6


一瞬驚いたような顔を見せたラーシュは、すぐに笑みを浮かべて俺のほうに近づいてきた。
その足取りはふわふわしていて酔ってるみたいだった。
実際、そばに来ると酒臭かった。それは安酒とは明らかに違う、芳醇な匂いだ。

「どしたの、こんな時間に」
「あ、いや、その……」

まさかこんなところで鉢合わせるとは思わなかったからめちゃくちゃ動揺した。
ここまで来ておいて何だが、本当に会うつもりもなかったし。

「あーえっと……きっ、気になることが、あって、眠れなくて、なんか」

無意識に口をついて出た俺の言葉にラーシュが目を細める。
気になることってなんだよ。そんなのがあったとして、こんな時間じゃなくて明日明後日でいいはずだろ。
取り繕いの言葉にそれ以上繋げられる話題もない。ラーシュの返答を待つ時間がもどかしく、耳を指で揉んだ。
顎に手を当てて首を傾げたラーシュは、ますます笑みを深めた。

「寝れないのかぁ、そっかそっか。よし、じゃあ今からお兄さんがいいところに連れてってあげようかな」
「……は?」

陽気にそう言ったラーシュを訝しみつつ見上げる。

「ど、どこに行くって?」
「ん〜?大人のお店。俺さ、もーちょっと飲みたいから付き合ってよ、アルド。奢ったげるからさ」

甘えた口調で大人の店だとか言われても疑わしい。ていうかクレイグには断っておいてラーシュとは行くってのはどうなんだ?
返事に迷ってたら、肩からローブを羽織らされた。ラーシュが着ていたものだ。

「そんな薄着じゃ夜道は冷えるよ。それ着といて」
「いや俺まだ行くなんて――」
「いーから、いーから」

ラーシュはローブを脱いだ姿もきちんとしていた。上流階級か詐欺師かといった風体だ。
そこで初めて気づいたが、ラーシュは杖を持っていなかった。
呆気にとられているうちに肩に手を回されて方向転換させられた。
肩を抱かれながら大通りとは別の道に進んでいく。くっついたラーシュからは酒と、他に何か甘い良い匂いがした。

「……お前、今日デートだったんだろ?楽しかったかよ」

独り言みたいに零す。しかし密着しているラーシュにはしっかり聞こえたみたいで、それを拾われた。

「デート?……あ〜クレイグが言ってたやつね。あっはは、やだなぁデートなんかじゃないよ。あんな言葉信じちゃったの?」
「ち、違うのかよ」
「女の子には会ったけどね、男とも会ってるから。俺はただの仲介人ってとこ。覚えてる?ギルドできみとやり合った窓口のメガネ君」
「……あ」

保障の件で睨み合ったあのギルド職員のことは忘れようもない。
あのときラーシュが間に入ってくれて、カジノのナントカちゃんを紹介するからとか言っていた。もしかして今日はその約束だったのか?

「なんだよ、それならそうと言えばよかったのに」
「場所がカジノって聞いたら、クレイグも絶対行きたがったでしょ」
「……たしかに」

出会って数日のくせにクレイグのことよく分かってんな。まあ、あいつが分かりやすすぎるだけかもしれないが。
『デート』の実情を知ってなんとなくホッとしていると、周囲の賑やかさの空気が変わった。

大人の店とか言うからてっきりそっち系かと思っていたのに、色街特有の猥雑さはない。金持ち御用達っぽい馬車があちこち停められてるし、歩いている人も身なりが悪くない。
寝巻き同然の自分の格好に気づいて青くなったが、ラーシュのローブが隠れ蓑になってくれてそう浮いてもいなかった。

「彼、結局イヴリンちゃんにフラれちゃってね、今まで一緒に飲んでたんだよ。慰めたり仕事の愚痴聞いたりしてね」
「マジか。そりゃ大変だったな」
「そんなことないよ〜。いい情報いっぱい聞けたから」

まさかギルドの内部情報か?だからあのいけすかない眼鏡野郎とも懇意にしてたってのか。
女を紹介してフラれたあいつを慰める、までがラーシュの目論見だとしたら、抜け目ないというかなんというか――。
ちょっとだけ眼鏡のあいつに同情した。

ラーシュは今までもそうやって誰かの懐に取り入ってきたんだろうか。狡猾なこの街で、パーティを組むことなく、一人で。
へらへら笑いつつ世渡りしているようでそれだけじゃないと知って、見直したような薄ら寒いような、複雑な気持ちになった。

「――ほら、着いたよ。このお店」

ラーシュに言われて前を見上げると、そこには小ぢんまりとした建物があった。
想像していたより小さい店で拍子抜けしたものの、それはすぐに間違いだと知る。
規模は大きくはない、けれど入口の前に屈強な獣人の男が立ちはだかって睨みをきかせていた。
ラーシュが声をかけると、獣人は俺をチラリと見下ろした。すげー怖い。が、意外とあっさり通してくれた。
俺らの次に来た男は門前払いだったみたいだが。

