14


――目を閉じたのはほんの数秒だったと思う。
頬にひやりとしたものが触れたことで、驚いて瞼を押し上げた。

「……ラーシュ?」

目の前にいたのは、たしかにラーシュだった。
白いローブ、ストロベリーブロンド、そして褐色の肌――その特徴的な姿は、いくら寝ぼけまなこだろうと見間違えるはずがない。
彼は跪いたまま、俺の頬に片手を添えながら微笑んだ。

「ラーシュ!」

ようやく仲間の一人に会えたことと無事な姿を見られたことが嬉しくて、思わず正面から抱きついた。
体温が心地いい。腕に力をこめてもっと強く抱きしめた。
緩く抱き返されると、さすがにちょっと照れくさくなって離れた。

「なあ、どうやってここに来れたんだ?他のみんなは?無事なのか?」

俺の問いに答えず、ラーシュは顔を近づけてきた。
頬に彼の唇が優しく触れる。再会の挨拶にしたってこれは恥ずかしい。

「ラーシュ。なあ、ラーシュ……?」

笑って押しのけようとしたが、彼の手で頭を固定された。
そしてそのまま、ラーシュの唇が俺の唇に重なった。

「……っ!」

いま起きていることがにわかに信じられず、目を瞠った。
唇がさらに深く重なる。むしろ塞がれたといったほうが正しい。
ところが悪いことに、怖気よりも気持ち良さが勝った。

「ラー、シュ……」

気持ちいい、すごく。キスってこんなに気持ちいいものなのか?
力が抜ける。頭の中がぼんやりして何も考えられない。そしてあろうことかまた眠くなってきた。
瞼を閉じる寸前、ラーシュが唐突に離れていった。

「やーっと見つけた」

ラーシュの声がして、ぼやけた目で見上げた。
なんと、そこには彼が二人いた。ラーシュの襟首を掴んでいるラーシュだ。なんだか混乱する。

「ラ、ラーシュ……?」
「大丈夫?アルド」

襟首を掴んでいるほうが俺を覗き込んでくる。掴まれた方はキーキーと耳障りな甲高い声を上げた。
呆然とその様を見ていたら、熟しすぎた果実のような甘ったるい香りがどこかから漂ってきた。

「無駄だよ、俺には幻惑は効かない。ね、夢魔ちゃん」

あとから現れた方のラーシュはそう言って、キーキー言ってる方のやつの額に杖先を触れさせた。
夢魔と呼ばれたそいつの額に何かの文字が浮かび上がる。直後、霧のようにその姿がさあっと消えていった。

「あらま、逃げられちゃった」
「……ラーシュ?」

壁に寄りかかりながら、一人になったラーシュを見上げる。
彼は目の前にしゃがみ込むと、汗まみれの俺の額に手を当ててきた。

「アルド、俺の声聞こえる?」
「あ、ああ……うん」
「良かった。今のはね、アルドの知ってる人の姿に見えたかもしれないけど、夢魔だよ」

夢魔。噂には聞いたことがある。力の強い魔物でめったに遭遇することはないが、人にありもしない幻覚を見せるという。

「夢魔は人の記憶を読み取って、その姿の幻を見せるからね」
「……ラーシュ、だった」
「俺?そっかそっか。ちょうど精気を吸われてたとこだったし危なかったね」

何故かニヤつきながらラーシュが俺の頭を撫でる。
そうか、いま全身に力が入らないのは口から精気を吸われたせいなのか。
……ん?ていうか今の、魔物とはいえラーシュとキスしてましたってバラしたようなもんじゃねえか。
うわ、気まずい。いや、あれは単に捕食されてただけだからな。
俺の複雑な心境はさておき、ラーシュはこの空っぽの部屋をぐるりと見回した。

「あの夢魔は地下迷宮を根城にしてるんだろうね。夢の部屋が点在してたから、もしかしてって思ってたんだけど」
「ラーシュ、どうやってここに……」

聞くと、彼は俺の片手をすくい上げた。そうされると俺の手の甲に、ほんのりと光る文字が浮かび上がった。

「お城に入る前にみんなに付けといたのよ。追跡魔術。万が一はぐれても、これを辿れば見つけられるようにね」

言われて、「おまじない」と称して手の甲に杖を触れさせられたことを思い出した。
ふざけたこともするが、ラーシュは魔術師として何だかんだいって有能なんだということを実感した。
それと、こんなことが出来るのは魔物じゃなく正真正銘の本物だという証拠でもあって、より安堵が増した。

「みんなは?」

一番気になっていたことを聞けば、ラーシュは含み笑いをした。

「みんな無事だよ。ヴォジャイドももういない。今は安全な場所で待機してる」
「安全な場所って……」
「アルドもそこに連れてくから――立てる?」

悔しいが歩けそうになかった。精気を吸われたせいもあるが、もうとっくに疲労の限界だったから。
しかしそのことをからかわれたりはしなかった。かわりにラーシュは背を向けて俺の前で片膝をついた。背中を貸してくれるのだとわかると、妙な照れ臭さで少し笑ってしまった。

