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終了を告げるチャイムが鳴った瞬間、最後の見直しをしていた僕は顔を上げた。
あーあ、という溜め息が聞こえたり腕を上に伸ばしている姿が見える。最終科目だったせいかクラス内の反応は様々だった。

期末テスト期間はあっという間に過ぎた。はじまる前は永遠に続くような気がしていたのに、今となってはあっけなく感じた。
クラスメイトたちが次々と軽やかな足取りで教室をあとにしはじめている。
教室を出て行く長谷川や橋谷たちと挨拶を交わしながら僕も帰り支度をした。三時間日程のおかげで昼に帰ることができるのが嬉しい。

ざっと自己採点したテストの出来は、そう悪くなかったと思う。
すごく伸びたという達成感はないが、落ち込むほど間違いが多かったわけでもない。
今回は範囲が広かったから苦戦したわりに、まあまあの手ごたえだ。透はどうだっただろうか。

今学期の山を乗り越えたという晴れ晴れとした気持ちで口元が緩んだそのとき、「紘人!」と僕を呼ぶ声がした。
突然の名指しにビクッと肩が跳ねる。
耳に馴染んだ艶のある低音は司狼だとすぐにわかったが、それにしても心臓に悪い。振り返ると、うしろのドアから彼が手招きしていた。
気が緩んだ瞬間を見られたことが少し恥ずかしくて、居心地悪く席を立った。

「司狼、どうかしたか?」
「悪いがちょっと頼まれてくんねえか。これ、代わりに返しといてほしいんだよ。俺、これから急ぎで生徒会室行かなきゃなんねえんだ」

らしくもなく心底焦っているという顔で、司狼が僕に押し付けてきたのはハードカバーの分厚い本だ。
背表紙にラベルが貼られていて図書室から借りてきたものだとわかる。
僕も今日が返却期限の本があったし、もともと図書室には行くつもりでいたからそれくらいお安いご用だ。
けれど司狼が僕にわざわざ頼むなんて珍しいことだったから内心訝しんだ。

「構わないが……」
「助かる。それで今日は、お前――」
「し〜ろ〜ちゃぁぁん!こんなとこにいた!そこ動かないで!」

怒気を含んだ声のほうを見ると、早歩きで近づいてくる女子がいた。瑞葉だ。
足音荒くずんずんと近づいてくる瑞葉を見て、司狼が「しまった」という顔で舌打ちをする。

「ってわけだからよろしくな紘人!」
「お、おい司狼」
「あっ、逃げないでよ!ちょっともう、しろちゃんってば!」

司狼の長い足で逃亡されては瑞葉も太刀打ちできなかったようで、僕の前で緩く足を止めた。
さらりと揺れる黒髪に可愛らしい容貌。清楚と評判の彼女は今は非常にご立腹らしく、肩を怒らせつつ眉尻をきつく吊り上げている。その様に僕もひそかにおののいた。

「あーもぉぉ、また逃げられた!しろちゃんのばか!!」
「ど、どうしたんだ瑞……、西村さん」

馴れ馴れしく下の名前を呼ぶべきじゃないと気づいて途中で言い直す。すると瑞葉は怒りの表情を引っ込めて、困ったように笑った。

「やだなひろ君、瑞葉でいいってば」
「そういうわけには」
「あっ、もしかしてこれから図書室行く?私も返したいのあるから一緒に行こうよ」

僕が持っている本に目を留めて思考を切り替えたようだ。けれど瑞葉の言葉にすぐ頷けなかった。
彼女は、恋人がいる身で僕なんかと歩いていいのだろうか?今は友人とはいえ、少し前まで複雑な感情を持って接していたから尚更だ。
遠慮するべきなのかどうなのか迷っているうちに、素早くE組に戻った瑞葉は本を抱えて戻ってきた。新書サイズの推理小説と薄い文庫本だ。
僕も彼女も単についでの用だから、それだけなんだ――と自分に言い聞かせつつ並んで図書室に向かう。彼女との間に十分に距離を開けて。

「……それで、さっきの様子からして、司狼がきみに何かしたのか?」
「そうなの!あのね、しろちゃん最近フリーになったじゃない?だからいろんな人からクリスマスの予定狙われてるんだって」

彼女と別れた途端にとは……素直に驚嘆する。司狼の持つ魅力は溢れんばかりで、思った通り周囲が放っておかないようだ。

「なるほど」
「でもそういうのいちいち断るのが面倒だからって、クリスマスは私と過ごすって言って回ってるらしいの!ほんっと迷惑!」
「司狼……」

よりによって瑞葉を風除けにするなんて。それは彼女が怒って当然の仕打ちだ。従兄妹同士で家族同然の間柄とはいえ配慮に欠ける。
瑞葉には立花先輩という恋人がいるんだ、もしそれが先輩の耳に入ったとしたら、彼だっていい気持ちがしないだろう。
しかし瑞葉は諦めたように嘆息したあと、口元に手を当てて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「だけどね、本当はしろちゃん、クリスマスはひろ君と一緒にいたかったみたい」
「僕と?」
「うん、でもひろ君は帰省しちゃうでしょ?だからダメだっていってすっごい悔しがってたよ。実家まで追いかける計画とか立ててたから止めておいたけど」

そういえば数日前に司狼から「冬休みは去年と同じなのか?」というようなことを聞かれたが、それが僕のクリスマス予定の確認だったのか。
彼女と別れたことがそんなにも司狼を打ちのめしたのだろうか。
気の毒に思う半面、「あとで焼肉おごってもらお」と企んでいる瑞葉を見ていたら不意に自身の課題を思い出した。

「きみは予定があるのか?クリスマス……その、立花先輩と」
「……うん。まあね」

目元をほんのり朱に染めつつ、瑞葉は僕を気まずそうに横目で窺ってきた。

「どういうところで何をするのか聞いてもいいか?あ、いや、別に他意はないんだが」

と、嘯きながら他意はある。身近な同年代の恋人が、クリスマスをどうやって過ごすのかを知りたかった。
透からの宿題は解答が見つからず、いまだ僕を悩ませたままだからだ。
別れたばかりの傷心の司狼には聞けないし、長谷川に聞くと透とのことだというのが筒抜けになる。他に聞けそうな友人が思い当たらなかった。

それにプレゼントの問題もある。
ファッション雑誌に写真が載るほどお洒落な透に身に着けるものを贈る自信はない。食べ物だと土産物みたいに思えて味気ない。あまりにも値が張るものは押し付けがましく思われそうだ。かといって学用品だと恋人らしくないような気がした。
悩みすぎるあまり、クリスマスらしい贈り物はどういうものか調べたり観察する癖がついてしまった。なのにどれもピンと来なかった。
そんな事情から僕は相当必死な顔をしていたらしく、瑞葉もやや真剣な面持ちになった。

「私たちはね、イブに駅ビルでランチして、そのあとお店回ってお互いのプレゼント選ぶ予定」
「そうか。それは楽しそうだな」
「うん……そうだね」

頷いたわりに暗い顔を見せた瑞葉。そして「先輩は受験生だし、ほんとに短時間だけだけど」と小声で付け足した。
それが恨み言のような響きだったから驚いてしまった。
頭ではわかっていても心の隅で納得していない――そう言いたげだった。僕にも覚えがある感情だからわかってしまったと言うべきか。

どうにも胸の中がざわついて、図書室の前に来たところで足を止めた。瑞葉も歩調を緩めて「ひろ君?」と僕を見上げてきた。

「きみは、それでいいのか?」
「え?」
「『受験生だから』って、先輩のほうから言ったのか?」

ストレートに聞けば、瑞葉は困惑の表情を浮かべた。
彼女はかつて好きだった人だ。あと一歩が踏み出せず寄り添うことの出来なかった僕だけど、だからこそ今、彼女の憂いを晴らしてあげたかった。

「言ってない、けど……でもそうでしょ?先輩、いつも夜遅くまで予備校通ってたりして忙しいし」

思ったとおり、瑞葉のほうが気を回して自分を押し殺している。
先輩は受験生で、クリスマスだなんだと浮かれている場合じゃない。そんな風にぐっとこらえている。

「西村さんは、本当はもっと彼と長い時間を過ごしたいんじゃないのか」
「……うん。ほんとはね。でも――」
「だったらその気持ちを正直に伝えるべきだと思う」

僕が彼と直接会話したのはほんのわずかだ。
けれど、透からバスケ部部長としての彼の人柄は聞いている。言葉少なく、ときに誤解されがちだが、決して狭量ではない。

「だけど、受験直前の冬休みっていったら勝負どころでしょ?やっぱそういうの迷惑になるし、言いにくいよ……」
「きみに言ってなかったことを教えるよ、今」

弱気にうつむいた瑞葉に謎かけのような言葉を投げる。すると彼女は、顔を上げて首を傾げた。

「文化祭の日――きみが立花先輩の告白を受け入れたのは、そのときだったんだよな?」
「……ん」
「僕は廊下でたまたま先輩と顔を合わせたんだ。そのとき彼は、僕に向かって『大事にする』と言って頭を下げた。きみのことを言ってるんだってすぐにわかったよ」

瑞葉の顔が前面真っ赤に染まった。両手で持っていた本でその顔を隠してしまう。うまく隠れてはいなかったが。

「だから、きみはもっと自信を持って自分の気持ちを通していいと思う」

本をずらして僕を見上げてきた大きな黒い瞳は潤んでいた。
誰も彼もが恋愛で悩んでいる。瑞葉の悩みは僕も痛いほど共感できた。透にうまく伝えられなくて、すれ違ったことがどれほどもどかしかったか。
そんな経験があったからこそ、瑞葉にかける言葉に熱がこもった。

「立花先輩は口数が少ないようだから、きみのほうから働きかけたほうがうまくいくはずだ。僕が知ってる西村さんの長所は、臆さず自分の意思を伝えられるところだから」
「そう……かな」
「ああ、そうだ。それでもきみを悩ませるようなら、僕は先輩を許せない」
「……うん。うん、そうだね!そうする!ありがとう、本当に――松浦君」

ひろ君、という甘い響きはなくなった。代わりに涼しげな口調で姓を呼ばれる。それが耳に心地良かった。
僕らの間に一線が引かれたことで肩の力が抜けた。これからは本当に、彼女との接点が限りなく薄くなるだろう。それでいい。
一度でも恋愛感情を抱いたなら、傍にいるべきじゃないと思うから。お互いに。

すっきりした気持ちで西村さんと笑み交わしたそのとき、ブレザーのポケットに入れていた僕のスマホが震えた。
西村さんは再度、笑顔で僕に礼を言ったあと急いで図書室に入っていった。きっとこのあと彼女は、立花先輩のもとに走るのだろう。

僕も僕でドアの前から退いてスマホを確認した。透からの連絡かと思って期待したが、姉のメールだったのでがっかりした。
内容は姉のクリスマスの予定に関する家族宛ての一斉メール。しかし写真つきの文面を見た瞬間、ハッとひらめくものがあった。

返却し終えた西村さんと入れ違いに図書室へと足を踏み入れる。
自分の返却を後回しにして向かったのは雑誌コーナーだ。ディスプレイラックには雑誌の最新号が乱雑に並んでいる。
文芸誌、スポーツ誌、ファッション誌……と目で探して、目的のものを見つけた。
最新号は貸し出し不可なのでその場でぱらぱらとめくる。

「……これだ」

とっさに声に出してしまった。すると近くにいた数人がこっちに目を向けてきたので口を閉じた。
恥ずかしさからぎこちなく不自然な手つきで雑誌を元の場所に戻して、カウンターで返却手続きを済ませる。
そのあと教室に戻ってカバンを引っつかみ、出来る限りの早足で廊下を急いだ。

向かう先は体育館だ。一刻も早く、透の顔が見たかった。


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