17


二階は居間とキッチンのほかに浴室があり、三階は寝室だということだった。
食事休憩を終えたクレイグたちが二階に一度顔を見せたが、ハウバの顔がきく宿を紹介してもらえるということで早々に出て行った。
今は昼を少し過ぎたところらしい。相変わらずの夜だけど。

しばらく休んでから浴室を使わせてもらった。
浴室とはいってもシャワーを浴びる一人分の狭いスペースがあるだけだ。それでも汚れを洗い流せるのはありがたかった。少し傷に沁みたが。
置いてあった石鹸はものすごくいい匂いがした。

部屋を出たらすぐそこに階段があって、一階から三階までまっすぐ伸びていた。
三階はベッドと衣装棚と、小さくまとめられた荷物が置いてあるだけの部屋だった。
留守中はハウバが掃除をしていたらしく、二十日間もいなかったわりに埃っぽさは感じられなかった。
驚いたのは、二階も三階もほとんど物がないことだ。どの部屋も素っ気ないほど片付いている。
少し意外だった。ラーシュのこの派手さからいって、もっと服やアクセサリーや家具に溢れた家を想像してたのに。
勧められて硬めのベッドに腰掛けつつ、ラーシュを見上げた。

「ラーシュの家、思ったよりすっきりしてんだな」
「あー、本とか大事な物は全部お城の書斎に置いてあるからね。必要なときはあそこに行くんだよ」
「お前、常闇城をそんな物置感覚で……」
「え〜?だって簡単に泥棒に入られないし収納スペース抜群だしで便利なんだもん。言っとくけど、城があんな風にややこしくなったのなんてこの十年で初めてだよ?ま、貴重な体験できて良かったね」

貴重な体験、の一言で片付けられるか!
あんな場所もう行きたくない……と考えたところでふと思った。
城から帰ってきたということは必然的に案内も終わりだ。だからつまり、ラーシュとの契約もここまで。
体力が戻って明日になれば、俺はここを出る。そしてクレイグたちとまた新しい仕事を探すんだ。
旨味がないと知ったクレイグのあの様子なら、もう一度城に、なんて言わないだろうし。
そうしてラーシュは――また次の『身の程知らず』を探すのだろう。

考え込んでしまった俺を、ラーシュが覗き込んでくる。

「きみたちとのお城探検、楽しかったよ。こんなに楽しかったの久しぶり」
「……楽しいとか言えんのは無事に帰って来れたからだろ」
「そーだね」

陽気に笑いながらラーシュが両手を軽く上げる。その余裕っぷりに経験の違いを痛感させられた。
ラーシュは次の冒険者とも、今日みたいな探索をするんだろうか。俺たちなんかより金払いが良くて、腕に覚えのあるパーティと。
そしてまた「楽しかった」なんて、言うのかもしれない。

次に言うべき言葉が見つからなくて黙っていたら、不意に目の前が翳った。すぐあとに額に柔らかいものが触れる。
柔らかいものの正体がラーシュの唇だと知って、目を瞠った。

「……なんだよ今の」
「なんとなく」

鼻先でラーシュが軽薄な笑みを浮かべる。
また何となくかよ。わけわかんねえ。
額の、口づけられた部分が妙にじんじんと疼く。
迷宮での偽物ラーシュのことを思い出して途端に恥ずかしくなった。あれはこんな軽いもんじゃなかったけど、今のは『本物』のラーシュだ。
なんでちょっと物足りないとか思ってるんだよ、俺は。
耳が熱くなってきたから気を紛らわせるために指で揉んだ。

「楽しかったよ。ほんとに」

ラーシュに頭を優しく撫でられて、完全に言葉に詰まってしまった。
黙ったのを疲れのせいだと思われたらしく、休むよう促された。
潜り込んだ布団は石鹸と同じようないい匂いがして、横になった瞬間、眠りに落ちた。





――ここはどこだろう。見たことのない景色だ。

乾いた赤い砂地に白壁の建物が立ち並ぶ、異国の街のようだ。赤と白の対比が目に鮮やかで綺麗だと思った。
露店が並ぶ活気ある通りを、若い冒険者パーティがそぞろ歩いている。
彼らの先を行くのは軽やかな足取りの少年だ。俺よりもいくらか年下に見える彼は、丈の短いローブに真新しい杖を携えていた。
少年がフードを外してこちらを振り返る。白っぽいストロベリーブロンドの毛先が跳ねた。

『早く行こうって!あんたら遅すぎっしょ!』

褐色の顔が屈託のない笑顔になる。
後ろ歩きをしていた少年は、女の人にぶつかった。すかさず謝ると同時に綺麗とか美人だとか調子のいいことを言って口説きはじめる。
それを見ていた同行の四人の冒険者たちは苦笑して、少年を諌めた。

