プロローグ・謎の男


――毎日が平坦な日常の繰り返し。彼女を失ったあの日から、そうだった。





エリオットがオルキア帝国最大の国立図書館にこもって、今日で三日目に突入した。
遠くで鐘の音が鳴る。懐中時計の針を見ると、すでに夜の九時を回っていた。
エリオットは静かに羽ペンを置いた。

(もうこんな時間か……)

朝から机に向かい、気がつけば夕食を食べることも忘れて仕事に没頭していたようだ。
こんなことは珍しくない。食事を忘れてしまうのは悪い癖だが、生家を離れて長いのでそんな不摂生な生活にも慣れていた。

今の住まいである一軒家は留守の間だけ従者に任せているが、エリオットは基本的に一人暮らしだ。
周囲に飲食店や商店通りのある自宅に比べて、図書館周りは公共の施設ばかりだからつい食べそびれてしまう。

少し離れた場所にある宿屋は深夜まで開いているから、こういうときは宿屋の厨房に夜食を頼むしかない。
溜息を吐いて深紫色のローブを羽織り、身だしなみもそこそこにエリオットは図書館の入り口へと急いだ。


国立図書館は夜の十時まで開いている。
しかし灯はほとんど落ちており、今の時間本が閲覧できるのは正面広間の大閲覧室にある一般書籍だけだ。もうすぐ閉館する館内はひと気も少ない。

「……?」

来館者が少なくなった大閲覧室に足を踏み入れたとき、ひと気はほとんど感じられないのにやけに騒がしい気配がしてエリオットは眉をひそめた。

静寂を好む来館者が多い館内では、大声を上げ風紀を乱す者は不心得者としてたいてい嫌われる。
そういう者たちのもとには館の衛兵がすぐさま飛んできて排除されるのだが、どうも様子がおかしい。
入り口付近で騒いでいるようだから、とにかく避けて行かなければ、とエリオットは書架の陰から様子を伺った。

――すると目の前に人影が急に飛び込んできた。

足音や気配などは全く感じなかった。突然のことにエリオットは驚いて声も出せず硬直してしまう。
その人物はエリオットを背後から素早く羽交い絞めにして手で口を塞ぎ、耳元で「しぃ」と沈黙を促した。そのままエリオットごと書架に身を隠す。

エリオットは許しがたい所業を犯したその人物を見るために必死に首をひねってみたが、口元をしっかりと押さえられ身動きが取れなかった。
密着している様子からすると、自分よりも背の高い男のようだということがかろうじて分かる。

頬に男のぬるい吐息がかかり背筋に悪寒が走る。
なんとか逃れようともがくが、背後の男はかなり力が強く抜け出すことは叶わなかった。
エリオットは仕方なく抵抗をやめて遠くの気配を追ってみた。複数人が誰かを探しているようだ。

(……もしかしなくても、騒ぎの元はこいつか)

数分ほどそのままの状態が続く。いい加減息は苦しいし身動きがとれなくて体が痛い。
エリオットはだんだんこの状況に腹が立ってきた。


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