8


弾力をたしかめるように軽く押しつけられた唇は酒でしっとりと濡れていた。
下唇を甘噛みすれば同じことを返される。薄皮に覆われたそこは熱く柔らかく、夢中になって食んだ。
時間をかけて啄むキスを繰り返すうちに、口の中で温められた酒が花の香りを増した。
思考が霞むのはこれのせいかもしれない。クラクラする。俺はさっき、何を言おうとしてたんだっけ。

周囲の邪魔も入らない、咎められることもない。上質の雰囲気に浸りながら、ただ気持ち良く酔える。『大人の店』は、つまりそういう場所だ。

「――そろそろ出よっか」

濡れた声で囁かれてゾクゾクとした。
ラーシュがリカルダを呼んで小声で何かを言う。それから彼女(彼?)に見送られて、入り口とは別のドアから外に出た。
店の外に出ると火照った頬に夜風が涼しく、酔いが若干落ち着いた。
建物から出てしまえば、中で見たもの、体験したものは本当に夢のように感じられた。

「ね、俺の家で飲み直そうよ」

色気を含んだラーシュの声音に反応して体温が上がる。
心揺れる誘い文句だ。今、人の目がないところに行けばどうなるかなんて分かりきってるだけに、なおさら。
しかし俺は、迷いに迷った末に首を振った。さっき聞いたばかりのラーシュの言葉を思い出したからだ。
特別な相手を作る気のないやつに、酔いに任せてただ流されるのは癪だ。熱を孕んだ体とは裏腹に、そんな風に頭の片隅で冷静になった。

「……いや、このまま宿に戻る。明日も早いし」

そう言うと、ラーシュは少し黙ったあと穏やかに微笑んだ。

「そっか。わかった。だったら宿まで送ってくね」
「別にそこまでしてもらわなくても、一人で――」
「ここから宿まで道わかんないでしょ?いーから送らせて」

彼の言う通りだ。初めて来た場所で、さらに店の出口から別の通りに出たらしく、もう俺には現在地の見当すらつかない。
来たときと同じく肩を抱かれて、緩慢な足どりで歩き出した。
無言で寄り添って夜道を進む。がやがやと騒がしい通りだから会話は必要ない。
片側に感じる体温が、ひたすら心地いいくせにひどく落ち着かなかった。

やがて見覚えのある景色になった。
ラーシュの手が肩から外れる。案内はここまでのようだ。
すぐそこに宿が見える。このあたりは旅人のための宿が多い区画だからか真夜中になればひと気も明かりも少ない。さっきまでの賑わいが嘘のようだった。

「送ってくれてありがとな。……っと、これ返すわ」

そのまま宿に向かおうとしたところで、ラーシュのローブを借りっぱなしだったのを思い出した。
脱いだ瞬間寒さで鳥肌立つ。ローブを差し出したのにラーシュはそれを受け取らず、なぜか俺の手首を掴んだ。
そのまま優しく引き寄せられて頬に彼の唇が触れた。
不意打ちに驚いていると、ラーシュの悪戯っぽい笑みが目に入った。

「おやすみ、アルド」

俺が拒まないと思って調子に乗ってるな、こいつ。
触られるのもキスも嫌じゃないだけで、内心わりと掻き乱されてるんだぞ、これでも。
去り際にローブを緩く羽織ったラーシュを「なあ」と一声かけて引き止めた。
熱くなった耳を指でいじりながら、それでもはっきりと告げる。

「――明日の夜、お前んとこに行くよ。指輪の詳しい話とか、したいし」

ちょっと驚いたような顔をしたラーシュは、次の瞬間、目尻を下げて「うん、待ってるね」と蕩けるような笑みを見せた。
流されていいように遊ばれるよりは自分からそこに飛び込んだほうがいい。結果は同じでも気分が違う。
白い月光の下に去っていく背中を見送ってから、俺も宿に戻った。





翌日、寝坊したところをエレノアとナズハに起こされた。
昨夜は俺より遅く帰ってきたクレイグも同じく寝坊した。ちなみにやつは手持ちの金を使い切ってきたらしい。バカだ。
「昨日より稼ぎまくってやんぜ!」とか起き抜けに息巻いていたが。

それはそれとして、今日でパギュロ狩りも一区切りだ。
というのも、一度の依頼更新で六日間貝拾いをしたあとは休日にしようとあらかじめ話してあったのだ。
俺たちも貝獲りにすっかり慣れたわけだし、最終日にラーシュがいなくても困らない。
ただ今回は追跡魔術がないので、かわりにクレイグの鼻に頼ることにした。欠点はクレイグの気分次第ってところだ。まあ背に腹はかえられない。
集合場所も決めて、軽く打ち合わせしてからさっそく貝獲り開始。

貝を追いかけて午前が終わり、昼休憩のために全員で一旦集まると、岩場に腰掛けて食事にした。
日帰りだから携帯食料じゃなく宿で用意してもらった飯だ。パンにチーズと厚切りのベーコンが挟まれている。それから蜂蜜とナッツを固めた菓子と、皮ごと食べられる新鮮な果物。
ベーコンがしょっぱすぎる気もしたが、なかなかうまかった。
短い食事休憩のあとは、またそれぞれ散らばって貝獲りに専念――なのだが、離れたところでエレノアが俺を追いかけてきた。

「エレノア?どうかしたか?」
「ううん、たいしたことじゃないのよ。あのね、昨夜、アルドどこに行ってたのかなって思って」
「はっ!?あ、ああ、昨夜な……昨夜、うん」

いきなり聞かれたもんだからやたらと動揺した。
エレノアがこんなことを聞いてくるのは珍しい。ていうか初めてじゃないか?

