15


そのままお互いに黙り込んだ。不思議とその沈黙が苦にならない。
ラーシュの背に揺られながら迷宮を進んでいったが、ほどなくして彼が足を止めた。

「アルド、気分はどう?」
「だ、大丈夫だけど……」
「そっか。疲れてるとこ悪いけど、着いたから一旦降ろすね」

背中から降ろされたとき、妙に軽やかに足が地面についた。
どうやらラーシュの術か何かで、俺自身が軽くなってたか浮いていたらしい。彼から離れたらいつもの重さを全身に感じた。
そこでようやく周りを見る余裕ができた。
相変わらず石壁に囲まれた通路だが、行き止まりの空間に重厚で立派な扉があった。

「あれは?」
「さっき言ったでしょ。安全な場所。入ってみればわかるよ」

ここまで色々とあったせいで、疑いつつラーシュを横目で見た。牢屋の時みたいな罠は絶対嫌だ。
ラーシュもそんな俺の心情を察してくれたらしく、軽く肩を竦めたあとに率先して扉を開けた。

中は、夕暮れの庭園だった。
紺碧の帳が降りようとしている赤い空ーー二色の狭間には黄金色の眩しい夕陽があった。
庭園の周りには金色に照らされた森が広がっていて、爽やかな風が葉をさらさらと揺らしている。
夢みたいに綺麗な景色だった。……夢?

「ここも誰かの夢なのか?」
「そうだけどそうじゃない、かな」
「なんだよ、それ」

あやふやな返答をしつつラーシュが庭園を歩き出したから、つられて足を動かした。
気遣わしげに「自分で歩けそう?」と訊かれて決まり悪くも頷いた。彼に背負われている間に、俺の心も体もずいぶんと軽くなっていた。

真っ直ぐな歩道を囲むように細長い噴水が並んでいる。俺らが通ると両側から交互に水が飛んでアーチを作った。
歩道の真ん中には特大の円形噴水があり、水が複雑に形を変えながら踊り、輝いていた。その涼しげな水音が耳に心地いい。

刈り込まれた植え込みも咲き乱れる花々も黄金色に染まって華やかだ。
こんなに綺麗な場所は見たことがない。景色すべてが夕焼けに映える。
城前の庭園のはずだが、今まで見たどれとも雰囲気が違う。おそらく、今見ているこれが、過去にあった正しい姿なんだろう。
ーー黄金城。大噴水の向こうにそびえる優美な城は、金色の夕陽に照らされて、まさにその名の通り黄金の城と呼ぶに相応しい荘厳さだった。

円形噴水に沿ってぐるりと回り込み、途中で歩道を曲がるとその先に瀟洒な東屋があった。そこに豪華な丸テーブルと椅子が置かれている。

「アルド!!」

みんながいた。クレイグも、エレノアも、ナズハも――!
戦闘の末のボロボロの有様だが、大きな傷もなく全員無事だ。
やつらは俺の顔を見るや否や、椅子を蹴飛ばして走ってきた。

「アルド〜〜!」

エレノアが真っ先に俺に飛びついてきた。と思ったら三角耳をピンと立てたクレイグにエレノアごと持ち上げられて爪先が浮いた。遅れて背中からナズハがしがみついてくる。

「お、お前ら、無事だったんだな」
「アルドこそ!一人だけいなくなっちゃったから、あたしたちっ……す、すごく心配したんだから……!」

エレノアが涙ぐみながら俺の顔を両手で挟む。
「どこ行ってたんだよぉ馬鹿野郎!」とクレイグも鼻をすすりながら頭をしきりに擦り付けてくるし、ナズハは「よ、良かったですぅぅ」としゃくり上げて泣いている。
たしかにみんなだ。それを確認してホッとした。
ひとしきり再会の感動に浸っていたが、ラーシュの視線を感じて恥ずかしくなったからやつらを引き剥がした。

「それよりヴォジャイドは?俺がいなくなったあと何が起こった?」
「それがね……」

エレノアが説明をはじめる前に、木陰の向こうからサービングカートを押したメイドが姿を見せた。小綺麗で若い女だ。
そしてその傍らに、身なりはいいが血色のすこぶる悪い男がいる。男は品のいい口髭を生やした、逞しい体つきの青年だった。

「……マリアネル?」

俺の問いかけにメイドはピクリとも動かなかった。でもその顔はマリアネルだ。書斎で見た姿より陰気な表情はしてないし、なにより舌に穴も空いていないが。
どういうことか状況が読めなくて思わずラーシュに目をやると、彼は前に進み出た。そして両腕を広げて青年に向けて恭しく膝を折り、頭を下げた。同時に何か声をかける。聞いたことのない言語で。
それから俺たちに向き直って、ラーシュは明るく笑った。

「この人ね、常闇伯爵だよ。お城の主人」
「はぁぁ!?」

クレイグが馬鹿でかい声を上げたせいで木々から小鳥が飛び去った。
エレノアは両手で口を押さえ、ナズハは丸い目をこれでもかと大きく開いた。
俺も俺で絶句して、開いた口が塞がらなくなった。