――草原の丘で、四つ足の魔獣が牙を見せながら喉を鳴らしている。
魔獣と睨み合っているのは、さっきと同じ冒険者パーティの五人。
剣士は雄々しく斬りかかる。戦士は槍で突いた。年嵩の僧侶は防御術を施し、シーフはナイフを口に咥えたまま背後から魔獣を鎖で捉えた。魔獣を仕留めるチャンスだ。
そして少年がその絶好の機会に魔術を放った。しかし不発に終わった。明らかに前に出すぎだし、術も大雑把で拙い。
シーフが魔獣から振るい落とされ、怒り狂う牙から全員でなんとか逃げたものの、少年は悪気なく笑った。仲間に失敗を責められるが気にせず笑う。
仲間たちもやれやれといった様子で、やがて笑顔に変わった。

――様々な場面に切り替わる。少年を軸に、パーティとたくさんの場所に行って、たくさんの冒険をした。
少年は魔術が下手なうえにトラブルを起こしがちだった。でもパーティの仲間に助けられながら持ち前の明るさでついていった。
お調子者ながら、仲間のことが好きなんだということが、表情と態度でよく分かった。まるで家族のようなパーティだった。

――突然、見たことのある風景に変わった。
明けない夜の呪いを受けた街、ロゲッタス。パーティはいよいよそこに足を踏み入れた。
城の探索は困難を極めるという噂を聞き、彼らも果敢に挑むことにした。
少年は華やかな歓楽街に夢中だったが、パーティのみんなが行くというので渋々ついていった。

少年はここでも失敗の連続だった。そもそも術を簡略化させようとして横着するからだ。
威力は安定しない、場所もズレる、呪文詠唱すら面倒くさがる有様。それを仲間たちに何度も注意されているのに、笑ってごまかして直そうとしないのだ。
今が楽しければいい、何とかなるだろうという楽観的な態度の少年に、仲間の不満が積み重なっていくのを感じた。
三日にも及んだ城の探索は、それを増長させているようだった。

城の出口が見つからず焦りが募るなか、また少年のミスでパーティは追いつめられた。
逃げに逃げた先は、白い壁の行き止まりだった。

『なんだろ、この文字』

壁にかすかに書かれた字を見つけた少年は、指で当てずっぽうになぞった。
そうして現れたのは扉だ。うしろに迫っている魔物たちから逃げるために中に入ると、そこは書斎だった。
魔物も入ってこられない隠し部屋には数々の美術品や宝箱が積まれていた。
にわかに活気付くパーティの面々。だが、少年はそれよりも本棚に詰まった本の方に価値を見出した。
常闇伯爵が遺した魔術の本だ。
今は失われた古代文字魔術。何かに取り憑かれたように少年は本を読み漁った。読んで、読んで、寝食も忘れて古代文字の解読に没頭した。

そうしてどれくらい経ったか――ようやく我に返った少年は、書斎を見渡した。
そこには誰もいなかった。
仲間は誰一人おらず、宝箱も美術品も持ち去られていて何もなかった。
覚えたての文字魔術を使いながら一人で命からがら城から出てみれば、パーティのみんなはすでに街から出たあとだった。あれから三ヶ月も過ぎていたのだ。

――置いていかれたのだと知ったのは、そのあとだった。

少年は歓楽街で放蕩がいきすぎたあまり、城の潜入前にパーティを抜けたことにされていた。
城で隠し部屋を見つけたのは彼ら四人、伯爵の財宝を持ち帰ったのも彼ら、すべての名声は彼ら四人のものだった。

けれど少年は、財宝や英雄の名声なんてものはどうでもよかった。
ただ、彼らに置いていかれたことが悲しくて、胸が張り裂けそうだった。
どうしてそうされたのか、もう聞くことはできない。追いかけようにも彼らがどこへ行ってしまったのか分からなかったから。
やがて、彼らが国王から勲功を賜ったと人伝てに聞いた。他にも、方々で活躍しているという噂も――。

『いつか俺を迎えに戻ってくるかもしれない。だからそれまでに、彼らに恥じないような魔術師になろう』

彼らとの最後の思い出でもある城を隅々まで調べ、彼らが来ない日を指折り数え、術を鍛え、やがて恐れは増していく。
置き去りにされた理由を知ることが怖い。
記憶はあの日のままで知らないでいたほうがいい。ずっとここで燻っていればこれ以上傷つくことはない――そんな風に、少年は思い悩んだ。

少年の顔はやがて青年に変わった。
いつしか俺と彼の意識が渦を巻くように混濁して、青年の苦悩に俺まで押し潰されそうになった。

棄てられただなんて思いたくない。だってまだ彼らのことが好きなんだ。
彼らの背中を追いかける夢ばかりを見る。なのに、いくら手を伸ばしてもたどり着くことはない。
待ち続けて、続けたら、あとに何が残るだろう。

彼は、俺は――。



「ラーシュ……!」


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