7


「指輪?……が、どうかした?」

険しい顔をしたラーシュは俺から手を離して指輪を注視した。
俺の指にある限り、馴染んでいてその存在感は薄い。けれど元々は常闇伯爵の私物だ。ラーシュもそれを知っているからそうしたんだろう。
何か問題が生じたなら油断できない、と。

「呪われたとかそういう話じゃねーから。ただ、この前聞いたことをもう一回聞きたくてさ」
「それのことで?」
「ああ。これを着けて射ると、魔術を帯びた矢になるって話だったよな」
「そうだね」
「それって、厳密に『矢』じゃなくてもいい……なんてことあったりするか?」

小声で訊くと、ラーシュは腕を組んでソファーの背もたれに体を預けた。
悩む素振りを見せた彼を横目に、乾いた舌を湿らせるために酒を口に含んだ。

「矢でもなんでも、みたいにこの前は言ってたような気がするんだけど」
「うん、合ってるよ。たしかにそう言ったね。俺が読んだ本にはそんな風に書かれてたからね」
「そうか。実はさ、今日のパギュロ狩りで――」

今日あったことをラーシュに話した。壊れた金槌のことやナズハの反応、魔術が発動した様子だとかを事細かに。
魔術師としてはラーシュのほうが手練れなんだから最初からこうやって聞けばよかった。
とはいえ、魔術と指輪を関連付けたのは本当についさっきのことだったから、ラーシュに聞くにしても遠回りになっていたに違いない。

「射手だとか狩猟とか言うから効果は弓矢だけだって思い込んでたんだけどな、実はそう限定的なもんじゃないのかもって思ってさ。そもそも魔術の発動条件は何だ?それと、付与される術は選べるのかランダムか、ひとつだけなのかって問題もある」
「うん、言う通りだね」
「ラーシュはそのへん詳しいんだろ?だから教えてほしくてさ」

嘘から出たまこと、とまではいかないが、ラーシュに喋っているうちに散らばっていた考えがまとまった。漠然と気にしていたことが形になったとも言える。
期待を込めて迫れば彼も体を寄せてきた。内緒話でもするように手を添えて、ラーシュの顔が俺の耳に近づく。

「じゃあ教えるけど」
「うん」
「……俺もそれ以上のことは分かんないんだよね」

吐息まじりに耳元で囁かれた台詞に目を瞠った。慌ててラーシュを引き剥がす。

「何だよ、ふざけてんのか?」
「違うって。ほんとに俺も知らないの。実在してるかどうか分からない指輪について詳しく調べようなんて思わなかったんだもん。前はね」
「ん?てことは、詳しく載ってる本が他にあるってことか?」
「かもね。アルドが思うよりずっとあの書斎は広いし蔵書数も多いからね。探せば見つかるかも」
「マリアネルなら……その、知ってると思うか?」
「知らないと思うよ。あの子は、他よりちょっと城に詳しいってだけの使用人だから」
「そうか……」
「明日お城に行くからさ、ついでに探してくるよ」

ついで、ね。他の冒険者の案内のついでか、俺は。
時間を割いてわざわざ行ってくれるって言ってるのに、急に胸の中がモヤモヤとした。
顔に出さないようにしたつもりが、ラーシュの指がまたこめかみをぐりぐりと揉んだ。今度は強く。

「まーたそんな顔して。だからお城の案内はしないってば」
「別に、案内とか俺はどうでもいいけど」
「どーでも良くないでしょ。俺が他の冒険者と探索するの、面白くないくせに」
「なっ……そんっ……」

そんなことない、と返そうとしたのに焦ってどもった。
まさかバレてたなんて。もしかして顔に出てたのか?