「つーかなんでそんなこと聞くんだよ?」
「だってなんか今日、アルドからすっごくいい匂いがするから。あたしの好きな匂い」
「え?そうか?」

一番鼻の利くクレイグには朝イチで何も言われなかったからたいして酒臭くないと思ってたんだけど。
腕あたりをくんくんと嗅いでみても特に匂わなかった。ラーシュの匂いってわけでもなさそうだし。もしそうだったら自分で気づく。
自分ではよく分からないが、エレノアの鼻は俺より感覚が鋭いから気になったのかもしれない。
昨夜行ったあの店のせいか?妖精族の性質に刺さる何かがあったとか。
しかし、店でのことを思い出すとちょっと気まずかったから説明をぼかした。

「あー……昨夜はラーシュといつもと違う店に飲みに行ったから、そのせいかもな」
「ラーシュと?」

すっかり己の武器と化したフライパンをくるくると回しながら、エレノアが先を目で促してきた。

「昨夜ちょっと寝付けなくてさ。まあ、飲みながらいろいろ話したくらいで他は別に何もねえよ」
「そうなの。ならいいのよ。ちょっと気になっただけだから」

ちょっとと言いつつエレノアがめちゃくちゃ気にしてるように見つめてくる。
空を仰いでから頭を掻き、彼女に視線を戻した。

「お前さ、ラーシュのことどう思う?」
「ええ?どうって言われても……うぅん、目の保養?」
「ああ悪い、そういう意味じゃなくて、仲間として信頼できるかどうかって話」

率直に訊けば、エレノアも雑談の空気を切り替えた。

「そうね、ラーシュについてまだ分からないところが多いけど、悪い人じゃないと思うわよ。あたしはね。……ていうか、隠しごとってほどじゃないけどあたしたちに言えないことがあるんだろうなっていうのは感じる。ラーシュと、アルドに」
「俺も?」

鋭い指摘にドキッとした。
まさか、あいつと寝たことがバレてるのか?いやでもあれは夢魔のせいでそういうことになっただけで俺は男と喜んでやる趣味は、ない、はずだったんだが。
冷や汗をかきながら心の中で必死に言い訳していると、エレノアは口元に人差し指を当てて首を傾げた。

「ほら、ラーシュって英雄パーティの一員だったとか言ってたじゃない?すっごく訳ありって感じで。そのこと、アルドはラーシュから聞いてるんじゃないかなって」

そっちか!迂闊に余計なこと言わなくて良かった!

「あ、ああそのことか。あいつから全部聞いたわけじゃないけど、だいたいの事情は知ってる。一応な」
「ふぅん。それってあたしたちに言えないこと?」
「いや、俺から話すことはしたくないだけだ。話せる時になったらラーシュが自分で話す。――そういうの、エレノアは嫌か?」
「事情があるなら別にいいわ。知りたいけどね。アルドだけでも知ってて、そのうえでラーシュを仲間にするって決めたならあたしは文句とかないし。なんだかんだいってアルドが一番、人を見る目があるもの。あたしはいつも見た目に惑わされちゃうから」

エレノアは見た目がよければ誰でも簡単に懐くからな。そこは俺も信用してない、彼女の欠点だ。
そもそもラーシュはまだ俺らの仲間にすらなってないかもしれないが。彼に『借り』がある限り。

「……あのさ、あいつって俺らの未払いの金を受け取らないよな。お前は気にならないか?」
「なるわよ。だからラーシュに理由を聞いたんだけど」

聞いてたのかよ。いつのまに。
まあエレノアも俺とパーティの財産を分担してるから当然といえば当然か。

「あいつ、なんて言ってた?」
「あたしたちが可愛いから、だって」
「はあ?」
「ええと、ラーシュが言うにはね――」

曰く、彼は今までずっと周りから若造扱いを受けてきたそうだ。
前のパーティでも一番年下だったせいか、今になって自分より年下の人のことが妙にいじらしく思えるのだとか。
だから俺らのことが可愛くて仕方がないらしい。そんな俺らの力になりたいし、頼られたいんだそうだ。金銭的に困っているなら援助したい、と。

それって俺らが未熟だからって意味だよな?
でも俺がそう答えたら違うと返された。そうなると、エレノアを納得させるための穏便な返答ってことなんだろうか。
しかしエレノアも納得しきれていないみたいに眉間に皺を寄せて首を振った。

「嘘っぽかったけど、あたしたちが損してるわけじゃないし頷いておいたわ。アルドならラーシュがそう言った意味、わかるんじゃない?」
「俺が……?」

借金借金とは言うが、現状、パーティに不利益を被ってるわけじゃない。むしろ俺ら四人には得があるくらいだ。
だから「俺の気持ちを考えて」なんてはぐらかされても怒るに怒れない。これがパーティの存続が危うくなるようなことだったら、俺も一応代表として追及するところだが。

どうしてエレノアには優しく言っておいて俺には違う答えを用意してるんだ。
どうして、俺ばっかり、あいつは――。


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