中に足を踏み入れた瞬間、「うわっ」と声が出た。
それまで固かった足元が急に不安定になったからだ。
びっくりして下を見ると、苔のように草が床を覆っていた。ふかふかで毛足の長い絨毯に似てる。
入り口からは薄暗い廊下が伸びており、石造りの壁には忘れ去られた遺跡みたいに蔦が這っている。
ラーシュに促されてゆっくりと歩く。
奥に進むにつれて蔦の重なりが増え、ついには木の根のようなものまで絡んで石の壁は見えなくなった。

廊下の先にはぽっかりと穴が空いていた。
いや、そう見えるだけで、奥に広い空間が開けているだけだ。
ドーム状になった空間を支えるように中央に大木の幹がある。木の枝が絡まり合い、蔦と葉が自然な形で上から垂れ下がっている。隙間を埋めるように可憐な花まで咲いてる。
曲がりくねった木の枝や幹のくぼみに四人の楽士が座り、心地いい音楽を奏でていた。
さらに大木を取り囲むように群生した植物は色とりどりの光を発していて、明るすぎず暗すぎず室内を美しく照らした。
どこからか漂ってくる草や花の匂いが複雑に混ざり合って、なんともいい香りがする。

建物の中だということを忘れるくらいの神秘的で幻想的な光景に息を呑んだ。
昔、エレノアの両親から聞いた妖精族の住処の話を思い出した。
そこはきっとこんな感じで、まるでそこに迷い込んだようだった。

「いらっしゃいませ、お客様。――おや、ラーシュ様ではありませんか」
「やあ、リカルダ」

ラーシュはここでも常連らしく、声をかけてきた従業員に愛想よく返事をした。
従業員は、女……か、男かよく分からないような中性的な人だった。
女性特有の体つきだが男っぽい細面に顎ひげがある。それでも綺麗な人だ。しかも有翼人、鳥族だった。

その人に席に案内される。中央の大木を囲んでテーブルが広く間を空けて置かれており、そのひとつに通された。
客は中央の大木に向けて座る形式のようで、俺とラーシュは二人掛けのソファーに腰を落ち着けた。
テーブルは石の台座のような低い円形のものだが、これも上の面以外は植物にびっしりと覆われていた。
ソファーのほうは、しなやかな枝と蔓で幾重にも編まれたものだ。適度な弾力があって思った以上に柔らかく座り心地がいい。

他の客の顔は見えない。人影があるのがかろうじて見えるだけだ。なのに隣に座るラーシュの顔はよく見える。
彼と目が合ってドキリとした。

「いつもの、でよろしいでしょうか」
「そうだね。この子のぶんも」

リカルダは心得たとばかりに頷くと、蔓のカーテンの向こうに消えていった。

「なんか……不思議な店だな」
「面白いでしょ?会員制でねー、なかなか入れないんだよ」
「えっ、そんなとこ払えるような金、俺マジでないんだけど」
「だから奢るって言ったじゃない」

会員制の店やカジノとかの常連で、冒険者高額保障といい、ラーシュは普段一体どんだけ稼いでるんだ?
そのわりに家賃だのハウバの借金だので余裕があるようには見えない。
払うべきところがあるくせに、好んで散財してるように感じるのはどうしてなんだ。俺らの借金だってもっと取り立てていいようなものなのに……。
黙った俺の耳にラーシュの指先が触れた。
そのままこめかみをなぞられたから、くすぐったさに驚いてのけぞった。

「な、何すんだよいきなり」
「だって難しい顔してるんだもん。何か悩みでもあるの?それか、俺に聞きたいこととか」

指で前髪を払われ覗き込まれる。
こんなに近くでラーシュの顔をじっくりと見たのは、久しぶりのような気がする。
心臓が静かに速くなる。何かを言おうとして「あ」と無意味な音を出したとき、リカルダが斜め前に立った。

「失礼します」

視界の邪魔にならない位置からテーブルに木でできたゴブレットがふたつ置かれる。それだけ置いてリカルダはすぐにいなくなった。
中身はほんのりと白く光っていた。木杯のふちにはカットされた赤い果実が刺さっていて、そこから果汁が滴って中の液体にじわじわと溶けた。
ラーシュはゴブレットを手に取って俺に向けて差し出した。木製のそれは乾杯してもたいして音がしなかった。

おそるおそる液体を口に含むと、すっきりした酸味とかすかなえぐみが喉を下った。
果汁が混ざるにつれてえぐみが消えて甘みが増す。でも、しっかりとアルコールは感じられた。うまい。

「これ、なんの酒だ?飲んだことない味だな」
「樹液のお酒だよ。ここはね、色んな果実や花の蜜や、樹液のお酒が楽しめるの。珍しいでしょ?」
「へえ……」

アルコールが胃に入ると緊張が緩んだ。
酒の半分を飲む頃にはかなり回っていた。
この酒、飲み口の良さのわりにけっこう強いな。憂さ晴らしをするならこれくらい強いほうがちょうどいいんだろうが。
膝に置いた手をラーシュに握られて、軽く眩暈がした。

「どう?そろそろ話してくれる気になった?」
「あー……や、たいしたことじゃないっつか、こ、これのことで、ちょっと」

握られた手をラーシュごと持ち上げた。その親指には伯爵の指輪が嵌まっている。
ごまかすようにとっさに出た言葉だったが、言ったあとに俺も、これについて聞きたいことがあったことを思い出した。


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