「ど、どうして……」
「ヴォジャイドの爺さんにやられる寸前にね、伯爵の魂が起きたんだよ」
「起きた?」
「そう。伯爵が目覚めると、この庭園が開く。そうすると城中の亡霊も魔物も、みんな強制的に眠りにつくんだよ。もちろんヴォジャイドもね。だから俺たちは間一髪助かったってわけ」
「そ、そうだったのか……」

どうやら戦いの最中に聞いたあの鐘の音が、伯爵が目覚めた合図だったらしい。
あのとき、俺だけ四人と離れた場所にいたせいで迷宮に一人取り残されてしまったんだとか。それをラーシュが探し出してくれたんだ。

「あれ?城中の魂全部って、マリアネルは?」
「うん、その子は例外でね。伯爵の乳母の娘で妹同然だからか側仕えを許されてるみたいね」

乳兄妹か……だから使用人とはいえ、隠し部屋なんていう伯爵の私的な場所にいたってことなのか?
呪いでおかしくなっていた彼女は、今は控えめで理性的な女性に見える。
当の伯爵はというと、ぼんやりした目でこちらを見ていた。当たり前だが生気は感じられない。でも邪悪なものも感じなかった。
本当に神の怒りを受けた身なのかと疑うほど、彼を取り巻く空気は穏やかだ。

「おうおう、あんたが伯爵か!ちょうどよかった!オレらあんたの財宝を探してんだ。宝物庫の場所、教えてくれよ!」

物怖じとか遠慮って言葉を知らないクレイグが伯爵に鼻息荒く近づく。
すると伯爵はクレイグをちらりと見たあと、空気の漏れたような幽かな声でラーシュに何かを言った。ラーシュも短く応える。
これってもしかして当時の言葉――古代語なんじゃないか?伯爵は古代語しか話せないのかもしれない。ていうかそれを普通に話してるラーシュもすげえな。

「伯爵がね、城の者が迷惑かけたお詫びにお土産をくれるって」
「お宝か!?」

クレイグが喜色満面でピョンと跳ね上がる。本当は土産なんてものいらないし、こうして無事に全員会えただけで儲けもんなのにな。
マリアネルが、サービングカートに乗っている銀製の箱の蓋を開いた。それを両手で持ち上げて、伯爵の前に恭しく差し出す。
伯爵は、箱の中のクッションに置かれた小さな銅のコインを一枚、クレイグに手渡した。

「ど、銅貨ぁぁ!?せめて金貨っ……」
「文句言うんじゃないわよ!バカ!」

エレノアがクレイグを小突く。
伯爵は続けて、エレノアとナズハにもそれぞれ同じ銅貨を渡した。そしてサービングカートを押すマリアネルを伴って、俺とラーシュの前に立ったのだった。
噂の常闇伯爵が目の前にいると思うと緊張して背筋が伸びる。

「×××××、×××、××××××……」
「えっとね、『相応しい者に授ける』だって」
「どういう意味だ?」
「さあ?」

真意を測りかねたが、伯爵が自分の懐から何かを取り出したから慌てて両手を差し出した。
それは、素朴な木彫りの丸いプレートだった。掌に収まる大きさのそれを受け取ったが、手触りも重さも普通の木だ。けれど、鷲の図柄が彫られたそれに心惹かれた。
伯爵が重ねて何か言うのをラーシュが頷いて返す。それからマリアネルは、カートの下段から銀盆を取り出して覆い布を取り払った。
そこに乗っていたのは本だ。マリアネルに真っ二つにされたはずの、ラーシュの本だった。

「あれっ、直してくれたの?ありがとう!え、直したのは伯爵?そっかそっか」

無表情だったマリアネルが、ほんのちょっとだけ気まずそうに唇を尖らせた。その様子は、失敗を隠したがる普通の女の子という感じがした。
それから伯爵は二、三言なにかを言って、東屋のテーブルを指した。
いつしか周りは暗さを増して、太陽が森の向こうに隠れそうになっていた。

「伯爵はまた眠りにつくって。そうなったらこの庭園も閉じる。だから今のうちに城から出たほうがいいってさ」
「え、そしたらその本はここに置き去り?」
「マリアネルがまた書斎に戻しといてくれるよ。ね?」

こくりと小さくマリアネルが頷く。
クレイグ、エレノア、ナズハ、俺、ラーシュで東屋の下のテーブルを囲んだ。伯爵とマリアネルも傍に立ち、俺たちを見守っている。
本を開いたラーシュが呪文を唱える前に、俺は、伯爵に問いかけた。言葉が通じないと分かっていても聞かずにはいられなかった。

「伯爵は――あなたは、この夜の呪いが解ける日が来るのを、夜明けが訪れるのを願ってる?」

通じないと分かっていた。けれど、伯爵は俺をまっすぐ見つめながら静かに微笑んだ。

「垂れ幕を降ろす鍵を持つ者」

ラーシュの声が聞こえた瞬間、沈む間際の夕陽もかき消えた。
――何故だろう。
消える寸前の伯爵の顔は、どこか満ち足りたような、優しい表情をしていた。
そして景色が変わるその一瞬、大きな羽ばたきとともにピィィィと空高く響く鳥の鳴き声が、聞こえたような気がした。


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