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「別に後払いでもいいよ?」

一日挟んで再び会ったラーシュは、こともなげにそう言い放った。
青い月の夜のことだった。朝だけど。


中一日は、探索準備と街散策に費やした。
城に通じる森の入り口にも一応行ってみたが、酒場で言われたとおりの穏やかで静謐な森林だった。
しかも先人たちが数えきれないほど通って踏み固めたと思しき轍つきの道が続いていて、もはや迷いようもなかった。
とはいえ夜の暗がりの中では青々とした葉が見えるわけでもなく、真っ黒な木々が鬱蒼と茂っているようにしか感じられない。面白みのない黒い風景は散歩には向かなそうだった。
この森も街も丸々城壁の中に収まっているんだから、常闇伯爵の城の敷地はかなりの広大さだ。それだけでも当時の栄華っぷりがうかがえる。

それから、もう一度タウラさんの店に行って城について聞いてみた。そうしたらものすごく止められた。
かろうじて分かったのは、城は闇系の化け物だらけだということ。刃が通るかも怪しい。
一方、貸し武器屋を通して岩竜の斧を一時的に手に入れたクレイグは、その斬れ味を試したくてウズウズしていた。
他にもロープだの携帯食料だのを揃えた金と滞在費で、所持金はラーシュの提示額をあっさり下回った。初日のカジノほどじゃないが、ロゲッタスは物価が高すぎる。

約束の日、集合時間より遅れて来たラーシュは、どえらい美男の竜人の肩を抱いていた。女だけじゃないのかよ!
小声でなにやら親密なやりとりをしたあとに竜人は名残惜しげに去っていった。朝っぱらから淫蕩極まりない光景だった。周りはしっとりとした夜更けだから余計に。
これから仕事だって時にこの態度。本当に大丈夫なのか……?

払える金がありませんってことで断るいい口実になったと思ったのに、ラーシュは「後払い」を提案してきた。前金はちゃっかり取られたが。
俺は、この時点ですごく嫌な予感がしていた。絶対ろくなことにならないって。
しかしクレイグはもとよりナズハが妙に乗り気で(新しい符の書を熱心に読んでいた)、エレノアもいつしか謎だらけの城に興味津々だった。外観だけならおそろしく優美だし、彼女も乙女な面があるから何かお姫様的な夢を見ているのかもしれない。
妥協点としては、城の玄関ホールから手近な部屋をひとつ探索するということで手を打った。

「まあ、そんなわけだから城の入り口付近ってことで」
「了解。でも、入り口なんて言わずに好きな場所まで行っちゃっていいからね」

城に至るまでの森散策は、月の青い明かりと魔石ランプの光が足元を照らしてくれたからそれほど不安定な行程じゃなかった。
警戒心もすぐに薄れたので道中はラーシュとの世間話に費やされた。今更な自己紹介から、彼の魔術のことなんかを。
一時的にでもパーティを組むなら実力を知らなきゃ話にならない。ところがラーシュは案内人として支援に徹する心づもりのようで、道を照らすとか霧を晴らすとか、やたらと地味な術を並べた。

「それと、解呪かな」
「解呪?……城の呪いでも?」

案内人なんて謳っているのは、実は城の呪いを解く方法の調査のためだったりして――と、ラーシュを少し見直したが、彼はおかしそうに笑い声を上げた。

「あっはは!城の呪いって神の怒りのこと?そんなの無理無理!そもそも、怒りを解いたらこの街から夜が消えちゃう」

こんなにも夜の街が似合う男にしてみれば、明るくなったら不都合なんだろう。色々と。
見直しかけた俺が馬鹿だった。やっぱりこいつのことは信用できない。
とはいえ、一応ラーシュも城の呪いの話を知ってるということはわかった。
なんだか釈然としない気持ちでラーシュを横目で見ると、彼は指先で自分の唇をなぞった。

「俺のは物対象じゃなくて精神干渉系のほうね。睡眠麻痺とか、仲間が化け物に見えちゃうとかそういうの。――アルドは、夜の呪いに興味ある?」
「いや、俺はただ……伯爵が夜明けを待ち続けてるって話を聞いて、なんかちょっと」

そこまで話してハッと口を噤んだ。つい、どうでもいいことまで話しそうになってしまった。
言葉を濁してナズハの隣まで下がる。ラーシュも軽く肩を竦めただけでそれ以上は続きを促すことなく、クレイグと話しはじめた。
そこにエレノアが混ざって、やがて楽しそうに笑い声を上げる。これから難攻不落の城に行くっていうのにこの緊張感のなさはどうなんだ?

