16


不安定な浮遊感と強い立ちくらみで反射的に目を瞑った。
次に目を開けた時、周りの暗さに心臓が跳ねた。
まさかまた地下迷宮に逆戻りか?と不安になったものの、暗さに慣れた俺の視界に簡素な間取りの部屋が映った。本に描かれていた絵とそっくりの。

暗視魔術の効力が切れたんだろうか。
本能的に光を求めて窓に目を移す。そこから見えたのは青い月光が降り注ぐ夜空で、活気ある喧噪が外からかすかに聞こえてくる。
ふと目を落とすと、小さなテーブルの上に、真っ白なページが開かれた本が置かれていた。

続いて視線を巡らせる。見慣れた顔が揃っていた。クレイグも、エレノアも、ナズハもいる。
全員で『なにが起こったか分からない』って顔で、交互に目配せした。

「はーいみんなお疲れ様〜!無事、俺の家に着きました〜!」

緊張感のないラーシュの声で、本当に、なんだか、がっくりと肩が落ちた。
もっとこう、神妙にできないのかよ?わりと生死ギリギリのところからの帰還だったじゃねえか。
もう文句を言う気力もなく、全員で同時に顔を見合わせたら途端に顔が緩んだ。

「ふっ……ふふっ」
「くはっ……」
「ぶっ……ぷはーっはっはっ!」

一度吹き出したらもう、笑いが止まらなくなった。
クレイグは床に寝転がって腹を抱えはじめたし、エレノアはその場で足踏みしながらキャーキャー叫ぶし、ナズハは両手で口を押さえてころころ笑うし、俺はラーシュと肩を組んで大笑いした。
月明かりしかない暗い部屋で馬鹿みたいに笑っていると、ノックの音が響いた。応える前にドアが細く開いて、室内灯が点いた。
明るくなった部屋に顔を覗かせた人物を見たら、びっくりして笑いが引っ込んだ。
それは、朝、集合場所にラーシュが連れてきた美男の竜人だった。

「ラーシュ、帰った……?」
「うん。ただいま」

ラーシュと彼が一緒に住んでいることを匂わせるやりとりに重ねて驚く。
俺と同じことを思ったらしいクレイグが、無遠慮にラーシュにそのことを即ぶつけた。

「なんだこいつ、お前の彼氏かなんかか?」
「え?違う違う。彼、この家の大家さんね。ここ借りてんのよ、俺」

ラーシュの言葉に竜人の彼が、部屋に入ってきながら笑顔で頷く。
竜人の特徴は皮膚と尾にある。皮膚の背中側に金属に似た鱗が光り、尾てい骨から生えた太い竜の尾が垂れている。耳も爪も先が尖っていて長い。
多種族が共存する世の中で竜人はその見た目の格好良さで人気だし、特にこの人は、竜人の中でもかなりの美形だと思う。

「そんじゃ今朝、こいつのこと連れてきてたのは何でだよ?」
「書斎から直にこの部屋に戻ってきた時のためにね、俺以外のメンバーの顔を知っといてもらわないと困るから一緒に来てもらっただけ」

たしかに、急に家に現れた俺らを不審者や泥棒扱いされるのは困る。
すると竜人の大家は、キュッと顔をしかめて首を振った。

「今朝、じゃない……。二十日前……」
「二十日!?」

五人の声が揃った。
何をどうしたことか、城にいる間に二十日も過ぎていたらしい。
案内人のラーシュにとっても予想外の出来事だったそうで、彼は苦笑しつつうなじを掻いた。

「うーん、『伯爵の庭園』あたりで時間が飛んじゃったのかな。なんだかんだでやっぱり呪われてるね。まあ、二十日程度で済んで良かったって言うべきかな?」
「遅かったね……」
「ちょっと色々トラブルがあったんだよ。あーあ疲れた。しばらく案内業は休もうかなぁ」
「家賃は稼いで……」
「はいはい。も〜取り立て厳しいんだから、ハウバは」

ハウバと呼ばれた竜人は、ものすごいボソボソ声の片言で喋る。口の中でもごもご言葉を発するから聞き取るのが難しい。
小声でやりとりしていたように見えたのはこのせいだったのか。

それからラーシュが簡単に紹介してくれたのだが、若く見えた彼の歳はゆうに三桁超えで、相当昔からこのロゲッタスの街に住んでいるそうだ。
曰く、この家の一階はハウバが営んでいる店で、ラーシュはその二階と三階を借りてるらしい。俺らが今いる場所は二階だ。
大家と下宿人とはいえ二人はかなり仲が良さそうだ。
紹介のあとハウバがラーシュに向けてまたもごもご口を動かした。

