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木彫りのプレートをミルクティーのカップの脇に慎重に置く。
城関連の他の物に比べてこれだけやけに素朴な造りをしていて、なんとなくだけれども、伯爵の手作り品なのかもしれないと思った。
伯爵と大鷲――この街のどれだけの人間がそこまで考えるだろう。きっとラーシュが彼らの一番の理解者であり、誰よりも夜の呪いの真実に近い場所にいる。
伯爵の青白い顔をぼんやり思い浮かべながら、指輪をそっと撫でた。

「その指輪、伯爵の唯一無二の私物だから大事にしてあげてね」
「そういう言い方されるとプレッシャー半端ねえな。つーかお前だって――その古代文字魔術はもとは伯爵の遺産なんだろ?お前も託されたくちなんじゃねえの?あの書斎ごと」
「……俺、アルドにそんな話したっけ」

ラーシュの声が急に固くなった。顔を上げると、怪訝そうな表情が目に入った。
俺よりもっとすごいもの託されてんじゃねーか、なんてやり返すつもりが、自分の失言に気づいて額を手で覆って項垂れた。
ラーシュがどうやって古代文字魔術を習得したかなんて、たしかに聞いてない。本人からは。

「――十年前、三日続いた城探索で偶然見つけた書斎で、そこに積まれてた財宝にラーシュは見向きもしなかった。お前にとっては、魔術の本の方が価値があったから。……だろ?」

半ば確信を持って言い切れば、ラーシュは顔をこわばらせて口を閉じた。
やっぱりな。『あれ』は本当に起こったことだったんだ。

ベッドから落ちた衝撃で頭から抜けていた『悪夢』のことを、俺は、微睡みの中で思い出したのだった。断片的に、だが。
獲物の印が完全に消える前の、夢魔の最後の悪あがきだったとしたら趣味が悪い。単に俺の頭の中に刷り込まれていただけかもしれないが。

どういうこと、とラーシュに説明を求められる。
少し迷ったものの、覚えている限りの内容を聞かせた。
仲間との唐突な別れのくだりで、彼は、彼らしくもなくしばらく押し黙った。

「……夢魔は人の記憶を読むって、俺、言ったよね」
「ああ」
「本当のことだよ。本当の、『俺の記憶』。夢魔はそれを、悪夢としてきみに見せたんだね」
「なんか……悪い。言うつもりとか、なかったんだけど」
「いやいや全然いいのよ。昔のことだし。ちょっと恥ずかしいな〜ってだけだから」

ラーシュは決まり悪そうな顔で笑った。
そうして髪をかきあげたり腕をさすったりと、落ち着かないような仕草をひとしきりしたあとに、嘆息しつつ肩を竦めた。

「……うん、分かってるんだ。俺ね、みんなに見限られたんだよ。俺が馬鹿だったからさ」
「ラーシュ……」
「彼らが二度と戻ってこないことも分かってる。でもなんか、引っ込みがつかないっていうかね、待つのをやめた瞬間に、俺は――」

言葉尻が萎んでいく。何かを堪えているように拳を握ったラーシュは、先を続けずに唾を飲み込んだ。
焦れた俺は、テーブルに身を乗り出しながらそれを継いでやった。

「ラーシュ。もう充分待っただろ。追いかけろよ、今からでも」
「何言ってんの。もう遅すぎ――」
「そのつもりで、いつでもこの街を出られるように準備してあるんじゃねえか、お前」

そう、この家だって。
不自然なほど極端に物が少なくて片付けられすぎている。引越しの前夜みたいに。
それに三階の衣装棚の側に小さくまとめられていた荷物――あれは、冒険者の鞄だ。あれを持って出るだけで今すぐにでも旅に出られる。
埃がついてなかったし、しょっちゅう中を確認しては持ち物を点検していたんだと分かる。分かっちゃうんだよ、そういうの。俺も同じだったから。
故郷を出るために今日か明日かと準備していた、あの頃の俺と同じなんだ。

