18




自分の叫び声とともに頭と背中に衝撃が走る。
目を開けてみたら、暗い天井がやけに遠く見えた。
後頭部が鈍く痛む。どうやら上掛けごとベッドから転がり落ちたようだ。

心臓がドクドクいってうるさいし、呼吸も荒くて苦しい。シャツがじっとり湿って肌に張り付いている。
冷や汗の滲む額を手の甲で拭いながら、逆さまの窓の外を見た。
窓から差し込む月光は蠱惑的な紫色だ。日付はとうに変わっているらしい。街の喧騒も少なく、真夜中のような静けさがそこにある。

「アルド!?」

せわしない足音が階段を駆け上がってきたと思ったらドアが勢い良く開かれた。
室内灯が点いた瞬間、眩しさに顔をしかめた。目が慣れたところでラーシュの焦り顔を見て、ようやく自分のまぬけな姿に意識がいった。

「いきなり大きい音したからびっくりした。アルド、どうかした?」
「な、何でもねえよ。ちょっと寝相が悪かっただけで……」

ラーシュに助け起こされて再びベッドに腰を下ろす。隣に彼も座り、俺を覗き込んできた。
髪を無造作に纏めて軽装になったラーシュは、軽薄さは相変わらずだが今までと印象が違った。
紐を通す形の襟のゆったりしたシャツに、足を長く見せる細身のズボン。
隙の多い装いは、くつろいでいるというより色気を感じさせた。大きく開いた襟元になぜか目がいってしまう。
俺の鼓動は速いままで一向におさまる気配がない。

「……俺、どれくらい寝てた?」
「一日半ってとこかな。クレイグたちもね、きみの様子を見に何回か来たんだけど」

今は夜中だよ、と囁くように言われて目眩がした。
開いた胸元に黒い彫り模様の端が見え隠れする。それが気になって仕方がない。
浅く息を吐きながらラーシュの肩に額を押し付けた。いい匂いがする。もっと嗅いでいたい。

「どうしたの?怖い夢でも見た?」
「夢……」

見ていたような気がする。どんな夢だったっけ。
人がたくさんいて、城の――城の夢を、見たような、気が。
床に打ちつけた後頭部を緩やかな手つきで撫でられると、たまらない気持ちになった。
――切ない。寂しい。もっと、人の体温を感じたい。もどかしさに体が火照る。

「悪夢……ん?夢魔?」

独り言のように耳元で囁かれて、くすぐったさにビクッと肩が跳ねた。

「アルド?」
「ラーシュ……あつい……」

肩なんかじゃ足りなくて、彼の背中に手を添える。
首筋に鼻をうずめて深く息を吸った。なんでこんなにいい匂いがするんだろう。男の匂い、が。
ラーシュは俺の背を撫でたあと、手慣れた仕草で俺をベッドに横たえた。

「ちょっとごめんね」
「な、何――」

上から覗き込まれて心音が速度を増す。顔の横に手が置かれると寝台が軋み、妙ないたたまれなさに目を泳がせた。
ラーシュの指が俺の腹をなぞる。指が這ったところからゾクゾクとした感覚が背筋を駆け抜けていった。
なんなんだ、今のは。

「あ〜……これのせいかぁ」
「これ?」

ラーシュの視線を辿って自分の腹に目をやると、服を大きく捲られていた。際どいところまで外にさらされている。
そしてその、臍の下あたり。下腹部に赤黒い痣があった。皮膚の下から浮かび上がったようなその痣は、見たことのない、変な模様を描いている。

「夢魔の仕業だね。あのとき、印をつけられちゃったかな」
「しるし……?」
「そ。獲物の目印。城を離れても、これがある限り夢魔は夢を通してアルドの元に来ちゃうんだよね」

そういえば、どうして夢魔は俺の前に姿を現したんだろう。伯爵が目覚めたら他の魔物は強制的に眠りにつくって話じゃなかったのか?
訊くと、ラーシュは俺の頬を撫でてきた。

「なんせ夢魔だからね、あいつ自身は『眠る』ことはないんだよ。ただ、伯爵のせいで力を封じられたから直接餌を探してうろついてたんじゃないかな。飢えてたんだろうね」
「夢魔は力の強い魔物だって、前に聞いたこと、あるけど……」
「ないない、下等妖魔だよあんなの。まあ、それ以上に人はコレに弱いからね。なかなか抗えないせいでそう言われるんじゃないかなあ」

