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それから二日後の夜、資料の目処がついたのでエリオットは自分の家に戻った。
そこはかつてティアンヌと共に暮らした場所だった。新婚生活を過ごすために構えた居であり、在学中はこの家からフェノーザ校に通ったものだ。

もともとエリオットの母の生家の別邸だったのだが、結婚祝いにと贈られた屋敷だ。
慎ましいながらも流行の建築様式で庭が充実しており、若い新婚夫婦が住むには十分な家屋でゆくゆくは子爵家を継いで生家に戻り、三人いる妹のいずれかに譲るつもりだった。
しかし、一人で住むには広すぎるが思い出深い家屋は離れがたく、結局今は職場への近さとその便利さでずっと住み続けている。

留守を頼んでいた従者はすでに引き払っており、家の中は静まり返っていた。
軽く湯浴みをして寝室に向かう。明日報告しなければならないことをブツブツと反芻しエリオットは自室のドアを開けた。

「こんばんは」
「っ!?」

真っ暗な部屋の中、いるはずのない人の声に驚いてエリオットは引きつった小さな悲鳴を上げた。
寝室のテーブルセットの椅子に、誰かが座っている。

「また会ったね?」
「だ、だ、誰……」
「あれ、もう忘れちゃったの?ひどいなぁ」

くすくすと笑う声が響く。
その神経を逆なでするようなベタついた喋り方にようやく心当たりを思い出して、エリオットは片手を振った。
手の動きに灯魔法が反応して部屋中の明かりが、ぽ、ぽ、ぽ……と灯る。
明かりに照らされたのは、予想通りあの忌々しいヒノンの男だった。

「いい夜だね、エリオット」
「……ッ!どうして、僕の名を――」
「アンタだって俺のこと、少しはわかってるんじゃない?」
「……狩猟者のゴロツキに用はない。帰ってくれ、気分が悪い」

エリオットの言葉を聞いて、男が嬉しそうに手を叩いて笑った。

「よかった!やっぱりわかってくれたんだ」

やはりわざとだったのだ。あの指輪も、大陸紙幣も。わざと自分のことを知られるように仕向けたのだ。

「じゃ、改めて自己紹介しようかな。俺はジンイェン、狩猟者の盗賊だよ。皆、俺のことジンって呼ぶからアンタもそう呼んで」
「どうやってこの家を……」
「んー……ま、職業柄ってことで。これ以上は秘密。アンタのこと、ちょっと調べさせてもらったから」

ということはあのほんの少しの接触だけでたった数日で自宅までつきとめたのだと思い至って、エリオットはぞっとした。
しかしジンイェンがそんなことはどうでもいいと言わんばかりに片手を振って笑った。

「それより指輪は?」
「……捨てた」
「またまたぁ、アンタがそんなことするはずないでしょ」

すっかり見透かされていることに、エリオットは悔しくて奥歯を噛んだ。
図書館から持ち帰った指輪はしっかりと旅行鞄の中に入っている。

「ま、いっか。とりあえず適当に引き出しの中にでも入れておいてよ」
「…………」
「預かっておいてほしい」

そう言って、ジンイェンが不意に真剣な目つきでエリオットを見据えた。
ニヤニヤと笑ってばかりのジンイェンの表情の変化に、エリオットは息を呑んだ。

「あの日の追っ手とか、お前……何したんだ。あの指輪は盗品なのか?」
「ま、盗んだといえばそうなんだけどもともとは俺のもんだし、取り返したってほうが正しいかなぁ」
「な……」
「それに、追っ手は始末したし」

ジンイェンが酷薄な笑みを浮かべる。
『始末』とはどのようなことをしたのか、想像もしたくない。

(……狩猟者は野蛮で、嫌いだ)

盗賊はその技能を活かし、裏社会で暗躍している輩も多いと聞く。ジンイェンは間違いなくその類だと直感してエリオットはますます顔をしかめた。

「……とまあ、今日はそれを言いに来ただけ」

ジンイェンはあっさりと軽薄な調子に戻って椅子から立ち上がり、そのまま窓の方へと歩いていく。
どうやら窓から侵入してきたようで、彼が窓枠に手をかけるとキィと軽い音を立ててすぐに開いた。

「ま、待て……」
「ん?」
「お前は――」
「ジン。ジンって呼んでよ」

ジ・ン、と低い声でゆっくりと言う。
月明かりでジンイェンの耳に穿たれたいくつものピアスがきらめいた。

「…………」
「……またね」

言うや否や、ジンイェンが窓の外に姿を消した。
この部屋は二階のはずだが、盗賊の身軽さの前ではさしたる障害にもならないのだろう。
エリオットはすぐに窓に駆け寄ってみたが、ジンイェンの姿はすでにどこにもなかった。窓枠に足跡すらついていない。ジンイェンに会ったことすら夢ではないのかと思わせるほどだ。
不思議な男だ、とエリオットは思った。


彼の鮮やかな夕陽色が、まぶたの裏に焼きついていつまでも離れなかった。




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