「ハウバの借金だって伯爵の『お土産』で完済なんだろ?なら、もう身軽なはずだ」
「でも、アルド……俺」
「それでも、ひとりで街を出られないってんなら、俺たちと来いよ。ラーシュ」

一音ずつ、はっきりと言った。聞き逃しのないように。
ラーシュが目を見開く。
だって俺は知ってるんだ。夢の中で彼の記憶と同調したんだから。本当は今も、十年経った今でも彼らを追いかけたいこと――その強い思いを。

「冒険には『仲間』が必要だろ?なあ、魔術師」
「……浮気したって、彼らに思われちゃうかも」
「あいつらはお前を捨てたんじゃねえか。見せつけてやれば?お前らよりもっといい仲間ができましたって。それと、昔より強くなったぞって」

俺が冗談っぽく言うと、ラーシュは未だ迷うように目を泳がせた。

「俺、この十年、常闇城しか行ってないから他の場所は超初心者よ?地下牢のときみたいに失敗するかも」
「『身の程知らず』らしくてちょうどいいんじゃね?」

ラーシュに言われた言葉をそのまま返せば、彼は、やられた、とばかりに片手で目を覆って天井を仰いだ。
喉で小さく笑い出し、そのまま笑い声が大きくなる。ひとしきり笑ってからラーシュは俺に向き直った。

「……あ〜、はは、ほんと……負けたよ、アルド」
「ラーシュ?」
「可愛い子にそこまで情熱的に口説かれちゃったら、乗らないと男が廃るね。いいよ。俺をきみらの仲間にしてよ、リーダー」

いい仕事するからさ、とラーシュが片目を瞑る。
ウィンクって色男がやると悔しいほど様になるよな、マジで。
ついでに彼は俺の手を取って手の甲にキスをした。いやいやさすがに余計だろそれは。

「ていうかそんな勝手に俺を誘っちゃって、あの三人に聞かなくていいの?」
「あいつらだってお前のことは気に入ってるし文句ないだろ。あっても俺が説得する」
「わぁ頼もしい。じゃあこれから長い付き合いができるように、仲良くしようね」

ちゅ、と音を立てて手に口づけられ、そのまま指や爪の先までキスされる。
仲良く、の言葉が妙にいかがわしい意味に聞こえるんだけど……。
掌にまで唇を押し付けてきたラーシュは、俺を上目遣いで見ながら含み笑いした。

「それにほら、俺、城の案内料まだ払ってもらってないし?今ここできみたちと離れるわけにいかないよね」
「えっ!?あ、あれは、クレイグの硬貨で解決じゃ――」
「それはクレイグから『分け前』をもらっただけ。案内料は別だよ」

クソッ、後払いの約束はまだ有効だったのか。今度は俺らの方がラーシュに借金を背負ったことになるのか?
まあ彼の言うとおり、長い付き合いになるならそれもいいかと、ヤケクソ気味に笑った。
そのとき、階下から馴染みのある馬鹿でかい声が響いてきた。

「ぅおーい!アルドぉ!!起〜きてっかぁあぁ!?」

はた迷惑なクレイグの怒鳴り声に、「静かにしなさいよ!」というエレノアのこれまた甲高く響く声が聞こえてきて吹き出した。きっとそこにナズハもいて、おっとり微笑んでいるんだろう。
ドカドカトントンぱたぱたと三人分の賑やかな足音が近づいてくる。

「な〜城でよぉー!岩竜の斧折っちまっただろー!?武器屋のおっちゃんが買い取れってうっせーんだわ!起きてたら金出してくれよ〜アルドぉ〜〜〜!」

クレイグが頭の痛いことをさっそく言っているが、とりあえずそれは後回しだ。
あいつらにどう言おうか?俺たちに新しい仲間が増えたことを。

起こったことは元に戻らないし、どうやっても消えない。だったら前に進むしかないんだ。
もう夜明けは待たなくていい。来ない人を待つ必要もない。未知の地に向けて踏み出す――自分の足で。
求めるものは、自分たちで探しに行くんだ。この手に掴むために。
それが、冒険者というものだから。


end.


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