「心配しなくても俺はアルドたちの仲間だからね。――まあ、きみらが本当にそう思ってくれてるかは別として」
「はあ?思ってるに決まってんだろ!」
「そうかなぁ。まだ難しいと思うけどね。だってきみたちは幼なじみで、ずっと四人でパーティ組んでたんでしょ?俺はまだきみらにとって『お客様』なんじゃないかな」

責めるつもりはないけどね、と静かに言われて唖然とした。
肩に手が置かれ、引き寄せられた。間近でラーシュが喉で笑う。

「ごめんね、意地悪言っちゃった。やきもち妬いてくれるアルドが可愛かったから、つい」
「……だったら俺らから『案内料』受け取れよ。それがあるから、お前はいつまで経っても『借り』があるお客様なんじゃねえかよ」
「今はまだ受け取れないなぁ」

挑発とも取られかねない口調で問い詰めれば、緩やかに受け流された。
そのうえ面白がるような目つきで射抜かれて、そこはかとない敗北感に打ちのめされる。

「なんで、そうやって俺らに借金背負わせたままにするんだよ。ちょっとずつでも返すって言ってんのに」
「なんでって?考えてみなよ、リーダー。きみのほうから俺を口説いたんでしょ。だったら俺を、俺の気持ちを理解してみて」

謎かけで返されてまた驚いた。
そうだった、こいつは初対面でムカつくほど性悪だったんだ。しばらく親切にしてもらっていたから忘れてた。

「……俺たちが未熟だから、とか」
「はい不正解。全然ダメ。この話はまた答えが分かってからしようね。今はそういう無粋な話はやめよ」

お前から振ってきたんじゃねえか、という文句を飲み込む。
微妙に話題をすり替えられているような気もしたが、この様子じゃ今は何を言ってもはぐらかされそうだ。
肩から手が外れ、ラーシュの体が離れていく。彼はおもむろにゴブレットを傾けた。

「まだ出会って間もないしお互い手探りの最中なんだから、そんなに何でもかんでも焦らないの」
「だってそんな風に言われたら、お前」
「勘違いしないでほしいんだけど、別に喧嘩売ってるわけじゃないからね?俺はね、まずはアルドともうちょっと仲良くなりたいだけ」

きみは?と聞かれて躊躇った。
こんなにまっすぐ言われて、そのうえパーティ仲間相手にノーとは答えられない。
でも、ラーシュの言う『仲良く』の程度がどういうものなのかの見極めができずに二の足を踏んだ。

俺だってラーシュと仲良くなりたいし理解したい。
それをパーティの仲間としてなのか個人的になのかと考えると、そこで躓く。
だって俺は一度彼に抱かれている。
魔物の呪いを受けた身だったとしても、あのとき感じた体温や、幸福感や、優しく丁寧に抱かれた記憶がなくなるわけじゃない。あんなの、好きになるなってほうが無理だ。

割り切れたらいいんだけど、事が起こって日が浅いからかそこまで出来そうにない。
特殊な状況下で湧いた情だからラーシュに押し付ける気はないし、彼とどうにかなりたいって気もない。今は。
彼にしたって、呪われた俺を善意で助けてくれただけか、それ以外の感情があったのか、たまたまヤりたくなって機に乗じただけか――どれもありそうだし、どれも正解じゃないような気がする。
それがなければこんな複雑な思いをしなくて済んだのに。

軽はずみに返事をしたくなくてテーブルを睨みつけていると、青く光る翅の蝶が不意に視界に入ってきた。
ひらひらと頼りなげに飛ぶ綺麗な蝶に釘付けになる。
すると、膝の上で握りしめた俺の拳に蝶が留まった。可憐な翅が手の甲で開閉する様は、一瞬この状況を忘れさせた。

するとそこに「失礼します」と中性的な声が割って入った。リカルダだ。
リカルダは俺たちの前に新たなグラスを置いた。ラーシュが頼んだのかと思ったのに、彼は予想外だと言わんばかりに目を丸くした。

