだよ」

「だけどね、ほら、この窓」と、通路の壁を指差す志摩。
 暗幕が張られた今、見えないが外から見れば壁一面ガラス張りになってるのはわかった。

「うっかり落ちたらさ、一溜まりもないでしょ?」
「まあ、確かに」
「実際落ちたんだよ、ここから。生徒が」

「まあ、正確には突き落とされたっていう方が合ってるんだろうけどね」その何気ない言葉に、一瞬、言葉に詰まった。
 ゆっくりとこちらを振り返る志摩は僅かに笑っていて。

「それって……」
「そうだよ。俺の兄貴だ」

「ここから落ちて、ついこの間目を覚ましたんだ」まあ、まだろくに喋ることもできないんだけどと続ける志摩の言葉に俺は絶句する。掛ける言葉も見付からない。この窓から落ちたとなると、相当の高さにはるはずだ。それでも意識を取り戻したということを喜ぶべきなのか、それすら気も回らなくて。
 芳川会長に陥れられたという前会長が転落した。
 当時居合わせていない俺からしてみれば、全て人から聞いた話であることには違いなくて。
 会長が実際関わっている確証もない。そう、思いたい反面、話を聞けば聞くほど会長がまるで俺の知らない人のように感じて。

「それでここは封鎖。一般生徒は立入禁止され、侵入も出来ないようになってたんだけどね」

「このカードキーはここが本格的封鎖される前のものだね。だから、生徒会専用のエレベーターにしか使えないんだ」そう淡々と続ける志摩に、俺はとうとう何も言えなかった。
 押し黙り、言葉を探していると「齋藤」と名前を呼ばれる。

「今言った通り、学生寮までこのまま戻ることは出来ないんだ」
「……だったら、どうしてここに」
「ここは元々一般生徒たちが使っていた通路っていうのは、わかったよね?」

 こくり、と頷き返せば志摩が小さく笑った。

「今はもう使われてないだろうけれど、ここにもラウンジがあったんだよ。日当たりがよくて、自販機も置いててさ」
「……うん……?」
「ああ、ついた。ここだよ」

 話が見えない俺に構わず、通路の途中、その蝶番の扉の前に立ち止まった志摩。
 その扉のドアノブに手を掛け、ゆっくりとそれを志摩が開けば、瞬間、強い風が俺たちの間を吹き抜けて行く。
 真っ白な外の光に目が眩んだ、その一瞬だった。
 こちらを振り返った志摩が、太陽の日差しに照らされたその表情が強張った。
 そして、

「齋藤ッ!」

 目を見開く志摩。名前を呼ばれ、どうしたのかと驚いた時だった。
 背後から伸びてきた腕が、首に絡みつく。

「ッ、ぐ」

 そのままきつく締め付けられ、圧迫される器官。
 何事かと背後に目を向けたその時だった。
 全面ガラス張りのそのラウンジ。乱雑に並べられたソファーや観葉植物の影から一斉に人が現れて。
 その大勢の人影の右腕に『風紀』という刺繍の入った腕章が巻かれているのを見つけ、全てを把握する。

「……まさかとは思ったが、お前らが共犯だったとはな。すっかりしてやられた」

 背後、耳元で囁かれるその低い声に、全身に鳥肌が立つ。
 回された腕に力が込められ、慌ててそれを外そうと掴むが、ビクともしない。
 白ばむ視界の中、「齋藤ッ」と志摩の声がやけに遠く聞こえて。

「……ッ、し……ま……」

 喋れば喋るほど肺に残された空気が薄れていく。
 それでも、一斉に囲まれる志摩を止めることが出来なくて。

「齋藤を離せ……ッ」

 周りの人間なんて目に入ってなくて、構わずこちらへと駆け寄ろうとした志摩が一斉に取り押さえられるのを見て、思わず目を逸しそうになる
 どうして、こんなことに。
 背後、抱き竦めるように回された腕に固定された体は次第に力が抜けていく。
 酸欠状態に陥る頭の中、どこで間違ったのか今までの行動を振り返ってみるが痺れを帯びた思考回路がまともに働くはずもなく。

「悪いが、少しだけ眠ってもらうぞ」

 再度囁かれるその声に、次の瞬間、首筋に衝撃が走る。
 手刀を叩き込まれたと気付くよりも先に、意識が遠くに飛んでいく方が早かった。

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