ラーシュに背負われて視界が浮く。
彼の背中は思ったより広く、おまけに尻の下に杖が支えとして通されていたから安定感があった。
偽物じゃない人間の体温は、さっきとは比べ物にならないほど心地良かった。
こんな風に誰かに背負われるのは子供の頃以来だ。
ラーシュの肩に寄りかかり、頬をすり寄せた。目を閉じると故郷の潮騒が聞こえてくるような気がした。
そのままウトウトしていたら、ラーシュが静かに話しかけてきた。

「みんなに聞いたんだけどさ、アルドがパーティのリーダーなんだってね」

突然変な話をされて、ぼんやりしていた意識が少し引き戻された。

「……リーダーってわけじゃないけど、パーティ行動の判断は俺が決めることが多いな」
「ちょっと珍しいよね。だいたいリーダーっていったら剣士とか前衛か、経験積んだ年長者とか、戦える人になりがちじゃない?戦力と発言力がイコールになるっていうのかな。だからはじめはクレイグがリーダーなのかなって思ってたんだよね。で、本人に聞いたら違うって言われてね」

エレノアにもナズハにも同じことを聞いて、同じ答えが返ってきたそうだ。
幼なじみの俺たちにはリーダーっていう意識はない。ただ、俺には三人とは決定的に違うことがある。だからその分、行動の決定は俺が担うことにしている。

「……俺には責任があるから」
「責任?」
「あいつらを故郷から連れ出した責任」

短く言えば、ラーシュは口を閉じた。
二人きりの地下迷宮では、自分の心の内に秘めたものを曝け出してもいいような気がした。

「――俺の親父は漁師でさ、海で魚を獲って暮らしてたんだよ。だけどある日、漁に出た父さんの船が突然の大時化に見舞われて……帰ってこなかった」

その大時化は、外洋で暴れた海の怪物が原因だとあとで知った。
ほどなくして母親も病気で亡くなり、子供の俺だけが残された。同じ町に住んでいた遠縁の家に引き取られたが、彼らはあまり裕福ではなく、邪魔者扱いされ居心地の悪い思いをしていた。

毎日毎日、父さんの帰りを待った。
眠れずに夜が明け、水平線の向こうから日が昇る瞬間を見て何度泣いたか分からない。
帰らない人を待つことがつらかった。だからあるとき決意したんだ。こんな思いをするくらいならいっそ探しに行こう、と。世界中どこへでも――。

父さんは波に飲まれてとっくに死んだ。そんなのは分かってる。
でもどこかで生きているかもしれない。その可能性だってゼロじゃない。

そんな思いは日に日に膨らんで、俺は、冒険者になろうと決めた。ナズハの両親が元・冒険者で、その話を何度もせがんでは彼らから聞いてたし、色々と教えてもらっていたから。
そのための準備もした。旅の資金は、ガキが働いたところでたいした稼ぎにはならなかったが、親戚の家に渡す金とは別に少しずつ貯めた。

そうしてある日、『町を出て冒険者になる』と幼なじみたちに話したら、やつらも一緒に行くと言い出した。
特にクレイグは家業の手伝いにうんざりしていて、渡りに船とばかりに乗り気だった。
エレノアは俺を心配して誰より親身になってくれた。
そしてナズハは、俺のあとをついていくのが当然で正しいと考えていた。

もちろん断ったし一人でこっそり故郷を出るつもりだった。
なのに幼なじみってやつは侮れない。
やつらはちゃっかり先回りして町の外で俺を待っていた。――本音を言うと心強かったし、嬉しかった。

その時から俺にはあいつらに対して責任があるんだ。
俺が冒険者になるなんて言わなければ、三人は平和な港町でずっと暮らしていたはずなんだから。

あいつらに助けられてばかりの弱い俺だけど、それでも冒険者として生きていく。
もう待たない。自分の足で世界を見に行くんだ。父さんがどこかで生きていると信じて――。

来ない人を待ち続ける苦しさは知っている。そのせいで常闇伯爵の話は他人事に思えなかった。
とはいえ半端な同情の挙げ句、こんな情けない結果になっているわけだが。

ラーシュの背中で、途切れ途切れにそんな話をした。クレイグたちに話していないことも。
彼は時折相槌を打って、笑わずに最後まで聞いてくれた。そうしてぽつりと、こう言った。

「責任なんて言うけど、みんなはそんな風にきみ一人に背負わせようとしてないと思うよ」
「…………」
「アルドのことを信頼してるからこそ、自分たちの意思で、きみの決断を受け入れてるだけなんじゃないかな」

俺にはそう見えるよ、と優しい声が耳に入ってくる。急に喉の奥が詰まってしまって、俺は応えられなかった。
しばらく黙り込んだラーシュだったが、やがて独り言のように口を開いた。

「待つのもつらいけど、探しに行くことはそれ以上に勇気がいるよ」
「……かもな」
「知らないままでいたほうが楽だし、確かめるのは怖いからね。……だから、俺にはそれが出来ないんだ、ずっと」

『俺には』?
ラーシュも、帰らない誰かを待ち続けたことがあるのだろうか。もしかしてそれは、今この瞬間も――。

「――アルドは強いね」

不意に滲んだ涙は、ラーシュの白いローブに吸い込まれていった。


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