ナズハと話しながら歩いていると、やがて崩れかけた門が見えた。
その先に見えるだだっ広い庭園は靄がかって荒れ果て、墓場のような雰囲気を醸し出していた。

「あ、入る前にちょっとごめんね。みんな手ぇ出してくれる?」

そう言ってラーシュは、俺らの手の甲に、杖頭に嵌まっている魔石をトンと軽く触れさせた。
しかしそうされても特に何も起こらない。痛くもかゆくもない。今のは何をしたんだ?
首を傾げていたら、「無事に帰れるように、おまじない」とラーシュがキザに片目を瞑った。

ここからは先頭がクレイグで、続けてエレノア、ナズハ、俺、ラーシュという大まかな並びで行くことにした。
探索をする時、俺たちはいつもこの形態で進む。ラーシュは何かあったら手助けできるようにしんがりを務めるそうだ。
……おい、案内人って普通先頭じゃねえのかよ。
いやまあ、それよりもクレイグが走り出しそうな勢いで先に行きたがってるからいいんだけど。

嗄れた声で鳴く怪鳥が城の屋根に留まっている。
こっちの存在に気づいているのかどうか、今のところ襲ってくる気配はない。

「あのぉ……お城の魔物は、お城から出てこないんですか?」

不気味な庭園を進んでいる途中、ナズハの疑問にラーシュが答えた。

「こないよ。彼らは城に囚われてるからね。そこにいて、そこで再生を繰り返す。永遠にね」
「再生……ってこたぁ倒しても減らないってことか?」

クレイグが斧を振り回しながら嬉しそうに言う。戦闘狂の獣人的には血湧き肉躍る朗報らしい。
「気持ち悪い」とこぼしたエレノアの可憐な翅が小刻みに震える。
普通に普通の人間の俺はゾッとした。
厄介なんてもんじゃない。どうりで街のやつらがこぞって避けるはずだ。
神の怒りは、明けない夜だけじゃなく闇を永遠に彷徨うモンスターを産み出すほどのおぞましく強い呪いなんだ。伯爵の恋煩い、ただそれだけのことで。
もしかして伯爵は死してなお、そんな化け物たちとともに魂が城に囚われているのか……?

城の入り口である両開きの扉の前に立つと、怪鳥の声が大きくなった。そして扉の向こうから、オォン、オォンと低く轟く恐ろしい音も漏れ響いてくる。
弓矢を構え直した手が、汗でじっとり濡れていた。

「分かってるか、お前ら。入り口付近だからな。ヤバいと思ったら即引き返す。いいな?」

俺の再度の確認に幼なじみたちが固い声で応える。ここまで来たらさすがに気負っているみたいだ。
遅れてラーシュがのんびり「はぁい」と返事をした。やめろ気が抜ける!

「――境界の垂れ幕をふたつに裂く者」

俺の背後でラーシュが不思議な呪文を唱えた。視界の端に見えた杖の魔石が何度か明滅する。
すると、見上げるほど重厚なでかい扉が、不快な音を立てながらひとりでに開いたのだった。

魔術にはこんな呪文があるのか?一括りに魔術師とはいっても、ナズハみたいに系統は様々だから知らないが。
当のナズハは、ラーシュの術が発動した瞬間ビクッと一回震えた。

扉の中に一歩足を踏み入れたその時、「あ」とラーシュが声を上げた。

「そういえば言い忘れてたけど、城の中には罠とか仕掛けもあるから気をつけようね」
「そういうことは先に言えよ!」

朗らかに言ったラーシュに、俺、クレイグ、エレノアは我慢できずに怒鳴り返した。


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