8


昼飯を持って一週間ぶりの視聴覚室に行くと、もう透は来ていた。他の後輩たちは誰もおらず彼一人だ。

「待たせたな」
「んーん、そんな待ってないよ。先輩ここ来て、ここ!」

ここ、と言いながら隣の椅子の背を大げさに叩くので思わず口元が綻んだ。やはり透といると明るい気持ちになれる。

「今日は吉住君や園田君はいないのか?」
「いないよー。先輩独り占め!」

そうじゃない、僕のほうが透を独占してるんだ。初めてここで出会ったときからずっと。
彼は今日も自作の弁当を持ってきていて、そういえば今週は月曜が休みだったから透特製弁当を食べてないなと思った。
そんな残念な思いが伝わったかどうか、透が自分の弁当箱から卵焼きを一切れ箸で持ち上げて、僕の前に差し出してきた。

「先輩、あーん」

口を開けてと促されて全身が熱くなる。まさかそんなことをされると思わなかったので思考停止した。

「あ、あ、あの……っ」
「ほら、あーん?」

副菜を分けてもらえるのなら、行儀は悪いが自分の手で取るまでだ。そう思って卵焼きを摘もうとしたら阻むようにその手を透に握られた。
目の前には彩りの良い野菜が入った黄金色の卵焼き。そして好きな人の眩しい笑顔。
その引力に負けて、ごくりと喉が鳴る。僕は、差し出された卵焼きをぱくりと咥えた。
中には野菜だけでなくチーズも入っていて、絶妙な塩気がとても美味かった。

「美味しい?」
「ん……」

飲み込むのも惜しいくらいに咀嚼する。
よく噛み締めて腹におさめると、次はハンバーグが突き出された。

「はい、あーん」
「…………」

きれいに焦げ目のついた、定番にして魅力的なおかず。透手作りのその味は僕の好物のひとつだ。もっとも、透が作るもので嫌いなものなど何もないけれど。
この誘惑に抗うことなどできない。できるわけがない。僕は誘われるがままそれも食んだ。
冷めても美味しい味の濃いハンバーグは僕に至福をもたらす。
おそらく間の抜けた表情をしているであろう僕を見て、透が満足そうに頷いた。

「先輩かーわいい」

言い返そうとしたが口の中は幸福の味で満たされていたので、小さく唸るだけに留まった。
そのまま餌付けよろしく勧められるがままに弁当を分け与えられた。分けるというより、むしろ全部食べてしまった。
最後のミニトマトまで食べきってしまってから空になった弁当箱に気付いた。

「あっ……透、ぜ、全部食べてしまってすまない……」
「いーの。これ、もともと先輩のために作ってきたやつだから」
「え?」
「自分のはもう食っちゃった」

ほら、と透はもう一つの弁当箱を取り出してみせた。軽く振って中は空だと証明する。

「そ、それならそうと、はじめから言ってくれればよかっただろ。なにも手ずから食べさせなくても……」
「俺がしたかったから」

言いながらペットボトルの茶を飲む透。
釈然としないものはあったが、美味い食事で腹が満たされていては文句の言葉もキレが悪い。観念して嘆息した。

「……ありがとう。ごちそうさま」
「どーいたしまして」

にっこり笑った透は次の瞬間、表情を引き締めた。わずかに身を寄せてきたので反射的にあとずさる。

「ね……先輩」
「な、なんだ」
「ちょっと、じっとしてて」
「は?」

何をと思った、その一瞬のことだった。唇の表面に柔らかい感触が軽く掠めていった。
すぐ近くで透の長いまつげが見える。
キスをされたのだと思考が追いついたら、ざあっと体温が下がった。

「と……」

彼の名前を呼ぼうと口を開いたら、もう一度唇が触れようとしたので慌てて顔を背けた。透の手が僕の肩を掴む。

「紘人……先輩」
「い、いやだ……」

すっかり気を抜いていた。まさかこのタイミングでそんなことを仕掛けてくるとは全然思わなかった。
この場所では、嫌だ。誰かに見られるかもしれない校内で――。
肩を掴んだ透はしばらく黙り込んだ。そして、静かに息を吐いたあとに僕を解放した。

「……ごめん。学校でこーゆーのダメだってのは、ちゃんと分かってるから」

透は固い笑顔を作り、ただの後輩の彼に戻った。


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