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件の手紙のせいで補習は予想通りというかなんというか上の空だった。
気がつくと補習教師は教室からいなくなっていて生徒たちもダラダラと帰り支度を始めている。
ぐあっ、ノート半分も取れてねえ!……まあ補習はまだ日数があるんだ、一日くらい聞いてなくてもいいだろ。もともと真面目に受ける気なんてあんまりないし。
俺は逸る気持ちを顔には出さないように、かつ素早く帰り支度を始めた。
いや、でもあんまり張り切って行くのもな、がっついてるみたいでカッコ悪い気がする。
よしここは「別に興味はないけどこのあと特に用事があるわけでもなかったからなんとなく来てみた」みたいなテイで行くか?
しかしあんまり焦らして先方さんが帰っちゃったら意味ないしな……。
というわけで俺は結局、購買部の自販機で紙パックジュースを買い、飲んでから行くことにした。
時間にして五分程度のインターバルを置けるから相手をそんなに待たせることなく余裕があるように見せられるし、なにより自分の気分を安定させる意味でもちょうどいいと言えた。
一息ついて目的地にゆっくりと向かう。なんだっけ、体育館前?違う、体育館倉庫前だ。
購買部からはあまり離れていない場所だったので目的地にはすぐに着いた。ちらりと手紙の内容をもう一度確認して、窺うようにその場所を覗き込む。
今は部活動連中も絶賛練習中だし、人気がなく、しかも程よく日陰になっているから涼しい。
おお、これは絶好の告白場所!本気でマンガやゲームのような都合のいい展開を期待しているわけじゃないけど、この好条件には少しばかり気分が高揚してしまう。
――だがそこには、ひと気はないが、俺を呼び出したであろう人物もいなかった。
もしかして遅刻に腹を立てて帰った……?
いや、でも何時何分とは指定してなかったからそれは向こうの責任でもある。断じて俺のせいじゃない。たぶん。
しかし補習が終わってから直行とは言わないでもそんなに時間をかけずに来たんだ。遅刻っていうほど遅くはないはずだ。まあ、まだあちらさんが到着していないと考える線もアリだろう。
そんな仮説をいくつも立てていると、じゃり、と不意に砂が擦れる音がした。
「遅かったね」
突然人の声がしてびくりと肩が跳ねる。
そりゃ驚くだろ普通。誰もいないと思ってたところにいきなり後ろから話しかけられたらな。
でも俺は振り向くのを俄然拒否したくなった。
だってそうだろ?今、俺に話しかけたのは、女子の鈴を転がすような甲高い声じゃない、まぎれもなく野郎の声だったんだからな。
しかも聞いたことのある、な。
「どうした?ぼんやりして」
「……今俺は、昨日のゲームの続きが気になって仕方ないからというのっぴきならない事情で家に帰らなかったことを激しく後悔してる」
「ええ、何で?」
適当にあしらってやるつもりが相手はどうでも会話を続ける心積もりのようだったので、渋々とだが振り返ってやる。
そこには、「夏って何ですか?」と言わんばかりの爽やか笑顔の男が立っていた。
結論から言うとそれは俺の見知った顔、藤崎宗佑だった。クラスは離れてるし同学年で委員会が同じってだけの、ほとんど接点のない男。
ムカつくことに女子にイケメン!イケメン!とやたらと騒がれるほどの小奇麗な顔をしてやがる。おまけに高校生らしくない穏やかな物腰で校内では王子様として有名人。
にこ、と藤崎が爽やかに笑う。額がテカってもないってのはどういう仕組みだ?いっそ不気味なんだけど。
「お前は汗をかかない特異体質か何かかよ」
「まさか。俺だって普通に暑いって思ってるよ。汗もかいてるし」
どこら辺がだ。
「それよりも、話をそらさないでよ。遅かったよね。指定は補習が終わってすぐってことだったけど?」
「あー……必死になかったことにしようとしてたのにな……。まあいいや、あの手紙の呼び出しってお前?お前補習ないんだろ?何でここにいるんだよ、用事は何だよ」
いやいや、と藤崎が否定を示す仕草で軽く手を振る。
「呼び出しは俺じゃない。俺は言わば代理ってやつ」
「代理?」
当人が事情でここに来れなかったから、か?
コイツの名前はFUJISAKI SOUSUKE。Tの文字はどこにもない。うん、やっぱり呼び出した当人じゃない。
「簡潔に言うよ。とある女子からの伝言」
にこり、と藤崎が完璧なまでの甘ったるい微笑を作る。
「『あなたが好きです。付き合ってください』」
「…………」
これは、なんというか……。
「……どうも、おかしいよな。状況的に」
「そうかな?さ、きみの返答をどうぞ。彼女に伝なくちゃいけないんで」
「ああうん、だからさ、その『彼女』ってのがまず誰なんだよ。誰か知らなきゃ返答も何もねえだろ」
「うん、その通りだと思う。だけど、きみは知らないほうがいい、知るべきじゃないと配慮してのあえての匿名なんだよね」
「まったく意味がわかんねぇんだけど……」
藤崎がさっと爽やかな愛想笑いに戻る。暑いときに見るとこの表情はどうもいらつくな。
そう、コイツの笑顔はだいたいが作り笑いだ。営業マンになったらさぞかし大活躍だろうなっていうくらい大人びた――いや、老成した笑み。
藤崎の遠回しで曖昧な会話術はいつものことだけど今回は余計にイライラとした。しかもこれは俺と手紙の女子との問題なんだ。どうして第三者がややこしくテコ入れするんだよ。
「だからそこが解決しなけりゃ、結局答えようがないだろ」
「そうだろうね」
「……何がしたいんだよ、お前」
そもそもどうしてお前が代理なんて務めてんだ。何故よりによって、お前が――。
そこまで考えてふと、藤崎の顔を改めて見やる。
「どうしたの、皆川?」
藤崎がすっと目を細める。それは、笑っているというよりもいっそ剣呑な表情だった。
単純に考えて、手紙の主と藤崎は知り合いなんだろう。だからコイツが代理として姿を見せた。でも、どうしてコイツなんだ?
手紙の主が女子だっていうならその友達も女子だと思うのが妥当で、普通ならそっちが代理として来るのが真っ当な状況だろ。
でもそうじゃなくて、藤崎が来た。
その上、俺と藤崎は知り合いで――違う、俺たちは知り合いなんて、そんなありきたりで穏便な関係じゃない。
藤崎の目がますます細められる。一歩、俺の方に近づきながら。
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