「お二方に、マダムから」

マダム?誰のことだ?
軽く混乱しているうちに蝶が飛び立った。その行方を目で追っていくと中央の大木に吸い寄せられた。楽士の間にいつのまにかもう一人増えている。
青い蝶が何匹も舞う。その中で太い幹にしなだれかかるその人は、なめらかな皮膚に蔦が這い、あでやかな花を纏ったセクシードレスのお姉さんだった。
めっちゃ見覚えのある花樹族のお姉さんがこっちに向けてウィンクをしてきたもんだから、心臓が止まりそうになった。

「えっ、あ、あれっ、あの人って」

ラーシュの肩を揺さぶりながら二人に向けて顔を交互に動かすと、彼は苦笑いを浮かべた。

「う〜ん、今日はいないと思ったんだけどなぁ」
「へっ?なに、あの人ってここで働いてんの?」
「ていうかオーナー。歌い手でもあるけどね」

マジかよ!
どんな伝手があればこんな店のオーナーの、しかも花樹族と知り合えるんだ?謎すぎる。

テーブルに置かれたグラスの中身は、黄緑と金色の二層の色に分かれていた。細かく発泡するその水面にはピンク色の花が浮かんでいて、淡く発光している。
グラスを持ち上げたラーシュにつられてひと口飲んでみた。
先に飲んだ酒もうまかったが、こっちはまた違う繊細な味がする。
ひんやりと冷たい辛口で、甘い花の香りが鼻腔に広がる。弾ける泡も心地よく、初めて味わう風味に舌が蕩けた。
これを知ったらもう酒場の安酒なんて飲めない。それくらい美味くてあっという間に飲み干した。

後味の良さまで堪能していると、音楽に合わせてあの人が歌いはじめた。澄んだ高音は葉擦れに似た囁き声だった。人間には到底出せない音だ。
おまけにあの美貌――現実じゃないみたいだ。
さっきまでしてた話をすっかり忘れて魅入っていると、ラーシュの声が歌を乱した。

「アルドってあーゆー人が好み?」
「好みじゃない男なんてほぼいないだろ。つーかあの人って、お前とどういう――」

どういう関係?と聞こうとしたところで顎に手がかかり、ラーシュのほうを向かされた。

「友達、だよ」
「いやいやそんなわけねーだろ。恋人とか……」
「友達。俺はね、この街で特別な相手は作らないんだよ」

真剣な表情でやけにきっぱりと言い切られて口を閉じた。
ラーシュがこういう顔をするときは、強い信念があるときだ。
彼は、いつでもこの街を出ていけるように準備していた。まさか人間関係もそうだっていうのか?
旅をするには身軽でいたほうが有利だ。物も、人も。特に恋愛相手は重荷になりがちだ。ラーシュは、だから――。

「……まあ、分からなくもないけどな。冒険者やってるとそのへん難しかったりするし。面倒事は極力なくしたいしな」

俺がそう返すとラーシュは探るような目つきで覗き込んできた。

「きみたちも同じ?」
「別に禁止はしてない。できるようなもんでもないし。まあでもクレイグはそもそも相手が見つかんないと思うぜ。同族で、しかも自分より強くてでかい女がいいんだってよ。エレノアだって理想がバカみたいに高いから無理だろうし。ナズハは……あいつはどうなんだろうな。聞いたことない」
「ナズハちゃんにそんな相手ができたら、アルドちょー邪魔しそう。過保護だもん」
「はは、否定できねーわ」

ナズハの兄貴分だという自覚はあるし、そんな相手ができるところなんて想像したくない。
仮にできたとして、あいつに釣り合うやつかどうかしつこく吟味するだろうな、絶対。

「そんで、俺は――」

言いかけたところで唇を柔らかく塞がれた。すぐに離れたが、またゆっくりと重なる。
頭の中がぼんやりする。酔いが回っているせいなのか、ラーシュの唇が気持ちいいからか。
音楽も歌も遠くに聴こえる。
俺は、ラーシュの腕を掴んで目を閉じた。


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