12


肉切り包丁が振り下ろされると、床がガラガラと崩れた。
崩れた穴から真っ暗な闇に落ちる。底が見えず、どこまで落ちるのか分からない恐怖に震えた。地面に叩きつけられて潰れるのも嫌だ。
数秒先か今すぐかと怯えていたら、ラーシュが杖で何かの文字を描いた。そこから光の糸が瞬時に編まれる。
俺の体は光の網に受け止められ、地面激突という最悪な最期は避けられた。
それでも落下の衝撃はあり、どこかに落ちたときに咄嗟に目を閉じてしまった。

「って!」

寝転がったままおそるおそる目を開くと、俺の下にラーシュがいた。どうやら魔術の網に絡め取られたとき、一緒に落ちた彼を下敷きにしてしまったらしい。
それにしたって抱き合う格好になってるのはどうしてだ。

「アルド、怪我はない?」
「あ、ああ」

前髪を指先で払われ覗き込まれる。
ラーシュの目は透明感のある淡い青色をしていた。しかも下半分は金色に滲んでいる。朝焼けに似たその色合いに、胸がざわついた。
しかしなぜか尻を撫でられたことでざわつきは霧散した。ぞわぞわと背中に悪寒が走る。

「な、何やってんだよ」
「そこにあったから何となく?」

何となくで撫でられる俺の尻がかわいそうだ。見境なしかよ。ていうかふざけてる場合か!
受け止めてくれた礼を言う気も失せ、ラーシュの上からさっさと退く。
そのときクレイグが持ち前の身体能力でくるりと一回転してから着地した。空を飛べるエレノアは小柄なナズハを抱えて、ちょっと重そうにしつつも優雅に降り立つ。
全員の無事を確かめたあと俺は、落ちた拍子に床に散らばった矢を拾い集めた。
矢は残り数本で、魔術矢に至ってはあと一本しかなかった。

「あークソッ!今度はどこだよ!?」

クレイグのイライラした怒鳴り声が響く。
やつの言う通りで、俺たちがいるのは夜よりさらに暗い、窓すら見あたらない通路だった。
冷えた空気が澱んでいる。そして暗視魔術でも通路の先を見渡せないほどに、真の闇に包まれていた。

「これは地下迷宮だね」
「それってさっき言ってた――」
「うん。マリアネルに落とされたみたい。まあ、あの子は上からの命令に従っただけだから」

側近ヴォジャイドの仕業か。
石壁に囲まれた通路は光も音もない。生命の気配も。閉じ込められたと考えて良さそうだ。

「抜け出せる策はあるのか?ラーシュ」
「どうかなぁ。なんせ俺も地下は初めてでさ」
「マジかよ……」

とうとう案内人という肩書きも怪しくなった。

「一応ね、書斎にあった城内記録の、地下牢についての記述はさっき読んだんだけど」
「城内記録?」
「神の怒りを受ける前のね。こんなんになってても所詮ベースはそこだから、何かしらの手掛かりはあるはずなんだよ」

曰く、元の地下にあったのは貯蔵庫、宝物庫、牢獄、納骨堂だそうだ。もちろん、呪われた迷宮に様変わりした今はどんな風になっているかは分からない。
それを聞いてクレイグがさっそく「宝物庫!?」と目を輝かせる。懲りないやつ。

「よっしゃ行こうぜ!うまくいけばオレらも英雄になれるかもしんねえぞ!」
「はぁ、そのポジティブさが羨ましいわ……」

エレノアが顔を手で覆って溜め息をつく。そうしながらも気を取り直したらしく、石の通路を歩き出した。ナズハもそのあとを嬉しそうについていく。
そうだ、俺たちはその行動力にいつも引っ張られてきた。何だかんだいって結局、クレイグの前向きさがパーティの原動力だ。
幼なじみだから憎まれ口も叩くが、どうあっても大事な仲間に違いないし、一緒にいると活力が湧いてくるんだ。
絶望感で身動きできなくなりそうなこういう時こそ、その明るさに救われる。

「きみたちは仲がいいね」

そう零したラーシュは眩しそうに目を細めた。
その表情に何か含みのあるものを感じて、ちょっとだけ動揺した。

「……まあ、子供んときからの付き合いだから」
「そういうのいいね。俺も――」

言いかけて、ラーシュは緩く首を振った。
ラーシュだって以前はパーティを組んでいたはずだ。英雄パーティはどうだったんだろう。どういう人たちで、どういう雰囲気だったんだろう。
気軽に聞くのも憚れて、前方に視線を戻した。


通路を進んでいくと、いくつか分かれ道にぶちあたった。そのたびラーシュが謎の文字を壁に残し、クレイグの鼻をたよりに道を選んで進んだ。
魔物の気配はない。けれど、静かで寒い通路がひたすらに伸びている。
休憩するときはラーシュに携帯食料を分けてやった。書斎から帰れる自信があったからか、彼は杖以外手ぶらだった。
こういう不測の事態の時は助け合うのが冒険者の性質なので、俺らは別にそのことを責めたりしない。
ただ、ラーシュが何かを懐かしむように携帯食を食む姿を見ていたら不思議な思いに駆られた。

それからどれくらい進んだか――ようやく、通路のつきあたりに扉を見つけた。罠という可能性もあるが、変化のない通路の景色は飽き飽きしていた。

「どうする?アルド」
「このままじゃ埒があかないし、入ろう」
「おう、オレが先に入るぜ!」

慎重なエレノアを庇うようにしてクレイグが戸を押し開ける。果たして何が待ち構えているのか――。
中は、昼間の庭園だった。空は青く晴れ、風まで吹いている。そして止まり木があった。
二日ぶりの日差し。それは、夜に慣れた目には痛いほどの光だった。
外に出られた?と一瞬期待したが、ロゲッタスに太陽が昇るはずがない。

「何なんだここ。ラーシュ、分かるか?」
「うーん……昔の庭園の再現、かな。城の誰かが見てる夢じゃないかなぁ」

たしかに、城内に入る前に横切った庭園に似ている。手入れすればこんな風になるだろうって感じそのものだ。庭の先に城は見当たらないが。
眠りについた魂が見ている夢、ね。そこに迷い込んだってことか。
庭園はそれ以上変化もなく、日差しが眩しすぎることもあって次の扉を探した。現実では城があるはずの場所に扉だけがぽつんと立っていた。

また石壁の通路に戻ると、変な話だがちょっと安心した。あのまま閉じ込められるかもしれなかったしな。
少し歩いたところに、次はドアがふたつ立ち塞がった。片方を開けてみたところ、そこも『ハズレ』だった。雨がしとしと屋根を打つ朝の厩舎だ。
今回は引き返したが、入らなかった方のドアは消えていた。

地下迷宮は、そうして誰かの夢が点在していた。
人はおらず、風景だけを切り取ったようだ。栄華を誇ったという面影はなく、黄金もなければ芸術品もない。どうということもない素朴な風景ばかりだ。
やがて、のどかな部屋続きに飽きたらしいクレイグがでかいあくびをした。

「ふぁぁ……ん?なんだありゃ」

角を曲がった先に、少し開けた場所に出た。
そこに、今までとは違う大きめの両開きの扉があった。
漏れ出す禍々しい空気にエレノアが翅を震わせる。

「これって――」
「誰かの夢じゃなさそうだね」

ラーシュのその言葉で緩んでいた気が引き締まった。
クレイグの毛がブワッと逆立つ。ナズハも符を握りしめた。
俺も、弓に矢をつがえて扉を睨みつける。

「開けるぞ、お前ら」

斧を構えたクレイグは、重たい扉を押した。


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