コレ、と言いながらラーシュが俺の腹を撫で上げる。
その細やかな刺激だけで痺れるような疼きが下半身に集中した。痣のあるあたりが急激に熱くなって、シーツに爪をたてた。

「夢魔はね、やらしい夢や幻を見せて、人が快楽に溺れてる間に精気を吸い取るんだよ。たまーに城に来る人間に取り憑いてはそうやって餌にしてたんじゃない?」
「ん……っ」
「この印、雄の夢魔だったのかな。アルドは女の子じゃないから孕まされることはないけど……よっぽど気に入られちゃったみたいね」
「孕っ……」

身も蓋もない言い草に頬が熱くなる。

「このままでいたら、お、俺はどうなる?」
「そりゃあ、寝てる間に精気を吸われ続けて衰弱死だよ。気持ちいい夢から覚めないままね。夢魔本体は超弱いんだけど、そういうとこ厄介なんだよね」

でも、俺が見たのはそんな夢じゃなかったと思う。もっと息苦しいような、絶望的な夢だった。寝覚めの悪さがそれを物語っている。
それを訴えると、ラーシュも心当たりがあるとばかりに頷いた。

「俺が傍にいたから悪夢くらいで済んだのかもね」
「どういうことだ?」
「寝る前に飲んだアレ。それと、俺の存在が夢魔の精神干渉を邪魔したんだと思うよ」

俺を見下ろしながら、ラーシュが自分のシャツの襟元をさらに大きく開いてみせる。胸の左側に、黒い描線の複雑な模様が描かれている。
手首を掴んだラーシュは、そこにわざわざ俺の掌を触れさせながらニヤリと口角を上げた。

「これね、魔除けの文様。お城にいるといろんな悪いものが寄ってくるからさ、呪いも幻覚も効かないようにしてんの」

だから迷宮で、俺が惑わされた夢魔の幻も通じなかったのか。その前の、礼拝堂の呪いの歌も。
手首を握られたままその模様を撫でてみた。手に吸いつくような弾力がある褐色の肌に、何か、掻き立てられるものがある。
起きているのに眠いような心地で、頭の中がぼんやりとする。吐く息が熱い。
手首を握っていた男の手が指に絡んでくると、そのことにまた昂りを感じた。
溜まり続ける熱が切なくて小さく喘いだら、握られた手が寝台に押し付けられた。
首筋にラーシュの唇が触れる。くすぐったい感触が気持ちいい。

さっきから、だんだん触れ方がおかしくなってないか?
こんなのもう「なんとなく」で済まされる範囲じゃない。なのに嫌だと思えない。むしろ――。
臍の下が重く疼く。見ると、股間がパンパンに膨らんでいた。痣も、今できた鬱血ように生々しい赤に変わっている。
この火照りは明らかに印のせいだ。呪いのたぐいなのかもしれない。

「こ、これって、どうすれば消えるんだよ……」
「方法は単純。生身の男が『横取り』すればいいだけ」

遠回しな表現にもかかわらず、その意味するところがすぐに分かってしまった。
だって俺は今、目の前の男に抱かれたくてしょうがない。めちゃくちゃヤリたい。頭の中がそのことでいっぱいだ。
男相手にそんな気持ちになったことなんてないのに、欲しくてたまらなくなってる。

「な、生身の男なら誰でもいいのかよ?他の……誰か、とか」
「この体勢でそういうこと言う?」

ひどいなあ、と零しながらラーシュが俺のシャツのボタンをはずす。
胸に軽く口付けられると「んっ」と鼻にかかったような声が出た。

――少なくとも俺にとってラーシュは、もう赤の他人とは言えない。ムカつく胡散臭いやつでもない。だからこそ、こういうのに情が入るのはまずい。
歓楽街にはその道のプロが大勢いるはずだ。別に今、ラーシュでなくても……。
少ない理性でそんな風にぐずつく一方、素肌の上を滑る柔らかい唇に体が蕩かされていく。
遊び慣れた経験豊富さをうかがわせる愛撫は、なぜか安心感もあった。確実な快楽を与えられる予感だ。
ありていに言うなら、セックス上手そう、みたいな。

「ラーシュ、俺……」
「大丈夫だから、アルドは気持ちいいことだけ考えてて」

耳たぶを食まれながらそんな風に囁かれると、なけなしの理性は綺麗さっぱり消えた。
ダメだ、他のやつとなんて考えられない。
今すぐ抱かれたい――ラーシュに。


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