「休憩は……」
「そーね、そこの三人に何か食べさせてあげてくれる?俺はこの子を休ませるから」

この子、と俺を指されてクレイグ、エレノア、ナズハが驚いた顔を見せた。指名された俺自身びっくりした。てっきり四人揃って宿に帰るもんだと思ってたから。
唖然としていると、ラーシュは俺の背中を軽く叩いた。

「アルド一人ではぐれた時に、魔物に精気を吸われちゃってね。三人より身体のダメージが大きいから、今日のとこは俺んちに泊まらせるよ。いい?」
「そりゃ、ラーシュんとこなら安心だけどよぉ」

安心って。今日一日でクレイグのラーシュへの評価が爆上がりだ。まあ俺も色々と見直したけど。

「いいんじゃない?クレイグと一緒じゃ地響きみたいなイビキがうるさくて、アルド休めないもの」
「んだとぉ!?」

エレノアの軽口にクレイグが尻尾を膨らませる。
ナズハに目をやると「そ、それでいいと、思います」とおっとり頷いた。
俺のほうも、今はとりあえず立っていられているが、移動せずにここに泊まれるというのは正直ありがたかった。

軽食の準備をすると言ってハウバが階下に降りていったあと、エレノアとの口喧嘩に飽きたクレイグがでかい溜め息を吐いた。
やつは懐の中から伯爵にもらったコインを出して目の前にかざし、下唇を突き出した。

「それにしてもよぉ、あんだけ苦労したわりに手に入ったのは銅貨一枚なんだもんな。この街の連中が行かねーわけだぜ。……おっ、そうだラーシュ!お前にお宝の分け前やるって約束だったよな?ほら、受け取れよ!」

クレイグがラーシュめがけて銅貨を指でピンと跳ね上げる。ラーシュはそれを空中でキャッチして「気前いいね」と喉で笑った。
一方エレノアは銅貨を「絵柄が綺麗」と言って喜んでいたし、ナズハもお守りとして自分の持ち物袋に大事にしまっていた。
俺だけ木のプレートだったわけだが、あとで紐でも通してナズハみたいにお守りとして持ち歩こうと思った。

ハウバに呼ばれてクレイグたちが下の階に行ったあと、俺は椅子に座らされた。

「アルド、お腹は空いてる?」
「いや……あんまり」
「そ。じゃあお茶だけ淹れるからちょっと待っててね」

ラーシュを目で追っていると、彼は杖を専用の棚に立てかけて薄汚れたローブを脱いだ。
ローブの下は袖のない衣服を着ていて、利き腕のほうに黒い模様が彫られているのが見えてドキッとした。初日に裾から少し見えた模様だ。
褐色の肌に描かれた模様は腕から伸びて服の下まで繋がっている。体のほうまで描かれてるんだと容易に想像できる。

一度部屋から出て階下に降りたと思ったら、ミルク壺を持って戻ってきた。
それから備え付けのキッチンで、ラーシュは円型の石板を棚から取り出して調理台に置いた。一般に流通している普通の調理用魔道具だ。
空の鍋に水と、何種類かの葉を選んでそこに入れた。
鍋を石板の上に乗せた途端に水が沸騰し、ツーンと鼻をつく異臭が部屋中に広がった。

「げほっ!ごほっ!くっさ!やべえ!何だよこの臭い!?」
「薬草ね。この街の近くにだけ自生してる、とっても元気が出る草」

元気になるか!?こんなので!?
薬草を煮出したやばい臭いの薬湯は、鍋から茶漉しを通してポットに移された。それをさらにカップに注ぎ、ラーシュは最後にミルクを足した。

どす黒い紫色だった薬湯は、ミルクが渦を描いて混ざった瞬間に薄茶色になった。そしてあのやばい臭いも消えて、ほんのり甘みのある香りに変化した。
……とりあえず普通のお茶っぽくはなったみたいだ。

「どーぞ。それ飲んで一晩ぐっすり寝れば回復するよ」
「マ、マジで……?」

半信半疑でカップに口をつける。
少しの苦味とミルクの甘さが絶妙に混ざり合ったそれは温かく、そして美味かった。
ホッとして肩の力が抜ける。

「どう?」
「美味い……。その……ありがとう、ラーシュ」

言ってから気づいた。
転びそうになったとき、スリに財布を盗られたとき、城で穴に落ちたところを受け止めてくれたとき、迷宮で探し出してくれたとき――彼に手助けしてもらった場面はたくさんあったはずなのに、今までまともに礼を言ってなかった。
ラーシュは特に気にしていないといった感じで肩を竦め、ただ、片目を瞑って応えた。


prev / next

←back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -