2


やがて騒ぎが遠ざかり館内に静寂が戻ると、背後の男が詰めていた息を吐き出す音が聞こえた。
そこでようやく男の手が外され、エリオットも新鮮な空気を吸い込んだ。

「……いい加減はなせ」
「おっとごめん」

エリオットに不機嫌な低い声で言われ、男が腕の力を緩める。
エリオットは一言……いや、十言くらい文句を言ってやろうと振り返って男を見た。
しかし、喉元に出かかった言葉を飲み込んでしまう。

男は、エリオットを拘束していたあの力がどこから出たのだろうかと疑うほどの細身の青年だったのだ。
さらに彼は大陸北部に位置するヒノン共和国特有の装束を身に纏っていた。
詰襟で丈の長い上着の横裾には腰の辺りから切れ込みが入っており、下肢に白いズボンをはいている。
寒くもないのに首にはストールを緩く巻いていて、その先を腰まで垂らしていた。
この辺りでヒノン独特の風体の者を見ること自体が珍しい。
なにより驚いたのがその頭髪で、夕陽色の鮮やかな彩りをしていた。
よく見ると短いその毛先はほんのり白く、派手という言葉しか出てこない。

ぽかんと口を半開きにしながら呆然としているエリオットに、男が切れ長の細い目をさらに細めて笑う。

「や、大人しくしてくれて助かったよ。驚かせてごめんね?」

北部訛りのない流暢なオルキア語だった。
――見るからに胡散臭い。犯罪者なら関わらないでほしい、とエリオットは冷たい視線を男に送った。
何より男はまだぴったりと密着しており、腰を緩く抱かれているのが不愉快極まりない。

「……なに、俺が格好良くてびっくりしてる?」
「…………」

エリオットは呆れた。この状況でよくもそんな能天気な台詞が出てくるものだ。その神経が全くわからない。

「……はなせ」
「んーごめんね、もうちょっとこのままで。――アンタ、いい匂いするね。香水でもつけてる?」
「何を……っ」
「しっ」

人差し指の先を唇に当てられ、エリオットは思わず黙った。
近くを人の足音が通る。それが男を捜している輩のものか善良な来館者のものかはわからない。
足音は書架を通り過ぎしばらく周囲をうろついていたが、すぐに遠ざかって行った。

「……、……行ったかな?」

男が低くつぶやく。エリオットは一刻も早く解放してほしくて身じろぎした。
しかし男はなおも密着し、エリオットの左手を握った。人差し指に嵌まっている銀の指輪を見て、男が感心したように頷く。

「ふーん……一級魔導士ね」
「……それがどうした」
「いや?」

ただの確認、と小声で言って男がエリオットを解放する。
エリオットはその好機を逃すまいと慌てて男から距離をとった。

「アンタ若そうなのにすごいね?」
「……どうでもいいだろ」
「褒めてるのに」

くつくつと男が喉で笑う。人の神経を逆なでするような笑い声だった。

「――アンタの奥さん、死んじゃったの?」
「……っ!」

男はエリオットを背後から羽交い絞めにした時に見たのだろう――エリオットの左耳介に挟まれた黒の耳飾りを。

オルキア貴族の風習で、寡婦または寡夫は喪に服す意味で黒い耳飾りをつける。
そういった狭い事情に精通している男はますます得体の知れない輩だった。
そもそも黒い耳飾りを見て「そう」と気付いてもわざわざ口に出さないのが上流社会の礼儀だ。それを、男は分かっていて無視したのだ。
私情に遠慮なく踏み込んでくるこの男が心底嫌になり、エリオットはローブのフードを目深に被って小走りにその場から逃げた。

「またね」

男の言葉が囁き声なのにやけにはっきりと聞こえ、さらに足を速めて図書館の入り口を抜けた。
男が追ってこないかとしばらく門柱に身を潜めて入り口を伺っていたが、その姿は見えなかった。
安堵してその場に腰を下ろす。しかし腹周りに固いしこりを感じて慌てて服の中を探った。

「……なんだ、これ」

ベルトからくしゃくしゃに丸められた小さい紙くずが出てきて、エリオットは首を傾げた。



prev / next

←back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -