13
「すごい、静かですね……」
「こんな時間だからな、無理もない。……風、冷たいな」
「そうですね。涼しくて、なんか……気持ちいいです」
「そうだな」
動かないエレベーターの代わりに階段を使い、校舎一階まで降りてきた俺達。
しんと静まり返った廊下は酷く薄気味悪かったが、隣に居るのが会長だからだろうか。前に、一人でぐるぐると夜の校舎を回っていたときに比べればかなり心強かった。
しかし、それにしても……。
「……」
「……」
面白いほど会話が続かない。
ぽつりぽつりと話題が上がるものの、会長も話したい気分ではないのだろう。それがわかったからこそ俺の方から話しかけることを阻まれ、沈黙が続いた。
それでも、会長の隣を歩くのは苦痛ではない。
緊張しないといえば嘘になるが。
「少し、そこで休もうか」
中庭へと続く扉の前。
ふと足を止めた芳川会長は、月明かりに照らされるガラスのドアを指差した。
その向こう側には青々と茂った緑が映っていて。
「あ……あの、勝手に入っていいんですか?」
「ここまでついてきておいて君は不思議なことを言うな」
「別に、荒らしに来たわけじゃないのだから構わないだろう。ほら、こっちだ」そう言うなり、ついてこいと促すように俺の肩を軽く叩いた会長は鍵をつかって扉を開き、そのまますたすたと中庭へと歩いていく。
まじかよ。と会長の行動に内心驚きつつも、置いていかれないよう俺は慌ててその後ろをついていった。
深夜の中庭にやってきた俺と芳川会長。
月明かりに照らされて光る無数の葉が風に煽られ、ざあっと音を立てて揺れる。普段、比較的静かな場所だが夜というだけあってか比にならないくらいの静寂に包まれていた。
「……なんか、すごい雰囲気変わりますね」
「昼間も華やかでいいが、夜の静けさもいいだろう」
「……はい、落ち着きます」
用務員の人が手入れしている花畑は、薄暗い夜空の下でも鮮やかなのがわかる。
緑に興味なんてなかったが、なぜだろうか。
風に吹かれて葉がぶつかり合う音を聞いていると、酷く、荒んだ心が落ち着いていく。
「そうか、気に入ってもらえてなによりだ」
辺りを眺めている俺に、そう安堵したように微笑んだ芳川会長は「座ろうか」と近くのベンチを指した。
それに頷き返した俺は、促されるがままベンチに腰を下ろす。
「……会長は、よく夜にここへ来るんですか?」
「ああ。……他のやつらには言うなよ、怒られるから」
「わっ、わかりました、内緒にしときます」
まさかの口止めに内心緊張しながらも、慌てて俺は強く頷いた。
そんな俺に、会長はにこりと笑う。その笑顔にどぎまぎして、つい俺は顔を逸らしてしまった。
……でも、意外だ。会長は校則とか規則とか、絶対守るタイプだと思っていたのだけど。
でも、ここ最近のことを考えてみたら第一印象なんて役に立たないことを知らされる。
それと同時に、自分は本当に会長のことを知らないんだということを、突き付けられる。
だからだろう。こうして会長に誘われ、会長の一面を知れることが……少しだけ嬉しかった。
押し黙る俺に、会長は少し迷ったように視線を泳がせ、そして、小さく息をついた。
「……夜の学校にくると、落ち着くんだ」
「……」
「昼間あんなに人で賑わっているのに、今は自分しかいない。……その事実に酷く安心する」
そうぽつりと呟く会長はどこか自虐的な色が浮かんでいて、俺はなにも言えなくなる。
一人しかいないという、孤独感。それは俺がなにより恐れているものだ。
誰もいない、誰とも繋がらない。自分の中に存在するのはただ一人。
会長は、それが安心するという。
「……」
会長がそんなことを言い出すとは思いもしなくて、同時に、会長の言葉にきつく胸が締め付けられた。
だって、それって、つまり……。
「……すみません、俺」
「どうして謝る?」
「俺がいると、落ち着きませんよね」
一人が好きだという会長にとって、傍にいる俺は邪魔でしかないはずだ。
そのことを突き付けられた気がして、酷く居た堪れなくなる。
落ち込む俺に、会長はきょとんと目を丸くし、そして笑う。
