11


ラーシュはいくつものドアを開けては駆け抜けた。
馬の首が飛び交う大広間、黒い雨が降る回廊、拷問器具が置かれた調理場――。
空間が歪んでいるのか、脈絡も規則性もない間取りだった。にもかかわらず、道を知っているかのように走っていくラーシュ。そんな彼のあとを、俺たちは必死に追いかけた。

襲い来る魔物どもを退けるラーシュの魔術は、最初みたいに短い呪文を発していた。魔物の型に合わせて氷礫や雷撃など多彩に操る。
ラーシュひとりで捌き切れないときは俺らもそれぞれ迎え撃った。

俺の矢ももう尽きかけてきた頃、真っ白な壁が俺たちの前に立ちふさがった。行き止まりだ。
ところがラーシュはその壁を掌で軽く撫でた。
驚いたことに、その動きに合わせて壁の表面に光を帯びた文字が浮かび上がり、ドアが出現した。そうして彼の手で、その片側が開かれた。

――部屋の中は柔らかい蝋燭の光に照らされていた。
次はどんな化け物が来るかと武器を構えていたのだが、それは訪れなかった。
普通の、静かな部屋だ。
本棚に囲まれた室内はそう広くない。けれど立派な調度品の数々は格式と歴史を感じさせた。

「ここならとりあえず安全だよ。ちょっと休憩しよ」

ラーシュの言葉に俺ら全員が脱力した。息が切れて苦しい。
部屋の中央にソファーとテーブルが備え付けてあって、ラーシュに一応聞いたら座っても問題ないと言われた。

「なあラーシュ、ここは?」
「伯爵の書斎だよ。きみたちの言葉で言うなら『常闇伯爵の隠し部屋』かな」
「隠し部屋っ!?」

手足を投げ出して床に寝そべっていたクレイグは、その言葉を聞くや否やピョンと跳ね起きた。

「お宝!!お宝はどこだ!?」
「ちょっと待ちなさいよクレイグ。……隠し部屋って、十年前に英雄パーティが発見した場所よね?それをどうしてラーシュが知ってるの?まるで、ここまでの道順を知ってたみたいだったわ」

エレノアの疑問に俺も同じことを思った。得体の知れない男だとは感じていたが、ますます胡散臭い。
杖を振って暖炉に火をつけたラーシュは、口角を釣り上げた。

「だって、十年前にここを見つけたのは俺だもん」
「……は?」

予想外すぎる言葉に、俺たちは揃って唖然とした。
パチパチと爆ぜる暖炉の前でラーシュが肩を竦める。

「まさか、え、英雄のパーティの一員だってこと?ラーシュが?」
「正しくは『だった』だね。抜けちゃったのよ、十年前に」
「なんで――」

ラーシュへの疑問を投げかけたとき、燃え盛る暖炉の中から人が這い出てきた。
メイド姿の小綺麗な若い女だ。しかし顔が病的に青白く、世界中の不幸を背負ったような陰気な表情をしていた。
彼女がべろりと長い舌を出す。顎の下まで伸びた舌には大きな穴が空いていた。
新たな魔物かと身構えた俺たちを、ラーシュが手で制した。

「大丈夫、その子に敵意はないよ。味方でもないけどね。――マリアネル、今日は誰が起きてる?」

マリアネルと呼ばれた陰気なメイドは、舌を引っ込めて濁った目で俺たちを見た。

「ほ、ほん、本じつじつじつ、ゴーブルッッット様、サ、サ、サヴェン卿、ヴォ×××イド様、がおめおお目覚めです、すす」

ものすごく聞き取りにくいが彼女は会話に応じた。
俺には意味が分からなかったが、ラーシュのほうは眉をひそめて軽く舌打ちした。

「よりによってヴォジャイドか。今日に限ってついてないね」
「その、ヴォジャイドって何なんだよ?」
「伯爵の側近。城では伯爵に次いで権力がある爺さんだよ。とっくの昔に死んでるけどね」

ラーシュの言っている意味がよく分からずに四人で生返事していたら、追加で説明してくれた。

「かつてこの城に住んでた者たちの魂は普段眠ってるんだけどね、日によって誰かしらが目覚めるわけ。それによって城内のどの部屋が出現するかが変わるみたい。神の怒りを強く受けた――つまり、伯爵に近しい者ほど目覚める頻度は低いかわりに、そいつらが起きてる時は魔物の力も増すんだよね」
「……で?」
「で、側近ヴォジャイドの魂が起きてるときは最悪。礼拝堂と地下迷宮が開く」
「地下迷宮……」

不吉な単語だ。
つまりさっきの呪われた礼拝堂も、そのヴォジャイドって爺さんの魂が目覚めたから城に出現したってことか。
日によってマップが変わるなんて思った以上に凶悪な場所だ。冒険者にとっては厄介以外のなにものでもない。

「ち、ち、おぢゃ、茶茶茶茶……」

マリアネルがいつのまにかサービングカートを押してきて、テーブルにカップを並べた。匂いのない紅茶がそこに注がれる。
「飲まないほうがいいよ、毒だから」とラーシュの注意が飛んできた。

「俺はちょっと調べ物するから、みんなは何かお腹に入れておきなよ」

ラーシュはそう言って、書斎の奥の部屋に消えていった。
戦闘の間についた傷をナズハの術で癒したあと、俺たちは携帯食料を取り出してそれぞれ食べはじめた。
分厚い干し肉を牙でむしり囓ったクレイグは、やけに真剣な顔で咀嚼した。

「なあ、あいつが言ってたのってマジの話だと思うか?」
「あんまり信じられないけどね。だって英雄パーティよ?そんな伝説的な人たちの元一員がここにいて、なんで城の案内人なんて道楽みたいなことしてんのよ」

エレノアも、懐疑たっぷりの言い草で果物の砂糖漬けを口に含む。
俺は燻製チーズとパンを水で腹に流し込んだあと、堅焼き菓子を頬張っているナズハに問いかけた。

「なあナズハ、お前さっき『文字魔術』とかなんとか言ってたよな。それってラーシュが使ってた術のことか?」
「あ、えと、たぶん……」

菓子をごくんと飲み込んだナズハは、おずおずと話しはじめた。

「わ、私の巫術も文字魔術のひとつ、なんですが、ラーシュさんが使ってたのはもっと、ずっとレベルが違います」
「レベルって……」
「あの、私の術は専用の符に特殊なインクで、文に意味を持たせてって、色んな手順を踏んで、それでやっと使えるんです。でもラーシュさんのは、文字そのものに力があるんです。だから、本来なら呪文も必要ない、くらいで……だと、思います」
「ほぉん?違いがよくわかんねーけど、それって難しいのか?」

クレイグの言葉にナズハがこくこくと頷く。

「そ、相当熟練しないと使え、ないはずです。あの、手順を省くってことは、それだけ跳ね返りも大きい、ですし。それに、ラーシュさんが使ってる文字は……むっ昔の、神様に近づいた時代の文字、みたいな感じがしました」

はっきりとは読めませんでしたが、とナズハが畏怖を含んだ口調で唇を震わせた。
古代文字の魔術、か。
むしろそれだけの使い手なら、英雄パーティを抜ける意味が分からない。ロゲッタスで夜遊びがしたいからとかいう理由なら納得できるが。
なんとなく黙ってしまった俺たちだが、クレイグが尻尾の毛づくろいをしながら沈黙を破った。

「そんなこたぁ今考えてもしょうがねえ。んで、これからどうする?隠し部屋の話が本当だったっつうことはだ、探索続けてりゃ他の財宝も期待できそうじゃねーか?」
「あたしは反対。ラーシュのあの感じだと、今の状況はかなり危ないってことよね。礼拝堂みたいなのはもうごめんだわ」
「わ、私は、どっちでも……」

三人の視線が俺に集まる。顎に手をあてて少し考えたものの、ほぼ決まっていた俺の考えを口に出した。

「今は城から出よう。財宝を探すにしても、もう少し態勢を整えて出直したほうがいいと思う。つーか元からそういう話だったろ」

クレイグの非難があがったが、みんなのことを考えれば妥当な判断だと思う。
そうして話のキリのいいところで、案内人が姿を見せた。

「ラーシュ、これ以上は俺たちの備えじゃ無理だ。案内はここまでで、今すぐ城を出たい」
「はいはい、了解。じゃあすぐ帰ろうね」
「ってまさか、来た道また戻るとか言わねえだろうな!?」

クレイグが唾を飛ばしながらがなると、ラーシュは朗らかに笑った。

「まさかぁ。そんな必要ないよ。この部屋は俺の家に繋がってるからね」
「はっ?えぇ?」
「ここは俺の秘密の隠れ家でもあるんだよ。だから魔術で繋げてあるの。書斎からの一方通行だけどね」

あっけらかんととんでもないことを言ったラーシュ。一瞬耳を素通りしたが、反芻してようやく意味を理解した。
案内人とかいって余裕だったのはそういうことだったのか。ーーいや最初からそう言えよ!

さっさと城から出られるという安堵から、俺たちは口々にラーシュを罵った。ラーシュはそれを受け流して愉快そうに笑いつつ、本棚から一冊の本を取り出した。
彼は、革製の表紙を開くとそれをテーブルの上に置いた。見開きのページに絵が描かれている。シンプルな造りをした部屋の絵だ。

「――垂れ幕を降ろす鍵を持つ者」

何が起こるのかと、全員で本を囲んでじっと見つめる。しかし風景は依然書斎から変わらず、再びラーシュを見やった。
ラーシュも「あれ?」って顔で今の呪文をもう一度繰り返した。……が、何も変わらず。

「ん〜?どうしたんだろ?」
「何かトラブルか?」

俺の問いかけにラーシュが首を傾げる。
すると突然、俺とラーシュの間にマリアネルが顔をぬっと割り込ませてきた。

「うわっ!」
「なあにマリアネル。今ちょっと取り込み中――」
「ゲッ、ゲッ、ゲスト様に、ごぼご報告いたししします。ヴォ×××イド様のご命令によよりより、しっ城ろは閉じられましたぁはぁぁ」

穴の空いた長い舌をべろべろと動かしながらマリアネルが喋るーー俺らにとって絶望的な内容を!

「つきましましては、ば晩餐のしゃしぇっ、しょぐっ食材とぉぉおなりぐだざい、ゲッゲッ、ゲスト様ぁぁゲッゲッゲッゲッ!」

隣にいたクレイグに腕を引かれてうしろに跳んだ。それと同時にテーブルめがけて血に濡れた肉切り包丁が振り下ろされた。テーブルごと本が真っ二つになる。
帰る手段が断たれた瞬間を目の当たりにして、一気に血の気が引いた。

「あらら、面倒くさいことになっちゃったね」

ここにきてようやく焦りだしたらしいラーシュが苦笑いを浮かべる。
両手に肉切り包丁を握り込んだマリアネルは、ゲッゲッといびつに笑いながら、血塗れの刃を振り上げた。


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