「君は……面白いことを言うな。いや、俺の言い方も悪かったな。……別に、一人が好きなだけで君が邪魔といったつもりはない」
「会長……」
「なんで俺がここに君を連れてきたかわかるか?」
いきなり問い掛けられ、俺は「え?」と目を丸くした。
なにか答えなければと必死に思考を働かせてみるが、「えっと、あの」と出かけた言葉は喉で詰まったまま出てこない。
ごにょごにょと口籠る俺に、会長は柔らかく微笑んだ。そして、ぽん、と頭の上に手を乗せられた。
「……齋藤君、君に教えたかったんだ。……俺の好きな場所を」
静まり返った中庭に広がる、落ち着いた声。
くしゃりと髪を撫でられた俺は、会長を見上げた。
「かい……ちょう?」
「……君には知ってもらいたかった」
薄暗い中、会長の瞳は確かに俺を見ていて。どことなく寂しそうな会長の目に、なんとなく胸の奥がざわつく。
その言葉に、嬉しくなるよりも先になんとなく、なんとなく変な感じがして。
「あの」と恐る恐る口を開きかけたとき、頭を撫でていた会長の手が離れた。そして、会長はゆっくりとベンチから立ち上がった。
「そろそろ戻ろうか。……悪かったな、付き合わせて」
こちらを振り返り、照れ臭そうに笑う会長に慌てて俺は首を横に振った。
「……いえ、あの……嬉しかったです。……会長が、お気に入りの場所を教えてくれて」
嘘ではない。ここに連れてきてもらえたことによって会長に認めてもらえたような気がして、戸惑ったものの嬉しく思ったのは本当だ。ただ、俺が慣れていないだけであって。
「……嬉しい、か」
慌ててフォローする俺に、会長はふっと笑う。
その笑みが、僅かにぎこちないものになったのを俺は見逃さなかった。
「君は本当に面白いことを言うな」
「……え?」
「俺のことを軽蔑しないのか」
笑みを浮かべたまま、当たり前のように尋ねてくる芳川会長に、どくんと心臓が大きく脈を打つ。
必死に蓋をしようとしていたところを無理矢理抉じ開かれたようなそんな感覚だろうか。
先ほどまで穏やかだった神経が、一斉にざわつき始めた。
「……った、しかに、ビックリしました。けど、会長にも色々あったのかもしれませんし……俺が、意見出来るような立場ではないので」
どうして、会長はそんなことを言い出すんだ。まるで、俺の反応を見るかのような、そんな目でじっと見つめてくる会長に、酷く息苦しくなる。
それでも、無言は許されないのだろう。
会長は、どんな反応を求めているのだろうか。わからない。
でも、
「……でも、栫井に、あまりひどいことしないで下さい。……お願いします」
それは、本心だった。
確かに会長に逆らう真似をしたのも事実だろうし、全くの善人でもないのも身を持って知ってしまっている。
でも、それでも、傷の痛みに呻く栫井を思い出すと、酷く心が痛んだ。その理由はなんとなくわかる。殴られることがどれだけ痛いのか、信じてもらえないのがどれほど辛いのか知っているからだろう。
背景になにがあったのかよくわからない。それでもやはり、苦しむ誰かを見るのは、辛かった。
会長の目が、僅かに細められる。
「……君は、随分とあいつを気に入ってるみたいだな」
「俺は……俺は、会長には暴力を奮ってほしくない……っです」
自分の気持ちを伝えるのは、いつだって苦痛だ。
喉に刺が刺さったみたいに喋る度に息が苦しくなったが、それでも、会長にはちゃんと言いたくて。
「す……すみません、俺、生意気なこと言って」
怒られるだろうか、不愉快に思われることは間違いないだろう。
それを覚悟して発言したつもりだったが、やはり、会長の目を見るのが怖くて、咄嗟に俯いたときだ。会長の手が、伸びてきた。
殴られるのだろうか、とぎゅっと目を瞑る。しかし、いくら待っても痛みはこない。
それどころか、
「っ、……あの」
わしゃわしゃと髪を掻き混ぜられる。無造作に頭を撫でられ、きょとんと目を丸くした俺は会長を見上げた。
そのとき、会長の手が動きを止める。そして、顔を覗き込まれた。
「理由を、聞かせてもらってもいいだろうか。……俺に、手を汚させたくない理由を」
「……え?あ、あの……」
「聞かせてくれ」
目の前に、会長の顔が迫る。鼻先同士がぶつかりそうになり、咄嗟に後退る。
それでも、会長の視線は俺を捉えたまま逸らされなくて。
じわじわと顔に熱が集まるのを感じながら、俺は会長から目を逸らす。
「か……会長は、俺の、憧れの人だから」
「ヒーローみたいな、人だから……人を傷付けて欲しくなくて」あまりの恥ずかしさに、声が震えた。
人から慕われ、堂々と立つ会長は俺の理想だった。
自分の意思を貫き、人に流されない。この人みたいになれたら、と何度思ったことだろうか。
だからこそ、そんな会長が暴力を振るう姿は見てて、ショックだった。それでもこの人のこと完全に見限ることが出来無いのは、そんな会長が考えて起こした行動だと信じたいからだろう。
そこまで言って、自分が相当恥ずかしいことを言っていることに気が付いた俺は真っ赤になった顔を慌てて手で隠す。
「すっ、すみません、やっぱり、あの、今のなしで……」
「……ヒーローか」
「この俺が」そう、どこか遠い目をした会長は薄く微笑んだ。
嬉しそうな、寂しそうな、そんな笑みに、もしかしたらドン引かれているのではないだろうかと思ったが、どうやら違うようだ。会長は俺のことを見ていない。
「……会長?」
恐る恐る、そう声を掛ければ、そこでようやく会長は俺を見た。
「君は甘いな。……そこが、いいところなのだろうが」
「す、すみません……」
「謝らなくてもいい。……嬉しいよ」
そう小さく呟いた会長は、「そろそろ、戻るか」と俺に背中を向ける。
そういって先をいく会長の黒い髪から覗く耳が僅かに赤くなっていることに気付いた俺は、内心驚きながらも、置いていかれないように「はい」とそのあとを追い掛けた。
来るときに比べ、幾分足取りが軽くなったのはここで様々なものを吐き出したからかもしれない。
◇ ◇ ◇
『齋藤佑樹が伊織さんを売りやがった』
先程、安久から掛かってきた電話を受け取ったときは正直、驚いた。
ゆうき君が、というのもあったが、それを頭で理解した時「とうとうこの時が来たか」という諦めにも似た感情が脳の全体を占めた。
「……そっか、ゆうき君。ゆうき君は、そうするんだね」
あっちゃんが、身も心も潔白な人間ではないことを知っている。
ゆうき君との関係も、知っている。知っているけど、それでも俺にとってあっちゃんは大きな存在で。
そんなあっちゃんの立場がなくなる。ひっきりなしに着信を受け取る携帯電話を一瞥し、俺はテーブルの上に置かれたグラスを手に取った。ゆうき君がいなくなった部屋は酷く広い。
数ヶ月前までは、この広さともの寂しさは当たり前のことだったというのに、慣れというものは恐ろしい。
薄暗い部屋の中。白く発光するノートパソコンの画面に目を向ける。そこに表示されたのは、メールに添付されたとある動画。動画に表示されている日付は昨日。映像には見慣れたラウンジの中、数人の生徒が集まっていて。その中にはゆうき君の姿もあった。
「……ゆうき君」
ゆうき君が自発的にあっちゃんを告発するなんて考えられないし、そのために会長を利用したようにも思えない。あながち、会長から唆されたのだろう。会長は頭は悪くない。
俺個人としても、あの人の性格は嫌いではなかった。好き嫌いがはっきりしているあの性格は、正直羨ましく思う時がある。
だけど、あっちゃんの、阿賀松伊織の身内である俺の立場からしたら、会長のことを許すということは出来ない。
出来ないんだ。出来ないのに。
「……ごめんね、ゆうき君」
出来ることなら、ゆうき君には平和に暮らして欲しい。けれど、今の俺にはゆうき君を幸せにするほどの力量もない。
ゆうき君が会長を選んだと聞いて、本当は少しだけ安心した。
あの人は俺よりもしっかりしている。その腹の中がどうであれ、ゆうき君を守ってくれるに違いない。
そうしたら、俺も心置きなくあっちゃんの味方をすることが出来る。
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